iPhoneを覗くと、間もなく昼に差し掛かろうとしていた。ボー、もといキングコングを探す道のりは一筋縄ではいかず、急な傾斜を登ったかと思えば、しばらくなだらかな道を歩く、といった繰り返しだ。だがなだらかな道といっても南洋の日差しは肌を刺すように熱く、ジリついている。
途中、宏樹と飯島は何度か座り込み、休憩する他なかった。無理をすれば熱中症で昏倒しかねない。設備も環境も充分過ぎるほど整った日本と異なり、言っては悪いがこんな未開の地で倒れては命の保証もおぼつかないだろう。
「なんだあ、2人ともだらしないぞぉ?そんなんじゃ田植えも稲刈りも日が暮れたって終わりはしないぞ」
1人元気な神鍋はココナッツをくり抜いた水筒の水をラッパ飲みしながら仁王立ちしている。
「悪かったなぁ、オレたち都会育ちなものだから」
恨めしげに神鍋を見上げる飯島。彼の場合体力よりも神鍋のいびきによる睡眠不足が原因なこともあり、イヤミのひとつでも言ってやらないと腹の虫が収まらないのだ。
「都会でもマラソンとかジム行って体力作りできるだろー?こういうとき筋肉は裏切らないぞぉ」
だが神鍋はあっけらかんとしており、イヤミや皮肉が通じない。
「とにかく、もうちょっと座らせてよ。ミイラになっちまう」
宏樹は両手を広げ、岩場に寝っ転がった。こういうとき、普段の不摂生が悔やまれる。
「まあまあ、ミナサンのペースで行きまショー」
コンノ二世は笑顔でとりなし、息子の三世もウンウン頷いている。
「日が暮れるマデ村に戻れれば良いんですヨ。あと、もうチョットですかラ」
しかし、と3人は思考を巡らせた。村を出てここまでアップダウン連続の道を延べ3時間。ということは、帰りも同じように繰返しのパターンだろう。となれば、村に着くのは夕刻近くになるか・・・。
「おい、そろそろ行くぞ。こんな野生動物たちの棲家でよくもまあ、呑気に座り込んでいられるものだ」
マックスの棘ある言動に、宏樹も飯島も身を起こした。渋々といったふうに立ち上がり、重たい身体にムチ打って歩き始める。
「相変わらず、イケ好かない奴らだ」
普段冷静な飯島も、マックスの敵意ある言葉に口が悪くなっている。
「しかし、どうしてあんな立派なカメラ持ち歩いてるんだろうね?」
宏樹は不思議そうに訊いた。ブンチャヤが持っているカメラはプロ仕様のハンディカメラで、探検が始まってからずっと撮影している。気になったのは道中ばかりでなく、周囲の山々や木々も撮影していることだ。少なくとも、迷子になったときのために撮影している、あるいは宏樹たちのようにYouTubeに上げるためではなさそうだった。
「それに、あのマックスとかいう男。やけにこの島について詳しい。もしかして、前に来たことあるんじゃないか?」
飯島の言葉に、宏樹は言葉を発することなく頷いた。
「なあヒロキン。連中だが、どうもオレたちの警護以外、何か目的があるような気がしてならない。少し用心した方が良いかもしれない」
「でもさ聡くん、もし他に目的があったとして、オレたちに関係ないことなら別に良いんじゃない?しっかり警護さえしてもらえれば」
「それはそうだけど・・・ヒロキン、ファロラクトンεの調査、忘れてないよな?」
「うん。でもそれは、もう少し島の人に話を聞いて調査探索は明日以降ってことにしたじゃん。今日はキングコングの探索で1日かかりそうだし」
「そう。もしも、だぞ?マックスたちもファロラクトンεの調査に来てたとしたら、どうする?」
「えっ・・・?」
「ただでさえ競争が激しい製薬業界だ。こう考えることもできるんじゃないか?どこか・・・まあ、欧米の製薬会社がスポンサーになって、マックスたちにファロラクトンεのサンプル採取か何か、やらせようとしているとすれば?もしそうだとすれば、立場上オレたちは連中と敵対することになるぞ。オレたちだってスポンサーを大事にしなきゃいけないんだし」
