たぶん、シャドーロールの怪物?   作:はー!

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第8話

肩越しに、

「どうして俺の名前を知ってるんだ?」

 耕作は訝しみつつ、背後に立つビワハヤヒデに尋ねた。

 アンダーリム眼鏡をかけ直し、ハヤヒデは腕組みをする。

「トレセン学園のトレーナーは大体頭に入れてある」

 端然と言い放つ。

 

 マジかよ……、と耕作は呆れたように溜息をついた。数百人以上も毎年入れ替わるレベルのトレーナー名を覚えているだけでも脅威的なのだが、人の名前と顔を一致させ、即座に口に出せる頭の良さにも舌を巻いた。

 

「それで、大滝トレーナーはどうして我が妹――ナリタブライアンがイップスだと?」

「あの失速の仕方――……俺が昔教えてたウマ娘にも同じように不調になっちまったのを覚えてるんだ。それだけさ」苦虫を噛み潰したように答える。

 

「なるほど。それで結局、大滝トレーナーはどうやってそのウマ娘たちを復活させ――」

「いいや、復活なんてさせられなかった。その前に皆……辞めちまった。前途有望な奴らだったよ。……俺は技術的なサポートしかできない。レースの舞台から降りるのは、個人の自由なんだ……」

 憂鬱な目で遠い空の方角を向いた。耕作は強く拳を握り、忸怩たる思いを必死に抑えていた。

 

「……そうか」

 ビワハヤヒデは、頷き目を細める。

「では、その大滝トレーナーの見立てで、我が妹はレースを今後も出来る可能性があるか?」

 核心を衝く質問だった。

 

 ズボンのポケットに手を入れた耕作は、肩を竦めてビワハヤヒデの方に顔を向けた。

「五分五分だ。ナリタブライアン自身が、レースを渇望するなら……あるいは。君の妹さんにお話をしてきてもいいか?」

耕作は先程の曇った表情ではなく、何か腹案のありそうな様子だった。

 

(――この男、何か考えているのか?)

 半信半疑ながらも、ビワハヤヒデの口元に微笑が浮かぶ。

「ああ、ご自由に」

その言葉を合図に耕作は、柵を乗り越えナリタブライアンの元まで小走りで駆け寄った。

彼の後ろ姿を見送りながら、ビワハヤヒデは、

(頼む、何か手立てがあるなら……妹を助けてくれ)

 小さく祈っていた。

 

  ◇

 (どうして、いつも力が発揮できないんだっ……)

 己の右掌を睨みながら苛立ちを紛らわすように、ブライアンは深い溜息をついた。

 白と橙色の飾り紐で後頭部を纏めた髪は、午後の穏やかな陽光を反射し、神秘的な夜の色を湛えた。

 

 「なぁ、ちょっとお話いいか? ナリタブライアン」

  物思いに耽っていた彼女に声をかけたのは、風采の冴えない男だった。

  ヨレヨレのワイシャツ、履き古した黒いスラックスと革靴。無精ひげの生えた顔は、徹夜明けの典型的な疲労サラリーマンを連想させた。

 

 ブライアンは頬を伝う少しの汗を手の甲で拭い、

 「アンタは確か入学式の日の――」

 と、言いかけた。

 「ああ、そうだ! 覚えててくれたのか!? 改めて名乗らせてくれ。俺は大滝耕作。トレセン学園の正式なトレーナーだ」

 咄嗟に、胸ポケットからクシャクシャの名刺を差し出す。

 

 怪訝そうに受け取ったブライアンは、名刺と男を交互に見た。

 「……そのトレーナーが何の用で?」

 「ああ、俺も小細工は嫌いだ。単刀直入に言う。ナリタブライアン、君の……途中で失速した理由も含めて解消させられる手伝いを、俺にさせてくれないか?」

 耕作は、右手を差し出して握手を求めた。

 

 (どういうつもりだ?)

 突然声をかけてきたかと思えば、手伝いをさせて欲しい? 怪しいに決まっている。ブライアンは、下手なスカウトだと直感した。――だから、

 「生憎、そういう勧誘は断っている。それに、このレースで確信した。私はレースを降りる」

 金色の目で耕作の像を映す。その瞳には、悲痛な覚悟が感じられた。

 

 ……そうか、と耕作は頷きながら静かにブライアンの顔を眺める。

 男の濁った黒い目は、何を考えているのか一切分からない。

 「分かったらもう帰ってくれ」

 「なあ、ブライアン。君は普段から鼻の頭は見えるか?」

 「は? 一体なんの話だ?」

 にぃ、と意地悪そうな子供のような笑みを浮かべ、耕作は緑芝に落ちたブライアンの影を踏む。人差し指を出して、ブライアンの高い鼻梁の鼻筋をギリギリ触れない距離でなぞり、鼻頭で指を止める。

