こんな明日はいかが?   作:ケット

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第4話

 溺れ……あ、夢か。バカなことをした、と改めて背筋が寒くなった。

 あちゃ、今朝は配給食か、呼んでるオフクロの声もちょっと暗い。

 玄米と豆と乾しカキの粥、ラクダ肉と芋と海藻とへんな塊としか言いようがない代物の煮物、ぬか漬けしかない。

「わかってるわよね……お説教はなし、食べちゃお」

 あの頃をしのぶため、今朝のように配給に頼った食事を時々するのがならわしとなっている。

 人類皆、たとえ政府が財政破綻しても餓死しない。最弱者の充分幸福が、文明の持続と一体で今の人類の主要な目標の一つだ。そのための配給制だ。

 オヤジやオフクロも、日本始め世界中が財政破綻して大変だったころは配給に頼って生活していたこともあったらしい。今の、ここのように景気がいいところでも一応、配給券は配られている。そのほとんどは何かと交換するか寄付することになっているが。

 まったく、どうにも最低のものだ。食料は原則として精白されていない玄米や全粒粉、そば粉や雑穀、芋、タピオカ(注:キャッサバのデンプン)、大豆、干し貝、オキアミ、ラクダの肉やチーズなど。最悪なのがネイなど遺伝子操作された新しい作物の加工品。要は“生きていければいい”“人はパンだけで生きるものではない。けれども地では皆最小限はパンがいる”。家畜の餌みたいなもんだが、今でもこの配給以上の食事ができない人は何億人もいる……それがなくて飢え死にするよりはましか。

 牛肉や豚肉はまずなく卵もごくたま。砂糖、コーヒー、酒なども本当にこれだけで暮らすとしたら……もちろん衣服や住居も配給で与えられるのは、実用的すぎる最低限のものだ。

 ここでは魚や貝、海藻の配給はまああるが、それも商品価値が低いものばかりだ。むしろおいしいものもあるけど。

 この配給がいきわたっているからこそ、もし仕事を失っても生きていくことはできる。誰もが、だ。少なくとも人類は飢えは克服した……飢餓は、葉波としでかした漂流事件で一応わかっているつもりだ。誰も餓死させない人類の一員であることの誇り、か。

 ついでに、情報が電話も含め、ちゃんと義務を果たしていれば全員使い放題なのは実にありがたい。電気、水道なども制限は一応あるが、まあ充分らしい。

 この粗末な食事も、よく噛めばそんなにまずいもんじゃないが、やはり普通の食べ物の方が好きだ。

「玄米は五十回は噛まないとちゃんと消化できないわよ」

「わかってるよ、でも学校船が出ちゃう」

「かむのが嫌いなのは人間の本性だから、ちゃんと乗りこなさないとね」

「習ったよそれぐらい!」

 人間の本性を知り、それを乗りこなせ……いつもそう教えられる。それが嫌だと思うことがあるが、『ではどうする』と常駐ソクラテスにいわれると、どうしようもない。

 常駐ソクラテスは誰もがコンピュータに持っている、ある種の相談相手というか厄介なソフトだ。子供にとっては家庭教師でもあるし、ある意味家族でもある。『なぜ?』『ほんとう?』『ほしいものは?』『うのみにしてないか?』『現実にできることは?』『やりなおせるとしたら?』『別の見方はないか?』『いい点と悪い点は?』『自分に嘘をついていないか?』『本音は?』などとしつこくしつこく聞いてくる。あれと話したがる人は多いけど、大抵はこのソクラテスが相手をしてくれる。それで十分だって話だけど。

 

