バグ娘   作:((::X::))

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トウカイタキオン

 

トレセン学園。

ウマ娘たちが通う、専門学校のような所だ。

ここでは一般教養を学ぶ他。

放課後になれば、レースに出走する為。

ウマ娘たちは日夜トレーニングに励んでいる。

そんな夢物語みたいな舞台に、気が付けば僕はいた。

 

「アニメの世界じゃないか」

 

周囲には人が選り取り見取り。

ウマ娘ばかりか普通の人だってたくさんいるのに、つい。

そのような言葉が口からもれてしまう。

が、特に誰かからか気に留められたりもしない。

本日は入学式らしく、保護者同伴のウマ娘がたくさん見られる。

誰しもが自分の事で手一杯なのだろう。

僕に注目するほどの余裕はなさそうだった。

 

【ここがトレセン学園……】

 

「!!!」

 

と、油断をしていたら、いきなり眼前に文字が浮かんでビビる。

四角い長方形の箱の中に上記のメッセージが表示され、さながらノベルゲームの選択肢のようだ。

そこでピンっとくるものがあった。

まさかここは――、

 

「アプリの世界なのか?」

 

ウマ娘はアニメの後にアプリが出ている。

僕はアニメを視聴していないのでそっちは詳しくないが、アプリをしている僕にとってこの演出は、なじみ深かった。

育成をしていると二択で上がる能力を選べたりするのだが。

ストーリーを読んでいると今回みたいに。

一つだけの選択肢をタッチしないと、先を読めない進行がアプリにはあったりする。

その考えが当たっていたのか。

この枠が現れてから、視界に広がる人々は不自然なまでに体が固まり、音さえも全てかき消されていた。

時間がもしも止まったら、たぶんこうなるのだろう。

そんな非現実の中で唯一。

動くのを許された僕は、おっかなびっくりに枠組みに手を触れた。

そして、一秒、二秒と時間が経過し……さらに一分、いや二分か。

それぐらい待ったはずなのに、世界は何らアクションを起こさなかった。

おい、まさかこれって。

ロードよりはフリーズにも似た現象に直面し、僕の体から汗が伝う。

 

「バグっているじゃないか!?」

 

たまらず僕がそう叫んだのは、たぶん体感で。

五分くらいしてからだった。

 

 

 

 

 

~┬┬彡^・∋

 

 

 

 

 

あの冷やせものの体験をしてから、はや六年が過ぎていた。

初めの頃はもとの世界に思い馳せたり、帰る事を夢見ていた時期もあったが。

ここで六年も生活をしていると、もはやそのような感情は湧きあがらなくなった。

というのも、僕のあずかり知らぬ間に僕は、トレーナーとしてトレセン学園で働くのが決まっており。

地に足の着かない、浮ついた状態でウマ娘を育成させられる事になったのだ。

新人だから経験がないのはともかく、知識すら空っぽの僕にトレーナーなど勤まるはずがない。

そう悲観に暮れていたのだが、いざやってみると案外、楽勝で拍子抜けした。

それこそアプリゲームをしているみたいに、僕はウマ娘のステータスや成長率を観測でき。

どうするのが最善手なのか、一目でわかるようになっていたのだ。

この機能は他のトレーナーには備わっていないらしく、僕だけの特権となる。

だから同期のトレーナーとは、比較にならないほど僕の成績はいい。

一人目はまだ慣れていないせいもあり、最初は二着や三着が数回あるが、後は全勝。

二人目に至っては、全戦全勝でG1九勝の大記録を打ち立てた。

当然どちらもURAは勝利している。

その結果。

富と地位と名誉を手にした僕は、まさに順風満帆の順風満まで駆け上がっていた。

これを手放せるほど、僕は潔白ではいられない。

むしろもっと高みを望み、最後に欠けたピース。

帆に該当する、愛。

すなわち素敵な恋人を作ろうとしていたのだが、人生とはどこかで帳尻が合わせられるようにできており。

順風満帆どころか、順風満マ?