考え過ぎじゃないの、宏樹はそう言いかけたが、口をつぐんだ。飯島の懸念もわかるような気がするし、少なくとも彼らが彼らなりの理由でこの島を訪れたらしきことは、間違いなさそうな気もする。
そんな不可解な相手に命を預けることに、宏樹は急に寒気を感じた。とはいえマトモに尋ねても、すんなりと教えてくれそうな気配もない。
そういえば、マックスが昨日洞窟で落としたあの写真・・・イザというときは、あのことを切り口にできないだろうか・・・そんな考えを巡らせていたとき、先頭を歩くコンノ二世が大きく声をあげた。
「ここから先は崖だぞーォ!ロープ張るから、気をつけて降りるんだぞーォ!」
するとそれまで元気に歩いていた神鍋の足が、急に鈍った。
「アレ?鍋ちゃんどうしたの?」
そう飯島が声をかけても、顔を強ばらせる神鍋。それに顔にはじっとりとした汗が滲み出ている。
「ちょ・・・勘弁してくれよ。こんなとこ降りるなんて聞いてないよぉ・・・」
「えっ・・・もしかして鍋ちゃんて・・・高所恐怖症?」
宏樹がそう訊くと、表情を引き攣らせて頷くばかり。
「ひ、ひ・・・飛行機は大丈夫なんだけど・・・こうもリアルに迫ってくると、やっぱり・・・ねえ?」
なんとか笑顔を作るが、歯はガチガチに閉じられ、目は笑っていないどころかいまにも泣き出しそうだ。
「じゃあ、鍋ちゃんだけここで待ってる?」
「う・・・うん・・・」
だがすかさず、マックスが近寄ってきた。
「こういう場所ではな、全員同一行動が原則だ。ひとりだけ別な行動を取ると、身の安全が保証できないばかりかチームが分裂して全員に不利益な結果が待ち受けることになる。目を瞑ろうが何しようが、歯を食いしばってついてきた方が身のためであり、仲間のためだ」
そんなこと言われても・・・そう言い返そうにも、開けた土地以外は身の丈ほどはある草が聳えている。もしひとりで待機していて、大トカゲや大蛇でも襲い掛かられたら、如何に鍛え抜かれた筋肉を持つ神鍋でもひとたまりもあるまい。
「足場はワリとしっかりしてるヨ。みんなで行けばダイジョーブ!」
コンノ二世がひときわ声を張り上げる。
「鍋ちゃん、こりゃ行くっきゃないでしょ」
「ここぞYouTuber魂の魅せどころじゃないか」
ニヤついて言いながら、宏樹も飯島もiPhoneをむけてくる。この様子を撮影して、あとで編集し動画にアップする気満々だった。
「よ・・・よし、そういうことなら」
やはり、根っからのYouTuber魂がそうさせるのだろう。意を決したように頷くと、顎を引き唾を呑み込んで断崖に近寄る神鍋。
「し、し、し、下見なきゃ、いけるカモ・・・」
へっぴり腰の神鍋を飯島と宏樹でサンドイッチし、慎重に岩場へ足をかけながらロープを伝って降りていく。コンノ親子はもちろん、マックスたちもこうした状況には慣れているのだろう。機材やアサルトライフルを抱えたまま伝い降り始めた。
崖の下からは妙に暖かい風と、時折冷蔵庫のような澄んだ空気が流れてくる。そして、下へ降りるに従って妙な獣臭もするようになってきた。
「動物園って、こんな臭いするよね?」
宏樹が飯島に話しかけた(神鍋はそれどころではない)。
「ああ。もしかして・・・キングコングかな」
そんな会話を交わしていると、やがて麓へ降りられた。降りてみてわかったことだが、崖下かと思いきやそこからさらに崖が地下へ向けて伸びており、学校の校庭ほどの広場となっている部分に降り立ったに過ぎなかった。
「あのう、まさかここからさらに降りる、なんてことは・・・」
