それでも人々は英雄を求める。
興隆四四年。大和。
あの戦いから――三年後。
暮れなずむ蒼天。時刻は疾うに酉の刻を跨いでいながら、日は未だ高く、山に沈むことを拒んでいる。
季節は初夏。
緑眩しい木々は茂り、蒼然たる列によって山林を彩っている。人の手がほとんど加わっていない、自然特有の絶境である。
青々とした山に囲まれた盆地には、背の低い雑草がひしめく草原が広がっている。
その中に佇立する砦には、少数の軍が駐留していた。
山林の蝉時雨は遠く、耳孔に届くか否かの声量のみ。煩わしさは感じられず、時候の風雅だけを与えてくれる。
ここにいるのは動物。
軍人。
だけではない。
奇妙な出で立ちの“武者”の姿もある。
向き合う影の間には、緊張の糸がピンと張り詰めている。
而して相対する数は釣りあいが取れておらず、
片や一騎。
片や軍勢。
孤影の武者は、一見して旭日を背負ったような風貌であった。鉄骨と鋼糸によって繋げられた赤い鎌が放射状に広がっている。
日に相当する部分――体躯は、赫い鎧に覆われ、血を被ったかのよう。
鬼の如き形相を持ち、背には丸みを帯びた筒状の物体を負っている。それが重心を崩すだろうことは想像に難くないが、反して赫い武者は意にも介さぬ立ち姿であった。
佩刀するは、その体躯に見合わぬ太刀と脇差である。凶刃を日に輝かせ、それが持つ鋭利な鋩子は容易く死を招くであろう。
本来ならもっと長大な野太刀があるはずなのだが、それはすでに喪失してしまっていた。
赤き武者に面するは数十の軍勢と、矢面に立つ武者。厳めしい風貌は味方すらも威圧し、恐怖させる迫力を有している。
森林迷彩が施された装甲の下で、驕るように声を響かせたのは、何を隠そう軍隊を率いる隊長格の男であった。
「貴様が噂の赤い武者か。
何条もって六波羅の邪魔立てをする」
自身が背負う看板の大きさを、己が力と過信していることは言うまでもない。
赤い武者は冷然とした態度で答えた。
「……一身上の都合により」
鋼鉄の相貌に見合わぬ可憐な女の声であった。
銀鈴が揺れるような声鳴りは戦場に似つかわしくなく、ゆえに兵士たちに下卑た感情を起こさせる。
――なんだ、女か。
戦闘服に身を包む軍人たちから緊張が解れ、自分たちの勝ちを確信する。その見誤った我褒めはエスカレートしていき、兵たちは妄想を膨らませた。
目の前の女はどんな顔をしているのか。
どんな体をしているのか。
終わった後にどう犯してやろうか。
瞼の裏に投射される、未だ見ぬ女の肉叢に思いを馳せ、欲望を加速させていく。
捕らぬ狸の皮算用、という語を知らぬわけでもあるまいに、すでに彼らの中では、この始まりすらしていない戦闘は終わったことになっていた。
「あの村のためか?」
隊長の投げかけた疑問に、武者は応えない。
「真打の劔冑を持ちながら、わざわざ六波羅に盾突くのか? 風の噂に聞いたところでは、正義の味方をやっているらしいな。
まったく、くだらんことを……。それだけの力量ならば、六波羅に来れば、下女の身だろうと高い地位を得られたであろうに」
同情心が含まれている声は、自身の立場が安泰であるという余裕から来るものだろう。
されど、その屋台骨は俯瞰的に見れば酷く脆い物となっている。六波羅は進駐軍とロシア軍との板挟みにあり、今こそ一時的な休戦状態にあるが、いつまた戦争が勃発するか予断を許さない。
かつて無敵にも思えた六波羅は、進退窮まっている。
岡部党の名もなき軍勢もまた戦火を広げつつあるが、所詮は旗を持たぬ革命軍。かつて正義を自称した“正宗”の名を掲げて進行するも、上々の成果をあげられているとは言い難い。
もはや、この大和の国にどっしりと腰を据えられる勢力など存在しないのだ。
「もう一度、問う。
何条もって、六波羅に――大鳥獅子吼様に歯向かう。
なにゆえ、間尺に合わぬ戦いと知りながら、あの村を庇う!? ろくな褒美も約束されてはおらんだろうに!」
武者は、答えない。
女は、綾弥一条という奇妙な名だった。
綾弥が姓、一条が名。
容姿は生粋の麗人である。ざんばらに切った黒い髪。炯々とした明眸には深紅の瞳を備え、捉えたものを射竦める圧を持っている。整った鼻筋はつんと高く、薄い唇は艶やかな桃色。細面は顎までシュッとしている。
斌斌たる姿は、かつての彼女を知る者からすれば目を疑う事実であろう。かつてのあだ名が「寄るなの一条」であることを知れば、少女時代の暴れっぷりについて語るに及ばず。
まだ十八歳にすら届かない齢でありながら、身に纏うは幽閑のにおい。老兵が持つような隔絶の障りは、他者を寄せ付けない。
これは、彼女と“彼”の信じた正義が激突した――その後の物語である。
――――――――――――――
事の始まりは、昨日。
一条が以前助けた無名軍の人間より依頼を受け、立ち寄ったのは、六波羅に蹂躙された村であった。