みたいな不具合のある生活を送らされるのであった。

 

「トレーナー、おはよう!」

 

その具の一つであるウマ娘。

トウカイテイオーが今日も今日とて、トレーナー室へとひょっこりと入ってきた。

 

「……おはよう」

 

「どうしたの、トレーナー。テンションが低くない?」

 

これで元気になれる人がいるなら、会ってみたいよ。

そう思ったりしたものの、まさか声に出す訳にもいかず。

デスクの椅子に座っていた僕は、マグカップに口をつけ、黙って紅茶を飲み込んだ。

 

「新しい担当が見つかったからって、あんまり無理しちゃダメだよ。最近のトレーナー、根を詰めてばかりいるしさ」

 

「わかってはいるんだけどね」

 

成功だけをしてきた者が、失敗一つで跪き、そのままスランプに陥るというのはままある。

なまじそのようなミスをしていなかったせいで、立て直す力が養われずにいたからだ。

ならば過去をまとめ、一冊の分厚い本ほどの歴史を育んだ偉人なら、全ての事象に対処できるのかと言えば、そちらも難しい。

そこに記されてなければ、偉人も凡人も同じである。

それが人知を超えた災難であれば、誰だって収集を付けるのは不可能だろう。

 

「でも、途中で投げたりも出来ないんだよな。これが……」

 

「そんなに厄介なウマ娘なの。いい加減、何に悩んでいるのか、僕にも教えてよ。僕なら解決できるかもよ?」

 

「プライバシーの侵害になるので、教えられません」

 

「ちえっ、いっつもそうやってはぐらかすんだから。新しいウマ娘、誰だっけ……コールドシッペ?」

 

本人に言ったら、冷めた顔でシッペをされそうなネーミングが飛んできた。

 

「間違っても、相手にいうなよ」

 

「だって僕、よく知らないんだもん」

 

「色んな意味で、知名度はあるはずだけど」

 

「でも、僕よりは有名でもないでしょ。だって僕、最強無敵の九冠バだよ」

 

「まぁね」

 

トウカイテイオーと比べれば、ウマ娘のカテゴリー内で、どんな実績があろうと霞む。

ただ、数年後にはどうなっているかわからないが。

シンボリルドルフからトウカイテイオーが卓抜したように、僕が新しくスカウトしたあの娘は逸材だ。

三年間で、トウカイテイオー越えは十二分にありえた。

もっともそれはあの娘の力だけではなく、僕の育成力もありきではあるが。

トウカイテイオーを育てたおかげで、僕のトレーナーレベルもゴリゴリと上がっている。

かつてトウカイテイオーに時間をかけて覚えさせていた物も、今ならもっと短く習得させられるだろう。

つまり彼女は、正しく物が違うウマ娘になりえる存在だった。

とは言え、こればかりは結果が出ないと語りようもない。

だからこの話題はここで終わらせ、僕はトウカイテイオーの意識を別の方へと向けようとする。

 

「とりあえず、そろそろ教室に戻った方がいい。もうすぐ授業が始まるよ」

 

「え~まだ平気だって。それに危なくなっても、僕が走れば一瞬だよ。すぐに教室へ着いちゃうもんね」

 

「そう言って、何回も遅刻しているんだろう。余裕を持って行動しないと駄目だよ」

 

「何で僕が遅刻しているの、トレーナーが知っているのさ!」

 

トウカイテイオーの担任教師に、僕が相談されたからだ。

 

『今まで一度もなかったテイオーさんが、今月すでに三回も遅刻をしているんです。テイオーさんのトレーナーとして、心当たり等はございませんか?』

 

と言われ、今のトウカイテイオーのように、僕もかなり驚いたものだ。

原因は絶対、登校前にこうしてトウカイテイオーが僕の所へ来ているせいだ。

トレーニングをしているのならまだ言い訳も立つかもしれないが、この世界。

基本的にそのような面は意外ときっちりしている。

まずどのトレーナーも早朝トレーニングをさせるウマ娘を遅刻させないし、仮に方便として使えても一回が限度。

なのに三回もやらかしているとなれば、私生活に問題があるか、だらけていると思われてしまう。

せっかく無敗のままURAを勝ち取ったトウカイテイオーに、そんなイメージダウンの噂を流されるのはいただけない。

トレーナーとしても、ここはトウカイテイオーに注意すべきだろう。

 

「君の担任から聞いたけど、遅刻もさる事ながら。そわそわして授業中も身に入ってないんだって?」

 

「それはだって、トレーナーが悪いんじゃないか」

 

「僕?」

 

遅刻はまだしも、授業に集中できていないのも僕のせいなの?