 学校に着くと、いきなり女子に囲まれた。

「ねぇっ、溺れかけた岡野さんを助けたんだって?」

「どんなふうに? 飛び込んだの!? キャーッ!!」

 一瞬戸惑い、それで嬉しく……だが、なぜか突然震えが来た。

 あの幽鬼のようにしがみつく手……身長より高い波にもまれ、何度も息が詰まり……

 ふ、と倒れかかったところを、葉波に支えられた。

「こまりますねえ、インタビューはマネージャーの私を通してもらわないと」

 至近距離で、ちょっと怖い……船長としての笑顔がそこにあった。

「え、えー!」

「ずるい!」

 背中に当てられた手が暖かい。ふっと気持ちが落ち着く。

「バカなことをしただけだよ」

 まさにそうだ、前に、葉波と漂流する羽目になった時と同じく。

「岡野! って叫んで、嵐の海になんのためらいもなく飛び込んだんでしょ?」

「すごいよね」

「そういえば、一緒に住んでるんだって? もう運命よね!」

「葉波ちゃんはどうするの」

「てめ……表に出ろよ、一発殴らせろ!」

「やるのか?」

 にらむと、そいつはあっさり引き下がった。

 二十年ほど前、明治時代から生きていた決闘禁止法が改正され、未成年の決闘が、ルールを守れば容認されるようになった。複数の大人が立ち会うこと、男女対等は十二歳まで、武器なしの一対一、ひどい傷を与えないことなどが条件だ。女子同士、男女、年齢差などで複雑なルールが慣習としてできている。

 ふん、やっかみやがって。

「バッカみたい」

「あ?」

 ふり向くと、当の岡野がむくれていた。なぜか、顔が熱くなる。

「ねえ、それはないでしょ? 由くんが助けてくれなかったら、死んでたんじゃないの?」

「ひどいんじゃない?」

 そうだ。もしオレがマニュアル通り、救命具を投げるだけにしていたら……あの嵐の中では、人魚も出せはしなかった。遺体さえ出てこなかったかもしれない。

「騎士(ナイト)にそんな言いかたないよ」

「ふん」

 つん、と、彼女はすまして席に戻ってしまった。そういえば、あれから一度もお礼一つ言われてはいない。

 お礼が欲しくて助けたわけじゃないけど、少しは感謝してくれないと、あんな危険を冒したのに。キスの一つぐらいくれてもいいんじゃ?

「由」

 何か、葉波が叱るような目で見ている。やめろよ。なんだよ。

 ぷい、と、彼女も、目を一瞬細めてそらし、手を離して去った。

「あの台風の中で、海に飛び込んだのかよ」

「どんなだった?」

 男子もいろいろ聞いてくる。

「ま、なんでもなかったさ」つい、格好をつけてしまった。「おかものに着衣水泳なんてできるはずがないしな、とっさに飛び込んで、抱えて」

 つく、と手のロープずれのような痛みを感じた。

「そこにちょうど、葉波が投げた救護具につかまって、引っ張り上げられたんだ」

「海、荒れてたろ?」

「寮は低気圧からはずれてたけど、それでもかなり荒れて外には出られなかったんだぞ」

「稲刈りの後でよかったよなぁ」

「そうだ、前から聞きたかったんだけど、寮に台風が直撃したらどうなるんだ?」

 メガフロート暮らしだと、荒れたらどこにも行けなくなる。農場を最低限護ったら、居住区に閉じこもってオンライン教育か、修理にかり出されることになる。

「どうもこうもないよ、船も飛行艇も飛行機も出られないから、ひたすらお前らがいない、がらーんなガッコで勉強して、体育館や寮で遊んで、大掃除をやらされるだけさ」

「海のみんなも似たようなもんだろ?」

「まあな」

「でも、もうすぐ……」

 そう、春稲の刈り入れが終わって台風シーズンが来たら、農場も一部を除き緑肥を育てつつ“地下”に水をためこむのに専念し、学校も休みになる。その間は……生存公役がたまっていれば、世界のどこかで植林か何かをすることになる。野外活動も義務教育に含まれているから、それも消化しなければならない。

