・9月1日 ミクロネシア・ファロ島(時間何時?本章中に明らかに)
頬に冷たい空気が当たった気がした。暗闇から引き戻されるように目が開くと、視界がぼやけ、霞んでいる。
目をこすって周囲の状況を把握しようとする。薄暗い空間だが、その向こうは明るく、エメラルドのような色をした海が見える。
ハッとして宏樹は身を起こした。意識が戻って数秒、何がどうなっているかわからなかったが、意識を失う直前の出来事を思い出したのだ。
「気がついたか?」
暗がりから声をかけられ、宏樹は警戒した。岩の陰からマックスが顔をのぞかせたのだ。
「あ・・・あの」
それしか声が出なかった。あれからどうなったのか、ここはどこなのか、頭の中が混乱してしまっているのだ。それに腰の辺りが妙に痛む。そういえば岩につまづいて、派手に転倒したらしいことも記憶の底から蘇ってきた。
「見たところ怪我らしい怪我はなさそうだが、立てるか?」
マックスに言われ、宏樹は膝を立てて立ち上がった。特にふらつくこともなかった。立ち上がってみて、ようやく周囲の様子が把握できた。ここは海辺で、山のようにそそり立っている岩場のすき間、あるいはちょっとした洞穴のようなところらしい。
「あの、みんなは?他のみんなは?それから・・・」
まだ頭の中が混乱している。口にするものの、他に尋ねたいことが言葉で表現できない。
「他の連中は、わからん。山崩れが起きて、とにかく身を伏せるしかなかった。粉塵が落ち着く頃に顔を上げると、お前だけが近くに倒れていてな。運よくオレもお前も踏みつぶされず、助かったらしい。で、とにかく身を隠せる場所をと辺りを見回したら、ここに行きついた。あれほどの図体だ、こんなところひとたまりもないだろうが、少なくとも身を隠すことはできる」
「そんな・・・あれ?オレ、どのくらい・・・」
「どのくらい気絶してたか?おおよそ2時間だ。愛用のiPhoneでも見てみろ」
そう言われ、宏樹はポケットをまさぐった。砂だらけのポケットからiPhoneを取り出す。多少画面にヒビが入っていたが、暗証番号を押すと起動させることができた。14:31だった。ということは、マックスの言うように2時間も気を失っていたのか・・・。
「なかなか目を覚まさないから焦ったが、坊やは船酔いで体力消耗してたからな。無理もない。むしろ熟睡できて身体スッキリしただろう」
言われた通りだった。島に上陸しても不快感は消えなかったが、たしかにいまは調子が良い。そうなると、神鍋や飯島、コンノ三世ら一行はどこへいったのか、心配になってきた。
「おい、むやみに外に出るな」
洞穴から外をうかがおうとした宏樹を、マックスは止めた。
「で、でも他のみんなは・・・」
「だから、わからん。なにせこっちは、意識を失ったお前を保護しここまで連れ込み、いつ目を覚ますかわからず付き合うしかなかったからな。把握しているのは、あのデカブツはオレたちではなく、他の連中を追っていったらしいこと。人間の足跡と、デッカイ足跡があっちへ続いてた。そしてもうひとつ。山崩れのせいで、持ってきた武器や荷物がすべてオシャカだ」
そう言うと、マックスは足元に置いていたアサルトライフル、ドイツ製のG36を拾い上げた。銃身の先が曲がり、しかも砂まみれになっていた。
「ああ・・・これじゃあ、作動不良や暴発も起きるかも」
宏樹が言った。
「ほう。坊やはちったぁ銃の知識があるのか?」
「う、うん。アクション映画見てて好きになって。これって、砂が中に入ったりするとあぶないんでしょ?」
「そうだ。落下してきた岩がぶつかった上、半分以上砂に埋もれてしまった。機関に弾が詰まったり、薬きょうの排出が上手くいかない恐れが高い。拳銃にも砂まみれでなあ、一度分解せんとあぶなくて使いものにならん。付帯の荷物や食糧やらも、岩に潰されてペシャンコだ」
それを聞いた宏樹は、途方に暮れた顔をした。
「こんな状況でもオレ1人ならなんとかするんだが、素人の坊やを連れてちゃあな。安心しろ、お前らが雇い主だから見捨てるようなマネはしないが・・・」
苛立ちもあるのだろう、マックスは腰を落ち着けながら悪態をついた。宏樹はムッとしたが、毒を吐かれようが自分を助けてくれたのはこの男なのだ。文句を口にするのはやめた。
