こんな明日はいかが?   作:ケット

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第2話

 気がつくと繭だけが、見渡す限りの海に浮かんでいる。

 なぜか下が見通せる。水深三〇〇〇メートルの、深い深い深い海。

 そして、音もなく沈んでいく。闇に、そしてもっと深く。

 暮らしていた街ごと沈んでいき、いつしか光のない海底の街になる。

 そこでは、オフクロも自分も葉波も……みんな不気味な海の怪物になっている……

 

 はっ、と目が覚めた。小さい頃からよく見る夢だ。まだ夜は明けていない……

 昨日……そう、転校生……家を飛び出して船で……葉波と、キス?

 そんなはずはない。葉波には好きな人が……

 でも、あれは夢ではなかった。

「こら、そろそろ船の支度しなさい!」

 いきなりケーコが鳴ると、耳に葉波の声が飛び込んでくる。

 いつもどおりだ。

 そうだな、今日はオレが船長なんだから、ちゃんと船の点検をしておかないと。

 今日の掃除当番は花音と真とリックと……名簿をケーコで開いて確認し、ながら乾パンとカンヅメを腹に詰め込んだ。くそ、家に帰っていればご馳走の残りがあったかもしれないのに。

 でもあいつとは顔を合わせたくない。

 あいつ……あの、おかもの転校生とは。

 ふと気がつくと……ハンモックに寝ていて慣れていたが……横揺れ(ローリング)が非常に大きく、雨の音がとても強い。

 甲板に出てみると、顔がゆがむような強烈な風と、痛い雨が吹きつけて目をあけていられない。空がやばい色だ。

 キャビンに戻って気圧計を見ると九六四、ケーコで天気図を調べると、かなり強い熱帯低気圧が発生して……うっ、ちょうど学校への航路。

「どうするの?」と、葉波の声が聞こえた。「さっきはごめん」

 そうだ、葉波にも昨日の借りがあった……こき使われ、怒鳴られた恨みが葉波以外にも……人数も多いし上級生優先だから、次オレに学校船の船長が回ってくるのは十月、台風シーズンがすぎて夏休みが終わってからだ。今日がチャンスなんだ。

「長谷川、よく考えて決断しなさい」船を見てくれている大人の、萩原さんが来てくれた。大声なのに音にかき消される。「緊急事態にならない限り、決めるのは君だ」

『久々に荒天訓練か、楽しくなりそうだな。今日オレが船長だったらな』

『正気だったら行かないぞ』

『おねがい』

『やり、休みだ。行くな』

『“嵐の長谷川”なら、あの時だって、行こう』

『行くなら頑張るけど、まあ由なら大丈夫、よね』

 手袋型コントローラーを動かすとボイスメールやテキストメールが、気象情報と並んでケーコのディスプレイに浮かぶ。ちょっとした手術と練習で、普通使わない神経を利用して直接入力できる上級モデルも最近出たらしい。

 うーっ……天気図に航路図を重ねると、大きく迂回すれば……でも低気圧がもしついてきたら、そして低気圧から来る強風と波、第一迂回したりしたら午前中には着かない、マストを下ろして動力全開で突っ切るの……も危険だ。

 低気圧が通り過ぎるのを待つか? だがそれでも着くのは夕方、それにもし低気圧が留まったら帰れなくなる。

 第一危険だ。低気圧からはかなり離れていても強風と強烈なスコール、そして大波がある。それより、オレの肌が無理だと言っている。

「あのね、わたしは学校で色々な手続きがあるの。だから行かなきゃいけないんだけど」

 岡野が、あの怒った目でオレを見ている。赤い、眠れなかったようだ……当然か。

『おねがい……今日、大切な約束があるの』

 とメールが飛び込んできた。李の必死の目、そういえば彼女、今日寮の楊さんに告白すると決めてたっけ。

「ちょっと待ってくれ」

 と、今埠頭にいる他の船や飛行艇と連絡を取ってみる。

『やめとけ、今日外洋に出るのは無理だ』

『今日はうちも飛べないな』

『いかだを見にいかにゃならんのに……ジャマだから出んな』

『バカか、行くな』

『助ける身にもなってみろ』

『わしが君ならいかんね』

「臆病者! 嵐が怖いの? あ、酔うのがいやなんだ」

 え? 岡野……っ!!

