こんな明日はいかが?   作:ケット

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第3話

 喉が渇いた。一面の水面、飲みたい。

「海水飲んじゃだめ。飲めば飲むほど苦しくて、もっと悲惨な死」

 ……欲は海水のようなもの。飲めば飲むほど渇く……

 ……人類は本来ジャングルで進化しサバンナで暮らす群れサルで、人間の体も心もそれが生きて子孫を残すためにできている。人間の欲はそれに都合がいいように……

 

「由、起きて」

 肩が温かい……葉波に寄りかかって居眠りしてたか。妙な目で岡野がにらんでる。

 思い出した、飛行艇の中だ。

「腕がいいから寝てたんだろ、ゆー坊」

 パイロットの、葉波の父ちゃんが声をかける。

「人工巨大浮体構造物有機廃水および生ごみなど生処理施設熱帯洋上型、通称人工マングローブ、略してジロブって呼ぶ奴もいる。とりあえず上空から見てみるか?」

 何度も見てはいるが、やはりいい眺めだ。上から見えるのなんて、その壮大さの半分だけど。

 後ろはるかに見える日本第七メガフロート群……五つの鈍く輝く太陽電池、それぞれから白くそびえる風力発電塔。中心の生命線、海水淡水化総合プラントが二つ。

 十七基、二十キロ×五〇〇メートルから三キロ×二〇〇メートルまで色々な大きさの、水田や麦、休耕牧草など多様な緑に風力発電塔もまぶしい農場メガフロートが風も波も無駄にしないように並ぶ。その中に、深緑の小さい帯、可動式の用水路が数基守られ、農場同士つなげたり水を貯めたりしている。

 やや遠くに、四キロ×二〇〇メートルの塩生植物海水灌漑メガフロートが二十基。

 ちょっと変わっているのがドーナツ型の畜舎。ドーナツの中の海面に、牛が泳いでいるのがゴマのように見える。遠くにはラクダ畜舎も見える。

 そしてオレたちが暮らす居住、軽工場メガフロート。上に張られた半透明太陽電池幕が鈍い光沢を放ち、その下のまっすぐなメインストリートと路上電車が見える。煙突兼用の大風車が雄大で、埠頭に集まるたくさんの船や飛行艇がまぶしい。

 隣接して一回り小さい、緑の短冊がある。島の生態系を直線的に再現し、南国果樹を多めに植えた公園だ。ついでにうちの埠頭を波の直撃から守ってくれている。

 その群れから離れて、長さ一三キロの濃い緑が帯になって迫る。そのそばにある水畜産処理工場が白くまぶしい。

「あれがマングローブ」

 指差すと、さすがに岡野も驚いたように見ている。

「大きいね……すごく濃い緑、それに広いね」

「広い、で勘違いしてると思うけど、幅は見た目では二キロだけど実は五・五キロあるんだ」と指で宙に、同時にケーコの描画ソフトで透視図を表示しつつ線を引き、送る。「あっち、東側に、壁が二重にあるだろ? 外側のすきまだらけのやつが第一防波堤。あそこから水面下数メートルに人口海底が広がってる。その壁、第二防波堤からこっちに土砂が入ってて、壁からしばらく浅い干潟、そしてマングローブ。西側の壁は五メートルの崖になっていて、海鳥が繁殖する巣箱と波浪発電設備。そして真ん中西側の塔に汚水をためて、パイプでこっちのほうに流す」

「しかし、たった十六年でここまで育つとはな。一番高い木はもう二〇メートルを超えてるよ。もう毎年安定した木材やラクダ飼料がとれる」

 葉波の父ちゃんが、感慨深げにいいながら高度を下げ、

「海を見てごらん。向こうまでずっと」

 マングローブから海流に乗って、水平線まで大きな刷毛ですっと流したように、海の色が微妙に違う。

 そのまま、メガフロート群から離れた広い海域まで海藻と貝が養殖されているのがかすかにわかる。中央の海藻プラントが小さく見える。

「こんなに広く、海に肥料をやっているんだ。それに多くの魚の故郷にもなっている」

「いっぱい魚がとれるの?」

「まあな。あ、マングローブの周囲は原則禁漁なんだ。稚魚を保護するために。

 念のために言うが、漁業は主権や経済的自由という名の無法が横行していた二〇世紀とは違い、持続可能な漁獲のための国際管理、総量増加のための貧栄養温暖海域への施肥や人工珊瑚礁、産卵稚魚の保護、トロールや刺し網などの漁法制限、管理捕鯨の解禁など生態網の……」

