フラメンコギターを弾きながらお読みください。
そのウマ娘はたった一戦で伝説となった。
第四回ジャパンカップ。
海外ウマ娘レースに挑戦し続けるURAが新設した国際GⅠレース。そのレースはしかし、開催から三度海外の強豪ウマ娘に敗れ続けるという結果に終わっていた。
惨敗と惜敗を重ねた四回目。されど熱気は過去最高だった。
何故なら今回は前年に数十年ぶりにクラシック三冠を成したウマ娘と、無敗の三冠を獲ったウマ娘が出場するのだから。
人々はどちらかが日本初の栄冠を手にすると期待した。
玄人目線で語る者は凱旋門賞入着ウマ娘が、いやさイタリアダービーウマ娘がと唾を飛ばし語り合った。
そして――数十万の観客は、否、日本中が沈黙することとなる。
二人の三冠ウマ娘、並居る海外の強豪ウマ娘。
13人の強者を置き去りにしたのは誰も注目しなかった十番人気のウマ娘だった。
唯一のGⅠ勝利もまぐれだった、三冠ウマ娘がいないから取れたのだと見下されたウマ娘。
勝てる筈がないと烙印を捺された者が世界を制したのだ。
誰もが予想だにしない結果に言葉を失った。
異様な静寂に慌てる実況の声だけが響く東京レース場。
沈黙を従者にスポットライトを浴びるそのウマ娘の名は――カツラギエース。
しじまの玉座に就いた直後に姿を消した謎多きウマ娘。
同じ時代を過ごしたウマ娘たちを通して『彼女』の足跡を追う。
「トキノミノル、マルゼンスキー……彼女らのように無敗の神話を築けると信じていたよ」
「あの頃の私は菊花賞を勝ち三冠を手にし、負けることなど考えていなかった。開設から一度も日本人が勝てていないジャパンカップでも私の勝利は揺らがない――私が初勝利をもたらすのだと、当然の如くね。驕慢放縦極まれりだ」
誰もが認める日本で最も偉大なウマ娘。
トゥインクルシリーズで前人未到の七冠、そして無敗のクラシック三冠を成し遂げた彼女は現在日本トレーニングセンター学園生徒会長を務めながらドリームトロフィーリーグを走っている。
「学園での彼女は絵に描いたような優等生。強いて欠点を挙げるとするなら……少々慌てん坊だった、くらいかな? 模範的だったが、それだけとも言えた」
「兎に角活躍する人に事欠かない世代だったからね、レースでの印象はそんなに目を惹くものじゃなかった。上位入線か大負けか、と極端な成績が気にはなったけど、ニホンピロウイナー先輩やシービーの影に隠れてしまっていた」
「まとめると人柄は尊敬できるがレース走者としては二流に近い一流、といったところかな。そう、情けないことに……見誤ったよ。私は、驕っていた。曇った眼で脅威にはならないと見縊ったんだ」
「今でも思う。自身のクラシックにかまけて前世代の、すぐ敵になるシニアクラスの見聞を怠ったのは間違いだった。共に走る以上全てが強敵であるという基本的なことを忘れていたんだ」
クラシックシーズンを迎えたシンボリルドルフは史上初の無敗三冠を手にする。
敗北を知らぬまま、前だけを見つめる若き皇帝は運命のジャパンカップに挑んだ。
「レースに絶対は無い。この言葉を真に理解したのはギャロップダイナ先輩に敗れた時だったが……最初に刻み付けたのはカツラギエース先輩だったな」
「完敗だった。戦術、判断、観察、その全てで失敗した。皆が皆お互いを牽制し合う中で抜け出ても一瞬意識しただけ。初めて見せる逃げを作戦ミスと判断し早々に潰れるだろうと無視したよ。最後方にシービーがいるというプレッシャーも作用したのか……いや、虚を突かれた……違うな。油断、慢心。そういう不様を晒した結果だ。あのレースでは、走っていた全員がカツラギ先輩を侮り、その実力に叩き潰されたんだ」
「2コーナーを回り3コーナーに入り――全員が気づいた。先を行くカツラギエースとの距離が縮まらない。この逃げは自棄でも失敗でもない、『本物』だ。私は、初めて見たよ。レースの前提が覆され、全てが崩壊する瞬間を」
「後は、戦術も戦略も何もない。全員狂ったように速度を上げた。一秒でも一歩でも先頭を走る一人のウマ娘に近づくために。どんどん遠かった背中が近くなる。霞んでいた姿をはっきりと捉えられる――それが……トドメだった。全員が戦術を放棄した中で、カツラギエースだけが違った。彼女は作戦通りに、私たち全員に二の脚という絶望を振りまいた」
「末脚の鋭さを刃物に例えることはよくある。有名処ではシンザンの『鉈の切れ味』だ。あの人の二の脚は……鈍い斧、鎧ごと心を切り潰す戦斧。そういう類のモノだった。鋭さこそシンザンのそれに劣るが破壊力では並び立つと感じたよ。あの瞬間、幾人の心が折られたのか。カツラギエースを除いて二着争いになったレースがそれを物語っている」
「ゴールを駆け抜けた後に気づいた。ここに辿り着く前に、私は敗北を認めていたんだと。レース走者として当然の心構え、ゴールまで諦めないということすら私は出来ていなかった。逃げを見過ごしたこと、タレると油断したこと、想定を覆され焦りに我を忘れたこと――何より、ゴール前に諦めたこと」
「初めての敗北は、どんな毒薬よりも苦かった」
「知らず、睨みつけていたよ。耳が痛くなるような静寂の中で佇む、背が高く痩せ気味なあの人の背を」
「握り締めた拳が震えた。食いしばった歯が軋んだ。涙を零す不様だけは晒すまいとするのがひどく難しかった」
「あれほど憎んだ相手は他に居ない。躓きも怪我もなく、瑕疵無き私に完全なる敗北を突き付けたのはカツラギエースだけだった。悔しくて悔しくて……気が狂うと思ったよ」
「続く有馬でこそ勝てたものの、とても満足できなかった。叶うことならこれから出る全てのレースで彼女を追い抜きたいとさえ願った。……知っての通り、その願いが叶うことは無かったけどね」
「彼女はターフを去った。たった、たった二度しか走れなかった」
「ああ、愛憎入り混じる複雑な想いを抱いているよ。とても言葉では――言い表せない」
「尊敬、愛情、親愛、渇望、嫉妬、憎悪、屈辱……これだけ並べてもまだ足りない。なにより、私を置き去りにしたことが許せない。ターフの中でも外でも、奴は私の手を振り払った。ならば首に鎖を繋ぎ手足を縛り許しなくして走ることもできぬようにしてやろう。そうすれば――私の傍から離れられないだろう?」
「……ふふ、冗談だ。オフレコにしてもらえると助かるな」
「総括するなら、私シンボリルドルフが最も憎み、最も敬愛したのが彼女。カツラギエースということだ」
「この後彼女の元に行くのかな? ……そうか、なら伝わるかわからないがこの放送を見てくれると信じよう」
「カツラギ先輩、私は決着がついたとは思っていない。貴女が得意とした中距離を超えた有馬で2バ身、たったの2バ身だったんだ。私は貴女に勝ったとまだ言い切れない。だから帰ってこい。ターフへ、戦場へ、私の元へ。皇帝シンボリルドルフは君との決着を諦めない」
「戻れカツラギエース。シンボリルドルフは――貴女を討ち倒す日を待っている」
ルドルフはライオンの本性漏れてる時が好き