「・・・あの、他のみんな、岩に潰された、なんてことは・・・」
「お前をここに運び込むときに周囲をたしかめた。それはなさそうだ。うまいことあのデカブツから逃げててくれることを祈るしかないな」
薄暗い空間から外の青い凪をあおぎ、マックスは言った。宏樹は自分たちに迫ってきた、大きな生物・・・怪獣のことを思い出していた。
「デカブツと言えば、坊やは日本人だよな。さっきのアレ、ゴジラだったか?」
まるで宏樹が気にし始めたことを読み取ったように、マックスが訊いてきた。
「わからないよ。見上げるほど大きかったから全部の姿見れたワケじゃないし、慌ててたから・・・。それに、ゴジラなんて実物見たことあるワケないよ。オレたちだって教科書なんかの写真でしか見たことないもの」
「そうだろうな。無論、オレも実物なぞ知らん。だが、世界中どこの軍でも、座学の場でゴジラのような巨大生物のことを教わる。オレも居眠りしいしいだったが、ゴジラがどれだけ大きいか、口から吐かれる白熱光がどれほど恐ろしいか、学んできたつもりだ。そしてさっきのアイツ・・・なあ坊や、お前はアレ、ゴジラだと思うか?」
実は宏樹も気になっていたことだった。たしかに姿をキチンと見たわけではないのだが、そして神鍋はゴジラと叫んだが、山の谷間から現れたアイツがゴジラだったのか、宏樹自身確信がなかったのだ。
「んーと・・・はっきり言えないけれど、さっきのヤツって、写真で見るゴジラとは何か違うような気がする。それと・・・いい加減坊やって呼ぶのやめてくんない?オレには宏樹ってちゃんとした名前がある」
宏樹が口を尖らせると、マックスは薄ら笑いを浮かべた。
「そうか。そういえばさっきもお前、ヒロキン?だか呼ばれていたな。良いだろう。なあヒロキン、オレもアイツがゴジラだと断定する根拠がないと思える。仮にゴジラだとして、なぜこの島に?」
「そんなのわからないよ・・・。まあ、日本のエライ教授なんかは、ゴジラとキングコングには闘争本能があって、お互い惹かれ合ってぶつかりあったって・・・」
言いかけて、宏樹は言葉を止めた。
「もしかして・・・キングコングがいるから、ゴジラがここに?」
「どうだろうな。動物学はよくわからん。ま、さっきのヤツがゴジラかどうかもわからん。となれば・・・ヒロキン、これからどうすれば良いと思う?」
まるで試すように、マックスは宏樹をじっと見据えた。
「うーん・・・外出るのこわいけど、もう少し詳しく辺りの様子知りたい。それに、みんなも心配だし・・・」
「賛成だ。オレ1人で勝手に動きたいところだが、足手まといにならないってんなら、ついてこい」
なんだか自分は邪険にされている気もするが、どの道いつまでもこの洞穴に居続けるつもりもない。いま気づいたのだが、宏樹の足元には何やら英語で書かれた容器が転がっている。よく知らないが、どうやら経口補水液らしい。このマックスという毒舌な男、自分が気を失っているときもいろいろ処置を施してくれていたようだ。
マックスは脱いでいたノースリーブのダウンジャケットを羽織った。宏樹の足元にあるのと同じ経口補水液と、カロリーメイトを小さくしたような箱がポケットに差し込まれている。そこからひらりと、何かが落ちた。
「ねえ、何か落ちたよ」
宏樹が拾い上げると、スッとそれを受け取り「ああ、すまない」と顔を背けてしまった。
少しだけ見えたが、写真だった。マックスらしき男性がにこやかに笑っているわきに、アジア系の女性が同じく笑顔を見え、そして赤ん坊が抱かれているのが見えた。マックスは少し気まずそうに、宏樹へ顔を向けることをせず洞穴の外へ向かった。
相変わらず強烈な日差しが、宏樹の瞳孔を狭めてくる。思わずおでこに手を当てて目に影を作る。
とりあえずその場所で辺りをうかがったのだが、崖から崩れてきた岩が浜辺にゴロゴロしており、そしてところどころに、大型の足跡が残されている。
「ヤツら・・・どこへ行ったんだ?」
そうつぶやき、マックスは後ろ手で宏樹についてこいと手招きした。宏樹は黙って従った。
そういえば、ゴジラ(?)が現れる前に、不可解な音がしていた。足音なのか、はたまた唸り声だったのか。いずれも、いまは聞こえてこない。
