こんな明日はいかが?   作:ケット

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第5話

 目ざめると、何かすっごくいい夢を見ていたような気がする。思い出せないのが残念なぐらい。

 朝、一人で早起きして運動してきたのか、ひどく疲れた様子の岡野がいた。

 今朝は東南アジア風の、ココナッツミルクのきいた辛いスープか。

「あれ? コンポストは?」

 かなり残した皿を持った岡野が台所を見回して、聞いてきた。

「はぁ?」

 コンポスト……聞いたことはあるような。

「だから、これは……」

 と、手の皿の残りに視線を落とす。

「あ、流しの穴に入れてペダルを踏めば、ディスポーザーが処理して流してくれるよ。危険だか」

「ディスポーザー!!」

 何か、えらく衝撃的な表情だ。

「ディスポーザーって、生ゴミを切り刻んで砕いてそのまま下水に流してしまう、っていうアメリカ式の野蛮な代物じゃないでしょうね!? 殺人の死体を隠すのにぴったりな!」

 むっ。

「コンポストってのは、生ゴミを堆肥にするとかいうお笑いでエネルギーの無駄な代物じゃないだろうな」

 お互い呆れたような、奇妙な表情でにらみ合っているのが窓に映っている。

「地域無償幼児教育レベルでいうね……ディスポーザーで砕いた生ゴミをそのまま下水に流したら、川とかが汚れるでしょ」

「二年前の復習になるな、こりゃ……生ゴミといっても調理したものが多いから塩分、化学製品など不純物が多い。そんなの堆肥にしたら家の庭ぐらいならともかく、畑に塩分が入っちまって安定した食糧生産には使えない……ミミズかハエでも育てて飼料にしたほうがましだ。

 食糧生産メガフロートはただでさえ海から塩が入りやすく、貴重な雨水やエネルギーを使って淡水化した海水を使っているから塩分は大敵なんだ。そして、こないだ見たあのマングローブメガフロートは生ゴミも廃水も全部海の栄養に返して再生利用できるからだいじょうぶ。

 都会は人口が多いから、処理しきれないのか……いや、できるはずだ。あ、それどころか本土には簡易下水さえなくって、川に直接流している場所もあるんだってな……」

「なんですって」

 本気で怒る表情。なんだか目が離せなくなる。

「いいか、調べてみろよ、自分で。処理できないはずがない、房総半島沖の黒潮だけで人工干潟メガフロートが十五基、筏式の海藻・貝類養殖や防波柵があれば外洋で浮かんで増える遺伝子改良海藻のコロニーもたくさんあるんだから」

 あえて口調を穏やかにすると、彼女もおとなしく目を閉じた……溺れかけた事故で改良版ができ、それはディスプレイまで視神経に直結させてしまったらしい。もう完全に体内にケーコが内蔵されている、ってことだ。体内のだけじゃ小さくて性能が悪いから、普段はチビリュックを背負っているけど。大丈夫なのか?

 自分でもケーコで調べてみると、処理できる容量はあるのだが本土ではコンポスト派が多いため、それが定着してしまっているそうだ……これだから本土は。

 というか肝心なことを言い損ねた。食べ物を残すな! どれだけ苦労して作ったと思ってるんだ。まあオレも、食べ残せないけど好き嫌いはあるし、ときどき吐くから大きいことは言えないが。

 

『熱い』

 葉波からきたテキストメールは、暑いではなく熱いだった。わかる。

『まあね』

 回帰線で海の真ん中の夏は、真上に近い太陽からの猛烈な日光と、わき上がる海水の湯気のダブルパンチだ。時にさわやかな風もあるが、それもあっというまに、甲板を焼く日光と海の照り返しで炙り返される。

