それでも私は走る   作:茶蕎麦

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 夜な夜なと最新話、失礼しますー!

 ふと、多分ノイズちゃんより傷付いてしまったあの子を描かなければと頑張ってみました。
 少しでも、それらしさを感じていただけると嬉しいですー。


悲鳴をすら

 

「……美味しいです」

 

 一人蕎麦屋のカウンター席に座して、一口いただいて直ぐにそう零したのは碧い目をした栗毛のウマ娘。

 主人が少女のためにとせいろ蕎麦たっぷりと盛りに盛ったは十人前。だが、彼女にとってそれは腹八分目に収められる程度でしかないのだから驚きである。

 

 折り目正しく、お手本になり得るほどに上手な箸さばきにて通院帰りの遅いお昼をいただく彼女は、挑む物量だけでなくその髪の毛の先端に至るまでの美しさから目立っていた。

 啜るというものを自然にこなせるグラスワンダーは、日本贔屓を超えて日本美人そのもののようにすらなっている。

 テレビ画面の中でもろくに見ない和魂洋才和洋折衷な少女がすいすい蕎麦の山を崩していく光景など、本来ならば衆目を浴びて然るべきである。

 

「やはり、外食をするならここですね」

 

 しかし、ここは彼女の馴染みの店。大人しい少数は、彼女の良き居心地のためにと見向きもしていなかった。

 くたびれた暖簾をくぐって友人の誰彼を連れてこの素敵な店にやって来たことは片手ではきかない。

 都度、特注の盛り蕎麦に舌鼓を打つグラスワンダーのその様子には様々な感想を向けられたものである。

 幸せそう、美味しそうね、ソースをかけてあげマース、等など。

 それらは全て笑顔に包まれたものであり、その内で何より一つ綺羅星と取れる真っ赤な薔薇を一輪真ん中にして、記憶のフラワーブーケを抱きながらグラスワンダーはこう呟く。

 

「ですよね。――」

 

 過去この場に一番に一緒した彼女の名前は、しかし返事なく無情に空の隣席を通り過ぎるばかり。

 だが彼女は、良かったとだけ口にして少し顔を赤くした過日の――――を確かにここに見ていた。

 そう、いっぱい食べる子が好きと言ってくれた、既に過度のストレスにより味覚障害だったらしいあの子のことを、一部壊れた彼女は今も思う。

 

 

 

 

 グラスワンダーは、史上最も白熱したとすら言われた先の皐月賞を勝ちきったウマ娘である。

 他の二人が一人のウマ娘が競走中止の結果となったことに引きずられて精細を欠いた中でも、見事にセンターとしてウイニングライブを踊りきったたった一人。

 そして、その後に酷い太ももの肉離れが発覚したことにより日本ダービー出走を断念せざるを得なくなった、悲運の勝者。

 コースレコードを大幅に更新した、そんな才気あふれる彼女がしかし、誰よりも脱落者たる――――のことを想っていたというのを知る人は数少ない。

 

「さて……」

 

 辛くても止まらず勝ったのは、手を抜くことはないという約束から。心配でも必死に踊ったのは、あの子を負かした自分が逃げるなんて恥ずかしい真似など出来ないと思ったから。

 本当は、止まった彼女の手を引いて横並びに一番を取りたかったし、踊るより過度の疲労で倒れたあの子につきっきりで看病をしてあげたかった。

 でも、グラスワンダーはそんなみっともない願望に縋りつきはせず、見事に本年度クラシック初戴冠を果たしたウマ娘として立派に務めを果たしたのである。

 

「……そんなの、気にするべきではありませんでした」

 

 しかし、今更ながらグラスワンダーは後悔に包帯で圧迫固定した足を竦ませていた。

 幸い術後の経過は良好で、固定からずれるほどの動きには多少の痛みはあっても普段の歩行には支障がない。

 だが、今は底が抜けたのではと感じるほどの胸元の酷い痛みによって彼女は身動きが取れなかった。

 

「私は、貴女のためになれれば、それで良かったはずなのですが……」

 

 再び呟く彼女。しかし急くのは心ばかりでグラスワンダーの壊れた足は動かない。

 病室前。扉に手が届く距離にて、でも毎度止まる一人。それが私だとウマ娘としての聴力の高さのある彼女は知っているだろうに。

 しかし、知らんぷりではなくあえてだろう、――――はグラスワンダーに声をかけずに黙している。

 それが少女が少女の恐れを認めてくれているからであるからこそ、グラスワンダーの心は激しく波立つのであった。

 

「ごめんなさい……」

 

 リノリウムの床は冷たく、また磨かれすぎていている。

 だから、そこに映り込む少女からひと雫が落ちたところで、染みにすらなれずに時に躙られ消えるのだ。

 同じように感傷が擦過傷であるなら、いずれこの痛みだって治ってしまうのが道理。

 だが、本当はグラスワンダーは彼女のすべてを己に刻みつけておきたくって。故に許されてしまうかもしれない未来を嫌う。

 

「っ!」

 

 脱兎。走ることを禁じられている彼女は、むしろ痛みをこそ罰とするようにその場から駆け出す。

 そう、グラスワンダーは――――に自業を許容されてしまうことを恐れている。

 あまりの怖じに、勝者は敗者に背を向け、逃げた。

 

 きっと、いや間違いなく――――という少女は気持ちなんて知らずに、友達だからと許してしまう。

 それはきっと彼女の優しさから来るのだろうし、ひょっとしたら愛であるのかもしれなかった。

 だがその美点は恐ろしいまでに間違っている。

 