 今年はどうするか、今年ずっとやってきたメガフロートの立ち上げを手伝うか、それともゴビ砂漠にいるオヤジを手伝うか……

「晴と僕らのグループは荒天帆走訓練をやったけど、死ぬかと思ったよ! あの海に服着たまま飛び込むなんて……」

 やめてくれ、そんな眼は。オレは単に、ほとんど自殺と言っていいバカをやっただけなんだ……

 でも、やはり気持ちがいい。こたえられないよ。

 

「現在、日本の一次発電は原発が34%、石炭火力発電が19%、天然ガス火力が15%、風力・太陽光・バイオマス・波浪など自然エネルギーが28%、水力が4%。ただし、火力発電は二酸化炭素を環境に出さないよう、いろいろ工夫している。

 その方法は立地によって異なり、沿岸にあり大都市に近い発電所では」

 ケーコに浮かぶ、何度か野島崎から見る光の柱。

「火力発電は炉の排気と熱い水、石炭の場合灰が出る。その排気は二酸化炭素、硫黄・窒素酸化物、煤塵などが含まれている。その排気と熱い水、空気を混ぜ、東京湾など近くの、極端に汚染された海の底に放出する。二酸化炭素は水に溶ける。そして熱いから」

 対流の図。

「海底にたまる栄養塩と共に海面に上がる。日光が不足して、混ぜた空気だけでは酸欠になるから、宇宙から鏡で二十四時間三百六十五日、日光を当ててやる。そうすると年に、東京湾だけで三百万トンの海藻と貝類が収穫でき、二酸化炭素も固定できる。

 メガフロートでやっている、外洋海藻栽培と似たようなものだ。

 ただし、収穫した二酸化炭素はすぐ大気中に戻ってしまう。本当の処理は深海処理で」

『由、由』

『なんだよ』

 葉波からのメール。まあオレも退屈だし。

『あのときは傑作だったよね』

『ああ、カスがのバカが』

「地球温暖化は、外洋施肥や人工干潟・珊瑚礁・海水灌漑など海水バイオマスを増やす対策の成功、実用高速増殖炉など原子力技術の進展、そして地球自体の制御力のおかげか最悪の予想よりはましだ。でも最悪の予想が当たっていたかもしれない、予測できるものではなかった。本来は全員分の救命ボートが必要だったのだが、その視点はなかった。今だってそれほど余裕はない。核融合は技術的にまだ無理なので、一刻も早く宇宙太陽発電を主力にして」

 宇宙?!

『由!』

『ああ』

『由……なんで宇宙と聞くとこんななの、海じゃご不満?』

 ああ、宇宙……星空の向こう……

『誰でも、あんなふうに助けるの』

 一瞬そのメールが浮かんだかと思うと、直後に消された……が、オレは軌道エレベーターと静止軌道太陽電池リング、月面や水星の太陽電池に夢中だった。

 

 昼、聞いてくる連中から一人になりたくてとっておきの場、体育館の屋上にある日陰に行った。

 岡野が一人、食事をしていた。なんともまずそうに。

 なんだか腹が立った。オフクロが作った弁当がそんなにまずいのか?

「なに?」

 彼女の目が、いきなりこっちを見た。何と話しかけていいかわからない。

「あ……」

 いつもどおり、きつい言葉があれば別の場所を探せるのに、彼女も黙っている。

 そこでうわっと、熱い西南西風が吹いた。

「ちょうどいいな」

「何に?」

「この風、帆をグースウイングに絞れば」

「わからないんだけど」

 そうか、おかものだった。

 なんとなく同情する……ほとんど異民族のような連中に囲まれて暮らすんだから。

 オレは風上に坐ると、弁当を出した。

 彼女も何も言わず、食事を再開する。

「昨日とれたばかりのトビウオだ、うまいだろ?」

「そうね」

 ふ、と表情がゆるむ。また、熱い風が吹く。

 なんだかどぎまぎし、さっさと食べ終えて体育館に走った。

 

「由、今年はどうするの?」

 帰りの船で、葉波がふっと聞いてきた。今オレたちは非直だが、岡野にロープワークの基礎ぐらいは教えてやれ、と言われている。

「うーん、オヤジのところかな」

「そうね。あ、それじゃ輪が締まっちゃうわよ。もやい結びはこう、まず基本的な結び方をしっかり覚えないと」

「航海術のコース、とるつもりないんだけど」

「でも、嵐の時とか、全員が手伝うことがあるからある程度できたほうが恥をかかずにすむし、いざというとき安全よ」

「うう……」

 たどたどしく、……ほらやった!