 だが、この強烈な陽光こそが……

「聞いてるのか?」

 と、峰の兄貴が講義を続ける。船が遅れているので、ちょっと船内で授業。

「ごめん」

 とケーコのノートと教科書以外を一時停止にした。

「海で一時間ほど泳いでくるか?」

「それだけは勘弁して」

「泳げないの? 何がそんなに恐いの?」

 何も知らないんだから、おかものは……

「一度経験してみるか?」

 すっぱだかで海に放り込まれ(レッコ)、船が視界の外に出てしまう……うねりしかない大海、雲一つない空! 思い出しただけでちびりそうだ。

 もちろんどこかに発信器がついていたり、近くに人魚が待機していたり安全は確保されているのだが、小さい頃のオレが知るはずはない。まあ、最近はかなり多くの子供が、一度は自然の中に安全は確保してしばらく放置され、恐怖と不安を叩き込まれる。もちろんそんなことがあり、安全が確保されていることは、小さい子には絶対に秘密だ。妹のときには本当に心配だった……どんなに安全だと言ってやりたかったか。

 安全対策はあっても、あれをまたやる気にはならない。もしタイミングよく鮫が来たら終わりだ。

 あれから何度か海に放り込まれたり、悪仲間とボートで数日流されたり、それにあの漂流……

「さて、続ける」

 ケーコに、講義データベースからの映像が浮かぶ。

「石油涸渇が迫り、人類は大量のエネルギーを確保する必要に迫られました。現在でも中心は石炭と原子力ですが、代替エネルギーの研究も急速に進みました。

 特に無尽蔵の日光のうち、生物があまり利用していない、外洋や砂漠に注がれているものを利用する技術が開発されました。バイオマスの総量を増やすことは、二酸化炭素削減にも有益です。

 光合成をする、人間にとって重要な生物は主に日光、水、酸素、二酸化炭素、必須元素つまり肥料、適温を必要とします。砂漠は水が少なく、外洋海面には肥料が少なく、極地は温度が低すぎ、地下や海底は日光や酸素がありません。

 さて、代替エネルギーに少し戻ります。アフリカから中東の砂漠地帯では太陽と風力が、主にヨーロッパの余剰労働力と聖杯による自己増殖生産技術で発展しました。初期は海水を利用できる沿海域を中心に、太陽熱発電のほうが多く行われました。太陽は夜間などの限界がありますが、宇宙から鏡で日光を追加しています。

 今でもアラビア半島などには海水を引き込む大規模な運河と、その周辺の太陽熱発電所・海水淡水化工場を中心にした工業地帯がいくつもあります。太陽熱発電は高純度シリコンなど環境負荷の高い資源を必要とする太陽電池と違ってガラス、アルミや鉄、建材、水や油と発電機だけでできるという利点があります。

 そして外洋では太陽光や風力も利用されていますが、バイオマス生産も研究開発されました。そのためには海に降る雨水や淡水化した海水を利用し、陸上と同様の農業として食料とバイオマスを得る方法、海自体に肥料をやって海藻を養殖する方法、浮力だけ与えて珊瑚礁をつくる方法、沿海砂漠地帯で海水灌漑可能な作物を育てる方法があります。

 海藻の養殖にも浮きで固定した筏で天然種を育てるやりかたと、自分で浮くことができる海藻を遺伝子改良で新しく作る方法があります。制御しやすいかわりに地上の資源を消費する前者と、勝手に増えるけれど制御しにくく、深刻な生態系破壊の恐れがある後者のどちらがいいかはかなりの議論がありました。

 後者の研究が進まなかった間に、特に汚染がひどい海域を中心に、筏やメガフロートと不足必須元素肥料、宇宙鏡からの日光を用いたバイオマス生産が発達しました。

 それはここ二十年さらに規模を拡大され、日中米比の共同研究で建造された黒潮での海藻筏と人工干潟、人工マングローブ、人工珊瑚礁は周辺国の廃水と製鉄残渣、宇宙鏡を利用することで、沿岸とあわせてアメリカ合衆国の農業以上のバイオマス産出量があり、アジア太平洋のエネルギーの23%をまかなっています。メキシコ湾流、西太平洋、北大西洋でも本格的に稼動し始めています。

 近年はバイオテクノロジーで先行するアメリカを中心に、遺伝子操作品種の浮かんで増える海藻も急成長しています。この技術は、深層水の利用とあわせ近い将来世界の持続可能なバイオマス生産を三倍に増やすと予想されています。