ちょっと、雲行きが妖しくなってきた。

ここはあまり、藪をつつかずにいるべきではなかろうか。

 

「合間の休み時間に電話やメールをしても、なかなか返ってこないしさ。僕、いつ返ってくるかずっと待っているんだよ」

 

「……ああ」

 

やってしまった。

私、怒っています。

という表情のトウカイテイオーは、僕からそっぽを向いて不満をこぼした。

 

「前は連絡も小まめだったし、よく一緒に出かけてもいたのに。急にそっけなくなって、おかしいよね。僕、トレーナーともっと仲を深めたいんだよ?」

 

「……うん」

 

この台詞だけを切り取れば、子供の可愛い我がままに聞こえるかもしれない。

が、とんでもない。

この流れは僕にとって恐怖の帝王だ。

 

「僕たち、やっと一月前に付き合えるようになったんだよ。だったらトレーナーは、もっと僕を大切にいないとダメじゃないか」

 

「…………うーん」

 

「トレーナー。僕の事、嫌いになったの?」

 

トウカイテイオーと過ごした年月の中で、この手の疑問は幾度か投げかけられた時があった。

オーバーワーク気味のトウカイテイオーを止めたり。

無謀なレースに挑もうとするトウカイテイオーをいさめたり。

他のウマ娘と談笑して拗ねたトウカイテイオーを慰めたりと。

振り返るとけっこうあるな。

しかしあの頃と今とでは、同じ言葉をトウカイテイオーに伝えたとしても、意味合いがまるっきり変わってしまった。

それを自覚しているからこそ、僕は何も口にはできない。

紅茶をすすりながら、この窮地をどうしのぐか。

僕は頭を必死になって働かせるが――、

 

「なんてね。トレーナーが僕を嫌いになるはずがないよね」

 

以外にもトウカイテイオーが先に折れてくれたので、僕はすかさず便乗した。

 

「それはそうだよ」

 

「じゃあさ。逆にどれくらい僕の事が好き?」

 

「え゛っ」

 

何それ?

これまでずっと逃げと先行のウマを差して勝ち続けたせいか、トウカイテイオーがとんでもない切れ味で僕を刺してくる。

 

「僕はトレーナーのためなら、会長だって超えられたよ。トレーナーはどう?」

 

ニヤニヤと。

軽く頬を赤めつつも僕に詰め寄るトウカイテイオーは、いたずらっ子の顔の裏に、確かな女性の影を忍ばせていた。

僕からすればその姿は、まさしく暴君だった。

 

「早く答えなくてもいいの。ほら、時間がかかると僕、遅刻しちゃうよ?」

 

ここでさっきの話を蒸し返すのは、卑怯だろう。

 

「うう……」

 

僕が躊躇っている間に、どんどんトウカイテイオーが迫る。

ステップを踏んでヒラリとデスクを回ったトウカイテイオーは、当然の権利と主張するかのごとく、僕の膝上に座り、後ろ向きのまま首を逸らして見上げてきた。

 

「ねえ、トレーナー。あんまり待たせないでよ。僕、ずっと待ってばかりいたんだからさ」

 

僕に対する不安など、欠片もないのだろう。

トウカイテイオーの大きな瞳はランランと輝いており、熱のこもった視線を僕に向ける。

トウカイテイオーからすると、僕たちは付き合っているんだから当然の反応である。

しかし僕からすると、二人の間にそんな記憶は存在しておらず、ただのトレーナーとそのウマ娘の関係止まりなのだ。

つまり、胃が痛い。

 

「どうして黙っているの。ひょっとしてトレーナー、照れてる?」

 

どうして?