「均等収穫原則、捕鯨を禁止しても同じオキアミを食べるアザラシやミンククジラが先に増えてしまっていて繁殖が遅いシロナガスクジラはなかなか回復しなかった、また魚の乱獲で生態系に空いた空白をクラゲが埋めてしまって魚が増えない、せっかくイワシの産卵を保護し、育つ暖海に肥料をやってもクジラが食べ尽くしてしまって漁獲が増えなかった、ってことを繰り返さないように、全体からまんべんなく獲るようにする」

 葉波の父ちゃんのフォローがなんだか情けなかった。黙っててくれれば思い出せたのに……

「と、……混獲の投棄禁止、が明記されている」

「じゃあ、混獲されたものはどうする?」

 葉波が意地悪く突っ込んできた。

「えっと……極力死なないようにするか、死んだのはすりつぶして肥料や飼料にするか、海が消費できるよう少しずつ投棄するかだ。あと、マングローブの周囲が禁漁なのは僕らのトイレ直通だからだよ」

 岡野の表情が凍った。

「そんな露骨に言わないでよ」

 葉波の肘が、脇腹に食い込んだ。

「……マングローブでとれた魚介や海藻を、何も知らないところに流してるってうわさもあるけどね」

「はっはっはっ、大丈夫だ死にはしないよ安全基準は満たしてるから」

「ちゃん、やってる?」

 機体を揺らしてごまかした……岡野が倒れこんできて、なぜか葉波もすごい目でにらみつけてきた……葉波の父ちゃんが、マングローブの東側を指差す。緑濃い海に、いかだが約八キロにわたって、規則正しく並んでいる。

「あのいかだで貝を養殖しているんだ。富栄養化しすぎた海域からはどんどん、栄養が深海に失われるからね。少しでも回収しないと」

 いって、大きく高度を下げる。

「すごい鳥」

「あと、マングローブやその下からも貝やエビ、カニがたっくさんとれる。主に肥料や飼料、貝殻は建材などにも使われるね」

「人の食用にする貝などは他のメガフロートの下や、公園でとることになってるのよ」

「僕らが食べる貝はね。おかものは知らぬが花さ」

「こらゆー坊、はっきりいうなよ。さて、降りて上から順に見てみるか……」

「え、降りるの……」

「やだなあ」

 オレと葉波はげんなりしている。岡野は嬉しそうだけど……実態知らないから……

 ま、今日はオレたちが生存公役で下水処理をやらなきゃいけないから、どっちみち行かなきゃいけないんだけど。

 この間の事故の罰として、下水処理の仕事が岡野の案内もかねて前倒しになったのだ。それにしても、なぜここまで岡野にメガフロートについて、色々教えなければならないのだろう?

「さて、タンカーに合流するぞ。2248、タンカーどうぞ! こちら15786……22、これから着水し、長谷川たちを連れて第二埠頭につける。こいつらは今日新入生の案内が主になるな、どうぞ」

「こちら2248……667、15786……22、7……4……01第二埠頭進入よし、接舷よし、どうぞ」

 無線の声を聞くと大きく旋回し、安全海域を指差し確認、ゆっくりと降下して着水。

「うおっと」

 う……揺れた……まあ、今日はタンカーじゃないだけよかっ……いや、帰りはタンカーか……うぷ。でもやっぱり腕はいいよ。

「ほら、上にこれ着ろ」

「なにこれ、宇宙服?」

「いっそ宇宙服がほしいよ」

「ごめんね、すぐわかると思うから」

 脚から胸まで覆う特殊合成ゴム引きのつなぎに、肩までしっかり覆う蚊帳つき帽子。分厚い作業着を隙間なく着込み、腕もしっかりカバーで覆い、分厚く長いゴム手袋を着ける。

 そして蚊帳の下から飲める水筒と七つ道具を防水袋に入れてくくりつけ、ケーコの防虫防水を確認する。つなぎのポケットにモンキレンチと太いL字の六角レンチ、錆の浮いた大型ペンチ、やや大ぶりのチタン合金ナイフをつっこむ。

