第十六話 BRIAH
「へえ、来てくれたんだ。レンくん」
屋上で寝転がっている香純と、その傍に立つ女──ルサルカ・シュヴェーゲリン。
「ああ。来てやったよ。今すぐおまえぶち殺して、香純を取り戻す……!」
戦闘開始からまだ三十秒も経っていないだろう。
だが俺は確実に、追い詰められていた。
「くッ……このッ」
速度や一撃の威力なら、俺の方がルサルカなんかより強い。これは確かだ。だが奴の手数は俺を圧倒的に上回っていた。
巻き付かれればそれだけで出血するだろう鎖を弾き、相手を見据えた瞬間に視界を覆う空洞──咄嗟に後方へと跳べば、それがアイアンメイデンだと理解出来た。しかし下がったところで毒針が背中に突き刺さる。
「大人しく降参しちゃいなさいよ。
もちろん、レンくんが私の実験に協力してくれたら、だけど」
「だ……れがッ」
こいつの実験なんてろくなもんじゃない。タワーやらで話した時の話に曰く、脳に電極ぶっ刺すとか、非人道的なことばかり繰り返していたと、誇らしげに語ってみせた。
そんなことを嬉々として語れる神経はどうかしている。イカれた奴に俺が屈することなんかできない。
「あなたってメルクリウスの代替なのよね。なら知りたいじゃない。あのクソに足りてわたしに足りないもの。だから貴方を調べるの。
……大丈夫よ、優しくシてあげる」
刹那、目の前で影が立体的に立ち上がった。聖遺物を通したエイヴィヒカイトではなく、彼女自身の魔術。
拷問具の次は、影との追いかけっこだ。しかし相手は影。面制圧においては個人では敵わない。次第に俺の足場は消えていく。
香純だけは無事そうだが、いつまでもこんなチャンバラはやっていられない。アイツが黒円卓なんてやつらと関わりがあるなんて事は、あいつは欠片も覚えていないのだから。今更、俺とルサルカの喧嘩を見せるわけにはいかないだろう。
「ロートス・ライヒハート」
だが。
その一言で、影の動きは止まった。
それは、司狼と一緒にいた女──本城が語っていたこと。
ロートスという単語に反応したルサルカ。当時のドイツ軍人に、そういう名前のやつがいた。
ロートス・ライヒハート。処刑人一族として有名だったらしいが、そいつは何故か遺産管理局にいた。そして、遺産管理局はルサルカも所属していた場所だ。
こいつの渇望、大元にはきっと関わっているだろう男。なんとなくの思いつきで言ってみたものの、想像以上の効果を見せた。
「……おまえの仲良かったんだろ。そいつも、こうやって食ったのか?」
仲良かったとか云々は想像に過ぎない。間違っていたら一発アウトだ。
「そんなわけ、ないじゃない。
アイツはわたしを置き去りにして先に行っちゃったんだから」
いや、本当に想像以上の効果を見せた、のだろうか。
ルサルカの静かな言葉はこれまでの軽薄な笑みや残虐な笑顔とは別種類の“気味の悪さ”が存在している。
いうなればパンドラの匣。なんとなく、ここから吹き出すのは病や絶望といった類な気がする。せめて香純だけは守ろうと駆け出した時、ルサルカの影が俺に迫ってくる。
「この、やろう……ッ!」
それを刃で断ち切ろうとした瞬間。
呼吸が止まった。足が止まった。腕が止まった。全身が思うまま動かない。まるで水底に沈められたように、何をするにも不自由になる。
「
それは、創造位階。
己の世界の顕現。奴の渇望が絶対のルールとして適応される異界。
「
創造位階。それは、自分の世界を作ることだとベルンは語っていた。
自分だけを変える求道、自分以外を変える覇道。その違いはあれど、自分の常識を押し通せるよう世界を歪めることに変わりはない、と。
つまりこれかルサルカの望んだ世界なのだろう。自分以外の足を引っ張り、決して前に進ませない。
「メルクリウスの奴ったら、偉そうに私は絶対に追いつけないなんて抜かしたのよ。でもそうね、わたしは歩くのが遅い。
なら他の奴らの足を引っ張ってやろうと思ったの。文句ある?」
返答すら許されない。食人影は確実に顎を広げているのに、逃げることすら許されない状態だ。
「ロートスってレンくんと似てるのよね。こう、時を経ても変わらないものが好き、的な? なのに本人はどんどん動いて、とんどん進んで、わたしを置いてくの。
なによそれ、バッカじゃない。だから、ねえ、レンくん 」
しかし、影の動きが止まる。一瞬、ルサルカの素が見えた気がした。
今の、今にも泣きそうな顔で俺を見る彼女こそが、或いは───
「わたしと一緒に、わたしのなかで、永遠になろう? 平に、手を繋いで、さ」