馬小屋の方が豪奢とすら思える安普請の中には痩せ細った子供。悪化させた傷を庇う青年。眼に不治の病を患い遠からず死に至る女性。その他、見るに堪えない被害者たちが呻きながら居住している。
それらを眺めるたびに、一条の胸が締め付けられるように痛んだ。いまどき珍しくない光景だが、かといって慣れるわけではない。
「あぁ、お武家様……」
通された先の家で、やつれた老爺が床に仰臥していた。頭は禿げ上がり、白髪が産毛のように生えているのみ。肌は病葉を思わせるほどシミまみれ。すでに半死半生の状態である。
彼の声に覇気はなく、乾いた舌を動かすも空回りし、言葉にするのに多大な労力を要するようだった。
それでも、自ら伝えなければという使命感があったのだろう。
ゆっくりと、亀の歩みのように、老爺は言葉を紡いで頼んだ。
「あなたが……例の……。
どうか……あぁ、どうか……。
あいつらを殺してください……」
骨と皮だけの体に鞭うち、起き上がった。
周りが止めるのも聞かず、枯れ枝のような四肢を使い、叩頭する。
「お願いします……。
お願い……します……」
一条はその憐れな姿を、感情の喪失した目で見下ろしていた。
自分よりもはるかに年老いている、敬うべき人間が土下座をしているという現状に、彼女はあえて能面の如き顔色を留める。
「なにがあったんですか」
一条の言葉に、同道してきた村の男が代わりに答えた。
「向こうの砦に駐留している六波羅軍が、この村で略奪を繰り返しているのです。短時日のうちに、村はにっちもさっちも行かなくなりました。
そして、こちらの弁助さんは、息子を殺され、息子嫁を奪われ、孫を国外に売られました。
……もう、家族は残っていません」
聞いただけではらわたが煮えくり返る話だった。
六波羅が大和を売ってから何度歳月が巡ったか、それを一条はいちいち数えたことはない。しかし、その間も休みなく六波羅による暴虐は続き、市井の人々を抑圧し、苦しめている。
昔の一条ならば矢も楯もたまらず飛び出し、砦の連中を鏖殺していたことだろう。
しかし、今の一条の肚裡に浮かぶ感情はもっと複雑だった。
《御堂、どうするの?》
不意に耳を打った金打声。冷たく、試すような声色。
一条の劔冑――村正である。
仕手と装甲していないときは巨大な化け蜘蛛の姿となっているはずだが、この場にその影はない。
隠れながら、つかず離れず一条の様子を伺っているのだろう。
《また、殺すの?》
何度となく繰り返した、無意味な問い。答えなど両者共に決まっているのに、続けてしまう空虚な会話。
(あぁ……まだ答えを見つけていないからな)
ここにいる誰にも聞かれないよう、一条は声を口に含んで応答した。
仕手と劔冑は超常的な繋がりによって、離れていても意思疎通が可能である。会話すらも、耳を通す必要はない。
傍から見れば、じっと黙っているようにしか見えなかっただろう。村人たちの顔に焦燥が募りだす。このまま見過ごされるのではないかという不安に駆られても仕方ないことだった。
老人は焦ったように話を続けた。
「どうか、お願いします。
この村を救ってください。
息子たちの仇を取ってください!」
「分かりました」
一条は肺腑に沈殿する毒素を吐き出すように、暗々とした声で応じた。――それは、かつて愛した男と酷似する口調だった。
「では、卒爾ながら初めにお尋ねします。
契約の代償について、ご存知でしょうか」
その重苦しい借問に、村人たちの息がひとたび、殺された。覚えがあることは彼らの顔が雄弁に語っている。
「け、契約……」
「はい。
ご説明させていただきますと、あたしが敵を殺すとき、同時に味方もまたひとり殺します。一殺につき、一殺。
これに例外はありません」
死神の宣告は淡々と、条文を読み上げる裁判官のように無感情に続けられる。
「敵方の上官を殺せば、統率の失った軍隊を、明日駆けつける岡部の無名軍が掃討するでしょう。ですので、あたしが狙うのは上官ただひとりです。
もう一度説明いたしますが、あたしは敵を殺した分だけ、味方も殺します。つまり、上官をひとり殺せば、同時にこの村の人間もひとり殺される必要があります」
「で、でもっ!」
「例外はありません」
「うぅっ……」
再度告げられた事実に、村人たちは二の句を繋げられなかった。
「もし、どなたも名乗り出なければ、私はこのまま、おいとまさせていただきます。
決断までに三日の猶予は与えますが、早々にご決断なされなければ、砦にいる六波羅がまた攻めてくるやもしれません。そのことを重々ご留意ください。
それでは、決まりましたらお呼びを」
一条が立ち去ろうと背を向け、
「待ってください」
老人が細い腕を伸ばして、声を上げた。
「わ、ワシの命を使ってください……」