もはや恐怖が胃腸を唸らせているのだろう、神鍋が下腹部を押さえながら訊いた。
「ダイジョーブ、それ、ナイ。ここからは奈落。落ちたらまず、助からナイ。降りちゃ、ダメ」
コンノ二世が陽気に応える。マックスはボロロに何かを指示し、ボロロはカメラを崖の底へ向ける。地の底が見えない崖下からは、異様に涼しい風が吹き込んでくる。
「あとは、ココの洞窟歩くだけ。ボーの神殿ネ」
コンノ二世はそう言うと歩き始めた。
「なあコンノパパ。もしも、オレたちが来てキングコングが怒り出すなんてことは・・・」
飯島が尋ねた。キングコングのすぐ近くまで来たことで、よもや、という感情と思考が沸き起こるのは宏樹も同じだった(神鍋は道の傍らに広がる奈落にのみ恐怖を感じているようだ)。
「それ、ナイ。アナタたち行くことわかって、だからアモが先にボーのところへ行ったネ。ボー、他所から入り込んだ人、モノ、警戒する。島、守るため。でもアモがいれば、ダイジョーブ。だからみなさん、ダイジョーブ。大舟乗ったつもりでいるネ」
「そうか・・・しかし、アモはこの崖も軽やかに降りたんだろうか?」
「そう。アモ、目は見えない。けれど、そういう人、すごく感覚鋭くナル。これくらい、ダイジョーブ」
やがて洞窟の奥行きが狭くなると、奈落が見えなくなった。急にコウモリが飛び出してきて一同は身じろいだが、コンノ二世が松明に火をつけるとコウモリは寄り付かなくなった。
「・・・何か、聴こえないか?」
飯島が言った。
「うん。なにか・・・鍋ちゃんのイビキみたいな?」
「おいおい、オレはそんなイビキかかねぇって」
何言ってんだコイツ、という目を神鍋に向けると、宏樹と飯島は足を止めた。手前のマックスが歩みを止めたからだ。
「お前らの言う通りだ。こりゃあ、自然が発する音じゃない。人間の呼吸に似ている」
そう言うと、G36ライフルを持つブンチャヤに安全装置を外させた。
「どうやらアモって娘がいるなら大丈夫らしいが、それでも獣だからな。とはいえキングコング相手に、この銃では太刀打ちできんだろうが・・・」
するとイビキのような音が止み、かすかに唸り声のようなものが聞こえてきた。
「ありゃ、ボーがワタシたちに気がついたらしいネ」
コンノ二世が口を開いた。
「本当に大丈夫なのか?」
飯島が訊いた。
「ダイジョーブ」
コンノ二世はそう言うが、猛獣のような低く重たい音が聴こえると威嚇されているように思えて背筋が寒くなる。奥へ進むと、闇の向こうに陽光が射す広場があることがわかった。だが闇に射し込む白い光の筋に照らされているのは、黒くじめじめした岩肌ではなかった。茶色の蔦のようなものが無数に生えているように見えた。
だが、その蔦が動いた。広場から埃が舞い上がるのがわかった。そして、道の先に輝く、大きな黒目・・・。
突然、洞窟内に大きな咆哮が響き渡った。宏樹たちは力いっぱい耳を塞ぎ、目を瞑る。すかさずマックスが宏樹たちの前に立ち、ブンチャヤがライフルを向ける。
昔、修じいちゃんと一緒に観た「世界驚異シリーズ」の北極冒険回で見たこと、そして聴いたことがある。人間が自分のナワバリに接近したことを察知したホッキョクグマが、仁王立ちしておぞましい雄叫びを上げ威嚇する様子。アレと一緒だった。だがこの咆哮は、あのとき感じた何倍もの恐怖を宏樹に走らせた。
すると今度は、法螺貝を吹くような音がした。島へ最初に上陸したとき、聴こえてきたあの音だ。
「これって・・・」
「アモの笛。これ吹くと、ボーもゴロもおとなしくなる。ダイジョーブ」
顔を強ばらせる宏樹たちと異なり、コンノ二世は陽気だ。さきほどの咆哮を耳にしても、警戒する様子がまるでない。
「さ、進みまショ。ダイジョーブだカラ」
