こんな明日はいかが?   作:ケット

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第9話

 夜。この港町は? クレーンも車もない……でこぼこの石畳に、ガラガラと馬車が走っている。

 ぶらっと、近くの水夫に声をかける。船乗り英語……知ってるのとかなり違う。通じるから別にいいが。

 すごい臭い、服装もなんか変だ。何もかもが臭い。

 と、いきなりばらばらっと人々が来て、殴り倒された。

「な、何」

「運がなかったな、兄弟」

「免状は? ないか、君たちはHMSフリゲート艦シリウス号に強制徴募された」

「はぁ?」

「来い!」

 のしかかってくる水兵がズボンのベルトを、大ぶりのジャックナイフで切る。逃げようとしたらずり落ちる、ってわけか。

 みんなわいわい、諦めたような……まるで小さい頃は泣きながら見た、処理場に引かれる牛のように……妙に仰々しい格好の士官や乱暴な水兵に連れられ……痛いっ! いきなりこぶつきロープで背中をひっぱたかれた。

「すぐそこだ、乗れ!」

 動力のない手漕ぎボートに、荷物かなにかのように放り込まれる……いきなりの船酔い。

「船酔いか? 実は艦長もだ、って噂だよ」

「こらそこ、しゃべるな! ミジップマン、今の水兵の名前を控えよ」

 月光に、巨大な帆船がそびえていた。うわあ……まさか全部木造? こんなの特殊な実習船で何度かみただけだよ! いや、アメリカまで行ってきた村田が、米海軍でいまだ現役のコンスティチューション号の土産話をしてくれた。

「名前は? 生まれは?」

「ユウ・ハセガワ、ジャパン」

 なんなんだ?

「読み書きは? 船に乗った経験は、水兵の経験は、特技は?」

 ここ、ひょっとして……あの時代のイギリス港? なんでまたこんなところに。タイムスリップにしてもある意味最悪だな。

 こうなったら……しょうがない、提督になってやろうじゃねえか!

 と、志願を決意したところで、

「由、いつまで寝てるの!」

 オフクロの怪訝な顔が操作パネルに映っている。

 全然残念じゃないな、この夢。確か……思い出して苦笑する。

「助かった、フランス軍捕虜収容所はやだ」

「はぁ? 寝る前変なの見るからよ」

 夏休みに入り、ちょくちょく台風が来るようになった。

 多くの田は刈られてすぐ耕されて一休み、秋からまた水田にしたり、他いろいろな作物を植えるのを待つ。サトウキビとキャッサバなどが台風に耐えて育っている。

 大人は台風の間を縫い、作物の積み出しなど結構忙しい。

 メガフロートの両端にある運動公園はいつも予約で一杯だし、部活で野球やサッカーをやってる連中は設備が充実した学校で合宿してしまう。

 何人か、早めにあちこちに出港する子もいる。オレも来週には出港の予定だ。

 公園は混むし、天気のいい日はボートやヨット、泳ぎで周りの海もにぎやかだ。反面生存公役などの安全員は忙しい。

 オヤジはひたすら寝ている。もうすぐゴビ砂漠に帰るんだし、毎年こうしてこの時期はゆっくりしている。オヤジの仕事は特に公共性が高く、生存公役単位にも認められているからこうしてごろごろしていられるんだが。

