「えー、それマジ? ないわ、ないわぁ。ケイタが私のこと好きなわけ? ちょっと勘弁して欲しいんですけどー」
実に可哀想なケイタくんである。せめて天野とか雨野くんじゃないことを切に祈ろう。
朝の出勤時。駅へと向かう小道にて、女は周囲の事もはばからず、大声で友人と電話越しの会話を楽しんでいた。
これが例えば夜ならば、多少は控えたかもしれない。連日続いた首切り殺人もここ最近は起きていないし、多少緊張が緩むのも致し方がない。実際、ここ諏訪原市の住人の100人中90人ほどは、もう、同様の殺人は起きないと安堵していることだろう。殺人犯が捕まっていないことに一抹の不安は覚えるだろうが、曰く暴力団もヤクザも、違法薬物の商人も入り込まない街だ。存在そのものがオカルトチックなこの街で、動きがないということは、もう動くことはあるまいというのが総意だった。
街の暗部に殺人犯は消されたのだ、という噂が囁かれるほどには、街は平和そのものだった。
「えー、もう。どうしよう。思い切ってOKしちゃう!?」
そんな、平和な街、ではあるのだが。
「あのぅ、お嬢さん。ちょっとお話いい?」
残念ながら、惨劇は終わらない。むしろ首切り殺人など序奏に過ぎない。
私が声をかけ、今小脇に抱えている女は、これからこの諏訪原を襲う悲劇のほんの一部でしかなく。より正確にいえば、更なる悲劇を生み出す引き金である。
首切り死体のように見えるならば、まだいい。異常を異常と知れるのだから。だがここからは隠密に。街は何も知ることなく、気づけば刹那に地獄へと落ちるという絶望を知ることとなる。
「…………もしもし、シュピーネさん。ええ、貴方の発注通りの女、捕まえましたよ。──これ本当に、あなたの趣味じゃないですよね? ……ええ、それならば。……ええ、ええ。承知しました。ちなみに、何に使うんです? ………………言うつもりは、ないと。分かりました。ではひとまず、任務を続行します。
レオンはどうなさるおつもりで? あー……やはり。なんというか、彼女は憐れですね。
では今度こそ私は行きますね」
電話を切り、空を見上げる。寒々しい風が吹くが、どこかさっぱりとした青空を。
シュピーネからの依頼内容は以下の通りだ。
10代から20代の巨乳短髪の女を5人くらい見繕って攫ってこい。
肉壁にでもする魂胆でなければ全く意味は分からず、シュピーネの趣味に付き合わされているのでは、とは思ったが。彼が儀式の準備というからには、そうなのだろう。彼は小物だ。私を利用して云々とは思いついても実行できるタマじゃないだろう。
夕方には、依頼を達成した私は海浜公園に来ていた。諏訪原市にあるスワスチカのひとつが此処であり、シュピーネが選んだ場所である。此処で大量殺戮か、黒円卓の何某かが死ねば、スワスチカは開放される。
シュピーネの計画だと、死ぬのはツァラトゥストラだろうか。
なにも、滑稽無糖というわけではない。
エイヴィヒカイトには位階があり、下の位階の者は上の位階の者には基本、敵わない。
聖遺物を得たばかりの藤井蓮は最下層の“活動”位階。シュピーネは黒円卓の中では最底辺の、“形成”位階。形成の上に創造、流出と続くわけだが、それは後ほど。
つまり、位階でいえばツァラトゥストラよりもシュピーネの方が上ということになる。少なくとも、今は、だが。
懸念点としては、ツァラトゥストラはツァラトゥストラであるという点。つまり、副首領代替というものの底知れなさである。常識の範疇を超えた覚醒や、位階などという概念を吹き飛ばす何かが出来ないという保証はない。エイヴィヒカイトを作ったのは副首領たるメルクリウスであり、天才、超人の集いである黒円卓の全員に挫折を味わせた超越的な、それこそ人ではないような存在なのだ。その代替が我々と同じ理屈に当て嵌まるかと問われれば、実に怪しいところだろう。
つまり、五分五分。シュピーネが勝つという保証も、負けるという確証もない中庸。その天秤を傾けるのが、私の仕事だというのだろうか。
「彼女ら、どうするんです」
「餌、ですよ。彼が本気を出すためのね。後顧の憂いがなくなれば、彼も幾分か動きやすくなるでしょう。
ああ、そうですね。……あなた、彼の幼馴染の、ええと」
「綾瀬香純、ですか」
