鬱蒼と繁るジャングルばかり、宏樹がファロ島に抱いていた印象はそんなところだったのだが、この荒涼とした岩だらけの大地を見て、そんな印象も拭われた。だがその一角がもともとそうだったというより、何かの拍子に新しくできたような感覚を受けた。
「22年前の大地震で、ここ大きな地殻変動起きたネ。森がすべてひっくり返って、いまはまだ岩場、ガレ場になったネ」
コンノ二世の解説にも、マックスは神妙な顔をしている。訝しげに思いつつも、宏樹はやや先の窪地に湛わる黄色い池に注目した。
「あそこ、黄色い木の実の泉ネ。黄色い木の実、海の悪魔追い払うだけでなく、島のみんなの源になってル。大地震のあと、どういうことかあそこに泉できて、その泉の水、みんな飲む。これでみんないつもとっても元気いっぱいネ」
コンノ二世がそう説明する。よく見ると、泉の周りだけ蔦が張っており、その蔦に黄色い木の実がなっていた。
「じゃあ、あの蔦に生えてる木の実が、あの泉に溶け出してるの?」
「もしかシタラそうカモ。前から黄色い木の実、あったけど、地震の後だから、大地が裂けたことでいろいろ変わったカモしれナイ」
薬学博士の唐津教授が話していたファロラクトンεは、この泉で間違いなさそうだ。旅の目的を果たせたとわかった宏樹は、急に抱えるカメラの重さを痛感した。
「あれ?」
カメラを下ろすと、泉の傍にアモの姿が見えた。さっき大きなコンドルが現れたときもそうだが、まるで宏樹たちの行先に先回りしているようだ。
「ねえ、アモ」
日本語が通じると思い、宏樹はアモに駆け寄った。少しビックリしたような目をこちらに向けたが、アモは微笑んで宏樹に会釈した。
「宏樹、サン?こんにちは」
初めて会ったときは感じなかったが、彼女の日本語はややたどたどしい。どことなくコンノ親子の話し方に似ているところを見ると、もしかしたらコンノ二世から日本語を教わったのかもしれない。
「あ・・・・そっか、急にごめん」
アモは目が見えないのだ。そんな相手に急に話しかけては、驚かれるのも当たり前か。
「いいえ、ダイジョーブです。声と雰囲気で、宏樹サンてわかりマシタから」
アモは宏樹の方に顔を向けた。
「何でわかるの?」
「目は見えなくても、いろいろなことが見えるんです、ワタシ」
そうはにかむアモに、宏樹は胸をときめかせた。
「ねえアモ、さっきは助けてくれてありがとう。あの大きな鳥を追い払ってくれたんでしょ?」
「ええ。でも、彼は海の悪魔と違って積極的に人を襲うことはしません。彼らはダイジョーブだよ、そう伝えたかったンデす」
「でもさ、その笛だけで島の怪獣たちを大人しくさせられたりできるんでしょ?すごいね、アモ」
「いいえ・・・」
ふいに、彼女は顔を背けた。頬がやや赤くなっているのは、淡い褐色の肌からも窺い知れた。
「ヒロキンさん、ヒロキンさん」
するとやや離れた場所から、コンノ三世が手招きしてきた。
「宏樹サン、アモ、ビックリしてる。落ち着かせてあげテ」
駆け寄ると、コンノ二世が言った。
「アモ、島の中でも神様に近い存在。酋長同じくらいすごい。我々、気軽におしゃべりできナイ。だから彼女、話しかけられるのに慣れてナイ」
「でも・・・なんだろ、やっぱり彼女、どこか親しみあるんだけど・・・」
ふと、思った。良太郎おじさんの娘の真祐ちゃん。彼女も良太郎おじさん夫妻と同じく消息不明だ。まさかとは思うが・・・。
少しすると、アモは黄色い泉の水を壺に掬い上げると、宏樹を一瞥して踵を返した。
「おい、彼女が気になるのか?」
宏樹の肩に、マックスが手を置いた。
「う、うん。ちょっとね・・・」
だがマックスは、宏樹の心情を察してからかい半分に声をかけたワケではなさそうだ。
「ねえマックス。マックスもアモのこと、気になってるんじゃない?」