 オレももう一眠りしよう、と思ってたのに……まあ、あの夢から起こしてくれて助かった……

「あのね、由とえまちゃんの二人でこれ買ってきて」

 オフクロが古風にメモを渡す。ケーコでいいのに。

「はい、わかりました」

 岡野は嫌なのをよくもまあ色にも出さず……女優だな。

「何で二人で」

 岡野が嫌がるだろ。

「荷物持ち」

「だったら一人で行くよ」

「えまちゃんも買わなきゃいけないものがあるの」

「じゃあオフクロがついて行けば」

「仕事」

「メモに書いといてよ」

「女の子の用事よ、男の子に行かせるわけにはいかないの」

 岡野が真っ赤になったのを見て、なんとなく察してオレも真っ赤になってしまった。あ……

「だったら通販でいいじゃん……あ、エロ本みたいに学習資料って書いてもらって」

 ここでは市場で買い物をするより通販のほうが多い。本土でも大抵の物は通販で買えるそうだが。

「あ、そういう手だったの、春のあれ」しまった。ケーコに『最低』とテキストメールが浮かぶ。

「それに変な想像しないの! 女の子の用事はいろいろあるの、いいから市場に連れてってあげなさい」

「葉波は?」

「もうとっくに起きて、畑を手伝ってるわよ」

 ……負けた。

「前はちゃんと案内できなかったから、いろいろ見せてあげてね」

「わかったよ」

 と言い捨て、自転車に乗った。岡野もこっちでハイブリッドを買っている。

 狭い道を縫って走り、外壁と太陽電池幕で守られた居住区から外周部に出る。

 自動の鉄扉を開けると、この前は嵐でろくに見えなかった外周部の様子がわかる。

「暑い……」

「まあね」

「中全部冷やしてるのって、確かに涼しいけど無駄じゃない?」

「いや、深海から冷水くみ上げてるから、そんなにエネルギーは使ってない。ついでに海に栄養補給もできるし」

 目の前には海側から見ると高い防波堤、だがこちらからはそれほど高くはない。

 そして防波堤の上はかなりの広さがあり、道があって防風林が並んでいてちょっとした公園になっている。

 防波堤と居住区外壁の間も道と鉄路がある。

「そういえば、ほんとに自由な時間、なかったよな」

 岡野がこっちにきて以来、オレや葉波に連れられ、あちこち案内されてばかりだった。

「行きたいとことかある?」

「ないわよ」

 そうされるとどうしていいやら……繭に閉じこもっていれば幸せ、って人種なのか?

「どうなんだ」

 なんか変な気持ちが、そのまま出た。

「え?」

「なんでも……じゃなくて、ほら……あ、憂さ晴らししたいんだったら」

「いいよ」

「なにが?」

「余計なことしなくて」

 何て言っていいかわからず、防波堤に上がる坂に向かう。

「ついてくるなよ、危険だから。今度は浮輪投げるだけにするからな」

 でも、また……また、体がとっさに動いてしまうかもしれない。

「え」

「バカなことしたと、反省してるんだよ」

 あ、防波堤に上がってくるなって言ったのに! まあ今は台風でもないから、落ちても下の張り出しに引っかかって無事だろうけど。

 岡野をちらりと見ると、ものすごく驚いている様子だった。

「もしかして、従卒(スクワイヤ)じゃな……っ、あれ? ここから泳げるんじゃない?」

 岡野が指差したのはメガフロートの波浪発電岸から、いくつか大きく伸びている遊泳桟橋だ。

「ああ、ほらそこ」

 その根元は、多少海に向けて半円形に張り出し、緑があってベンチなどが置かれ、小さな公園になっている。

 その中央部にはいくつか、小さな建物もある。

「公衆トイレと更衣室とシャワー室、ほら」

 数人の女が水着に着替え、出てきた……ちっ、小学生と親。

「残念?」

「うるさい」

 くそ、葉波と同じようなからかいかたしやがって。

「あの埠頭の先端から、ほら……そのいくつかのブイに囲まれた海域は安全ネットが張ってあって泳げるんだ。春から秋、寒くなるまでちょっと気軽に泳ぎたい時はあっちで泳いでる」

「春から秋って、季節があるんだ」

「そりゃあるよ」

 ここをどこだと思ってるんだ? 亜熱帯には四季があるぞ、霜や雪がないだけで。

 ふ、と海を一緒に見つめながら自転車を飛ばしている……あ、そろそろマーケットだ。

 なんだか胸が苦しくなる。

「この扉がマーケットだから、降りるぞ」

「わかってるわよ、地図ぐらいちゃんと重ねてみてる」

「運転中むやみにケーコは使うな!」

 本当に危ないったらない。

「……でもないくせに、そんなに心配……しないでよ……」

 また、いつも通り岡野は機嫌を悪くし、突然、

「ごめんなさい」

 と謝ってきた。自転車で、彼女は後ろについていたから表情は見えない。

「何が?」

「なんでもない」

 あとは無言。

 