「おい!」

「何よ!」

 手首をつかんだオレの手を、あれ? 水をつかんでいたように外された。

「なんなのよ」

「だから、結ぶときに絶対指を輪に入れるな。今こうして」と、紐を引っぱる。「綱に力がかかったら指がつぶれるぞ」

「よけいな……バカ」

 ごん、と葉波に殴られた。

「海が嫌いなのか? 酔わないのに」

 それがうらやましくてならない。オレはこんなに海が好きなのに。

「由、何書いてるの?」

「ハッキングするなよ」

 葉波はコンピュータでもかなりの腕利きだ。数学はオレのほうが得意なんだが、それとこれは違うらしい。

「あ、例の日記? まじめにやってるの?」

「まあな」

 今書いているこの文章、学校で勧められた、“汝自身を知れ”日記だ。自分自身を、今暮らしている文明を含め外から分析するような視点で書く。また自分の感情も素直に書く。……そうすることで、役に立つもう一つの自己ができるし、自分の心が邪悪に呪縛されるのも防げる、とのことだ。とりあえず二一世紀初頭の視点から記述してみている。

「何が書いてあるの?」

「そっちのも見せてくれ、そしたら見せる」

「ごめん」

 

「これが太陽電池?」

「そう」

「なんか大きな板がたくさんのった、三角のジャングルジムみたい」

 そう、太陽電池ユニットは、水面下にある中空球形の支浮脚から基本的に正四面体で組まれた、水面上数メートルに伸びる柱に支えられている。

 海水面に触れていないから、海水の蒸散はほとんど妨げない。近い将来、他のメガフロートもそのやりかたで造るようになるらしい。

 新型の太陽電池は半透明で40%を電気に転換、30%を透過して海面に、30%は反射だから生態系にもさほど影響はない。それが何千枚も、太陽を常に追っている。

 表面にはいつも掃除している、ヒトデに似たロボットがいる。

 風力発電塔の自動レーザーに海鳥が追い払われている。

「で、メンテナンスって何をするの?」

「ロボットの点検と行き届かないところ、あと脚の掃除だな。脚の掃除は大人がやるから」

「水中なのに何を掃除するの?」

「どうしても底にフジツボとかがつくんだよ」

「きゃあっ!」

 岡野の悲鳴に、あきれてものも言えなかった。おかものの女はなぜフジツボを怖がるのか、あんなにおいしいのに。

「本当にここに来るまで、海を見たこともなかったんだな……どこで暮らしてたんだ?」

 ぷい、と彼女はオレを無視し、

「どうやって水中で掃除するの?」

 と、船から海面を見下ろす。うらやましいぐらい酔ってはいないようだ、この不安定な波で。もうオレは……うっ。いつもながら、ゲロに魚が集まってくるのを見るのは情けない。