 ネイの耐塩性も海水と淡水を同量混ぜればいいぐらいに向上し、完全海水灌漑までもう一歩です。

 課題として、二十一世紀初頭当初において、当時の諸条件を考えつつ、海洋でのバイオマス生産はどうしていれば最もよかったか検討してください」

 と、さまざまなデータがダウンロードされる。

「当時の人にとって一番大事なのは経済効率、金だ。当時の人の身になって考えるのと、今のやりかたで合理的に考えるのを並行してやるんだ。前に、鎌倉時代の地頭や豪農などいろいろな立場の仕事をやってみたのを思い出せ」

 峰の兄貴が補足する。いろいろなミミズがのたくったような漢字ばかりの手紙を見、花粉などから当時の気候や肥沃度、当時ある技術や作物の種類まで考えて農業方針を立て、東大寺再建に寄付したり鎌倉に訴えたり親戚と小競り合いしたりするのは面白い経験だった。

「資源を使いたくないなら、空気の窒素を固定できて浮く遺伝子操作海藻を使うのが断然いいんじゃないか?」

「いや、それを開発すること自体と、除去のコストを考えろよ。当時の技術で」

「あのころのバカは除去のコストなんか考えないんじゃないか?」

「ちゃんと最善、現実、最悪の三つのシナリオを出せよ」

「浮きだけでいい珊瑚礁もいいだろ」

「今やってるように、薄いメガフロートで海水灌漑できる作物でもよかったんじゃ」

「肉やチーズにできなきゃ意味がないわ、まだお父さんはラクダがダメなのよ」

「当時の遺伝子技術の低さ」

「あのころは科学技術を理解しておらず、信じていない人が圧倒的に多かった!」

「教育史はおまえ得意だろ?」

「確かチェルノブイリ二十周年で」

「遺伝子改良作物に対する反対運動など、頑迷な反科学派が」

「今もいることはいるけどな」

「実際には」

「しっ、“実際には”どうなったかは当時の人は知らないし、その“実際には”が本当に最善だったかはわからないんだ。ケーコが発達するまでタイプライター由来のキーボードが使われていたことは知っているだろう?」

「今のケーコにも、標準で入ってるけどな古典(QWERTY)キーボード」

 

 今日は船が遅れて体育に間に合わないので、別の形で運動の義務をこなさなければならない。

 まあ学校でも居住メガフロートでも、楽しく運動の義務をこなすため、楽しめるよう配慮されている。ちなみに学校がある日は、幼児以来共通で国語や読書、理数、体育が毎日一時間ずつあるので、義務は自動的に満たせる。

 学校でも運動で何をやるか自由な日もある。サンドバッグを殴ったり蹴ったり、木刀や杖で柱を殴ったり突いたりするのはすっとする。もちろん海の特権で海で泳いだり、ボートを漕いだりするのもある。

 選択単位や部活動で集団でやるスポーツもあるが、グラウンドには限りがあるので制限が多く、自然に待ち時間を懸垂などスペースを使わない単調な運動で潰す羽目になる。

 昔は単調だったらしいランニングマシンも、ケーコをつないでおもちゃの銃、剣、弓などを手にすれば、恐竜に追われて走っては撃つなどいいゲームになる。

 もちろん、そういうのはゲームセンターがもっとすごい……ゲームセンターは一時ケーコや繭の発達で廃れかけたが、カラオケおよびスポーツジムと融合した体感ゲーム中心になって復活した。

 今は個室でプレイするのが主流で、入り口で床や天井、壁に無数のワイヤーでつながった特殊な服に着替える。体が軽くなる感じから、非常に重くなる感じまで楽しめるし、動きを精密に判断してくれるし、いくらダッシュしても跳んでもその場に戻ることになるので、狭いスペースでいくらでも暴れられる。

 それで好きな武器を選んで存分に楽しむことができる。さらに好きなだけ声を出せるので、歌い踊ることを魔法にするゲームも多い。

 また、ヴァーチャル・ハンティングは狩猟採集生活を体験させる授業にも使われている。

 数あるゲームでも、十年以上バージョンアップしながら世界中で愛されている「スターワイルダネス・ガンウエスト3」は二年前からオリンピックの正式種目にさえなっているほどだ。