と、僕が嘆きたいくらいだ。

トウカイテイオーの思い込む真実の愛が仮初の嘘だと指摘できれば、どんなに楽か。

でもそれは僕が楽になるだけで、誰も幸せになれない愚かな道だ。

故に、にっちもさっちもいかなくなった僕は、最後の手段。

神頼みに全てを託した。

神様、仏様、三女神様、どうか僕を救って下さいと。

 

「…………んっ?」

 

その祈りが通じたのか、転機が訪れる。

バグが発生したのだ。

 

「あ~……」

 

呼吸すら忘れ、微動だにしなくなったトウカイテイオーに全てを察した僕は、椅子の背もたれに体を預ける。

緊張が溶けたというよりは、次の災いに対して身構えであった。

 

「トレーナー君!」

 

新しい騒動は霊のごとく壁をすり抜け、トレーナー室へ出現する。

その相手はトウカイテイオーの前に担当したウマ娘。

つまり僕にとって初めての育成となった、アグネスタキオンその娘であった。

最初期に手がけたせいか、バグの申し子であるアグネスタキオンの奇行に慣れた僕は、

ゆるりと手を掲げ彼女に応える。

 

「おはよう、タキオン」

 

「おはようではないよ。今、何時だと思っているんだい?」

 

「八時前ぐらいじゃないかな」

 

そこで時計を見ると、実際に七時五十分で針は止まっていた。

トウカイテイオーはそろそろ際どい時間帯であるが、トレセン学園の大学部に進学しているアグネスタキオンならば、まだまだ余裕はある。

 

「単位は去年でほぼとり終わったから、授業とかあまりないって言ってなかった。それなのに慌てて、どうしたんだ?」

 

「どうしてだと。言ってくれるね、トレーナー君」

 

「うっ」

 

こんな会話、さっきトウカイテイオーとしたような。

 

「私の研究内容を、君は誰よりも知っているはずだ」

 

「人の感情についてだろ?」

 

「そうだ。そして長年の研究成果を私は君に話したはずだ。私はトレーナー君が傍にいると、普段よりも頭が冴え作業効率がよくなると」

 

それについては、毎日毎日くどくどと聞かされた。

さらにアグネスタキオンの理不尽とも言える我がままにも、かなり振り回されていた。

しかしアグネスタキオンとしてはまだまだ足りないらしく、もっともっとと駄々をこねられる。

 

「ならば私が目を覚ますよりも先に、君が私を起こすべきだ。効率を考えればそれが最善なのに、どうしてこんな所で油を売っているんだい?」

 

「えー」

 

「えーではないぞ。一月前にマンションの鍵は渡しているのだから、いい加減。活用したまえ」

 

さすがに高等部を卒業してまで寮生活とはいかず、数年前からアグネスタキオンはトレセン学園の近場で物件を探し、一人暮らしをしていた。

そしてこれが酷かった。

研究とレースに人生を捧げているアグネスタキオンは、家事能力が欠落している。

僕がちょくちょくお世話をしなければ、すさんだ生活になっていたのは疑いようがない。

そんな日常を三年も続けていたせいか。

アグネスタキオンは僕がいないと、色んな意味でダメになってしまったのだ。

 

『トレーナー君、私とキスをしてみようか』

 

そして一月前のあくる日、毎度おなじみ。

アグネスタキオンの家事代行をしていた僕へ、彼女はこのような提案をしてきたのだ。

その時期はちょうど、話題の大作ファンタジー映画の上映期間であり、トレセン学園でも話題はそれで持ち切りだった。

僕もアグネスタキオンと二人で観に行ったのだが、彼女はこのストーリーに関心を持ったらしかった。

 

『世界を救った勇者が本来。成し遂げたかったのは、ただ愛する人を守るため。そのためだけに魔王を倒す……果たして恋にはそこまで無茶を叶えるほどの力があるのか。実に興味深いねぇ』

 

だからと言ってアグネスタキオンの好奇心が、恋心に目を付けるとは、長い付き合いである僕でも予想はしておらず。

 

『なに、そこまで気負う必要もあるまい。グイっとやってくれたまえ』

 