 それにしても、岡野は本当におかものなのか? この海で酔わないなんて。

「じゃあ、今日はそっちを見学するか」

 春おじさんがにこやかに笑った。

「“人魚”使わせてくれるの?」

 葉波が目を輝かせた。

「……よし」

 オレも勇んで、船酔いもふっとんで帆脚索をゆるめて転桁索(ブレース)の手応えを感じ、

「風よし、左舷開き(ポート・タック)に上手回し(タック)いくよ」

「上手回しよし!」

 葉波の舵と息を合わせ、風に向かって大きく船体を躍らせた。

 残念ながら、岡野は回る帆桁に頭を殴られる洗礼(ブームパンチ)は受けなかった。葉波のやつ、事前に注意したな……裏切り者。

 大きく傾きながら裏帆を打たせ、エンジンを使わず微妙な調整で太陽電池のベースに着くと、もやい綱を投げて船から飛び降りた。岡野が葉波につかまって降りている。

「水面下メンテの見学だってさ、出してやれ」

「ま、さっきの上手回しなら大丈夫だろ。ほら、壊すなよ」

 バスケコート程度の海上倉庫に大型車程度の大きさの乗物がいくつかある。

 イルカを思わせる優美な流線型に二本の人間のそれに似た腕と象の鼻を思わせる腕、そして下に二つの車輪とキャタピラが一つ、流線型を損なわぬよういくつかの箱状のものや、小型のスクリューがついている。

 頑丈な窓とカメラアイもいくつか見える。

「実物ははじめて見た……これが人魚?」

「そう、特殊水中作業機。古典アニメ好きが強引に腕をつけちまった代物さ」

 と、点検し、ドームを開けて補助席を引き出した。

「長谷川、前やったことあるだろ? 岡野さんはそっちに乗って」

「え、はな……いやわかった、わかりました」

 岡野と乗れば、葉波は春おじさんと乗ることになる。そうしたいなら……岡野に我慢してもらえばいい。

「ちょ、ちょっと!」

 当然岡野は文句を言う。

「しょうがないだろ」

「いっつもそう、海の人ってしょうがないだろばっかりで、すぐ大人の言うなりになって! しかたがないは奴隷の始まりよ」

「だって相手は海なんだから。どうしろってんだよ」

 と、補助席を示して……あちゃ、わかっちゃいたけど狭いから思ったより密着してしまう……

「鼻の下のびてるよ!」

 葉波に言われ、

「そっちこそ!」

 言い返すとシートにつき、足をあぶみに入れてケーコと人魚のコンピュータをリンクさせ、操作グローブをつけて指を一本ずつ点検する。

 それからシートから出たマスクで鼻と口を覆い、口と舌の操作に合わせて象の鼻が動くことをチェックし、足の操作でコンピュータの点検モードをチェックして……

「岡野、そのホースをしっかりくわえて。しっかりシートベルトをして、ナイフだけは確認しておけ」

「指図しないでよ! ナイフなんて持ってるわけないでしょ、そんな野蛮な物!」

「命にかかわるんだ、ったく……」

 オレは自分の、足にとめてある予備をはずし、

「左利きだよな、なら右腕にでもテープでつけて」

「指図しないでよって言ってるでしょ! ナイフなんて危ない物、触りたくないわよ、ましてあなたのなんて」

「岡野!」

 くそう、そんなに命を粗末にしたいなら、オレはあのとき何のため、あんな危険を冒したんだ?

「えまちゃん」

 春おじさんが、いつもとは違う厳しい目で見ている。

「最低限の準備ができていないなら、海に入るべきじゃない。もし事故が起きて、シートベルトがはずせなくなったらそのままおぼれ死ぬのかい?」

「事故なんてないわよ」

「あるんだ、いいからつけなさい」

 と、強引に彼女に押しつけた。

 全体が特殊チタン合金製で錆びない。刃渡り7センチほどの短剣形(ダガー)で、一方が普通の刃(プレーン)+湾形糸切刃(ラインカットフック)、もう一方が波刃(セレーション)。柄は金属のままのワンピースで、細長くとがった柄頭はマリンスパイクを兼ね、軽量化を兼ねたシャックルキー穴が抜かれている。文字通り最後の最後で命を預ける一本だ。いらないんならオレだって、一瞬だって手放したくない。