「大丈夫か見て」

 葉波の全身をチェックし、オレもしてもらう。葉波が岡野もチェックし

「ここ、隙間が開いているわ。ふさいで」

「宇宙服?」

「そんなもんよ、これは……実際ひどい目にあってもらって納得してもらう、ってわけにはいかないの。いくら予防接種は受けててもね」

 ゆっくりと飛行艇は海を航り、第二埠頭にぴたりとつけた。

「フェンダー用意!」

「フェンダー用意します!」

「もやい用意!」

「もやい用意OKです!」

「よし、3……2……」

 蚊帳をくぐり出て飛び移り、すばやくもやい綱を杭に固定する。

「よし、じゃあ行くか」

「行って来い」

 葉波の父ちゃんの声、岡野と葉波が出て、出入り口の蚊帳をくぐると、さっそくおいでなすった……数限りない虫がぶわっと押し寄せてくる。

「きゃああああっ!」

 岡野が悲鳴をあげてうずくまった。

「う、なにこの臭い……」

 気持ちはわかる。これが初体験だというのなら……さぞ大変だろう。

「元気出して、行きましょ」

 と葉波が岡野を引き起こした。

「う……」

「吐くなら汚水に吐いてくれ、栄養がもったいないし蚊帳帽子が汚れるから」

「ばかぁっ!」

「元気出たみたいね、いこ」

「もやい外します! ありがとうございました!」

 

 大人たちに合流し、少し岡野を任せて、まあ形だけ手伝った。もうタンカーの接続は終わっていたし。

「説明してやれ、復習にもなるから」

 またこれだ、大人のめんどくさがりめ……なんでも子供にやらせるんだから。

「そのタンカーに集められた、風呂やトイレ洗濯などの海水とか粉砕した生ごみとか入った生活排水、工業排水」

「から重金属や非生分解合成物を除いた」

 と、葉波がいちいちフォローを入れる……バカにされてるな……

「排水、それと農業の塩や肥料が……ええと」

「海から入った塩分や肥料からの硝酸塩、農薬などがたまって再利用しにくくなった農業廃水、あと廃棄物から糞など肥料やエネルギー源にしやすいもの以外、そして加工の」

「肉魚の排水は海中パイプライン直結だろ。だからそっちに工場があるんだよ」

 と、比較的近くに見える工場を指差す。

「うっさいわね、わかってるわよ」

「その言葉そのまま返す」

 太陽電池に覆われた加工場本体、大型のクレーンなどがついた水揚げ用の埠頭がこっちから見えている。

 そこからここまで、深さ八メートルにあるパイプラインでつながっている。

「それより、暑いんだけど……」

「じゃあ帽子取ってみろよ、死ねるから」

「あの人は平気じゃない!」

 と、岡野が軽装のアブドルさんを指差した。

「こら指差すな、あの人は天然マングローブ育ちで、出稼ぎでここを管理してくれている人で、こういう環境に慣れているから……でも大量の虫に刺されるのは普通の環境で生まれ育った人間には耐えられないんだ」

「なんで、タンカーなんて使わないで生活も農場も、全部パイプラインにしないの! 自動に!」

「パイプラインはあまり長くできない、船にとってもジャマ。そして、この虫や鳥が生活の場や農場に入ってきてもいいのか? 距離をとらなきゃいけないんだ」

「で、タンカーからあのパイプで……どこに流し込まれてるの?」

 うながして、崖になった埠頭面の堤防を登る。

「この防波堤の下に波力発電ユニットがある。で、ほら……この崖」

「いっぱい鳥がいる」

「この海鳥の卵と糞も、適度に回収できるようにしてるのよ。卵は食用に、糞は良質の肥料になるの」

「今朝も食べたろ?」

「あ、道理で大きな卵だと思った。それにすごくおいしかったね」

 あ、今の声ちょっと可愛い。

「なに鼻の下伸ばしてるの、由。汚水はこの塔、中が空っぽで、そこに汲み上げられ、貯められるの。その高さが圧力になって、この人工島の地下に広がるパイプ網で、できるだけ均等に汚水や砕かれた汚物を流しだすの」