「あとは……」

「ビール、これはおじさんのね」

「贅沢してるよな」

 穀物を消費するビールや日本酒には高い税がかかっている。

 特に地中海周辺の緑化プロジェクトではワイン産地が次々生まれているから、ワインのほうがずっと安い。

 ここでいちばん安いのは、こっちでできる各種のヤシ酒やラムなんだが……オヤジはビールが一番好き。

「勘違いするなよ」

「?」

 岡野がちょっと不審な目で振り返った。

「あのオヤジ、こっちじゃごろごろしてるけど、そんなの今だけだから。中国奥地に戻ったら……」

 なんだかくやしくてやるせなくて、走り出したい。荷物の重さが嬉しいぐらいだ。

「わかってるわよ、あの人の業績ぐらい」

「だから……」

 ネットでわかるような、業績って一言にできるものだけじゃない! 夏だけだけど、何回か一緒に仕事してるから……

「そういえば、岡野の親って」

 びくっ、と岡野の表情が、ますます人形のように固くなる。

 なかなかうまく焼けないんだ……赤い。

「本当に知らない……ようね、ならそのままでいてよ」

「なんだよ、別に気にしないぞ? ここには差別なんてないからな、外国出だろうと混血だろうと、家畜を……肉にする仕事だろうと、必要なんだから」

 現にその手の仕事は、年に数日授業兼生存公役で手伝わされる。自分で食べるものがどうやってできるか知らなければ、ということだ。

「小さい頃は泣いたけどな、可愛がってた動物を殺して肉にするのって」美香が、田の合鴨に情を移して泣いていた。「あ、こっちでは半分授業で……バカだよな、本土の連中って。まあ昔は何も知らないから伝染病のリスクを避けたのはわかるけど、でも近代化されたら……」

 なぜか岡野が呆れ顔で吹きだした。

「なんだよ」

「バカ、わかってないの?」

 呆れた笑顔、でも笑顔だからいいや……可愛いな。

「何が?」

「自分の足元にだけは絶対気がつかないのね」

「わかってるよ、それぐらいいつも教わってるだろ」

 人間は自分の足元にある問題には気がつかない、年中常駐ソクラテスに言われる言葉だ。

「バカ」

 と、危ないほうの本屋に行こうとする。

「おい、おい岡野! そっちは」

「岡野、だなんて呼ばないでよ!」

 なんだか、いきなり泣きそうな目をしていた。

「岡野だなんて……」

「だって、じゃあ……」

 えまちゃん、とでも? 無茶言うなよ……オレ、なんで女の子を名前で呼べないんだろう。葉波以外は、でも葉波はどっちかというと、男女区別がなかった頃の相棒、って感じの延長だし……でも……なんかいやだ……くそ……

「なんて呼べば」

 そこで突然ケーコに電話。オフクロだ。

「あ、由?」

「何?」

「魚も買ってきて、ブダイと……」

「うん、うう……ほら、行くぞ」

 と、岡野の肩を軽く叩いて魚市場に向かった。

「ここは個人の漁師も店が出せる自由市場でもあるから、便利なんだよ」

 と軽く案内を続けながら、いい魚を選ぼうと港に向かう。ちょっと人気の少ないところに入って、そこで岡野が突然カートを手放し、オレの手を引いて走り出した。

「こっち!」

 え?

 強引に少し走り、カップルが物陰に隠れるように自販機の陰に引きこむ。そして抱きつき、突然キスしてきた……

 びっくりして離れようとしたが、しっかり後頭部を押さえて離さない。ぎゅっと体が密着する。

 震える唇と……柔らかいのに引き締まった体がなんとも熱くて……頭がくらくらする。繰り返し歯がぶつかるが、かまわずますます強く押しつけてくる。

 永遠とも思える、息が続く限りの……オレは三分を超える……時間。

 離れると短い息継ぎだけでまた繰り返す。

 オレもつい、夢中になって抱きしめてしまった……

 いつまでそうしていたのか、ふっと岡野はオレから離れた。

 その目には涙が浮かんでいる。

「ごめん、勘違いしないで……今のは忘れて」

 彼女はどこかに去った。

 オレはしばらく呆然としていた。やっと我に返り、魚の血が流れる水洗いされた路面に舌打ちしながら、一人で荷物を運ぶ羽目になった。

 ちょうど家に着く頃に、岡野も戻ってきたが……どうしていたのだろう。

 お互いに何も話さなかったし、沖縄風煮魚と海藻と貝の味噌汁の夕食でも、目を合わせることもできなかった。

 正直……夜は風呂や繭などで来てくれるんじゃ、と色々妄想したがもちろんそんなこともなかった。

 

 あれから、岡野とますます気まずい。

 オレも家に帰ったら、岡野と顔を合わせないようすぐに繭にもぐりこんでしまう……岡野もオレと二人だとすぐに目を閉じ、直結ケーコの世界に没頭しているようだ。

 でもつい、キスのことを……柔らかく、それでいて妙に鍛えられた体の感触を思い出して、ちらちら見てしまう。それを葉波に見破られないかが怖い。

 まあ、元々もうみんなでリビングでくつろぐ習慣はないから、家族でも顔を合わせないようにしようと思えばいくらでもできる。オレが小さい頃接眼三次元ディスプレイが普及してから、リビングの大画面テレビの価値がなくなっていろいろ変わったそうだ。ましてここはリビングが狭い。