「こちらの点検は終了しました、見落としはないですね」

「大丈夫だ、掌紋確認、起動」

 コンピュータにしても何にしても、年中掌紋を使うこともあり、ケーコ操作用手袋は掌部分が開いている。

 機体付属の超高画質両目接眼ディスプレイ……かなりごついゴーグル……とヘッドホンを装着し、表示を確認する。古典になっているロボットアニメでは、全天周囲リニアシートとかいう全面がディスプレイになった球状コクピットだったけど、それはどう考えても無駄だ。ディスプレイは目の前だけ、いや技術が許せば岡野のように視神経の中でいい。

 もちろん、窓から直接外を見ることもできる。

 手動開放よし、酸素供給よし、緊急用サブラングよし。

「緊急用に、このサブラングは引っ張り出せる。それで、ここを操作すればハッチが開くから覚えておいて」

「ついてこい!」

 春おじさんの通信が入る。

「周囲だいじょうぶですね!」

 周りを見回す……目のディスプレイに入る映像は、事実上壁がないのと変わらない。一度シミュレーターで、ドックで人をはねてしまったことがあるから、気をつけないと。

「よし」

 足を軽く踏み込むと、特殊な大容量畜電池(と、水中ではあまり使えないが燃料電池のハイブリッド)で音もなく前進し、海にそのまま通じる坂に進んでいく。

「海に入る時、切り替えに気をつけろ!」

「はい」

「足の力を抜け、手袋は今どこにつながってる?」

「作業アームの操作です、コンピュータではなく」

 普段、ケーコは専用の手袋で操作する。手袋に無数のセンサーが入っていて、指の微妙な動きも捉えている……キーボードと同じ感覚でどこでも使えるし、手袋ならではの操作系もいろいろある。

 それがこの“人魚”だと、手袋は“人魚”の腕にそのまま連動しているから、作業中はコンピュータの操作に使えない。それが混乱すると事故につながるのだ。オレもシミュレーターで何度か、かなりひどい事故をやらかしている。

 主に本体の移動はフットペダルで行い……今ちょうど水に入って、

「あ、沈んじゃう」

「だいじょうぶだ、ほら同乗者を安心させて」

「はい、だいじょうぶだから、もし水が入ってもそのホースをくわえていればそれが、別のシステムで酸素を送ってくれる」

「うるさい、聞いてないわよ」

 坂から海に滑り出し、前に行く数機の“人魚”を追う。

「そこで停まって、沈降」

 船、特に帆船とは違う、すごく直接で乱暴なパワーに振り回されないよう、しかも足での操作で間違えないよう、ゆっくり動く。前に初めて操縦した時は、いろいろ混乱して大変だった。

 足の操作に合わせてすっと海に潜ると、前にはとてつもない眺めが広がっていた。

 多くの、いろとりどりの魚やクラゲ、そして入り組んだ、想像を絶する大きさの玉。

 表面はもう、びっしりといろいろな生き物に覆われている。まるで妹の絵だ。

「20……4、由、通信、ソナーは?」

「通信良好、ソナー良好、どうぞ!」

 耳に、立体的な音がある。周囲をソナーで確認し、その像を耳に投影しているのだ。

 ソナーによる三次元空間認識は、特殊な音楽としても楽しまれているが、実際にそれを使っているとまた違う眺めだ。

 はっきりと目の前の球が聞こえるのだ。

「な、なに?」

 岡野の声。

「不安ならケーコを切っておけ。ほら、向こうに鯨とイルカがいるよ」

「え、うそ! そっちいってよ!」

「だめだ、待機して見学するんだから」

「あとで自由運転していいから、ちょっと見とけや」

 と、通信が入った。

 二本の、見かけは無骨な機械だが実の手とまったく変わらず使える腕と、口と舌の操作で想像以上に自由に動く“鼻”が様々な道具を用い、球を覆いつつある貝類を掻きおとし、収穫していく。

 ここだけでも相当量の貝類などがとれ、それも肥料などいろいろ使い道があるのだ。

“人魚”の優雅な動きとパワーは、何度見てもすごい。無骨な機体だが、本当に人魚のように自在に動けるのだ。

 太陽電池を支える特殊強化コンクリート、特殊鋼、超炭素繊維複合非生分解プラスチック、生チタンなど多層の大きな中空の球にはとてつもない強度と耐蝕性があるが、油断すると、波や潮、生物の想像を絶する力で徐々に破壊されてしまう。