 もちろんオリンピックなどで使われる最高難度はとてもじゃないけどついていけない。銃剣つきライフルに加え3Gの重力と同じように引っ張られ、ハーフマラソンの距離をジャンプ、ダッシュ、坂の上り下り、梯子の上り下りの連発で走りぬき、時々水中並みの空気抵抗などもあり、さらに銃剣と射撃も高度なものを求められ、おまけにオペラ歌手の試験並みに歌呪文をほとんど歌いっぱなし、とどめに高度な数学パズルの要素さえあるのだ。

 レベル5のクリアも今のオレの、大きな目標の一つだ。最近は新作の、流水プールで泳ぎながら戦う「ポセイドンの子供たち」や風洞室で飛ぶ感じを体感できる「イカルスの冒険」にはまっている。

 

 まあ今は学校だから、とにかく泳ぐ。

 学校が建つ大型メガフロートから少し艀で離れると、サメよけネットに囲まれた遊泳海域があるので、みんな次々に飛び込む。

「いいなあ、毎日泳ぎ放題なんだ」

 と、岡野がつぶやいた。

「陸では野球とかが好きなだけできるんだろ?」

「んん、あんまり」

 少し寂しそうな横顔……でも、つい薄手の水着から盛り上がる胸と、白い腕に目が行ってしまう。

「どこみてんのよ」

 ビート板で、葉波に頭を叩かれた。こっちはまともに目を向けられないほどグラマーだ……ついこの間までおんなじガキだったのに。

「ほら!」

 と、いきなり海に蹴りこまれた。そう何度もやられるか、と足首をつかんでこっちも海に引っ張りこむ。

 みんなが思い思いに泳ぎだす。海生まれで泳げない者はほとんどいないが、苦手な子は上級者が何人かでサポートする。

 教えるにまさる復習はない……誰でも少し下の子を教える義務がある。それが、一時世界から遅れた日本の基礎教育のレベルを高める切り札となったそうだ。

 岡野を探したが、彼女はとても泳ぎがうまい……というか全力で泳ぎっぱなしじゃないか。大丈夫か?

「残念?」

 また隣の葉波につねられた。

「由、また競争しよう?」

「ああ!」

 と、二人クロールに切り替え、ペースを上げる。前はまるでかなわなかったのだが、最近は追いつけるようになってきた。

 それがなんだか……あまり嬉しくない。なぜなんだろう。

 第一、オレに抜かれると葉波がすごく悔しがって、しばらく口もきいてくれないし……もちろんわざと負けたらもっと怒るし。

 なのになぜ競争したがるんだろう。

 

 放課後、しばらくのんびりしていた……何人かはケーコでテレビや映画を見ている。皆が帰り、「おい、船出るぞ」

 と、岡野に声をかけると……様子がおかしい。

 肩に手をかけると、異常に硬い。服が冷や汗でじっとりぬれ、顔を拭くことさえも忘れている。

「きゃああああっ!」

 いきなり、彼女が悲鳴をあげてものすごい力でしがみついてくる。

 オレも、あのときの恐怖を思い出して呼吸ができなくなる。

 が、手に恐ろしく暖かい感触……葉波が、オレの手をその最近やたらとでかい胸に?

 あ……そうだ、ここは安全なんだ……

「ああっ、廃墟、廃墟……何もかもが崩れる、死……死!」

 岡野が叫ぶ。

「何を見ているんだ、目を覚ませ!」

「まさか、体に埋め込んだケーコが暴走して?」

 そうか……もしエンドレスでホラー映画が流れていて、現実と区別できなかったら!