図星を突かれたのか、マックスは顔色に動揺が浮かんだ。ちょうどチェ支社長が空腹を訴えたので、コンノ親子が昼食の支度を始めたのを尻目に、宏樹は思い切って訊いてみることにした。
「マックス。僕らは君に訊きたいことがあるんだ。まず、僕らより立派な撮影機材を使って、この島を撮影しようとしてるのはなぜか。そして・・・一昨日、島に上陸したときにチラッと見えたんだ。マックスが持っている写真。そこのところ、訊いても大丈夫かな・・・?」
一気にマックスは渋い表情になった。特に、写真の件を切り出したときの表情の強張り具合は顕著だった。
「いや、あの・・・話したくないんなら、ごめん。でも、こうして一緒に島を旅しにきたんだ。オレはマックスたちを一緒の仲間だと思ってる。良かったら、話してくれたら嬉しいな、って」
宏樹はマックスの顔をうかがいながら、一気に喋った。彼だけではない、神鍋や飯島も疑問に思っていることだったからだ(ただし写真の件をしっているのは宏樹だけだったのだが)。
ちょうど、昼の支度を終えたコンノ親子とチェ支社長がフルーツを食べ始めた。彼らの意識は、手に持つ瑞々しい赤いフルーツに向けられ、宏樹とマックスが会話している様子にはさして興味がなさそうだ。
しばらくすると、マックスはじっと宏樹の目を見つめて頷いた。
「ちょっと来てみろ」
そういうと、マックスは宏樹を泉からやや離れたところに連れ出した。よもやとは思うが、触れてはならないところに触れて殴られるかも・・・そうした宏樹の猜疑心は、思い過ごしに終わった。
「これを見てみろ」
するとマックスは自身のiPhoneを取り出すと、何かのアプリを起動させた。
「・・・これは?」
宏樹は目を丸くした。よくわからないSvやらなにやらといった記号の前に、数値がズラッと並んでいる。
「このアプリはその土地の環境放射線量を計測できるアプリでな。この島に来てからずっと、このアプリを使って測定していた。Sv(シーベルト)というのは、人体に影響がある放射線量の値だ。見てみろ、今日この泉を目指すまでの間、ずっと1時間あたり0.5〜0.7マイクロシーベルトを示している。一般的に、世界各地ではこの数値は1時間あたり0.05〜0.2マイクロシーベルトだ。インド・パキスタン国境のように、例外的に1時間あたり3マイクロシーベルトを上回る土地も存在するが、そういったところは天然のウランが豊富に存在する場所だ。だがこのファロ島には、ウランも何も存在していない。これがどういうことかわかるか?」
そう言われても・・・宏樹はピンとこなかった。だが、少なくともこのファロ島は通常より高い放射線量が存在する場所なのだとは理解できた。
「天然の放射性物質が存在しない、ということは、人工的な放射性物質が拡散されたと見るべきだ。そしてこの数値だが・・・いまから22年前、この島では1時間あたり1.5〜3.5マイクロシーベルトが観測されている。まともな国なら、さっさと国民に避難を呼びかけるべき数値だ」
「ちょっと待って、なら・・・いやてゆうか、マックスはこの島に来るのが初めてじゃないの?」
情報が整理できず混乱する宏樹だったが、どこか感じていた違和感が整理できた。やはりマックスは、今回のファロ島上陸が初めてではなかったようだ。
「26年前。オレがオーストラリア陸軍特殊部隊に入隊した年だ。前年にフランスが太平洋の領域で核実験を強行させたことを受け、世界的に核の脅威が高まりつつある機運を、我々軍人は痛感していたよ。そんなときだ。米陸軍デルタフォースとの共同演習をここファロ島にて執り行う、と命令を受けたのは」
あまり思い出したくないのだろう、マックスは手を口に当てた。
