一条は敵の能力を見定め、ある結論を導いた。
(おそらく、生き残りだ……。
戦争を幾度も経験してきた、猛者)
《そんなのが、どうしてここにいるのかしら》
(後ろの兵士。
六波羅の正規軍ではないように見える。
あの大将首が私財によって集めた犬どもだろう)
《じゃあ、あの大将の独断でここに砦を構えているってこと?
おかしな話ね》
(六波羅は自由なんだろうさ。
以前も、鉱山を掘り起こそうとして神に会おうとしたイカれた爺さんがいただろ)
《あぁ……たしか名前は……
長崎右近だったかしら》
(なんか違うような……まあいいか。
あんなやつの名前なんて)
《つまり、あの大将は好き勝手やりたくてここにいるのね》
(そういうことだ)
今回の仕儀に至った理由を探る雑談を打ち切り、死合いに意識を戻す。
互いの距離を間積もり、そろそろ刺撃が届くであろうと見極めた一条は、遊ばせていた刀を肩に載せるように上段へ振り上げた。
合当理による推進力を持たぬ攻撃は、いかに武者の膂力といえども装甲を破壊するには遠く及ばない。かえって弾かれるがオチである。
なれば武者同士の地上での太刀合いは、装甲の隙間を狙うのが上策。首、脇、股間などがそれに該当する。
迫りつつある、激突の瞬間。
一条の臈長けた相好に、緊張の色が走る。
定石ならば真打と数打の劔冑が一対一で斬りあったところで、優劣はハッキリしている。真打とは、鍛冶師が文字通り己の魂魄を注ぎ込んだ世界唯一の絶品であるからだ。
けれど、最近の数打の性能はバカにできない領域に到達している。数打は鍛冶師を消耗せずに作り上げる量産品であるが、外国の技術の進歩は目覚ましく、ただの太刀打ちならば十分に張り合える。
単純性能はほぼ同格。
絶対の違いは、陰義という超常の力のみ。
この果し合いを最後まで正々堂々おこなおうなどという殊勝な考えは、一条の脳裡のどこにも存在していなかった。
格別なことはない。
まだ一条は生きねばならぬ身。
眼前に迫りつつある将は、罪を数えること星を数えるのと同義のクズである。そんな者に礼節を欠いたところで、心根はまったく傷まない。
なにより、敵の獲物は野太刀。
対するこちらは太刀である。
刀身の長さに格差が存在し、それは一刀一殺の太刀合いにおいて致命的な溝を生む。
中身も、片や死線を潜り抜けた大将首。片や戦闘経験こそあれど、まだまだ育ちきらぬ小娘。
ガタイの良さ。身長。腕の長さ。それすらも劣っている始末。
これではどれほど運剣の速度が優れていようと、無用の長物である。
(村正。
このまま斬り合ったとして、あたしが勝てる確率はどれくらいあると思う?)
《半々ってところかしら》
かなり甘めの推量だ。
それでも低いことに変わりない。
(陰義を使う)
《諒解。
タイミングが来たら、唱えてちょうだい》
敵将は適切な斬り間を見つけたらしく、足を止めた。
――否。
ツツツ、とつま先を滑らせている。亀よりも遅い鈍足で、傍目には見えない微妙な距離感をまだ測っている。しかも、ぼうぼうと生える雑草に足を隠し、動きを悟られまいと注意しているようだった。
なんたる歩法。
この男、ミリ、いやマイクロ単位で適切な間合いを見極めようというのか。
あまりにも繊細な動きでありながら、敵将の身体にまったく揺れは無い。双眸は変わらず前へ、一条を射る。
初めて、一条は恐怖を覚えた。骨髄を氷柱が貫いたような、血管まで凍りつく寒気。
敵将は一合で終わらせるつもりだ。
剣閃の到達する位置を把握できなければ、次に一条が見るのは首を失くした己の胴体であろう。
抗敵し得るは猛者である。そのことを念頭に置いていたはずが、見誤ったと言わざるを得ない。
そんな焦りが募りながらも、気息に乱れは生じさせない。
一条の重心は一本の巨木を真似、足から地中へと根を張った。
相手が近づいてくるのならば、こちらはじっと待ち、観察するに留める。眼の有利はこちらに残っている。
敵将が狙うのは先々の先であろう。
つまりは、一条の呼気に隙が生じた瞬間を窺知し、対応すること叶わぬ内に刃旋を振るうのである。
相対して、一条が取れる行動は先の先。そして後の先のみである。
敵将が動く寸毫の間を感知し、最適な一打によって息の根を絶つ。これが先の先。
動きを見た上で攻撃を躱し、刀を打ち込む。これが後の先。
対手に距離を詰めるアドバンテージを取られ、野太刀より短い太刀である一条は、どう足掻いてもそのふたつしか選べない。
(……来る)
妙手たる方途も思いつかぬまま、時は引き返せない域に達していた。
敵将が有効射程距離に入ってきた。一条の首筋を掻っ捌き、肺腑を血で溺れさせることができる間合いである。
しかし、まだ振らない。
これではまだ、一条は体を開いて回避することができる。
(まだ待っているな……)
敵手は刀剣の腹で、確実に一条の首を飛ばす間合いを探っている。
刀剣の、人を斬るのにもっとも効果的な部分――物打ちによって、確かな勝利を狙っている。
それはもはや時間の問題であった。
このままでは絶対に勝てない。そう判断した。
(村正、やるぞ)
《諒解》
相互攻撃の間積めを待つことはできない。
なれば、ここで異変を起こして、敵将から平坦な気息を奪う。
道場試合ならば石を投げつけられるほどの卑怯極まりない殺法。しかし、これは試合ではなく殺し合い。首が落ちれば石も投げられまい。