 だって、私/グラスワンダーは。

 

「もう一度、あの日の歌を貴女から聞きたい、なんて思って止められないなんて……!」

 

 貴女の悲鳴をすら聞き惚れてしまっている。

 

 

 

 ――――が甘い物以外を摂った時に笑わなくなったのに気づいたのは、何時頃からだっただろうと、彼女は思う。

 そして、砂糖の調味を多少焦がすくらいに誤ったジャリジャリとした卵焼きを、美味しいよと笑ったあの子にうまく笑い返せなかったことをグラスワンダーは未だに後悔している。

 ひょっとしたら、想像くらいはしていたのかもしれない。

 むしろ、毎日のように――――のために弁当を持っていっていた彼女が誰より気づいておかしくない立場であったのは間違いなかった。

 

『――が、味覚障害?』

 

 だが、グラスワンダーが日頃からお世話になっているお友達の一人として――――の母(耳が顔の横にある普通のヒトだった)から聞かされたグラスワンダーに起きたのは驚愕の一言では尽くせない程の驚きと困惑だった。

 お医者様の診断とあの子の口から聞いたのだから間違いないと補足をするやや年嵩な母親は白髪交じりの頭を下げて、ごめんなさいと言う。

 そして、ひょっとしたら私がただの人でしかなく、ウマ娘じゃなかったせいであの子は力が出ずにここまで追い詰められてしまったのかもしれないと、続けた。

 唖然としながら、グラスワンダーは問う。

 

『……もしかして、心因性のもの、なのですか?』

 

 その声が震えていたことは、彼女も後になって気付いた。

 また、まるで縋るような表情をしていたグラスワンダーに、――――の母は休憩室の一角にてギプスを嵌めながらコーヒーを飲む普通の人を見つめながらこうとだけ言ったのである。

 

 恐らくは。でも貴女のせいじゃないわ、と。

 それに嘘だ、とグラスワンダーは心の中で断じたのだった。

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 足元にぽつりぽつりと美味しそうに花開いたタンポポが三つ。

 ひと目はばからず何もかもを振り払って駆け抜けた先は、トレセン学園。

 その校門を見て取った際に、ようやくグラスワンダーは我に返った。

 深く呼吸を一つ。それだけである程度の呼気の荒さを抑えられるまでになった自分の特別さをすら嫌うようにして、彼女は地面に向けて呟く。

 

「……駆け過ぎました、ね」

 

 本来、逃げるにしたって走る必要なんてない。

 だが逃避のためにトレセン附属病院からほど近いここまでグラスワンダーは逃げ切ってしまった。

 

「いけません」

 

 自らに罰をとして突発的に出した一歩も過ぎれば壊れるための無為。

 だが今の彼女はずきずきと心臓の音のように走る痛みにこそ、生の実感を覚えるのだった。

 

「はぁ」

 

 目を瞑り、誰彼の走り抜ける光景も遠く、元気な掛け声なんて遥か彼方に。

 そうして自分がウマ娘だということすら忘れたいとグラスワンダーが思えども。

 暗黒に浮かぶのは――――の面一つ。そしてそれが()()()の何より必死で泣きそうなものでしかなければもう、彼女はどうしようもなく業を実感せずにはいられなかった。

 

 今一度あの歌声の続きを。そう思って高鳴る胸元が、少女にとっては痛すぎる。

 

「私のせい、なのに……」

 

 弱々しくもそう、呟くグラスワンダーに、寄る影はない。

 そう、何時も親しんでくれている友も――――の見舞いに行っているのであれば、悪い記事と噂が出回っている彼女を見る目はあまり良いものではないのだから。

 

 多くがグラスワンダーの皐月賞勝利を素晴らしいと称えて記事にした。

 だが、世の中には美しいものの瑕疵を探りたがる者もいて、それが偶々にもグラスワンダーという乙女の心に罅を入れるような一文を記す。

 

 それは、あれは弱いウマ娘を壊れるまでに()()()()て得た、無情の勝利だったというもの。

 

 なるほどこれに間違いはないのかもしれないな、と一読して思ってしまった自分自身のことが、グラスワンダーは何より嫌いだった。

 

「私は私のために、貴女を潰してしまいました」

 

 多くが相手にならない才能の差であったはずの――――に無闇にグラスワンダーが期待という圧をかけていたことを、知っている。

 それが優しい人たちの間でも少し曲解された噂となって広まり、それを否定する友達の前で云と言ってしまったグラスワンダーのために、間違いなかったのだと認識された。

 

 だから、実態を知らない者たちに少し嫌われてしまった彼女は、庇ってくれる人たちのためにも一人になることばかりを最近選びはじめて、ずっと。

 そうしていたら、もうずっと――――に会うこともなくなり、ふとあの必死に奏でた彼女の歌声の続きを知らず歌っている自分に気づいてぞっとして。

 

 確信すらしていたグラスワンダーは、分からなくなってしまったのだった。

 

「――――。私は貴女に勝ってしまって、本当に良かったのでしょうか?」

 

 孤独故に答は返らず。

 ただ乱雑なまでの春風ばかりがグラスワンダーの頬を撫でるばかりで。

 

「私は、本当は……」

 

 続きはもう、一人では語れない。

 グラスワンダーは震えることすら許せない自罰の心根によって、しんしんと冷えるばかりの今をだけ感じるのだった。

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