「てめえ……だれが臆病だって? いって……」

 と言いながら甲板に出ると、もう日は出ているのに暗い空……遠くにいくつか青い筋は見えるけど……

 ありがたいマストはたたんである、でも、船は埠頭に固定されていても激しく揺れている。埠頭ののぼりが、ちぎれそうにうめいている。

 あの時も意地を張ったせいで、葉波も危険にさらしてしまった……海に出る時は、感情のままはいけない……

「……今日は出港できない、自宅でネット学習。整備するから花音、真、リックは残ってください……解散……」

 くそ、くそくそくそくそっ! だれが卑怯者、臆病者だって? こんな嵐ぐらい切り抜ける腕はある!

 オレは臆病者なのか? 吐くのも、船が沈むのも……死ぬのも怖いのか?

 ぽん、と肩を叩かれた。

『真の勇気よ』

 葉波のメールが浮かぶ。

『ごめん』

 そう、李に送った……

 彼女は顔を覆い、泣き出している。

「卑怯者、どうするのよ」

 言い捨てた岡野を、皆が……李も……軽蔑した目で見ている。

『安全最優先よね、ごめんなさい……命さえあれば。あんなのは気にしないで』と、李。

『気にするな、本当に出港していたら、どんな目にあっていたかわからないんだおかものは』

『出てたら裏表ひっくり返るまで吐いてたろうよ』

『海を知らないおかものの言葉なんて気にしなくていいよ』

 みんなのメールに少し救われたが、やはり悔しい。

「ケッ」

 と春日が嘲笑したが、いつものことだしこいつはわかってないから無視。

 オレは酔いながらでも仕事はできる……吐きながらでもちゃんと出力を調整して、大波を舳で切り裂いて進むのを見せてやりたかった。いや、おかものはそんなの、見ることもできずに酔ってるだけだ。

 上級生もいるし、その気になればこの嵐で帆走だってできるんだ……素材強度だって木と麻でできた昔の帆船とは違うし、コンピュータの力を借りれば……昔の帆船だって、これ以上の嵐でも……うう……

 船を片付け、あらためて繋留をしっかり確認すると、葉波が待っていた。

 同時にメールが入る。

「メール見た? 学校とお母さんから、今日は岡野さんを案内して、ここでの生活を教えてあげなさい、って。生存公役三時間分」

「冗談だろ?」

 しばらく無言。

「あたしも行くよ、それに……」

 ぐっと、なにか悔しそうな表情をしている。メールが浮かぶ、

『今日、もしあたしが船長でも』、「ごめん」

『葉波だったら、機械切って帆だけでもよかったよ』

 船のキーを埠頭事務局に返すと、家に戻った。

 

 オフクロはもう仕事に出ている。物流の仕事は、こうして海空路がふさがると非常に大変なことになる。それに、そういえば今日の午後は育児の生存公役があったんだ。

 みんなは繭で授業を受けてるはずだ。本来オンライン通信教育で十分だと思うが、やはり学校というシステムは必要らしい。

 リビングで岡野が待っていた。オレの顔を見ると表情が、まるで日本人形のように硬くなる。

「そういうことだから、ほら」

 と、葉波が明るい声で誘った。

 顔も見たくない……

「先に、運動しなきゃいけないからジムに行こうか。あ、由は今日休みだっけ?」

「いや、着がえるから待ってて」

 戻ってくると美香もいて、岡野の表情も柔らかくなっていた。何を話していたんだろう。

「両手に花ね、お兄ちゃん」

「まったくね」

 葉波も合わせて腕を組んでくるし、

「まったくだ」

 と、峰のやつがいきなりケーコの映話で顔を出してきた。

「るさい」

 もう、なんとかしてくれ。

 

 前をひらいたパーカーの上に七つ道具をつけ、飛行帽型ケーコをかぶって出る。

 風は人工的なそよ風だけ……居住メガフロート全体を覆う半透明太陽電池はやわじゃない。でも濃い雲で、余計に薄暗いのはわかるし雨音は激しい。見上げると、もう風力発電塔は強風仕様になっている。太陽電池が使えない分も、ってわけか。昔の風力発電は風が強くなると使えなかったそうだが、今は違う。