 今はリビングダイニングでは音楽が流れているぐらいで、会話が中心だ。昔のドラマにある、テレビ中心のリビングなんて今から思うと技術がなかったとはいえバカな話だ。テレビの中毒性も知らないで。

 もちろん葉波が来ているときや、みんながいるときは楽しいけど。最近、岡野もみんなにはとけこんでいるようでそれはほっとする。

 でも、なんとなくみんなが、特に葉波がオレに隠していることがあるような気がする。

「ねぇハナ、新米はいつ?」

 岡野がオフクロに聞こえないよう葉波に聞いたのに、オレは思わず吹き出した。

「なによ!」

「確かにこないだ稲刈りしたばかりだけどさ、あの米は……ちがうぞ?」

 普通に話さないと、普通に……

「え?」

「遺伝子改良とかで耐塩性と量優先だし、水も違うし、特に春稲は寒暖の差も小さいから味は……もちろんネイは人間の食べ物じゃないしね。おいしいお米は、やっぱり本土産よ。ちょっと高くなるけどね」

 葉波の目がちょっと気になる。

「ここのは主に輸出で飼料、配給用」

「そうなんだ……結構大変なのね」

「そりゃな」

 と、葉波と目くばせし、小さい頃から習っている言葉を同時に唱えだした。

「メガフロートは、かけがえのない地球をこわさず百億に肉を食べさせるため、母なる海に人が作った新しい大地である。われらは人類文明の存続、全人類の選別なき幸福なくらしのために食べ物をたくさんつくり……」

「……以下略」

 と、葉波と目を合わせて軽く笑った。

「ああ、そういうこと」

「地域無償教育から毎朝、ね」

 岡野の笑顔が妙に嬉しい。

「おーい長谷川!」

「由、やっぱ葉波も、えまちゃんも」

 何人かケーコにメールをかけ、ぞろぞろやってきた。

「たまには公園行こうか」

「えー、今更?」

 オレは夏休みの宿題……あ、『第二次世界大戦』の手写し、ぜんぜん進んでない……はともかく例の講座の、予習として渡された課題で忙しいんだが……しかしいらいらするな、二進法や八進法、十二進法で、さらにその小数や分数も含めてややこしい問題を計算するのって。いかに十進法に慣れきってたか、ってことだけど。

 でも遊びたい、どうせある程度は運動しなきゃいけないし。もうすぐ出発だし。

「じゃ、ついでに手漕ぎで行くか」

「そうね。それならえまちゃんもいいでしょ?」

「どっちが早いか競争するか?」

 峰がいつも通り力こぶを見せる仕草をした。

「身の程知らずめ、これで二百十五勝二百十二敗だな」

「バカヤロ、去年の三月のあれと一昨年の八月のクラス対抗はこっちが勝ってるんだ、単にカスがのバカのせいで」

「海に言い訳はないのだ、ミスタ・ブレイスガードル」

「相変わらずよね、男子って」

 女子が笑っている。

「ついこないだまでお前らも似たようなことしてたろ……」

「ほらほら、行こう!」

 ぱっと葉波が席を立ち、荷物を取りに飛び出した。

 クロゼットから出てきた岡野を見て、

「あのさ……えまちゃん、本気?」

 葉波が呆れている。

「え、砂浜があるんでしょ?」

 岡野はまぶしい……を通り越して痛々しい、おかもの丸出しの青いビキニにワイシャツを羽織っていた。

 みんな鼻血が出そう……という以前に呆れて頭を押さえている。

「バカ。太陽がほぼ真上から刺さるんだぞ?」

 オレの言葉、そして女子たちを見て凍りつき、真っ赤になる。

「誰か教えろよな……」

「まさかこのカッコだなんて思わないもん」

 オレが水着はどうとか、教えるわけにはいかないじゃないか。

 あ……そういえば夏休み前、オレにネット通販のカタログ見せて、どっちが似合うっていうから無視したら……すごく怒ってたな……あいつが怒ってるのはいつものことだから放っといたんだが。

「それに裸足は危ないよ。イモガイだっているんだから」

「イモガイ……ちょっと待って……毒のある貝?!」

 と、また岡野が目を閉じて体内のケーコで調べた。なんか引っかかるながめだよな。

「そう。だから最低限サンダルが必要なんだよ」

 もちろん地元のオレたちは、女子も含めて海でもTシャツに膝まである半ズボン、足元は頑丈なスニーカーで固めている。日焼けは慎重に少しずつで、ほとんどの時間は海で泳ぐ時もちゃんと服を着ている。

 慌てて岡野はクロゼットルームに戻り、オレたちはため息をついて埠頭の手漕ぎボートに向かった。

 

