メジロ家やシンボリ家、『彼女』はそういった名家の出身ではなかった。
外戚ということもなくその血筋は歴史に埋もれてしまっている。
ブラッドスポーツとも謂われるウマ娘レースにおいてその出自の不明さは異様ですらある。
同世代、直下の世代に名門名家の名だたるウマ娘が多かったのも影響したのだろう。
トレセン学園入学当初どころか、デビューをしてもその優秀な成績に反し注目されることは少なかった。
観戦者やURA関係者などの情報を見て測る者たちはそうするのが当然だ。
成立したデータ、明確な数字が指標になるのだから。
されど、共に走る者たちは違った。
同じコースを真横で走ればデータなんて霞むほどのものを知れるのだから。
「目立つ奴ではなかったな」
『樫の女王』の一人にして彼女が教え子を集結させればURAの勢力図が塗り替えられると謂われるほどの名指導者。後の『女帝』エアグルーヴを幼き頃に見出し中央トレセン学園入学まで育て上げた手腕は海外からも評価が高い。
現在はURA外郭団体に所属、後進の育成に努めている。
「同期にニホンピロウイナーやミスターシービーという規格外の怪物がいたんだ。ただトップクラスにいる、というだけでは注目されなかったのだろう」
「ギャロップダイナ、スズカコバン、ドウカンヤシマ……優秀な走者が大勢いた。シービーのように派手でわかりやすい活躍をしなければ埋もれてしまうのも無理は無かった。なにせクラシックシーズンに入るなり最下位を取っていたからな、カツラギは。余程目が肥えていなければ彼女の才には気づけなかったろう」
「かく言う私たちも最初から見抜いていたわけじゃない。どこか胡乱な走りをしている、というのが学生時代の印象かな」
「決して弱いわけじゃない。曖昧な物言いになるが、窮屈そうに走っている――そうギャロやピロ……ああ、ギャロップダイナとニホンピロウイナーだ。彼女らと話したのを憶えている。実際、引退直前のジャパンカップでそれは証明された。彼女は逃げの才能を開花させ見事に国際GⅠを手にしたのだ」
「結果こそ驚いたものの、過程、才能の開花については世間と違い我々同期は誰も驚かなかったな。何故なら奴はずっと……シービーに追い縋っていた。シービーと互角と言えたのは奴だけだった。故に突き抜けた何かを持っていると、皆確信していたよ」
「仲が良かった? 私たちが? それは――外部のせいだな」
「私たちは結束、いや互助しなければならない理由があった。世代が一つにまとまる必要がな。――外部の評価に振り回されて、互いに支え合わねばならなかったんだよ」
「次代が『皇帝』だったせいか、私たちの世代は弱者だったと蔑まれたことがある。シービーが三冠を獲れたのは周りが弱かったからだとな。もちろん今では否定されていることを知っている。レースの検証が進み、逆だったと、私たち皆が一時代を築ける『王』だったからこそ特出した戦績が出なかったのだと」
「……正直、引退して何年もしてからそう言われても嬉しくなどなかったな。現役時代に侮蔑された記憶は消せない。皇帝の前座の世代と嘲られた屈辱は今でも胸を苛む。何より……シービーの栄冠に泥を塗ったなどという恥辱は、忘れられん」
「ヤツは私たちの王だ。私たちの栄光だ。共に駆けたことは誇りなのだ」
「――再評価のきっかけになったのが、カツラギエースの引退だと私は思う」
「トレーナーまでアメリカ人だったハクチカラを除けば日本人初の国際GⅠ勝利。三冠ウマ娘二人も海外のダービーウマ娘もまとめて振り切った実績。続く有馬でシンボリルドルフ相手に二着をもぎ取りフロックではないことを証明した。そうして、最強の称号を掴んだまま引退したからこそ……再評価の機運が生じたのだろう、と」
「そこまで考えてターフを去ったのかはわからない。本人に訊けばまず否定されるだろうし、ギャロは『クソ真面目な優等生のアイツならやる』と言い切ったし、ピロは悔いたよ。『私たちの不甲斐なさが彼女を追いやったのか』とな」
「……今となってはわからないことだ。もしそうだったのなら、ふざけるなよたわけ。貴様を犠牲にしてまで名誉など欲しくはない! と怒鳴りつけるんだがな」