 あ、葉波のおばさんも、全メガフロートで雨水を受けるためにあちこち準備で大変だっただろうな、もしかしたら葉波……手伝いから逃げたのか。

 一応書いておくか、“うち”は今ゴビ砂漠の植林をしてるオヤジ、高速船物流の仕事をしているオフクロ、妹の美香、オレ……長谷川由。

 隣の相原葉波は年の離れた姉の百合子、妹に美香の同級生でとても男らしい麻美がいる。おじさんは腕利きの飛行艇操縦士、おばさんと百合姉は船と農企業で働いている。親同士仲がよく、葉波はよくうちに入り浸っている。

 家といっても、はっきり敷地が分かれて庭があるとかではなく、むしろ集合住宅に近い。ただし高層ではなくそれを倒した感じだ。配置はメガフロートの設計思想によってまちまちだ。一度見たことがあるが、沖縄近くの第二メガフロートは太陽電池屋根の下を全部ひとつながりの広い空間にし、地面を空けてすぐ天井のないエレベーターになって、それで水面下の居住スペースに降りるという代物だ。

 うち……新緑ケ丘は江戸時代の長屋と八〇年代日本の大規模集合住宅と手塚治虫をかけたようなちょっとやばいデザインだが、中身は案外暮らしやすい。

 各戸には繭がいくつかあり、更衣室兼用の大きなウオークインクロゼット、蓋を下ろしたらその上が洗い場になる省スペース型バスルーム、洗面所、トイレ、キッチンとリビングダイニング……といってもテレビなどは繭かケーコで見ることが多いので大きなテレビなどはなく、壁全体が本棚になっている……、倉庫、それになぜか和室がある。

 数戸に一つ大きめのガレージと簡易トレーニングルームがある。大人が義務をこなすため朝か夜に近所で集まり、体操などをする。

「本土じゃみんな、公園か学校でやってるけどね」

「じゃあここが公園みたいなもんなんだろうな」

「それに、プランターとかも置いてないし庭もなくて、寂しくない?」

 わかってないな、

「熱帯で下手に屋内に緑を置いたら、虫やトカゲでえらいことになる。庭なら農業用メガフロートに確保されてるし、私的営利農業希望者はヘクタール単位で持ってる」

「日本人には、虫と共存する熱帯生活は耐えられないのよ……ほらここがトレーニングスペース。ついでに運動して、義務消化しようか?」

 葉波が指差した。囲まれ、引き戸で隔離されたちょっと広い空間にいくつかトレーニングマシン、総合ウエイトトレーニングベンチ、各種鉄棒、サンドバッグ、鉄砲用柱、棒や木刀で打ちこむ十字柱などが並ぶちょっと殺風景なスペースだ。

 広いジムもあるにはあるけど、オンライン通貨を取られるか予約で待つことになる。

「勘弁してくれ、一周してから」

「あとにしよ」

「自転車とか車はないの?」

「車を持っている人はほとんどいないな。こっちじゃ使えないし。船か飛行艇を」

「あなたに聞いてないわよ」

 つっけんどんな口調、可愛くない。顔と違って。

「ほら、これ」

 玄関近くの小ガレージを開けると、いくつかの自転車や原付三輪自転車が立体的に収納されている。

「うわ、最新の都市用ハイブリッド三輪じゃない。本土の都市でも流行ってるんだ……結構積めるし狭い道で楽だし、税金優遇がすごいしね」

 見た目は、透明な卵形の殻におおわれた自転車。後ろが膨らんだ三輪、シャフトに燃料電池とモーターが入っている。空荷なら脚でこげるし、荷物が重ければ動力を使う。それに動力つき荷車を増設すれば、三トンまで牽引できる。

「ここではみんなの足なんだけど、今日は歩いていこうよ。どうせ外の道も、この台風じゃ走れないし」

 