「それをこのマングローブが処理して栄養に変えていくんだ」

「その栄養はどこに行くの? それに農薬が混じってるって」

「遺伝子組み替え作物や天敵農薬、アイガモ農法を使っているから農薬はほとんどないし、タンカーや塔、泥の中で完全に分解されるわ。大丈夫よ」

「これから順に見ていこうか。西岸がこの崖で、そこから順に……」

 手を振ると、今日の責任者である春おじさんが、空気を抜いたゴムボートのトランクやステンレス製のククリ(注:ネパールで伝統的に用いられる、前に湾曲した重厚で幅広い片手用の山刀。彼らが英軍グルカ傭兵となっても愛用することで知られる)、オールを持ってきてくれた。

 防波堤から降りると、そこにはやや固い泥と、

「これは? ススキみたい、ずっと大きいし葉はヤシみたいだけど」

 硬い葉が、炎のように広がる。

「ニッパヤシ。陸側で半ば栽培している。これはとても利用価値の高い植物で、栄養をかなり回収できる」

 春おじさんがいとおしげに鋭い葉をなでた。おじさんといっても従姉妹のダンナで、まだ三十そこそこ。

 ちょっと線が細いけど、中身は筋金入りの海人だ。あの伝説のカジキは……おっと、

「東南アジアの天然マングローブ地帯では、衣食住これでできるんだぜ。焼けば塩までとれるんだ」

「砂糖もね」

「塩なんてタダじゃない?」

 岡野の言うとおり……経済危機を解決するため、特に日米欧が過剰な生産力の行き先を探した結果、自然エネルギーが豊富な砂漠沿岸や亜熱帯の海などに、多くの海水淡水化プラントができた。

 海水を淡水化したり電気分解して水素を得たりしたら、当然塩が出る。昔はその濃い塩水をそのまま海に捨てて自然を破壊していたそうだが、それはもう禁じられ……というか割に合わない環境税。

 というわけで、今はもう塩……塩素とナトリウムはタダ以下であり、塩を工業原料として使う工場は安全に埋めるより安いと金がもらえるぐらいだ。

 昔の中国で、塩で反乱があったりしたのはオレたちには信じられない話だ。“敵に塩を送る”という言葉もわかりゃしない。

「成長点は毎日食べてるし、実は今朝も食べたけど……あ、あたしたちが食べるのは、別に個人の畑で作ったものだから」

「ちょっと抵抗があるんだよ、さすがに。たぶん安全だけど。そして樹液から砂糖や酒が作れるし、葉は家の壁や屋根にもなり、繊維もとれる。この硬いところはちょっとした木材代わりにもなる、とね。こっちは近代生活をしているから、低品位パルプ用の繊維と樹液からアルコールが主な用途だな」

 さて、いくらか樹液を採取し、葉を刈って……書けば簡単だが、暑いのに虫除けに厚着をしているしニッパヤシの葉は十メートル近いから大変なんだ……タンカーに運んでから生い茂るニッパヤシを抜け、小道を出ると……ほらさっそく、足が泥に沈んだ。

