たぶん、シャドーロールの怪物? 作:はー!
グラウンドには大勢のウマ娘たちが群がっていた。
その人垣を縫うように、耕作は前方まで行くため必死で潜り込み、見晴らしの良い位置まで辿り着いた。
ぜぇ、はぁ、と耕作は死ぬ思いをしながら、彼はその場で周囲を見渡す。
遠くに見えるトラックコースの上には、ふたつの影があった。
「っく、よく見えねぇ……」と目頭を揉む。
耕作は首から下げた双眼鏡を目に当てる。
芝生の上で軽くストレッチするのは、重賞レースで入賞経験のある上級生ウマ娘だ。――そして、もうひとりは……仏頂面で腕組みをしている「ナリタブライアン」。
彼女は既にストレッチを終えているのだろうか、上級生のウマ娘を観察している様子だった。
彼女たちが何やら会話をしているのだが、距離が遠すぎて聞こえない。
「っ、なぁ……なんて話してるか聞こえるか?」
耕作は、教え子であるボブカットのウマ娘へ訊ねた。
彼女も必死の思いで人垣を割って辿り着いた結果、ぜぇ、はぁ、と疲労困憊の状態だった。それでも、耕作の問いかけに応じるように耳をピーン、と立てブライアンたちの声に意識を集中するものの、周りの声が全てをかき消す。
「――ええっと、スイマセン。全然聞こえません。周りの声が凄くて」
「だよな、一緒に来てくれてありがとうな」
耕作は肩を竦めて苦笑いを零すと、「足、大丈夫だったか?」と彼女の脚に目線を向けた。
「あ、はい。これくらいなら大丈夫ですけど……でも、凄いですねブライアンさん。こんなに多くの人に見られてるのに落ち着いてるし」
ボブカットのウマ娘が、遠くで佇むブライアンに思いを馳せた。
「元々図太いのか、それとも雑音が気にならない鋼のメンタルなのか――――」
耕作は双眼鏡へ再び目を戻し、コースを眺める。
本来であれば、野良レースは褒められた行為ではない。トレーナーの許可なく行われるために、怪我に繋がるリスクだってある。
しかし、ウマ娘の意志を尊重するトレセン学園でもあるため、強く野良レースを禁止することもできない。結果として、野良レースを行った者は反省文などの軽い罰則で終わる傾向にある。
耕作は倍率8倍の双眼鏡で、コースの状態を確かめる。
整備された芝生は青々と爽やかな午後の風に吹かれ、小さく揺れている。コースのコーナーに設置された「吹き流し」は、斜め45度に靡く。
この吹き流しとは、高速道路の出入口に設置されたものと同じ物で、走者に対しコーナーへ吹き付ける自然風の風速を知らせる器具として、コーナーポイントの計4か所に置かれていた。
現在の吹き流しの靡きからすると、風速3~5mほどだろうか? レースに臨むには概ね良好だ。
(さて、お前はどんな走りをするんだ……?)
双眼鏡でブライアンの姿を眺める耕作。
彼自身、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。こんなにワクワクするのは初めての経験だった。
◇
「貴女の距離適性はどれくらいなの?」
軽いストレッチを終えた先輩ウマ娘がブライアンに訊ねた。
トレセン学園指定の赤と白を基調としたジャージを着たふたりのウマ娘は、周りの喧騒をよそに、レースの段取りについて話していた。
「別に適性はない」
ぶっきらぼうな態度のブライアンに、思わず苦笑いを零す先輩ウマ娘。
「そうね、だったら2000mはどうかしら?」
長すぎず、短すぎない、相手を測るのに妥当な中間距離を提案する先輩ウマ娘。
彼女の浮かべる余裕な態度にブライアンは、口を固く結ぶ。
「それはアンタが本気を出せる距離なのか?」
「ええ、私は上級生だからそれくらいのハンデはあってもいいでしょう? このレースを引き受ける条件よ」
優しい声音の中に見え隠れする絶対的な自信。
ブライアンは一瞬、眉間に深く皺を刻んだ。
――舐められている
そう感じ取った。
上級生である彼女は決して、ブライアンを馬鹿にしているわけでも侮っているワケでもない。ただ、GⅠレースに出場し実績を積み上げてきた。それまでの努力と経験に裏打ちされた態度だった。
もう
普通、野良レースを仕掛けられた側からすれば、挑発行為と見做されても仕方ない。
身の程知らずの新入生に実力を思い知らせる。
――それが、強気な言葉を放つ先輩ウマ娘の真意だろう。
表情を変えないまま、ブライアンは首肯する。
「……ならそれでいい」
腕組みを解いたブライアンは、後頭部で束ねた黒髪を左右に振る。
切れ長で涼やかな目元に髪の毛先が重なる。
金色の瞳で、先輩ウマ娘を一瞥すると――――、
『潰す』
ブライアンは心の中で呟き、スタート位置へと赴く。
◇
『……まったく』
トラックコースの周りに群がるウマ娘たちを後目に、離れた所からコースを見守るひとりのウマ娘が居た。
ビワハヤヒデ。
ナリタブライアンの実姉にして、トレセン学園でも指折りの実力者。彼女も、妹が仕掛けた野良レースの噂を聞きつけ、急いで駆けつけた。
「どうして、我が妹はこうも喧嘩早いのだろうな」
赤い縁のアンダーリム眼鏡をかけ直し、ハヤヒデは小さく嘆息した。