「よう! どうしたんだ」

 と、峰の兄貴が話し掛けてきた。

「生存公役?」

「そう、一番楽だよな」

「その代わり来週でしょ、下水は」

「ああ……わかってるよ!」

 配給・生存公役制度……これこそ超恐慌・円卓騎士団事件後世界中がやっている、メガフロートや太陽水素以上の革命だ。

 国家地方問わず財政は破綻した。日米中欧がいくら支えあっても、破綻したものは破綻していた。公務員の人件費も支えようがなく、借金がふくれあがっていた。

 少子高齢化で、高齢者の介護にはロボット技術がいくら進んでも大量の労働力が必要だ。その給料の財源もない。市場まかせでも財政破綻した国も。

 同時にグローバル化で平均賃金は下がり、そのくせ海外の労働力は介護など必要なところでは役に立たない。希望をなくした若者の多くが労働市場から退出し、特に欧州や中国では失業がどうしようもなくなっていた。

 世界全体では金融が混乱し各種資源需要も暴走、生態系も崩壊して極度の貧困も増え、最悪の場合は世界の大半が経済崩壊で秩序を失い、飢餓戦乱疫病で未曾有の破局……十億単位の大量死(ギガデス)が起き、近代文明自体が崩壊する。

 さあどうする?

 大きい政府、増税は無理でも、全員の労働力を半強制的に引き出して、そのかわり最低の生存は世界中で保障する。借金は世界全体が“大きすぎて潰せない”状態になる……経済学の博士号をもつもうじいさんで、生涯学習のために現代史で同級の神谷さんに言わせれば、狂った悪魔の発想だ。神谷さんの、マルな師は邪道だと大著を遺して怒り死んだそうだ。

 十歳から死ぬまで、誰もが最低週十時間か年に三カ月か四年につき一年、他の仕事に使っている時間が少なければそれ以上……全く仕事がなければ週三十時間か年に七カ月か五年につき三年の労働時間を提供せよ。正規の公務員を減らした代わりに全員がパートタイムの公務員だ、ともいう。

 同時に世界全体で、水や食料など最低の生存、他の現実経済、そして情報世界の三つの経済を切り離した。

 最低の生存……“皆で皆を食わせ、介護し、育て教え、文明と自由を保つ”は全人類に無条件配給。

 他の現実経済……旧来の資本主義部分……は厳しく持続可能なよう国際管理され、生存保障の分が取られる以外は原則自由。

 情報や特に著作権は、これまでのようにソフトを記録した媒体を車やパン同様物として売買するのではなく、コピーや再生をカウントしてその評価に比例する報酬を、主により高い情報アクセス権や名誉の形で与えるようになった。

 生存公役を怠ると人気雑誌の最新号や新曲の……もちろんオンライン……入手が“発売日”ではなく遅れてしまう。義務を拒絶する者は、事実上あらゆる情報から切り離され、名誉も奪われるのだ……もちろん電話、メール、ネットを使えない以上、働いて金だけ稼ぐこともまず不可能になる。生きているだけに耐えられる者は、予想されたほど多くはなかったそうだ。

 また、社会主義の弊害がないよう時間だけではなく、奉仕の質も評価される。時間を満たせば情報アクセス権を奪われることはないが、意欲的に頑張っていい結果を出したり、積極的に求められる以上の奉仕をしたり、新しいコンテンツを作って人気を集めたりしたら加点され、より多くのコンテンツをより早くダウンロードできる。加点は電子貨幣にもなりオンラインゲームなどでの通貨としても使え、制限があるが現実の金にも交換できる。

 逆に金を出して生存公役を免除してもらうのは制限がある。

 忙しい人の反対も多かった。だが週十時間の色々な仕事はそれなりのリフレッシュになることがはっきりしたし、ワークシェアリングとしての効果もあった。また地域を生かす効果も大きい……もちろん、いまだに反対者は多い。さらにその義務には、日米ではついでに毎日の運動や読書、義務教育を通り越した生涯学習までついているのだから。

 ああ、日本では在日統一朝鮮人(といっても統一は建前だけで、むしろ米韓中露占領軍によるにらみ合いで統治されている)が強く反対したそうだが、元々生存公役は国単位ではなく、地域と国際社会が主になっている。朝鮮半島北部の植林事業をしているようだ。

 この生存公役は学生であっても、全身麻痺でも老人でも例外はない……誰にでも何かできることはある、というのがたてまえだ。峰の兄貴も今、それを果たすために数時間パトロールをしている。ちなみに来週は下水処理か、大変だな。