 かといって、船のように銅板など生物にとっての毒で覆うのも害が大きすぎるからできない。

 ある程度表面の生物を許容し、食い食われる関係を作ってそれでコントロールし、メンテナンスはそれを助ける程度にするわけだ。

 やはりオレは、資源の無駄遣いでも板を浮かべたメガフロートのほうがいい。

 少し離れた海中に、ひときわ大きな球が並んでいる。太陽電池の上に降った雨水を貯めるタンクだ。直接大型の艀で曳航することも、輸送船に積むこともできる便利な代物だ。

 びっしりとついて、よけいな重さを加えている貝をかきとり終わると、声がかかった。

「ちょっとだけ、遊んできていいぞ!」

 ぶるっ、と喜びがふくれあがる。

 ベースに道具を置くと、葉波の人魚が一気に加速した。オレも追う。

「ハナちゃん」ぴったりくっついている岡野が、あえて葉波に聞く。そこまでオレと話したくないんだ。

「なんでこの“人魚”って、遠隔操作にしないの? 安全だし、同じことじゃない?」

「由、教えてあげて、あ! イルカ、ついてきて」

 葉波の、面倒くさそうな声が興奮に変わった。

「OK! 窓からみてごらん、こういう臨場感が遠隔操作にはないんだよ」

 岡野に言うと足を微妙に動かし、一気に超伝導推進を加速させた。

 耳が、周囲をとらえている。今水面から5メートル。下の奥に泳ぐ十数頭のおおきななにか。

 加速し、近づくにつれてその形がわかる。体が温かいものを感じている。

 大きく曲がって減速し、姿勢を制御して、耳を澄ます。

 さまざまな声が聞こえる……

「きた」

「うごく」

「こっち」

「いこう」

「えさ・なかま・かりうど?」

「この声?」

 岡野がとまどっている。生の不思議な音もいっしょにある。

「イルカの声さ、コンピュータが人語に訳してる」 

「今は仲間だ、少し遊ぼう」

「今のは葉波の言葉を訳したんだ」

 窓に釘付けになって、きいていないようだ。

「いいよ」

「いこう」

「におう」

「後ろからつく」

 海での電磁推進はどうしても塩素が出る。極力減らしてはいるけれど。

「由、ついてきて!」

「OK!」

 先頭が方向転換をするのに合わせ、一気に潜る。

 魚の群れにつっこみ、豪快にほおばるのを見る。

 急な方向転換の連続で、上下の感覚がなくなりそうになる……ソナーの情報が複雑に変わるが、空間認識は失わずにすむ。

「手をうまく使うんだ」

 と、前の葉波の機から春おじさんの声。

 腕と鼻を微妙に使って、くるりくるりと舞うように方向転換している。

 こうしていると、まるで自分がイルカになったようだ。空を飛ぶのに匹敵する自由。

 ずっとこうしていたかったが、時間が来て浮上する……

「もう終わり?」

 と、岡野が女の子らしくかじりついてきた。こうしていればかわいいのに。

「ほら」

 すいっと、巨大なマンボウがクラゲを食べているのを横切ってちょっとだけそのひれを触り、加速して腕の力も使って水面からジャンプした。

「うわぁ!」

「ほらガキども、遊びは終わりだ! ちゃんと帰れよ」

「はいっ!」

 そういわれると、どっと疲れが来る。もう一度潜って、ディスプレイに浮かぶソナー誘導線をつかまえ、坂に下りるとキャタピラに切り替えて上がり、コクピットを開けると……神経の切り替えがうまくいかず、しばらく立てなかった。

「ほら、ぼーっとしてないで、自分で乗ったのは自分で点検しろ!」

 鬼……

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