たぶん、シャドーロールの怪物?   作:はー!

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第6話

「スタート合図はコインでいいか?」

ブライアンはポケットから銀貨を取り出し、右手の指に乗せる。

午後の陽光に照らされた硬貨の表面は、金属質の冷たい光を反射した。

 

「――ええ、結構よ」先輩ウマ娘は頷く。

「公正を期すために、アンタが投げるか?」

 ブライアンが硬貨の乗った右手を差し出す。

 

しかし、先輩ウマ娘は余裕の笑みを浮かべ、優雅に首を横に振る。

「いいえ、貴女が投げていいわ」

「……そうか」

頷いたブライアンは足元を見ながら歩き出す。

 

少し離れた場所で先輩ウマ娘は立ち止まり、落ち着いて深呼吸する。

白石灰でスタートラインの引かれた場所でふたりは肩を並べた。青々と茂るターフは緑の濃い匂いを放つ。何度も葉先が足首を擽った。

 

視界一杯のだだっ広いターフの道。

蹄鉄の付いたつま先を地面に押し当て、地面の様子を確かめる。

 

(――悪くない)

思わず、口元が綻ぶブライアン。

(コースの状態で、言い訳ができないな)

万が一にもコース状況が悪ければ、相手はそれを理由に言い訳にするだろう。

 

(……いや、私も、だ)

勝負で最大の敵は、己の甘えだ――少なくとも、ブライアンはそう考えている。

だから、己を厳しく律するように腹に力を込め程よい緊張感を熟成させる。

 

それから、隣の先輩ウマ娘を横目で一瞥し、天を仰ぎ見る。

黒く美しい髪を靡かせつつ、

「――今日はいい天気だ」

不意に、素直な感想を吐露する。それが彼女の偽らざる気持ちだった。

「……? ええ、そうね」

怪訝に眉を顰める先輩ウマ娘。

突然、天気の話を始めた新入生(ブライアン)は一体何を考えているのだろう? なにか特別な作戦でもあるのだろうか? 警戒するように、先輩ウマ娘がブライアンを観察する。

 

「コイントスはいつでもいいか?」

特に気負うことなく、飾り気のない態度でブライアンは訊ねる。

「ええ……」

少なくとも、妖しい計略を構築しているようには見えない。

 

(たとえ妙な作戦があったとしても、関係ないわ。後輩に、実力差を教えてあげないと――)

先輩ウマ娘は、目を細めて集中力を高める。

 

一方のブライアンは大きく息を吸い込み、右腕を前に伸ばす。

桜貝のように薄い親指の爪にコインが乗っていた。

 

ふたりはスタートフォーム姿勢のまま石像の如く静止する。

……――――ピィン、と甲高い音が上に向かって弾け飛び、青い空へと吸い込まれる。

「「…………」」

 ふたりは、全神経を集中させてコインの行方を目線で追う。

やがて、高速で回転しながら地球の重力に従ったコインはふたりの目前を落ちゆく。

 

 

 …………カサッ、とターフの上に冷光が反射した。

 

 ふたりの耳が痙攣した様に動き、敏感に音を捉える。

 

 それが、合図だった。

 

 

「始まったな」

カチッ、と手元のストレッチを押し、フリートレーナーの大滝耕作は呟く。

 

「トレーナーはどちらが勝つと思われますか?」

隣に立つボブカットのウマ娘が、ふたりの野良レースを眺めながら尋ねた。

 

彼女は心なしか、ふたりの走りに興奮した様子で頬を紅潮させている。

「さぁ? あの上級生のウマ娘はともかく、ナリタブライアン。あいつの公式データはまだ全然ないから分からんな。先行か、差しか、色々と適正はあるだろうが――未知数だな」

耕作は双眼鏡でレースの推移を眺めながら、溜息をつく。

周囲に群れた人垣は「頑張れー」「きゃーーーーー!!」「いけぇえええええ」など、様々な大声が飛び交っている。

まるで、お祭りか暴動のようだな、と耕作は肩を竦めて苦笑いを漏らして、目前のレースに集中する。

 

双眼鏡の丸い視界には、先輩ウマ娘が先行し、それを追うようにブライアンの姿が認められた。

レースは序盤からある程度予想できる形になっていた。

 

(さて、お前はどう戦う? ナリタブライアン)

耕作は、久々にワクワクとした気持ちでレンズを凝視する。

こんな高揚はいつぶりだろう――?

走るだけで、こんなにワクワクさせてくれる奴なんて今まで巡り合ったことがない。口角を釣り笑う耕作の淀んだ目に、微かな生気が宿った。

 

 

(なるほど、確かに噂通りのGⅠ級の実力者だな)

 ブライアンは、走りながら先を行く先輩ウマ娘の背中を冷静な眼差しで見詰める。

 既に第4コーナーに差し掛かっていた。

 

 

 ピュー、ピュー、と笛の音色に似た風が耳元に甲高く鳴る。

 

 その間にも、ふたりの差は広がり始めていた。

(煩い、うるさい、うるさい――)

苛立ちの募った表情で、ブライアンは後頭部で束ねた一束の黒髪を豪快に左右に揺らす。

視界の左側には白い柵が延々と地の果てまで続く。

シューズ越しから足裏に伝わる地面を抉り、土を巻き上げる感触。

奇妙な興奮と、不快感が綯交ぜになった不思議な感覚。

 

 

――――これが、レースだ。

 

 ブライアンは、いま、本当に生きているような気がした。

 

 

 ◇

「ええっ、ブライアンさん良い走りなのに差が縮まりませんよ?」

 ボブカットのウマ娘が可愛らしい声を上げて耕作の袖を引っ張る。

「ああ、やめろ! 集中してレースが見れないっ」慌てた口調で耕作は、教え子に注意する。

「で、でも第4コーナー終わりますよ?」コースを指さして必死に訴えかける。

 

(確かにそうだ――普通であれば、第4コーナーであれだけの距離があればブライアンが勝つことは不可能――だが)

 教え子の言葉に耳を傾けながらも耕作はどこか、奇妙な興奮を覚えていた。

「とにかく最後まで黙って見てるんだ」

 

 

 

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