 「真剣な質問なんだ。答えてくれ」

 「――見えていないッ!」

 乱暴に手で耕作の腕を払った。本当にこの男は何が目的なのだろう、ブライアンの苛立ちは募る。

 彼女の内心をよそに、気楽そうな耕作は肩を竦めてみせた。

 「そうか……うん、わかった。一度試したいことがあるんだ」

 そう言うと、耕作は柵の方に体を向けて大きく手を振った。

 

 『――おーい、すまんがちょっとコッチに来てくれー!』

 耕作は教え子であるボブカットのウマ娘を呼ぶ。

 遠くの方で「ひょえええ」と驚いている様子から、まったく突然の事態だったのだろう。

 

 

 ◇

 「あの~、どうしましたか?」

 不安げに耕作に呼ばれた教え子のウマ娘は、おっかなびっくり、両手を捏ねながら訊ねる。

 「ああ、すまん。悪いが、リップクリームとテーピングテープ持ってるか?」

 「……? どういう事ですか?」

 イマイチ、耕作の要求する意図が理解できず、首を傾げてしまった。

 あー、と耕作は面倒臭そうに声を上げ、ボブカットのウマ娘に近寄り、不器用な手つきで彼女の小顎を摘まむ。

 「ふぇええええ!! き、急に何するんですか!?」

 突然の行動に、ボブカットのウマ娘は奇声をあげる。

 (ええっ!? なに、どうして? この状況は何? しかも、背後のブライアンさんが変な目で見てくるしぃーーーー)

 顔が火照って、心音がバクバクと煩い。目がグルグルに渦を巻き、変な緊張で尻尾がフリフリと止まらない。

 「お前の唇いい色だな……匂いの付いたリップクリームだよな?」

 美術品を見るような態度と手つきで、耕作が訊ねる。

 「ええ、あはいぃいいい」

 彼女は壊れたロボットみたいに頭を上下に動かし肯定する。

 出走時、時速50㎞以上も出すウマ娘は、目や唇の乾燥に悩まされる。だから、目薬やリップクリームなどは必需品と言えた。

 しかもお洒落にも気を使う年頃だからだろう、色や匂いにも気を付けている娘も多い。

 しかし、男性トレーナーである耕作にはその方面の知識は不足していた。

 だからだろうか? 新たな研究対象を見つけた研究者のように、好奇心に満ちた顔で耕作は不気味に笑う。

 「貸してくれ」低く、渋い声で耕作が要求する。

 「えええっ、ななにをですかぁあああ」

 眼球を素早く左右に動かし、ボブカットのウマ娘は、破裂寸前の心臓を抱えながら聞き返す。

 

 ――……もしかして、唇を貸す? キスを要求しているのだろうか?

 フリフリ、と激しく尻尾が動いた。

 余談であるが、耕作の表情筋は乏しく、喜怒哀楽も分かりにくい。鮮度の落ちた魚のように生気の抜けた彼の顔は、印象に残りにくい。顔立ちはごく平凡であり、なんら人目を惹きつけるモノではない。

 「リップクリーム、貸して」

 耕作は左手を差し出し、不器用に微笑む。

 「えっ――あ、はい」

 シュー、と何かが萎むようにボブカットのウマ娘は、スン、と無表情になって頷く。

 

 

 ◇

 テーピングテープを適当な長さに切り、接着面とは反対側にベリーの匂いがするリップクリームを塗る。

 

 人差し指と中指で切ったテープを挟んだ耕作は、ブライアンに改めて向かい合う。

 「……――次の学内新バ戦。必ず出走してくれ」

 教え子のウマ娘と耕作のやり取りを遠巻きに眺めていたブライアンは、胡散臭いモノを見るように睨みつける。

 「意味が分からない。アンタの言葉の意図が全然理解できない」

 唐突にリップクリームを塗ったテーピングテープを差し出す男。全く意味不明だ。

 耕作は参ったな、と野放図に伸びた頭を掻きながら、周りに首を巡らせる。

 野良レースが終わり、野次マたちも、綺麗にどこかへ消えてしまった。

 残されたのは、耕作とブライアン、教え子のウマ娘、そして遠くのビワハヤヒデ。この場に余計な連中はいない。

 「説明は後でするから、お願いだ。これを鼻に貼って、2000mを走ってくれ」

 陽が傾き始めた時刻――耕作は、真剣な表情でブライアンの金色をした目を見つめ返す。

 「……――一緒に歴史を作ろう」

 普段の耕作ならば言わない、大言壮語を言ってみせた。

 

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