その言葉の直後、轟音が響いた。
音源は校門のあたり。
その瞬間、ルサルカの意識はそちらへ向いた。
俺はその隙を見逃さなかった。
「断る!」
処刑刀が閃き、影を切り刻む。そうだ、マリィ──彼女がこんなヤツらに負ける道理なんて無いんだから。俺の信仰と、マリィの地力というやつで、この程度の影は断ち切ってみせる。
そうして虚を衝く形で突撃を開始した俺を、ルサルカは寂しそうに、見つめている。
少し、彼女に同情しかけたことは否定出来ない。別に顔がいいとかそういうことは関係ないが、寂しそうに笑う姿は、今俺の右腕に宿るマリィを彷彿とさせたから。
あいつもまた、取り残されて、一人で煩悶し続けているのだろう。マリィとはまた違った意味で不器用だから、残忍で残酷な黒円卓の団員としての顔を被るしかなくて。
だからこそ、俺はハッキリ言ってやらなければならない。
「ロートスってやつの意見には同意するが、ルサルカの勘違いは看過できない。おまえ、俺らのこと舐めてんのか。
俺たちは永遠になれない刹那なんだよ。──だからこそ、永遠の物に憧れるんだろう。俺たち自身が永遠になんかなれなくたっていいし、そもそも」
俺とやつの、最大限の違いは。
「無くなっても取り戻せるもんなんかにな──価値は無いんだよッ」
一度きりの終わり、限りがあるから止まればいいと思う刹那がある。時よ止まれとは思うが、仮に時の止まった世界が出来上がっても、俺は完全に是とすることは出来ないだろう。
それが俺の答えだ。やがて過ぎ去ってしまう刹那を俺は愛している。
だから、なあ、マリィ。俺たちの
「
迫り来る食人影に刃を振りかざす。
俺はこんなところで負ける訳には行かないから、この影に負けていられない。
俺が倒さないといけないラインハルトは、これの何倍も、何万倍も、強かったのだから。
「
周りの時間が止まったような感覚を覚える。
周囲の時間が遅い、というよりは俺が著しく速いのだろう。すべての動きがスローモーションに見える。俺はルサルカへと疾走して────!
「………あれ?」
ルサルカが首を傾げている。
俺は奴を押し倒すような姿勢で固まっていた。刃は当然、出ていない。
「殺さ………ないの?」
「スワスチカ、開いちまったし」
それは奴の首をはねる直前。
かつて司狼たちが死んだことを悟った時に感じた感覚があった。即ち、スワスチカが解放されたということ。
シスター……いや、その隣にいたでかいヤツが死んだんだろう。何となくだが、そう思った。
「でもレンくんの立場的には、ひとつのスワスチカで二人の団員を殺せちゃった方が得じゃない? 戦闘員は減るし、犬死させられるわけでしょう?」
「うるさい、察しろボケ」
こいつを殺したくなかったのも、何となくだ。今ここでこいつを殺したら、俺は俺が見たあの助けを求める少女を見殺しにしたことになる。
こいつは敵だ。それは分かっているのに、何だかそれは良くないことのような気がして、出来なかった。或いは、マリィと重ねてしまったのだろうか。儚げに笑う少女、周りと一緒に過ごしたいのに、出来なくて、不器用だから、或いは知らないから、寂しいとも言えない。
そういう女という意味で、こいつとマリィはよく似ている。
「なによ、その言い方……。一応、わたしのほうが年上なんだけど? 東洋人って年上を敬う文化なかったっけ?」
「お前みたいのは老害って言ってな。敬う対象にカウントされないんだ。
それに、その、なんだ。
俺の説明は、ルサルカの唇によって強制的に中断させられた。
「もう、普通は男の子の役目なんだけどなー。黙ってろーってキスするやつ」
「別にそう言う気持ちで言ってるんじゃ……んっ!?」
追い打ちにもう1発、今度は舌まで入れやがる。噛みちぎってやろうかと睨み付け、何とか逃げようとじたばたして、それでもルサルカは頑として動かない。
「据え膳食わぬは男の恥、だぞ〜、レンくん。
まあいいわ。今日のところはこんなところで許したげる。わたしを口説いたからには、ちゃーーんと他の怖い怖い黒円卓の連中から、わたしを守り通してねっ」
俺が守らなくてもお前が自衛すればいいとか、怖い団員っておまえはそこに該当しないのかとか、寝返るの早すぎるだろうとか、言いたいことはあったが。
いつも通り妖しげな笑みを浮かべるこいつの、余裕ぶっこいた顔が、少しだけ晴れやかなのに気付いて。
今日のところは許してやるか、と。思ったのだった。
精一杯の恋愛描写じゃーーーっ!
次回辺りに可愛いヒロインたちを書けるように頑張りたい。