 あちこちで、春おじさんが持ってきたたくさんの細いパイプを地面に挿し、抜いては端をふさいでいる。泥や水のサンプルを分析するためだ。

「塔がいっぱいになって、ちょっと潮位が上がってるね」

「満潮だし。でもそろそろ枝や海藻を刈って、少し泥を出さないと」

 ふふ、気がつかないか……そりゃそうだな。

「さて、お待ちかねのマングローブ」

 いつもの探検ルートの入り口を、大きなサキシマスオウノキの板根が出迎えてくれる。

「うわあ……」

 岡野の声があきれていた。

 入り組んだ屏風のような根。そして太い幹と、濃い緑。

 木漏れ日がほぼ真上から突き刺さってくる。

「木の種類には関心ある?」

「あんまり……」

「じゃあ説明はしないね。気をつけて!」

 といいながら、棍棒根に足を取られた葉波が春おじさんにぶつかり、受け止めてもらった。

 わざとだろ? あ、そうか。時々葉波が船長のときマングローブに近づくのは……

 そして水が腿まできたところで、ボートを出して空気を入れ、かついでいたオールでこぎ始めた。

 無数の支柱根を抜け、時にボートを担いで根を越え、鳥の鳴き声を聞き、……

「すごいね」

「ああ」

「いっぱい魚がいるね」

「魚もカニもエビもなんでもたくさんとれるさ。ついでにトカゲもカエルも……ヘビも」と、目の前にぶら下がってきたヘビをオールに乗せた。

「きゃあああっ!」

「あああっもう、早く捨ててよ!」

「ばーか」

 春おじさんにそういわれるとなんかすごくいやだ。

 ぽい、と放ると、ヘビはそのまま泳ぎ去っていった。毒はない種類だから大丈夫。

「魚も」と、泥に手を突っ込んで変な顔のハゼをつかみあげ、「大丈夫なんだよ、この泥にはすごい量の貝やカニ、虫などがいる。パイプから押し出されて、この魚の中まで生きのびられるばい菌なんていやしない」魚を放した。

「由」

 と、葉波がオレの目の前で手を開く。そこには大きなクモ、

「きしゃーっ!!」

「けーっ!!」

 オレと春おじさんが、自分と互いの悲鳴に驚いた。

「あ、春おじさんもだめだったっけ。まあ……ここは自然に返すところなのよ」

 葉波がクモを下がってくる気根に返しながら、使い古された言葉を……岡野が引いてる……

「てめ……違うだろ、人間には再利用しにくい排水汚物を自然を利用して浄化し、海に利用されやすい形でばらまいて、あとで回収するためだろ。バイオマスの絶対量をふやしてさ」

「ロマンのないこといわないでよ!」

 と、枝を払いのけた棒が頭を直撃した。

「嘘でも女の子にはロマンを語ってやらなきゃな。それだから彼女ができないんだぞ」

 と、さっきの醜態をなかったことにした春おじさんが、水のサンプルを取りつつ苦笑いをした。

「春おじさんが長いこと結婚しそこねてたのは」

 皆まで言わせず舵オールがオレの頭を直撃、

「泥の無数の生き物が、汚水汚物を食べて浄化し、いい栄養にしているんだ。その栄養はマングローブの肥料にもなり、また海に流れ込む。あそこまでが、ちょうど土を入れた洗面器を水に、ちょっと傾けて一方から波だけが入るように浮かせたようなもので、周りの海から仕切られてる」

 と、手振りを入れて講義が続いた。

「うあ、え」

 ラクダの群れが歩いてくるのを見て岡野が驚く。

「ラクダだよ」

「塩分が多いマングローブでも育つからね」

 葉波が当然のようにいい、ホイッスルでラクダを追い払った。

「淡水より圧倒的に多い海水から肉を作るのが、百億に肉を食わせる方法」

 また岡野のやつ、言われもしないのに先走って調べてる。便利だけどなあ。

 

 少しずつ水が深くなり、ヤエヤマヒルギがまばらになって、森を出るとかっと日光が突き刺さる。

 元々この緯度でこの季節は日光がすごいけど……あ、そうか。

「な、なにこの日光!」

「今日は日光増強日だな。宇宙に浮かべた紙より薄い鏡で、あちこちの汚れた海や汚染処理の人工湿地、農場、太陽発電所に日光を少し追加するんだ。今日の午後はここだったね」