 遠くの台風からの波が、それぞれがかばい合っているメガフロート群の隙間を縫ってボートを揺らす。軽い酔いに耐えて、必死でオールを引いた。息を合わせ、全身の力で。

 といっても公園は居住区から泳いで渡れるほど近くにあり、土日は浮き橋もある。

 横の短辺の埠頭にボートをもやい、そのまま一つの長辺を丸々占める、長大な白い砂浜に駆けこんだ。スニーカー越しでも砂が熱い。

 休んでいる船員などが甲羅干しをしているのも見える。特にトップレスの女性に、オレも含めて男子たちが興奮してつつき合う。

 ついでにウミガメものてのて歩いている。おいおい、いつもながらのんきだな……つい百年前までの人類が何をやったか覚えてないのか?

 真っ青な海に飛びこみ、葉波が用意してくれたスイカを割る。まぶしい太陽の下さんざん泳ぐ。

「うわ」

 女子が集まってくる色とりどりの魚と、きゃあきゃあたわむれている。

 男子は競泳したり、高いところから飛び込んだり、中には銛を持ち出すやつもいる。峰がひときわ大きなのを仕留め、葉波が大喜びした。

「向こうのブイまで」

 葉波がオレの背中を叩き、クロールでぐんぐん飛ばす。

 オレも必死で追う。

 無数の、色とりどりの魚。やや遠くまで浅くなっている、メガフロートだけど珊瑚で生きている海底。そこの生き物たち。

 人魚のようにペースを上げる葉波。

 その足首に触れそうになった、その時、潜っていた岡野とぶつかりそうになった。

 水中で声が出ないが、確かに彼女は笑顔だった。

 なぜかびっくりし、ちょっとパニックになって浅いところに上がる。と、オレの首に、葉波が後ろから突然しがみついた。

「どう?」

 え……立って少し離れ、Tシャツと半ズボンを脱ぎ、モデルのようにポーズを取る。

「どうしたんだよ」

 なんだかまぶしくて目をそらしたくなるが、

「見てよ」

 と、オレの前髪をつかんで引っぱった。

 ごく、っと思わず喉が鳴る。黒と赤の大人っぽい水着。豊かに膨らむ胸。胸下から締まった腹に、裂けたような空きが鮮烈。すらっと伸び、膝から下が人魚のように沈んだ脚。

「由も……」

 なんだかすごく寂しそうに、オレの体をじろじろ見る。くそ……なんだか無性に悔しく、同時になんとも言えない……抱きしめたい……

「スケベ!」

 にまっと笑い、いきなりオレの頭を抱えてプロレス技気味に引き倒し、え? いきなり唇が重なってきた。そしてまた、今度はみんなのところに泳ぎ去る。

 オレはぼうっとして座っていた。なんだったんだよ……

 

 さて、みんな集まって、疲れたし一休みするには……

「もうちょっとおやつ調達してくる」

 いつでも森に入れるよう、荷物には厚手の長袖長ズボンにジャングルブーツ、ククリと重装備もある。

 公園は見た目より広く、森としてもなめちゃいけない規模だ。

 元が人工だからわざわざ観光に来る人はいないが、現実の島より南西諸島の生態系が忠実に再現されている。

 そして果樹が多い決められた地域の実は、その場で食べるだけなら取っていい。

 用意したさおに手鉤をくくりつけて、葉波を探したがなぜか見あたらない。なんだか行きたそうにした岡野に、

「おい、来るか?」 

「おい、って呼ぶのやめて」

 そういえば……どう呼べばいいんだろうな。岡野、と呼んでも嫌がったし。

「え? じゃあどう呼べってんだよ。名前か?」

「知らない」

 といいながら、森には好奇心があるのか黙ってついてきた。

「虫除けちゃんとしとけよな」と、自分に使ったスプレーを手渡す。「あと、怪我しないよう上着とズボンも着とけ」

「茂みに引きずり込むなよ」

「バカ、同じ家なんだからいつだってできるじゃん」

「それって」

 たく、うるさいな……指一本触れてねぇよ。

 森に一歩入ると、いきなりかなりうっそうと茂っている。一応道はあるけど。

 数多くの虫や獣の気配、深い緑のエネルギーに圧倒される。

 これが怖くて、みんな小さい頃は居住メガフロート内の広場や海でばかり遊んでいた……所詮人工的な森なんだろうが。でも大きい子に強引に連れられ、森で遊ぶのはなぜか大好きだった。