「ミクロネシア連邦における軍事侵攻を想定した共同演習、という名目だった。だがどう考えてもおかしかった。フランスの核実験を受けて浮き足立ったのはインド・パキスタンや北朝鮮だ。いずれもその後核保有を宣言する国ばかりだが・・・。そんな緊張感の中、特に資源もなく他国からの侵攻など想定し難いミクロネシアを舞台にした戦争を想定するなど、どうにも不可解だったが、我々軍人は命令を受ければ絶対にこなさなくてはいけないからな。この暑さに僻遠しながら、島への上陸から山岳戦闘まで訓練をしたのだが・・・」
マックスはグッと水を含んだ。宏樹は喉が乾くのも忘れ、マックスの話に聞き入った。
「デルタフォースの連中は、厳重に囲われた棺のような荷物をこの島に持ち込んできた。このように険しい山岳地帯を抱える島を正確に観測するGPSだののたまっていたが・・・いや、もしかしたら彼らでさえ、末端の兵士はそれが何か知らされていなかったのかもしれないな。年に2回、その後もファロ島での訓練が繰り返され、その度に不気味な棺を持ってきては、島のどこかへ設置するのを手伝った。どこかはわからない。荷物運びは手伝ったが、設置場所は米軍の機密事項だかで、同盟国である我々にすら知らされなかった。そして島を離れるころ、なぜか大地が震える感覚を味わった」
「・・・その、棺?ていうの?それはいったい・・・?」
「最初はオレもよくわからなかったさ。地震か、あるいは火山活動なのかと思ったもんだが。あるとき、仲間の兵士が小用だかで、崖下へ下っていったんだ。そうしたらたまたま見たらしい。米軍兵たちが棺を洞穴の中へ運び込もうとしているのを。不思議に思って声をかけたところ、米軍の指揮官が血相変えてこう怒鳴ったそうだ。『さっさと自国の持ち場へ戻れ、この野郎!』ってな具合にな。ソイツは・・・オレと同い年で、仲の良いヤツだったんだが・・・上官にその旨を報告した。母国へ戻ってすぐだ。ソイツが部隊を外され、南極観測隊への異動を命じられたのは。どうだ、誰がどう考えても、米軍がやろうとしてたことはキナ臭さを感じないか?」
宏樹は答えられず、ゴクリと唾を呑んだ。
「翌年だ。ちょうど22年前、ミレニアムだかで世間が騒いでた頃だったな。通例でまたファロ島への演習に派遣された。だがオレは、南極に飛ばされた仲間の言葉を鵜呑みにしたよ。『米軍の奴らはおかしい。もしかして、公にできないことをあの自然豊かな島でやらかしてるんじゃないか』てな。オレも同感だったし、ひとつ内密に調べてやろうと思った。おかげさんで、軍の兵站装備課にも仲間がいてな、オレの考えをオフレコで話したところ、ソイツはこう言い放ちやがった。『ウワサでしかないが、米軍は高性能且つ小型化した戦術核兵器を実用化させた。それはあたかも棺のような黒い箱にカモフラージュさせてるらしい』。そこでオレは、ソイツからガイガーカウンターって放射線測定器をこっそり拝借して、島の放射線量を計ってみることにしたよ」
なんとなく、マックスがやろうとしていることがわかってきた。
「上官や仲間の目を盗んで島のあちこちを計ったところ、どうやらオレたちの想像が裏付けられたと確信した。通常ではあり得ない放射線量だったからな。米軍の奴ら、島嶼訓練の名目で、この島で秘密裏に戦術核兵器の地下実験をやってやがる。そしてオレたちは理由も知らされず、その片棒を担いでいることも理解した。こんな事実をつかんで、オレは上官に報告すべきか考えあぐねたよ。無論、オレの正義感は黙ってられるか!そう叫んだんだが・・・その前年、オレは結婚してな。娘も産まれていた。正直に話して、家族を露頭に迷わせてしまっては・・・そんな懸念と葛藤に苛まれていたときだ。米軍の奴らが、大慌てで逃げてきたんだ。『撤収!撤収!急いでこの島から離脱する!』て怒鳴りながら、な。ワケもわからず、オレたちも島嶼上陸用のホバークラフトに飛び乗り、島を後にした。そのすぐ後だ・・・・島から大轟音が鳴り響き、大きな土煙が舞い上がったのは」