 まあ、昨日の草刈りのように授業単位として認められる生存公役も多い。

 本当にいろいろなことを、時にはいきなりやらされることになる。おかげでいろいろな大人とも仕事できるから楽しいことも多い。それは地域を機能させて人民の支配を容易にしている、とも神谷さんが言ってた。宗教が強いところでは宗教が労働力を振り分けている、総力戦と同じく仕事と仕事仲間を与えることでアノミーを防いでいる、とも。

 オレも明後日は、予定では何人かの乳幼児を見なければならない……ああ、二十一世紀初頭は虐待ヒステリーがあったっけ。もちろんモニターで監視される部屋だ。まあ、ほぼ隅々までいつも監視されている上、テレビ電話機能があり、しかも近くの人間のIDまで把握できて緊急ボタン一つで全部警察に送信できるケーコをみんなが持っている以上、現実世界で犯罪を犯して逃げ切るのは無理だが。第一基礎準備校から全員護身術をやってるから、相手が子供でも危険だ。

 

 いくつかの、長屋を思わせる戸に囲まれた道からより大きな道に入ると、すぐにコンビニとそのそばの路面電車が見えた。金さんの焼肉など店も開いている。何しろ都市全体に屋根があるのだ。

 この往復二車線で台車ごと乗れる路面電車が、ここでの生活の中心だ。

「結構広い、というか長いのね」

 広い道がメガフロートを縦に貫き、ハイブリッド三輪が忙しく動き回っている。

「全体は……ちょっと図を出して、URLは」

 ケーコから図を表示し、北端の埠頭から解説する。

「ここが出入り口の港なの。そのすぐわきに市場があって、こっち側は中小の工場が集まっているわ」

「食肉処理とか魚の内臓処理とかは離れたとこでやるんだけど、より細かな加工は小さいところが競争してやったほうがいいんだ」

 路面電車でまず市場に向かう。もちろん無料だ。

「どうやって乗るの? 路面電車なんて、修学旅行以来始めて」

「はぁ? どうなってんだよ本土は……こんな便利なもの」

「うるさい、ハナにきいてんの!」

 マーケットは本土の、モールとはいかないがスーパーぐらいはある。水面下が雑貨や道具、一階が食料、二階が衣類、本、おもちゃ、家電消耗品だ。ただし、農林水産社員が多いので、食料の多くは自給するか近所の交換でいい。他の買い物もネット通販が多いから、それほど混んではいない。

 むしろ一階にある吉野家、MKD(注:十三年前に史上最高額で合併したマクドナルド・ケンタッキーフライドチキン・ドミノピザ)、FnJ(ファスト・ノット・ジャンクフード)(注:ファストフード同様早く安いがヨーグルト、野菜ジュース、粥、煮豆、握り飯、芋などが中心。近年支配力を強めているチェーン)、ディズ(ディズニー・ワールド・ファスト・ノット・ジャンクフード)、そしてサーティーワンなどのファーストフード店に人気がある。もちろんどれも配達してくれるが、やはりその雰囲気を好む子が多いのだ。

 軽く店内を案内し、ディズでジャスミン茶とミニークレープ……オレは女の子同士の話に入れず、ケーコで新曲を聞いていた。

 港では、今は嵐で中止されているが普段はクレーンが活発に動き、色々なものを出し入れしている。海を見るとやはりすごく荒れている。

 マーケットの一階は後ろに体育館ぐらいの広さで開き、港直通の卸売市場になっている。ちゃんと選別、小分けして陳列されている棚は少し高くなるが、そのほうが便利ではある。

 やばい、オフクロが向こうを通った……気づかれてなければいいが……

「由!」

 うわ、気づかれた。勘弁してくれよ……

「ちゃんと案内してる?」

「はい」

 岡野ってオフクロには猫かぶってるんだな。

 頼むから女同士の話はやめてくれよ。何でオレがいるんだ、葉波とオフクロでいいよ。

 