 そして、つい数十年前は砂漠だったという、オヤジたちが植えた森で遊ぶのも……

「あったあった、ほら」

 と、パパイヤをたぐりよせ、腰のMPTからナイフをワンハンドオープンして切ってやる。二年前オヤジが誕生日に、絶対に悪用するなと散々説教してからくれた……普段は大型の折りたたみナイフ+マリンスパイク+シャックルキーと、多目的ラチェットドライバー&レンチに分離できる。結合すれば大型のハサミ、プライヤーを選択できる。

「はぐれるなよ、結構深い森だから」

 差し出した手を岡野は一度ためらいながら、そっと握ってきた。

 オレもなぜか、びくっとしてしまう。

「さ、さてと……こっちだ。ちょっと待って」

 さおで藪をかきわける。

「気をつけて、ものすごいとげがあるぞ」

 引き寄せたのが、急に岡野が女子だと思って……胸が騒ぐ。抑えろ、冷静に……高い緑の天蓋を見上げた。

「森を歩くのは久しぶりね」

 と、彼女も見上げていた。

「あ……」

「何か見つけたか?」

「ちょっと待って」

 と、コードで彼女自身が背負うチビリュックと、オレのケーコの本体をつなげた。

 ゴーグルとヘッドホンを下げると、色々な画像と音声が混じる……多くの鳥や虫がいる。

 イリオモテヤマネコさえ、目で見てはわからないのが熱画像で浮かび、そちらを注視するとそのわずかな音とコントラストが増幅されて浮かび上がる。

 こんな世界をいつも見ているのか?

「止めろよ」

「え?」

「その体内のケーコ止めて、そのまんま見て聞けよ」

「ど、どういうこと?」

「確かに面白いけど、あくまで人工的に処理された世界じゃねーか……そのまま触れって言ってるんだ」

 ぐっ、と岡野が口をつぐみ、一瞬目を閉じた。

「止めたよ……え」

「どうだ?」

 何も言わない。オレも何も言わず、じっと緑を見上げ、そのかもし出すものに浸って……ふとケーコの着信音に気がついた。

「なにやってるの! えまちゃんに変なことしたら、また帆桁端から逆さ吊りにして、ついでにお姉ちゃんに言いつけるからね!」

 はっと気がついて、手を放した。

 そしてポケットからロープを少し取り出し、

「つかまれよ」

 と差し出した。手を離すわけにもつなぐわけにもいかないなら、これしかない。

 岡野は泣きそうな目をして、そのまま歩き出す……

「危ないぞ!」

 腕をつかまえ、ロープの端を握らせた。

「熱帯には危険な生き物も多いから、むやみに動くな。こっちだ」

「指図されたくないんだけど」

「だったら全身腫れあがっても知らないぞ」

 すごく不満そうな顔で、ロープに指を引っかけてついてこようとして、滑る倒木に足を取られた。

 それを抱きとめた拍子に、手が柔らかな胸に触れた。

「悪い……殴るのはあとにしてくれ、今は危険だ」

「いいから、手どけてよ」

「ご、ごめん」

 と手を離す。正直名残惜しいけど。

「あんまり、そういう優しさやめてよ」

 と、岡野が小さくつぶやく。どうしろってんだ……

「ほら、ここ」

 何種類かの果物を集める。中には結構グロテスクな見かけのものもある。

「近道で戻るぞ」

 と、浜に一度出てから戻ろうとした……そこで、突然岡野がオレを茂みに押し倒した。

「なんだよ」

「だめ、あれ怖い、あれだめなの」

 と、ケーコにテキストメールが浮かぶ。声も出ないのに、ケーコは操れるんだな。

 倒れて重なり、密着する体……何かを警戒している目、そして……チビリュックのケーコ本体が活発に動く、記憶ディスクなどの雑音?

 ぎゅっと抱きつかれ、暖かく柔らかい体の感触がもろ……うわ、岡野の胸をもろもんでる! 唇が深く重なる。頭がぼうっとして、あまりに熱くて……恐怖に似た感情が吹き上がってくる。理性が切れそうになる。

 ケーコに警告音が鳴った。

「由! カメラこっちに向けてよ」

 葉波の声。やばい、また吊るされる!

 岡野はすばやく離れ、カメラを指にはめて周りを見回してうなずく。まだ背中に触れているオレの手に熱いのは、内臓ケーコ本体?