「暑いよ、のどが」

「背中に水筒があるでしょ、少しずつ飲んで……」

「もっと薄着になれないの?」

「こんなに虫がいたら無理なんだ、虫除けも限界があるから」

 元々人間に適した場所じゃないんだよな、こういう熱帯の湿地は。

 オレも暑いし、汗で防水防虫作業服がますます重くなる。

 我慢して、ごく浅い栄養豊富で濁った内海を一キロ近く横切っていく。多くの水鳥が海面をすくってえさをこし取っている。

 そして、第二防波堤につくと、

「ここが、実はさっき言った洗面器のふちなんだ。満潮になるとこの上まで海水が来て、栄養や生き物と一緒に出入りするから……」

「おかしいと思わない?」

 と、葉波がヒントを出した。

「え……そう、満潮!? ちょっと、メガフロートでしょ? 浮いてるのに何で満潮なんてあるの?」

「ふふ、やっと気づいたか」

「うるさいわね」

「もうひとつ……この人工島、幅が広すぎると思わないか? 人工浮島、メガフロートの幅は、ほかは六〇〇メートル以下だろ」

「あ! なんで……ちょっと待って、作るのが厄介だから」

「ブー。作るのはどんな大きさでも簡単だ。ブロックをつなげるんだから。

 でも、幅がある限度より広くなると、その底の下で水の酸素がなくなる……日光がなくて光合成が起きない、空気とも接してないから。その腐った水はいろいろ害がある。

 だから幅を制限するか、魚を飼う水槽みたいに空気を入れるか、光を入れなければならないんだ」

「新しいのは海中の浮きから、柱で海面より上に板を支えるから大丈夫よね」

「まあね。続けるよ、アメリカやアフリカでは、幅制限より空気や光を入れることを選ぶみたいだね。マングローブは幅が必要だから、あの波力発電のエネルギーで底に空気を入れている。その空気を調節することで、擬似的に潮汐を作っているんだ……実際の潮汐に合わせて。潮汐がないと、マングローブはうまく育ってくれないしね」と、春おじさんが鳥が群がる空気抜きの塔を指差し、

「そして浮力を得るため底にためた空気は、干潮の時間にあの塔から抜いてるんだ。中のタービンでエネルギーを回収して」

 ゴムボートを持ち上げて第二防波堤を乗り越えると、

「ここからは単に、擬似的な海底として板が沈んで固定されているだけだ。いくつか島もあるけど。それがここから約二・三キロ沖まで続いて、最終的な端がほら、あの隙間があって出入り自由な第一防波堤で、ここを波穏やかな内海にしているんだ……それで全体の幅は五・五キロ、ってわけ」

 春おじさんが指差した向こうに、隙間だらけの歯並びのような第一防波堤が、互いに隙間をカバーして二重に並んでいる。その上にずらりと白い海鳥が並んでいる。

「その外も、数キロ貝と海藻を養殖するいかだとかがあって進入、網入れ禁止なの。珊瑚礁ができちゃうから、危険もあるしね」

「あと、ここの底も空気を供給されてて、相当なバイオマスがあるけど、それは利用しにくいのよ」

「そこまで見に行く?」

「それとも、ほら」

 と、春おじさんが水のぞき……単に、底をガラス張りにした箱……を海につけ、岡野に示した。

「すっごい」

 まあ、そりゃこれだけたくさん魚とかがいればな……海藻が多いから、あまりよく見えないと思うけど。

 ここで多くの魚が産卵し、食べ、食べられる。

 直接流したら海を殺しかねない汚水が、このマングローブでゆっくり浄化されていい栄養になる。

 肥料分は日光と暖かい海水で膨大なプランクトンになり、卵からかえった魚を育てていく。それが回遊しながら大きくなったのを、人間がたっぷりいただくというわけだ。

 もし何も考えず、汚水汚物全部流したらメガフロート地帯周辺は汚染されて漁業は不可能になり、肥料分の大半は急速に三〇〇〇メートルの海底に沈んでいくことになるが、この形ならほとんど何らかの形で再利用できる。

 マングローブから直接は、増えただけの木材やラクダの飼料になる葉、ニッパヤシの樹液、海藻、貝、海鳥の卵や糞をいただいて……といっても、あまりここには入りたくないんだけどな。

 この無数の虫も、結局は魚や鳥、トカゲ、カエル……クモに食べられる。食ったのも何かに食べられて……食うだけで、死体は焼かれるのは人間だけか。

 

 さて、いいかげん漕ぎ疲れてるんですけど……またあのマングローブを縫って帰るのか……はあ、まあこれで今日の分の運動は……必要量の五倍はやってるぞ、くそ、明日はバスケだよ……でも、春おじさんと葉波の前で弱音は吐けないからなあ……

「次のタンカーが来るまであちこち探検しようか」

 勘弁してくれよ、クモが……。

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