これより降臨するは、無に勝ち筋を生み出す、理外の業。
(
《――“ながれ・まわる”》
(
呪句に従い、村正は仕手の体内にある磁力を制御した。
身体、関節、神経、その他無数の電気を媒介とする関節稼働部分の機能を円滑にし、人を超えた能力を一条にもたらす。
すなわち、純粋な強化である。
敵将は一条の変化に気づいたのだろう。先ほどまでの鈍足を止め、静観に転じていた。
無論、強者ゆえ機微に大した変化は見られない。
しかし、武者とは内面の揺れを体面に出さぬよう修練しているもの。彼の心情がどのように焦れているのかは、その急な挙措から肚裡を読み取ることができた。
焦って打ってくるか。
それとも出方を見てくるか。
《警戒してるのか攻撃してこないわね。
まあ、そっちがその気なら、
こっちは勝手にやらせてもらうけれど》
(あぁ……)
磁気鍍装・磁気加速だけならば、ただ己の運動性速度を加速させるだけだ。“彼も”常用していた、村正の通常能力。
装甲した者ならば誰でも使える機能だ。
そしてここからが、彼でさえ使うことを躊躇ったであろう、一条の十八番である。
あまり使いたくはなかったが……。そう後悔するも、己と対手の力量差を見誤ったツケは払わねばならない。
(
唱えながら、身体を前に押し出し、太刀を振った。
しかし、それはまるで剣道始めたての門下生が鍛錬で振るうような、とても洗練されたとは言えぬ愚刀であった。
技術も速度もない。いいや、やる気も感じられない。
まさしく剣の道を小馬鹿にするが如き運剣。
敵将は確実に思ったはずだ。
――誘い技だ。
と。
あえて一の太刀で誘いをかけ、相手に先の先を読ませたつもりで振るわせ、余力全てで後の先を放つ。
リーチに欠ける現状では、そうやって懐に潜り込むしかない。これは苦肉の策だ。小娘が、勝てぬと踏んで小手先の技に頼ったか。そう敵将は考える――わけがない。
各地で六波羅を潰してまわっている村正が、そんな安っぽい手に委ねるとは到底思うまい。
だから、敵将は一条が引き返せるタイミングで刀を逆袈裟に斬り上げるだろうと踏んでいる。
(――
瞬間、一条の脳に膨大な電流が流れ込み、神経系のすべてを伝って、眼球から脳にかけて蹂躙した。神経一本一本が熱を持ち、顔貌の奥で炎が生まれる。
これが一条の狂気が生み出した技。脳内にある電気信号の加速である。
本来、電気信号とは必要な分だけが送られるものであり、過剰に送信されればすぐにでも神経が焼き切れてしまう。
それゆえ、下手な使い道はそのまま自殺へと直行する。
けれど、一条が正宗と装甲したときも体現した、異常なまでの自己犠牲の精神。言い換えるならば、自身の肉体の損害を考慮しない立ち回りが、このふざけた技を考案し、実行せしめた。
死を実感し、恐怖をしかと享受する今の彼女にも、これをおこなえるだけの覚悟は残っていた。
使用できる時間はわずか“0.2秒”。
それを超えた瞬間、即、死。
けれど、反射神経までも加速させている一条には、その十倍の時間が与えられている。
とはいえ、それでもわずか二秒。
完全に刀を振り下ろした一条を見て、敵将は勝利を確信したようだった。
――この女、どうやら本物の間抜けのようだ。まさか、本気で今のが全力だったのか? それとも誘ったはいいが、しくじったのか? まあ、この際どちらでもいいことか。俺が刀を振り下ろすまで、この女にできることはないのだ。
彼が高速で導き出した推論はまったく常識的なものである。
しかし、彼は気づいていない。
一条が太刀を手放していることに。
まだ、刺撃によって踏み出した脚が着地していないことに。
「フッ――――!」
介錯でもするかのように、敵将は刀を振り下ろした。
敵味方のギャラリーは「あっ」と声を上げ、一条の敗北を悟る。
一条はそんな周囲の反応にも意識を割かず、明を暗にし、暗を瞑にし、幼き頃に培った技術を再現する。
(吉野御流堂上礼法……)
それは“彼”が使っていた吉野御流合戦礼法の源流。
そちらは武者との戦闘を想定した流派であり、騎航を前提とした技の流れである。装甲の破壊に優れ、武者の衝突時に発生する威力を最大限に利用することを重きとしている。
彼はさらに村正の陰義を活用し、独自に破壊力を増した技をいくつも身に着けていた。
(比翼が崩し……)
一条は違う。
あくまで源流。あくまで人の握る剣の道。
彼ほどの武者の技はない。
だが、いまはそれでいい。
現在、一条がおこなっているのは地上での太刀合い。
人の技が通じる世界である。
(
両方の流れに存在する技“比翼”を土台とする、騙しの一手。
けれど、騙しはあくまで騙し。ただ使うのみでは、熟達の敵将には決して届かぬ戯れにしかならない。
届かぬのなら、届くように世界を変えてみせるまで。
そのために自身の身体能力、反射神経を、自死寸前になるまで底上げしたのだ。
敵将の刀峰が、こぶしひとつの差まで迫る。
――殺った。
そう、確信する彼の目はやっと捉えた。
一条の靴底が、やっと雑草の上に着地したことを。
素手であった彼女が、腰に残っていたもうひとつの鞘に手を伸ばすところを。
時は来た。
(――――
音速で振り上げられた“脇差”が刃風を起こし、
敵将の首を刎ねていた。