 オレは慌てて立ち上がり、木に寄りかかってテレビ電話モードに切り替えた。

「何やってるの、用ができたからみんな早く帰れ、って」

「うん、すぐ行く。ごめんね」

 岡野は冷静に答える。つい今までむさぼりあっていた唇で。

 帰ろうと岡野の手を握ると、ふと気になったことがある……森の生き物が近くにいない。

 そして、変な感じに折れた枝がいくつかある。ちらりと見えた海岸の違和感。におい。

 何かが引っかかる、いつもの森、公園じゃない……

 そして、帰りも妙にあわただしかった。オヤジと峰のオヤジさんがわざわざ動力ヨットで迎えに来たのだ。

 正直岡野が、葉波も怖い。

 

「由」

 ハスキーな声がいきなり割り込み、びっくりする。

「なに観てたの?」

「見せられてたんだよ、『天国と地獄』」

「ああ」

 ネットはいろいろ好きに楽しめるようで、逆に義務としていろいろなものを見せられたり読まされたりする。好きなものばかり食べるな、見たくない真実にも直面しろ、ということらしい。お節介な世界だ。

『天国と地獄』は『何もしなかった未来』と同じように、小さい頃から見せられている定番教育映画の一つ。もし環境・資源問題が大したことなくて、二十一世紀初頭の延長だったら? それが革命もなくそのまま、貧富の差がとことん開いて安定してしまったら? 貧富の差が遺伝子改良や脳直結技術で、本当に別の種になってしまい、一割の神々と残り大多数の奴隷、いや家畜に近い……

 何度見ても胸が悪くなる。安定しているからこそいやになる。人間ってそこまで冷酷になれるのか? あの貧富の差、多数の餓死と貧民の悲惨さは、何でこんなことに耐えられるんだ。自分たちは特別だと思ってしまったら、別の種になったら、そこまで……

 そして貧富どっちも無知のままで……無知と邪悪と宗教にすがって、憎んで、戦争で満足して、あれじゃ奴隷というか、いや凶暴で残忍で……人間やってくのがいやになるな。

 学校でやったけど、だから今はそうならないよう、みんなが情報と接して智を育んで義を正しい向きにし、衣食を足りさせて礼を育て、目を配って信を築き、仁に至る、か……

「今日、ヨットであちこち回ろうか。三人で」

「忙しいんだけどな」

「それは三人ともじゃない、だから」

 明日の朝にはオレが乗る筑波丸が来て、午後に出航するはずだ。

 岡野は明日の晩に出る飛行艇から沖ノ鳥島沖……早口言葉としか思えない、みんなマシリト空港と呼んでるメガフロート空港で乗り換え、一足先に本土に着くはず。

「だから、三人で春さんのヨット使っていいって!」

「え、じゃあ行く」

 実質二人だけで船を動かす……明日から一週間はひたすら命令に従う毎日が待っているとわかっている分、最後の自由は楽しみたい。やっぱり自由が好きなんだ、特に海で生きていくには規律や義務が必要だ、とわかっていても。

 

 農場を縫って、風を受けて加速する。

「ブイ左舷(ポート)、気をつけて!」

「OK、舵そのまま(ステレー)」

 しまった風下に入っちまった、匂いがもろにくる。

「あ……この匂い……」

「そ、畜舎。上から見るとドーナツ型だ、牛とかが中で泳いで、ついでに体を洗えるように」

「ラクダ畜舎はあっち、ニワトリは居住区の近くよ」

 モーモーブーブーいろいろな声を聞き、鼻をつまみながら手を振って抜けた。

「メガフロートの主な目的は海藻からのバイオマスエネルギーと、肉や飼料の大量供給なの」

「わかってるわよ、もう説明はいい! わかったから」

「ここのおかげで、毎日おいしい卵と牛乳があるんだぜ」

「好きよね、ゆ……も」

「だからにょきにょき伸びてるのよね」

「それで最近」

 と、葉波の胸元を見たら笑顔で蹴られた。

 本格的にメガフロート群を抜けると、波がぐっと激しくなる。

 もう吐くだけ吐いたら楽になり、すっかり仕事に集中できる。

 やっぱり葉波の舵取りはうまいな……すごく柔らかく波に乗ってる。

 見回すと、目の前に大きなマングローブ……いや、このままの開きだと、下手をすると水産畜産処理場にぶつかる。

「このマングローブは前見たろ?」

 マングローブのそばは通りたくない、虫や鳥、危険な障害物が多いから。

 とにかく緑が深すぎて怖いし、波や風も……おっと、帆桁を少し動かして……

「でも、隣の水産畜産処理場は見てないよね、今度見てみる?」

「そんなの見たくないって!」

「目をそらしちゃだめだ、というか生存公役でたまにやらされるぞ?」

「わたしは……」

 やっぱり、しばらくしたらここから出て行くのだろうか?