 港、市場から多くの店が並んでいる。

 その裏は大体小さな工場がある。

 まっすぐ大通りが通って港の反対側に、大きな庁舎と図書館などの総合施設がある。

 その前は噴水などがある、やや大きな広場になっている。

「海はどっちにあるの?」

 と、彼女が聞いて、鼻を鳴らした。そのしぐさに変な感じがした。

「そういえば、ここは全体空調だから海の臭いはあまりしないわね」

 と、広場を少し引き返し、カフェコンビニの角から横に出た。

 表通りから入ると、このあたりは広めの家が多く、そのための少ししゃれた店がちらほらある。

 美容院と岡野に葉波がふっと、不思議な視線を向けた。

「どうせこんなとこじゃ」

 と、岡野の小声がなぜか耳に、ウニの刺のように刺さる。

 すぐにドームの一番外の壁に出る。発泡コンクリートの壁に頑丈な鉄扉。

「フードとか上げとけ、ケーコは防水耐塩だろうな?」

「最新型よ!」

 と、額に上げたサングラスにしか見えないそれを指差す。しっかり手入れされた長い爪が光っている。あれ、グローブは? それ……それに最新型ってのは時々……まあいい、

 閉鎖されたシャッターの横の、普通より数段重い鉄ドアを開けると、猛烈な風と雨が叩きつけてきた。よかった、出なくて。

 きっと目を強めた岡野が、そのまま飛び出す。

 大丈夫だろう、海面上六メートルの防波堤があるし、波力発電ユニットや他のメガフロートがかなり波を軽減しているはずだ。

 こちら側も見上げるような防波堤と、高い内側の壁に囲まれた幅三メートルほどの道。排水溝があふれそうなほど、雨水と……もしかしたら入ってきた波か……勢いよく流れている。

「海は? この向こう?」

 と、防波堤を触った。

「そうだけど、今は危ないわ。この風だと外は」

「見る!」

 と、近くの階段から防波堤に登り始めた。

「よせ、危険だ!」

「大丈夫よ、泳げるもの」

 呆れてものも言えない……

 追って登ると、やはりすごかった。バランスを失いそうなほど強い風が、直接吹きつけてきた。

 近くの農場や公園もろくに見えない。内側を見ると、補助翼を出した大風車がすさまじい勢いで回っている。

 現金なことに、かなたを見ると青空がかすかにある。

「すげえな」

「ちょっとつかまらせて」

 と、葉波がオレの腕をつかんだ。なぜか体が熱くなる。

「えま、つかまらなきゃ」

「わよ!」

 声が風に吹き飛ばされる。

 防波堤の上の、防風林も激しく揺れている。

 あ、この木は五年前にオレたちが植えたんだったな。

「覚えてる?」

「うん」

 と、もう声が届かないのでケーコで会話していた。

「岡野?」

 一瞬ネットの情報を交えた嵐の海、そして思い出と葉波にぼうっとしていたが、見ると、彼女の姿がない……まさか、風か波に足を取られて……

 こっちの堤防には波力発電施設がある。巻きこまれたら命がないし、巻きこまれ防止柵に引っかかったらこれまた命がない。さらにその影響で、洗濯機の中よりひどい水流がある。さらにこの嵐だ。それに、おかものは着衣水泳など……。

 やはり落ちたのか!

 嵐に吹き飛ばされた悲鳴がかすかに届いた。

 オレは一声叫んで跳び、地を蹴ってから後悔した。

 散々習っていただろう、人を助けるために飛び込むのはやめろ……危険すぎる、死人が増えるだけだから……。バカだオレは……

 妙に冷静に、もう跳んでしまったのだから仕方がない、とケーコのゴーグルを水中眼鏡がわりに下ろし、息を大きく吸って、足から着水して一気に潜った。

 水面で一瞬すごい力を感じたが、水中にある程度潜るとかなり穏やかだ……もちろん、波力発電の水流に上下の感覚がなくなるが。

 手を動かして衣服の抵抗に慣れ……着衣水泳は二週間に一度はやっている……鼻をつまんで明るいほうを向くと、少し離れて白い縄つき浮輪……葉波が追って放ったのだろう、あいつはバカじゃない……と、その脇にもがく影!