「どこだ、外部ユニットはないのか……」

「だめ」

 と、葉波がオレの目を手でふさいだ。ああ、服を脱がせて体を探るのは女じゃないと。

 オレは目を閉じ、岡野を抱きしめる。華奢で柔らかいのに引き締まっている。

「あった、電源は」

「ちょっと待て、もし生命……メーカーに連絡を取るんだ」

「そうね、ちょっと待って。はい、……そうですか……」

 そのあいだにも、彼女がオレを締めつける力はますます強くなる。骨が折れそうだ。

「ああ、死ぬ、腐る……ああ、腐った水……死体でも食いたい……人が人を……食う……ふくれた死体が、風船のように破裂して……伝染病が、腐肉に群がる……」

 一体、何を見ているんだ? これ……

「助けて、違う! 夢よ、こんなの夢! 悪い夢! 今の世界は、もう何年も誰も餓死していない!」

 まさか。

「そんな、夢じゃない……」

 やっと、葉波が電源を切ったようで、女の力が抜けて……

 目を開けると、半裸の……首筋が痛々しく日に焼かれて赤い、服に包まれた部分は透き通るように白い肌。

 その黒い目が、徐々に光を取り戻していく。

「あ、あ……」

「岡野!」

「えま!」葉波がぎゅっと、彼女の手を握った。

「あ……」

 あまりにも強い恐怖。なら……オレは彼女の手を、彼女自身の胸に押しつけた。

「どうだ……生きているだろう? 脈打っている、お前は生きているんだ!」

「夢じゃなくて? 夢じゃなくて?」

「現実だ!」

 ふっ、とその体から力が抜ける。

「入っちまったのか、『何もしなかった未来』に」

 そう、オレたちも何度となく見せられた教育映画だ。オレも悪夢は何度も見てる。

 もし、二十一世紀初頭……それ以前からの運動が実を結んだのでもあるが、“選別をせずに持続可能文明に転換する”道を選ばなかったら。全世界最低生存保障とエネルギーの転換、持続可能な食糧増産の模索に舵を切らなかったら。円卓がなかったら。温暖化などがひどかったら。

 恐慌と資源の枯渇、気候変動で社会が崩壊し、世界のほとんどは飢餓と疫病、戦乱で……普通の都市が、はじめはただの不況だと思ったのがあっというまに飢えに襲われる……飢えて武器しか持たない難民の、ゾンビ映画みたいなのが街を、国を飲み込んで全てを破壊していく……見せられたのを思い出しただけでぞっとしてしまう。

 緩慢な飢餓が続くことで法は崩壊し、そこで不安と不満が敵を求め、民族虐殺(ジェノサイド)はもちろん魔女裁判のように些細な密告でも残酷な私刑が起きる。

 数十億の死、地球全体を覆う近代文明の崩壊は想像を絶する。地球が死体で埋まる……皆が飢えか伝染病か殺し合いで死んでいく、アメリカやヨーロッパのごく一部の、核も毒ガスも細菌兵器も遠慮なく使って他者を締め出し、油田と井戸を確保した要塞帝国以外は。

 あまりにも多くの死。地球を覆う不潔と破壊と飢え。……そう、文明なんてバッタの大発生(注:日本語ではイナゴの大群と言うが、蝗害現象を起こすのはバッタ)と、数年と数百年の違いしかない、どちらも地質学的には一瞬……緑を食い尽くし自分たちも死んで、地を骸で埋める……一人一人に名前と人生があって、それがバッタと同じただの死体に変わる、それが何十億……

「ケーコが暴走して、繰り返しあれを……まるで、今の生活が夢だったように……」

「言わないで、思い出す必要はないわ……人間は切り抜けたのよ。人間は賢明な道を選んだの」

「うそよ! 人間みたいなバカで邪悪な種族に、こんな道が選べるはずが……」

 くそ、

 オレは彼女の、半ばむき出しの胸をつかむように触った。

「あ……」

「……な、に、すんのよっ!」

 蹴りが頭を直接襲う……

「ね、えま、夢じゃないでしょここは……」葉波が岡野と目を合わせてから、こっちを向く。「由……」

「悪夢よ!」

 と、葉波と岡野、両方の足が上から顔に向かってきて……岡野は赤、葉波は青いストライプ……気がついたら船の上で、帆桁端(ヤーダム)から逆さに足首を縛られ吊るされていた。

 もちろん、すぐに吐いたのが鼻に入って……それに頭に血が……た、助けて……

 かろうじてナイフは……ある、左手で縄につかまって足首の輪を切って、それから登れば……できるか?

 やっぱりあいつの脳直結ケーコ、欠陥品だ!