 なんだか胸が痛くなり、葉波に手を振って大きく上手回しをし、東南東に向かった。

 しばらく大きなうねりにもまれて航路を保つと、前方に大きな塔が見える。

「これは?」

「ここ? 海藻プラント」

 マングローブからも少し離れたところに、かなり大きな工場が浮いている。

 プラント自体は一昨年交代した新型だから、海面下の球形浮きからいくつもの柱で支えられた、いくつもの円筒形のサイロなどがパイプラインでつながって浮いている。

 古い工場がバラバラにされてフィリピンに売られるとき、泣いたな……あそこの倉庫が大事な遊び場だったから。

 巨大な埠頭だけが海面に接しており、そこにはいくつもの専用船や球が並ぶガスタンカーがある。

「空から見たほうが早いよ。ちょっと航空写真……あった、ここ」

 と、岡野のケーコに送る。

「こんなに」

 そう、マングローブから、さらに航路を阻害しないよう安全なところに、数千平方キロもの海域をブイで区切り、無数のいかだが広がる。メガフロート群の海域よりはるかに広い。

 マングローブから栄養を与えられている海域に加え、化学肥料を薄く散布したより広い海域で、海面下十メートルの筏から海藻と貝が大量に養殖されている。

 巨大な扇の要にあるのが海藻総合プラント。

 海藻と貝が主な産物だが、バイオマス生産量はメガフロート農地の合計をはるかに上回る。当然だ、面積の桁が違う。

 もちろん、かなりの人がこの工場や収穫船、肥料散布で働いている。

「ここで海に栄養を与えて、ものすごい量の海藻や貝がとれるんだ。でもそれは食べてもあまりおいしくないから、貝の肉と海藻の一部は肥料や家畜の飼料になって、貝殻は建材や土に、ほとんどの海藻はこの工場で主にエネルギー……水素やメタン、アルコールになる」

 メガフロートで生産されている……もう日本領海だけでニュージーランドの食肉生産量をしのぐ……家畜飼料の七割以上は海由来の海藻、貝、小魚、プランクトンなどだ。

 陸地全部より広大で、栄養塩だけが足りない外洋から肉を作り出す以外、百億にマクドナルドを食わせる方法はない。もちろん貝や海藻も大量に食べられており、干し貝は世界中で配給の主力品だ。ついでに二酸化炭素も処理でき、エネルギーも得られる。

 また海水で育つマングローブなどをラクダに食わせても、淡水を消費せず肉や乳製品を得られる。おかげで配給にはいつもラクダの肉やチーズが入ってる。

「ちょっと補足するね。海藻は一応植物だけど、木と違って水分が多くてそのまま燃やせないし、草とも成分が違って食べてもエネルギーにしにくいの。だからこの工場で、微生物の力を借りて」

 葉波が目で合図し、体重を切り替えて船体を安定させる。オレは合わせて舵を切る。ばしゃっと舷側で波がはじけた。

「もう調べたわよ。工業原料のアルギン酸などもとるけど、大部分はエネルギーや工業材料になる水素、メタン、アルコール、アンモニアなど、その副産物や廃棄物も色々……ふーん、すごく複雑なのね」

「それだけじゃなく、この広大な海藻と貝の森は魚にとっても楽園だ」

「連絡して見学する?」

「それともあっちの珊瑚礁でも見るか? きれいだぞ」

 人工珊瑚礁は単に、低緯度の外洋に頑丈な浮きをガラスの鎖でつないで海面下十五メートルぐらいに固定したものだ。自然とその上に珊瑚礁ができ、大量の二酸化炭素を固定して漁獲量も増やしてくれる。広くなりすぎると底の下で酸欠が起きるため、上から見ると格子状になっている。

 定期的に浮きを追加したり余計な珊瑚をかきおとして海底に沈めたりする手間はかかるが、それだけの漁獲量はあるし肥料の必要もない。

「やめとく。ちょっと遠くまで来すぎてない?」

 ぷっ、と思わず吹き出した。

「何よ!」

「あのね、ごめん! あたしたちにとって遠くって、日本の領海出るぐらいなの」

 葉波の言葉に、岡野は呆れてものが言えないようだ……単に上手回しでちょっと波をかぶったからかもしれないが。

「といっても、ここからは日本本土のほうがグアムや台湾より遠いんだけどな」

 そう、そんな遠くに旅立つことになる……何が待っているんだろう。

 ひたすら数学ばかりの三週間だけど、終わってから三日かそこら向こうで過ごせるし……本土を、岡野に案内してもらうのも楽しいかもしれない。

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