然り、と芝居がかった動きで首肯すると、そのまま―——
「彼女、見つけ出して殺してくれませんか」
言ってはならないことを、ほざきやがった。
「彼女という憂いもなくなれば、彼も安心して戦えることでしょう。これは、我らの悲願達成のためでもあるのですよ。協力してくれますね」
何がおかしいのか、くくく、と笑いながらそんなふざけた指示を飛ばす。
無力でも、力になりたいといった綾瀬香純。男のために、自らの手を血で染めた女。蚊帳の外でいることが嫌で、でも蚊帳の外でみんなを心配して、みんなの帰る居場所になっている、優しい太陽。
そんな彼女に、私もなぜか、救われたつもりになったから。健気な彼女の祈りを、尊いと感じるから。
「なにを戸惑っているのです。はやく彼女を――ぶっへぇっ!?」
気づいたら私は、シュピーネの顔面をぶん殴っていた。
「な、なにをするのですッ、わ、私はツァラトゥストラと交渉を―――」
「抜かせよ、虚けが。綾瀬を殺そうとするような奴とツァラトゥストラが手を組むかよ」
常人ならば数メートルは殴り飛ばせる打撃だが、そこはさすがというか。相手は数歩退いたのみで、頬を押さえて動揺していた。
裏切られることも視野に入れていたと思っていたが、過大評価だったのかもしれない。
こいつはダメだ。思考能力も落ちているし、藤井の気持ちも斟酌できていない。長年生きたことで、魂が死にたがっているのかもしれない。俗にいう、自壊衝動である。
自滅したがっている参謀など価値はない。黒円卓としても、個人的にも、生かしてやる意味はないと断じた。
「…………死んでください、シュピーネさん。あなたの魂で、此処のスワスチカを開きます」
相手の首へと、斬撃のような鋭さをもって蹴りを繰り出す。それを、シュピーネは驚異的な反射速度で状態を反らして躱すとそのままバックステップで距離を取った。
彼は基本的に小心者だ。こういう時に相手の懐に飛び込むという思考がない。ゆえ余計に腹が立つ。その程度の器が、彼女を汚そうなんて驕りが過ぎるだろう。ましてツァラトゥストラ。
許せることではない。
怒りを込めて再度飛びかかろうと地面をけった瞬間。足に違和感があるのに気付いた。
……これ、は。
「ヒャァッッ!」
細い、蜘蛛の糸のようなものが私の右足に絡みついている。気付いた瞬間にそれはぐい、と引き上げられ、私は空中に投げ出される。気付けば他の場所からも糸は伸び、私の志士をがっちり拘束していた。
「くくく、くははははは、ははははははあはははは―――!」
「邪魔くさい」
脆い。脆すぎる。
右手、左手と順に縄を引き千切ってやればそのまま地面に降り立つ。
対して相手はたまったもんじゃないだろう。聖遺物と使用者は一心同体。彼のような、体と聖遺物が同一化する、人器融合型と呼ばれる種類は聖遺物が破壊されれば肉体にも甚大なダメージが及ぶのだ。
「ギ、ギャァァ──ガァァアアァァッッ」
ゆえに、ここに雌雄は決した。ほぼ一瞬の間に、シュピーネは致命傷を負ったのである。この状態から再起できるほどの能力は、こいつには無い。
「まあ、傷は癒してやるよ。これから藤井も来るんだろう。おまえには、その相手をしてもらわねば困る。
彼には、強くなって欲しいんでね」
激痛にのたうち回る相手の頭を踏み付け宣言してやれば、魔術で以てキズの修復をしてやる。これで、藤井蓮との戦闘くらいはやれるだろう。
後は、どうでもいい。踵を返して公園から立ち去ろう。
彼は試金石。藤井蓮が強くなるための駒。あとは勝手にシュピーネが彼を呼び寄せ、彼が話をし、勝手に戦闘になるだろう。
後日──某所にて。
私が捉えた女たちは、この晩に死んだらしい。可哀想だが、そこまで手が回わすつもりは毛頭ない。そもそもこの街全体、儀式で使い潰す予定なのだ。死ぬのは今か後かの問題である。
そして───公園のスワスチカもまた、開いたらしい。大方、ツァラトゥストラが勝ったんだろう。
「ふん、シュピーネもあっという間だな」
「そうねぇ、もうちょっと生き残るもんかと思ったけど」
拝啓、お父さん、お母さん。
私は今、ロリババアとタワーで景観とか眺めちゃってます。
トゥービーコンテニュー
シュピーネさんってなんか地味に存在感ありますよね。