 

「さて、今日はメガフロートを下から見てみようか」

 このあいだと同じ、オレと岡野、葉波と春おじさんでメガフロートの埠頭から人魚で海に潜った。

 もちろんメンテナンスのついでだ。

「え……」

 ソナーの描く像に、彼女が驚いている。

 水面下十八メートルもの、下が見えないほどの深さがある。そしてその下は……

「由、気をつけて」

「わかってます」

「はい、だ。ちゃんと注意と敬意を払っていることを言動で示せ」

「はい」

 ここは、メガフロートの縁の波力発電ユニットでかなり流れが不安定だ。その流れの恐ろしさはついこの間、生身で味わっている。

「ほら、ここが波力発電ユニット。外洋からの波を受けて、ここで必要な電力の八割はまかなえてる」

 ゆっくりと沈んでいく。ひたすら目の前は、海藻や貝がびっしりつき、珊瑚が育ち始めている壁。

「どうなってるの?」

 と、岡野が目の前の壁を指差した。

 そこにライトを当て、ふっと近寄って鼻で体を固定した。

「この壁は非常に複雑な形に、わざとしてある。岩場を再現して、魚の隠れ場を確保しているんだ。これだけでこの周囲はかなりたくさん魚が暮らせる。潜るぞ」

「こんなに水面下に、何があるんですか? 春さん」

 わざわざオレを無視するなよ……

「貯水設備さ。亜熱帯海洋気候のここはかなりの雨が降る。それを、上の太陽電池幕で受けて海面下に貯める」

 と、春おじさんが説明する。

「ほかもそんな感じなの?」

「そう!」

 ちょっと不機嫌に葉波が応えた。

「そろそろ底が見える……少しは、立体音響に慣れてきているか?」

「ケーコの世代が違うのよ、最新型よ」

 つっけんどんな口調でいう。

「欠陥品だろ」

「うるさいわね、海が異常なのよ!」

「バカか、そんなの体に埋め込むな」

「こら由、運転に集中しろ!」

 春おじさんの怒鳴り声にちぢみあがる。あの人が本気で怒ったら……ぶるる。

「オレがわるいのかよ!」

「いつもわるいのは由」

 葉波の言葉にがくっとなり、そのままメガフロートの底にもぐる。

「うわぁ……」

 すばやく操作して、映像を光増幅して音響定位映像を重ね、注視部の距離表示をオンにする。かなり暗くなるけれどはっきり見えるようにして、ぶつかりそうになったらわかるようにした。

 メガフロートは、上では単なる板、平らな陸地にすぎない……だが、水面下には壮大な構造物が隠れているのだ。それも珊瑚の生長で日々変化する。

 ブロックごとに巨大な球の下半分。貯水場だ。

 その下に柱でつながれた三段の巨大な板。海中の板には無数の穴があり、メガフロート自体よりかなり広くなっている。

「な、なに?」

「あの球は貯水場、板は擬似的な海底を作って、海底で暮らす生物の楽園になってる」

 オレの説明を聞いているのか、ただ呆然としていた。

 彼女の目には何が映っているのだろう……最新型ケーコはどんな情報を、脳に直接流し込んでいるのだろうか。いいな……いや、あんな欠陥品、頼まれてもいらない。

「赤道直下ではもっと貯水場が大きいよ。雨の量の桁が違う、降雨だけで水田稲作が二回といろいろ一回できるぐらいなんだから」

 オレの言葉を聞いていないようだ……ひょっとして、言葉をシャットアウトしているのか?

 とん、と手を軽く叩いた。

「な、なによ!」

 びっくりしてこっちを見る。ち、近いよ……意識してみると、すっごく……

「あ、あの……なんだ……」

 うわ、……混乱して……まっすぐ目を見るなよ……

「由っ! 危険だから、普通の音や映像をシャットアウトしちゃダメよ、えまちゃん」

 葉波が代わりに言った、妙に刺のある声で。助かった…………

「さて、ちょっと底のメンテナンスもしておくか」

 と、春おじさんがぱっと他の人魚に合流する。

「ここは原則禁漁、魚のいい産卵場になっているから。でもちょっとは掃除しないと、どんどん重くなって沈むからね」

「穴抜けるぞ、舌かむなよ」

「あぶな……」

 春おじさんの声を無視し、するっと腕を振ってペンギンのように隙間をくぐった。

 なんかちょっと気になった……今、春おじさんと葉波は狭い人魚で、こんな感じに密着しているのだろうか。

 おば……おねえさんに言ってやろうかな。

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