崖崩れによって落下してきた岩は、宏樹の倍ほどもあるものばかりだった。改めて自身の悪運に感謝を捧げたくなる。
「ヤツらの荷物だ。同じように潰されている」
マックスは岩の下敷きになっているアタッシェケースを見つけた。
「これでみんな丸腰だ。いや・・・ボロロの分がない。持っていったか・・・」
独り言をつぶやくが、そのボロロもどうなったかわからない。
「連中が逃げたとすれば・・・こっち、だな」
マックスは、さきほど辿ってきた道を指した。冷静に考えれば、自分たちがやってきた方向へ後戻りするように逃げ出したのだ。
「どうにか、ホバークラフトまでたどりついて・・・オレたちを残し、本船へ戻ったか。とすれば、迎えにくるかどうかだが」
宏樹はマックスの言葉に、はるか海原を仰いだ。自分たちをとり残し、逃げてしまうようなことは、神鍋も飯島もしないはずだ。だが船の持ち主であるチェ支社長が反対した場合、その限りではない・・・。
「おいヒロキン、オレのあとをついてこい。もしゴジラが出たら、すぐに辺りの岩場へ身を隠すんだ」
宏樹はゴクリと唾を吞み込むと、無言で頷いた。どこへ耳を澄ませても、静かな波打ちと遠ざかった雷鳴しか鼓膜を揺らさない。
「少なくとも、近くにはいないようだな。思い切って上陸地点まで戻るぞ」
マックスの指示に従い、宏樹は海岸線を早足で歩いた。さきほどは体調不良と荷物が多かったこともあって気にならなかったのだが、自分たちは上陸してからさほど距離を進めていなかったようだ。
荷物が軽くなったこともあり、数分で上陸地点へ戻ってきた。ホバークラフト2艘はそのまま置かれていた。そして、慌ただしく幾人かが走り去ったような跡が、砂に残されていた。
「形はどうあれ、連中はまだこの島に存在していると考えて良さそうだな」
縁起でもない、と宏樹は声を上げそうになった。
「だが気になるのは・・・ゴジラだかの足跡が途中から途切れていることだ」
「あっ、言われてみれば」
振り返ると、足跡が大きすぎて気が付かなかった。まるで踵を返したように、足跡は元の場所を目指していたのだ。
「途中で、追うのをやめたのか?」
マックスが疑問を口にしたとき、宏樹は人差し指を口に当てた。
「静かにして。何か聴こえない?」
宏樹の言葉に、マックスは怪訝な顔をして耳を凝らした。
「ブタの鳴き声・・・か?」
「違うよ。これは・・・法螺貝に似てる」
「おい、なんだそれは?」
「法螺貝を吹く音だよ。ああ・・・日本では、昔合戦のときとか、サムライが貝でできた笛を鳴らしていたんだ。その音に似てるよ」
「何を言う。こんなところでサムライが騎馬戦でも仕掛けてくるものか」
宏樹が喩えた法螺貝のような音は、しばらくすると聞こえなくなった。
「気味が悪いな。他にも得体の知れぬ何かがいるんじゃないのか」
「わかんないよ。それにしても、ホントみんなどこへ・・・」
宏樹は途中で言葉を止めた。人だ。
人が、やってきた。
「ね、ねえマックス」
山の頂を仰いでいたマックスの肩を叩いた。マックスは宏樹が指差す方を見た。
「人間、なのか?」
間違いなかった。数人がこちらへ走ってくる。だが濃い茶色の肌に、腰蓑のようなものを下半身にまとったような、いかにも文明を知らない人々だった。
はっきり顔が見える距離まで、相手はやってきた。槍をかかげ、顔は一様に強張っている。間違いなく、自分たちは敵意を向けられている・・・。
マックスは宏樹を守るように前へ出たが、アッという間に囲まれた。多勢に無勢、いかに軍の徒手格闘戦術をこなしてきたマックスといえど、槍を持った10名近くを素手で
相手にできるはずはない。
「あ、あの・・・」
宏樹はなんとかしゃべりかけたが、ものすごい目でこちらを睨んでくる雰囲気に圧倒されてしまい、それ以上声がかすれて出てこなかった。マックスは負けじと睨み返すが、憎悪のこもった視線はまるでそれ自体が鋭利な武器のようだ。
四方から槍を突きつけられた。マックスの身体が反応して強張ったが、抵抗することはしなかった。
相手のうち、髭もじゃの男が顎で山の向こうを差した。ついてこい、と言っているのか。ドン、と背中を押され、生きた心地がしないまま、宏樹もマックスも槍を向けられたまま歩き始めた。