「それって・・・22年前、でしょ?まさか・・・」
「そうだな。よく話に上がるだろ。ファロ島で大地震が発生した、と。だが帰ってからわかった。ファロ島及びその近海では、大地震が起きた形跡がない。どの地震計も地震を観測していなかったんだ。いいかヒロキン、これはオレの推測でしかない。だが限りなく真実だと考えている。どういう理由かはわからんが、米軍の奴らは、通常より浅い深度で核兵器を起動させた。そのため島は、核爆発によって激しい地殻変動が巻き起こり、地形を大きく変えてしまったのだと・・・」
宏樹は二の句が告げなかった。
「そんなバカな、と言いたいか?なら、この島の連中がなぜオレたちを敵視するか、考えてみろ。彼らは以前は友好的でな、道案内や物資の搬送にも協力してくれた。ところがオレたちが逃げ出した直後、島が大きく崩れて環境が激変してしまったんだ。金の髪に青い目をしたヤツらが何かしでかしやがった・・・そう考えても不思議ではなかろう。母国へ戻ったオレは、この件の徹底調査を上へ具申したよ。だがにべもなく突っぱねられた。それでも粘り強く訴え続けた結果・・・内陸のきいたこともないような街の駐在に回されたよ。かえって確信したさ。オレはよほど、痛い腹を探ろうとしてるんだとな。砂漠のど真ん中の街は、シドニーから半日かかる。ある日休暇を取ったオレは、妻と娘を残してシドニーへ出かけたんだ。知り合ったジャーナリストに、この件を話してやろうとしてな。だが、ジャーナリストは現れなかった。携帯に連絡しても出なかった。もしやと思い・・・オレはシドニーを後にした。いつも厄介になってる借家のばあさんが、泣き腫らした目で抱きついてきた。あんたの奥さんと娘が、暴走族に撥ねられて病院に担ぎ込まれたってな・・・・」
ふいに、マックスは寂しそうな目を湛えた。懐から写真を取り出した。以前、宏樹がチラッと見た写真だ。スーツ姿のいまよりやや若いマックスに、アジア系のはっきりした顔立ちの女性、そして2人に抱かれている、目の大きな少女。
「妻のシャオミンと、娘のリサだ。今ではこうして、写真の中でオレに笑顔を見せてくれている・・・」
マックスは写真を懐に仕舞い込んだ。
「妻と娘は、その日の晩に亡くなったよ。意識が戻らないまま。オレは大切な家族を轢いた連中を探し出し、全員顔の形がなくなるまで殴り続けた。奴らの親玉がボソッと言いやがったよ。『オレたちはハメられたんだ』とな・・・。以来オレは、ほとぼりが冷めるまでオーストラリアの奥地に身を隠し、公には行方不明ってことになった。いまの会社を立ち上げたのは・・・まあ、食ってくためでもあるが・・・いつかファロ島を訪れようとする連中がいたら、警備担当として同行し、これまでの謎を明かしてやろうと思ったからだ」
一気にしゃべると、マックスは水を飲み干した。
「すまんな。お前たちの行動を利用させてもらう形になったが。だが、お前たちには感謝している。こんな滅多にない機会を与えてくれた上、島への上陸も果たせたんだからな」
「いや・・・そういうこと、だったんだね。あの・・・いろいろ訊きたいんだけど・・・」
宏樹は慎重に、頭の中を整理した。
「なんだ?」
「その、22年前、なんでアメリカ軍は浅いところで核兵器を使ったのかな?」
「それはわからない。島の連中により詳しく話をきければ良いんだが、こんな状況だ。あるいは、当時を知る島民は限られているんだろう」
「それと・・・あ、いや、なんでも」
宏樹は首を横に振った。マックスがなぜアモのことを気にかけているか、本人に訊くまでもなかった。マックスの娘とアモは、どことなく似ているのだ。もしもマックスの娘、リサが大きくなれば、こんなふうに成長していただろうな・・・・・。