まるでいつも飲ませてくる薬のように、アグネスタキオンは僕に唇を差し出そうとした。

本気で実験以外の他意はないのか。

あるいは別の感情も含まれているのか。

僕ではアグネスタキオンの内面にある天秤がどちらに傾いているのか、外面だけで見分けられなかった。

どれでも最終的に僕が頷いたのは、どんな結果であれ。

アグネスタキオンとならば、後悔はしないと思ったからだ。

だからこの一時を、僕は一生わすれないだろう。

なぜなら――、

 

『クッハッハッハッハッハッ!?』

 

キスした相手に高笑いをされれば、誰だって面食らう。

どうにも僕とのキスで、アグネスタキオンは信じられないほどの高揚感と万能感に包まれたらしい。

怪しい薬か何かかな?

 

「まったく、目覚めたら君がいなくて私の機嫌は七割減だ。メールや電話の履歴も皆無で二割、おまけにここまでの道のりも含めて一割。どうしてくれる、私の意欲はゼロになってしまったよ」

 

「ごめんごめん」

 

「謝る気持ちがあるのなら、アレを頼むよ。途絶えてもう一週間だ。いい加減、摂取しないと体が落ち着かない」

 

「その言い方はよそう」

 

完全に危ない薬みたいだし。

 

「だったら早く私の口をふさぎたまえ。そうすれば、喋れなくなる」

 

「……また後で。別の場所とかで駄目かな?」

 

ここまでの状況から。

アグネスタキオンがトウカイテイオーを視認できていないのは、誰もが察すると思う。

が、忘れてはならない。

僕の膝上には、ずっとバグったままのトウカイテイオーがいるのを。

これはいつ爆発するか不明な、不発弾を抱えているもので非常に危険だ。

でも導火線に火が点いているには、アグネスタキオンも同じだったみたいで、

 

「後でするなら今でもいいだろう。私はもう一秒だって我慢したくないんだぞ」

 

僕の曖昧な説得で止まらぬアグネスタキオンは、ズンズンと突き進み、直線的に眼前まで迫った。

いや、ちょっと、これは。

 

「タキオン。貫通してる、机に服が」

 

「おっと」

 

おっとでは済まないんだよな。

こっちはこっちでバグっているアグネスタキオンは、僕の指摘で初めて気が付いたみたいに、デスクへ埋まる白衣を摘まむ。

この異常さに無自覚でいられるのが、どれだけヤバイか。

その一端を、垣間見て頂けただろうか。

 

「さて、これで逃げ場はなくなったねぇ。トレーナー君」

 

科学者なのに目撃した超常現象をまるで気にもせず、僕を見下ろすアグネスタキオンは、息が届く距離まで顔を寄せた。

 

「覚悟したまえ。一回や二回で私が満足すると思ったら、大間違いだ」

 

「さ、三回か四回くらい?」

 

「百回以上だ」

 

盛り過ぎでしょう。

一週間のご無沙汰で三桁の数は、コスパが悪すぎる。

 

「……ひとまず、ホッペでまからない?」

 

こうなればアグネスタキオンが折れないのは知っているので、僕は悪あがきとわかっていても、抵抗を試みた。

 

「口で最大の成果が得られるのに、他の部位にして。わざわざ効果を下げる理由があるのかい?」

 

「タキオンが研究で色々ためすみたいに、キスの違いで効き目が変わるのか。検証はしてみてもいいんじゃないかな?」

 

「なるほど、その発想はなかった。どうせ数はこなすのだし、いいだろう。実験を開始しよう」

 

許された。

ならば次は壁を超えるだけだ。

否、物理的に超えられては困るのだけど。

どうか、僕の懸念が実現しませんように。

と、恐る恐るアグネスタキオンの頬へ、僕が唇で触れた直後。

 

「ひゃっ!」

 

うん、薄々そうなるのではないかと思ってはいた。

急に再起動したトウカイテイオーがほっぺに手を添え、声を上げる。

 

「も~トレーナーがいきなりキスするから、僕。驚いたよ」

 