「ふふ、そういう、真面目な奴だった。ギャロの言う通り生真面目で融通の利かない堅物だ。己の走り方さえ最後にようやく気づくような……不器用な奴だったよ」
「……まとまりのない話になってしまったな。私たちの世代の苦境、それを見過ごす奴ではないとだけ言いたかったんだが」
「そうだ、今更だが話を訊くのが私でいいのか? 学園での生活はともかく、レースはたったの2回しか共にしてないのだぞ。ターフでのカツラギを語るのならスズカコバンの方が……ほう? なるほど、その2回が重要、と。いい着眼点だと言っておこう。確かにあの2レースは――カツラギにとって、ジャパンカップ以上に重いものだったろう。シービーに並び立つための、最後の試練。GⅠ有馬記念と……GⅡ毎日王冠」
樫の女王も参戦した二つのレース。
毎日王冠と有馬記念。
『彼女』にとってこの二つは、外から見ても特別だと謂われる。
「東京レース場1800m、毎日王冠。ほぼ一年ぶりにシービーがレースに帰ってきた時の話だ」
「一年のブランク、されど私たちは油断などしていなかった。相手はシンザン以来の三冠ウマ娘。肩書だけでも警戒に値する上に、奴は『シービー』だった。私は自分のレース、一か月後のターコイズステークスに集中するため中継で見た口だが……菊花賞のあの走り。アレを知っているだけで何をしでかすかわからないという怖さがあった」
「実際そうなったよ。出遅れたはず、勘が戻っていないはずなのに、信じられない豪脚で最後方からごぼう抜きだ。抜かれた瞬間シービーが勝つと確信してしまったよ。それでも――カツラギは諦めなかった」
「背後から迫りくる化物の威圧感。心折れたとて誰も責めはしない重圧を一身に受けながら……あいつは走り切った。一瞬一秒でも躊躇えば追い抜かれる。気後れでもしようものなら確実に負ける。ラスト1ハロンが永劫に引き伸ばされるような状況で、カツラギは最後までシービーと並び走った」
「タイム差は無し、アタマ差で三冠ウマ娘の復帰戦を潰してみせたのだ」
「あの並び走る姿を見て、私たちは思ったんだ」
「時代の王、我らのシービーに唯一比肩しうる者がいるとするのなら、それは――と」
「ジャパンカップ。そこで奴は証明した。日本人初勝利という自分だけの栄冠を手に、我ら同期に決して負けぬ『強さ』があると。三冠ウマ娘ミスターシービーに並び立つ資格があるのだと」
「認めたくは、なかったな。私もレース走者だ。負けるつもりで走ることなどありえない。カツラギが行くのなら私だって進むと気炎を吐いたものだ。ティアラ路線を共に戦ったダスゲニーも似たような調子だったな。……心のどこかで、シービーの隣にいるカツラギを思い浮かべながら、な」
「そして、最後の有馬記念。いつも以上に楽しそうなシービーと、雪辱に燃えるシンボリルドルフが記憶に残っている。カツラギはジャパンカップと同じように飛び出した。だが、シービーもシンボリルドルフも奴の動きだけは見逃さなかった。三冠ウマ娘が二人ともカツラギエースを最大の敵と見定めたんだ」
「しかし、位置が悪かった。カツラギだけを見ていたシービーはバ群に捕まり抜け出せなくなった。そうしている間にもシンボリルドルフが獲物を狩る肉食獣のようにじわじわとカツラギに迫っていた。だが、最終直線でシービーが抜け出すとレースは三人だけのものになったよ」
「私は――それをただ見ていた」
「あの時代の頂点三人が駆け抜けた姿を私は見送ることしか出来なかった。そして、悟ったよ」
「私は、私たちは、シービーを仰ぐばかりで隣に立てなかったのだと」
「シービーの隣にまで上り詰めたのはたった一人。カツラギだけだった」
「……奴に伝えたいこと? いいや、何も無い。直接言わねばならんことばかりだ。そう、ターフの上で伝えなければならないこと、ばかり」
「――結局、私はシービーと奴の間に入れなかった。それだけが……ひどく、悲しかった」
ダイナカールのヒミツ①
教え子のエアグルーヴがオークス優勝を果たしたインタビューで
「私には二人の母がいる。この栄冠を、この勝利を、あの人たちに捧げたい」
と話した時に
「たわけ、お母上に申し訳が無いだろうが」
と言いつつ目の幅涙を流していた