 ぎりぎりまで潜水で近づくが、流れに離されていく。必死で浮上して息継ぎをしては潜る。そのたびに大波にもまれ、何度か水を飲みそうになった。

 流れが、たまたま影のほうにオレを押しやってくれた……どれだけ経ったか、間に合うか……もう沈み始めている……強く水を蹴ってそれに体当たりし、手に絡んだものを……海藻とサメか髪か服か知るか……つかんで、ぐちゃぐちゃの水面に手を振り回されながら力を振り絞り、指に触れた浮輪を追う。それを一度失い、また水中に引き込まれ……とっさに右手に絡んだものを引き寄せた。

 とにかく引き寄せ、水中で頭を探り、鼻を探り当てて口を口に合わせ、あごをこじ開けるように強引に残る息を吹き込んだ。

 もつか……自分用にも残せばよかった……とにかく上だと思われるほうに、水面の波をかきわけて……運良く谷が来たところで息を吸い、また息を吹き込む。

 とにかく一秒でも早く、一回でも多く吹き込む……一人で安定した海中に潜りたい、を抑え、すさまじい波に上からのしかかられて一瞬水を呑み、痛みに体が裂かれそうになり、振り回した足に触れた浮輪に足でしがみついた。

 浮輪に腕をかけ、波にぐっと持ち上げられ、なんとか頭を水面に出して息を吸い、髪のお化けに吹き込み……いきなり、何かが頭を叩き、絡みついてくる。

 狂気の化け物が、オレを水中に引きずりこもうとしている……オレも恐怖に総毛だった。

 だが、波をかぶって冷静さが戻った……当然の反応だ。海に逆らうな……オレは女とは思えぬ力でしがみつき、体を砕こうとするかのようにからみついてくるその首に手を回して気管を探り、その両脇の動脈を締めた。1、2、3……十五数え動きが止まった、離れそうになっていた浮輪を引き寄せて彼女を……激しい波で一度失敗してから、浮輪につっこんで自分も隙間に腕をねじ込んだ。今度はとんでもない波の上下動と、頭にかぶさってくるのが遠慮なくくる。いっそ全てを捨てて潜ってしまいたい……水中は嘘のように楽だった……

 が、腕がちぎれそうなほどしがみつき、また岡野のあごをこじ開け、波をかぶって咳き込みながら必死で吸った息を吹き込み、やっと救助ベルトのトリガーを引いて自分の浮きも膨らませる。

 それから……はっきりと、ロープに機械的な力が加わる。オレも余裕が出て、縄をオレと彼女の体に絡めるともう一度息を吹き込み、少女の頬を叩いた。

 目を覚ました彼女が暴れようとするが、波をかぶって叩けないので頭突きをした。

「波をよく見て、息と浮輪にしがみつくことだけ、ぶ……っ」

 また波をかぶったので、彼女の口を押さえた。

 オレも、もう……何かに思い切り叩きつけられる。それはそれで、体がちぎれるかと思った。ロープで引かれ、救助用階段に打ち上げられたのだ。

 なんとかオレはもがいて手すりにしがみつき、彼女が浮輪ごと引きずり上げられるのを確認した。

 そしてオレも、ものすごい大人の力で引きずり上げられ、頬をひっぱたかれた……その熱さでやっと意識が鮮明になり、波に一度抵抗してから腕を引く力を借りて階段をよじのぼった。

「ばかっ、殺す気? 首締めた! それに何回キス奪ったの、この変態! 最低!」

 ……悪口がいえるのは生きているからだ、このおかものが……反論は口には出なかった。なぜなら、

「助けに飛び込むなと生まれたときから何度も何度も習っていただろうがこのドアホウ!」

「おかものじゃないのよ! 自分の命を大切にしなさい!」

 と、大人に怒鳴られっぱなしだったからである。

 その通りです……ごめんなさい……体を制御できませんでした……

 

『バカ、でもそこが好きなんだけどね』という葉波のテキストメールに気がついたのは、家で熱いシャワーを浴びて夜ゆっくりくつろいでからだった。

 どうしていいかわからず、とりあえずオフクロに

「大丈夫?」

「大変だったわ、痙攣して……頭に埋め込んだケーコが、海水にやられたみたい」

「脳に直接接続? 最新型ってそういうことか……それで、生きてる?」

 確か入力と音声は頭に直接、確かに羨ましいけど危険だよな、やっぱり。

「気になる?」

 一瞬絶句したが、

「まあ死なれたらバカやっただけになるからね」

「十分バカよ、この親不孝者。ちゃんと元気だから心配しないで、すぐ帰ってくるから」

 と、頭を叩かれた。かなり強く。

 今夜も眠れそうにないな、いろいろな意味で。ゆっくり『第二次世界大戦』でも写すか、音楽は何にするかな……まあ繭が開いたのはありがたい。

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