アグネスタキオンの当たり判定が、トウカイテイオーに吸われた瞬間である。

すでに何度も何度も何度も何度もこの経験を積んでいる僕は、固まったアグネスタキオンからトウカイテイオーに視点を変えた。

 

「いつも言っているよね。キスをするなら、ちゃんと先に言ってて」

 

「ごめん……」

 

不満気な言葉とは裏腹に、満面の笑みを浮かべるトウカイテイオー。

その眩しさに目がくらみ、首を垂れさせたくなった僕は、ギリギリで持ちこたえ、伝わらない謝罪を口にした。

 

「そうやって謝れば、また今度も僕が許すと思ったら大間違いだからね」

 

「……許されないのか」

 

「うん、だからこれは仕返し!」

 

どんな反撃をされるのか。

内心でビクビクしていると、僕の膝上から飛び降りたトウカイテイオーが、軽やかなターンをしてこちらを正面で見据えた。

 

「今日は僕からお返しのキスはしてあげない。無敗のテイオー様と約束をやぶると、怖いんだぞ~」

 

楽しそうにしているトウカイテイオーを見守りながら、僕はギリギリで窮地を抜けられた事に安堵する。

 

「次からは注意するよ」

 

「注意するのは、それだけじゃないよ」

 

「他に何かあるのか?」

 

見当もつかない僕はさらなる安置を探るべく、トウカイテイオーに尋ねた。

すると唇に人差し指を押し当てたトウカイテイオーは、わざとリップを鳴らし。

投げキッスの要領でその指を僕に突きつけた。

 

「トレーナー。次はこっちで待ってるからね」

 

そう言ってウインクするトウカイテイオーは、満足した幽霊みたいに。

スーっと天に昇り消えてしまった。

 

「斬新すぎるわ」

 

初めて遭遇したバグに、熟練者の僕も困惑を隠せない。

どうも年月と共に症状が悪化している気がするのだが、あまり気にしては駄目だ。

まだバグは続いているのだから。

 

「どれだけ私は待たせるつもりかな、トレーナー君?」

 

片方が硬直するバグは解除後、幾つかのパターンに派生する。

今回のケースに該当するなら。

一つはトウカイテイオーとアグネスタキオンのやり取りが混合する場合。

一つはトウカイテイオーと話している間、アグネスタキオンの世界が止まっている場合。

一つはトウカイテイオーがいなくなるまで、アグネスタキオンの世界が進んでいる場合。

これらを彼女らは、違和感などなく自己処理するのであった。

 

「君が意地悪なのはよくわかったよ。それともただ、意気地がないだけかな。私としては後者なら、寛大な心で受け止めてあげる事も出来るのだが。トレーナー君の本心を教えてもらいたいね?」

 

アグネスタキオンの台詞から、現状を正しく分析した僕は、彼女の怒りが膨れ上がらないよう言葉を選んだ。

 

「……空腹の食事は、普段よりおいしく感じない。せっかくの実験だから、そういうスパイスも取り入れたんだけど、どう?」

 

「なるほど。だがスパイスの入れ過ぎは体に悪いし、何よりだ。誰しも我慢の限界はある」

 

瞳孔が開き濁った目をしたアグネスタキオンが、僕を見抜く。

ああ、これはもう無理だな。

と全てを悟った僕は、器用に立ち回ろうとするのを諦めた。

 

「さて、これらを踏まえ。トレーナー君は、腹の虫がおさまらない私をどう満腹にさせるのか。実に興味が湧くねぇ」

 

「誠心誠意、頑張らさせていただきます」

 

「それならオーダーも期待できそうだ。ただキスをするのではなく、手を握ったり頭もなでたまえよ。ああ、前にしてもらった膝枕もいいねぇ。トレーナー君が趣向を凝らしてくれたんだ。フルコースで頼むよ」

 

こうして。

注文の多いアグネスタキオンの要求を、僕はどうにかこなし。

 

「クッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!?!?」

 

暫くの間。

トレーナー室からアグネスタキオンの高笑いが、ずっと響き渡るのであった。

 

 

 

 

 

 









このバグがメンテされないのも、乾巧って奴の仕業なんだ。



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