そういうとズンズン進むコンノ二世。だが宏樹たちは当然、躊躇する。
だが言う通り、咆哮は一度きりで法螺貝のような音色が漂うばかり。こちらに向ける大きな黒い目は、次第に険しさを失い、穏やかで優しいものになっていく。
「みなサーン?」
コンノ親子はすっかり、黒目のすぐそばまで近寄っている。勇気が出ない宏樹たちと、職務上彼らを守るべく踏み止まるマックスたち。
「・・・どうする?」
飯島が宏樹と神鍋に視線を向けて訊いた。
「行くっきゃ、ないよなあ?」
高所に続き恐怖が連続して見舞った神鍋は、げっそりと老けたような顔をしながらも答えた。
「・・・いまこそ、YouTuber魂の魅せどころ、だよね」
言いながらも、宏樹はYouTuberであることをだいぶ後悔していた。
「よ、よし、行こう」
「・・・う、うん」
宏樹たちは前に進み始めた。YouTuberとして。
「まったく、だからオレはお前らみたいな文明の申し子がキライなんだ」
マックスはそうボヤきつつも、職務に忠実に宏樹たちの前に立ち、先導してくれる。宏樹たちは昔、静岡県富士宮市郊外の大風穴を探検したときを思い出し、となりのトトロのオープニング曲を口ずさみながらすり足で前へ歩き出した。
とうとうコンノ親子たちのそばに立つと、黒目が遠ざかった。そして人ほどはある鼻を近づけて、宏樹たちの匂いを嗅ぐように鼻をスンスンさせる。ひどい獣臭が漂ってきた。
鼻が離れると、白い陽光に照らされて露わになった、巨大な顔。まだ眉を顰めているが、宏樹たちをまなざす瞳はだいぶ穏やかだ。
「ボー」
そう言うと、コンノ二世は膝まづいた。三世も倣ってしゃがみ込む。
宏樹たちはゴクリと唾を飲み込み、各々のiPhoneを向けた。キングコングの上半身が画面越しにはっきりと映り込んだ。
「これが・・・キングコング」
宏樹がそう呟くと、少し身を乗り出した。神鍋と飯島が手で制しようとしたが、宏樹はかまわず道の際まで進んだ。そこは広場というか、大きな空洞になっており、眼下にキングコングの足元が見える。白い骨が無数に転がり、赤と黄色の液体がところどころに染み込んでいる。
宏樹はiPhoneから目を話すと、まるで旧い親戚に再会したように目を細めた。なぜだかわからなかったが、キングコングを見て修じいちゃんと良太郎おじさんを思い出していた。
するとキングコングは宏樹に顔を近づけた。マックスが宏樹の肩に手を置き、下がらせようとしたが、キングコングの表情を見て手が止まった。
最初に警戒を露わにしたオーラはどこへやら、穏やかで優しい表情で宏樹と向き合っているのだ。身体こそ大きいが、宏樹に危害を加えそうにはとても思えなかった。
また、法螺貝のような音がした。宏樹たちが来た道の少し上方に、別な洞穴があり、そこから亜麻色の髪を靡かせた少女が貝に口を当てていた。
アモだった。
笛を吹き終えると、アモはキングコングに、そして宏樹たちに微笑みかけた。思わず宏樹は手を振ったが、そういえば彼女は盲目であることを思い出して手を引っ込めた。にもかかわらず、アモは穏やかに手を振り返してくれた。
思わず、宏樹は口を大きく開けた。まるで天から舞い降りた女神のような表情のアモに、心臓を撃ち抜かれたようだった。
そして隣に立つ男も、同じようにアモを見上げて口を大きく開けていた。マックスだった。
キングコングはアモに優しい表情を向けると、今度は宏樹たちに向き直った。少し顔が険しかった。それにもかまわず、宏樹はアモに手を振り返した。アモは相変わらず微笑んでいる。また笛を吹くと、キングコングは座り込み、背を崖につけた。穏やかに目を閉じるその姿は、まるで人間の赤ん坊のように素直で純粋そうに感じた。