集落が騒がしくなり、宏樹は夢うつつから目を覚ました。陽が昇りつつあり、小屋を編み上げている樹木の隙間から木漏れ日が差し込んでいる。
目をこすりながらiPhoneを手繰ると、時刻は朝7時を指していた。チェ支社長の会社から迎えの船舶が来るのが12時なので、まだ時間はある。だが外の喧騒は、どうやら尋常ならざる事態が起きたらしいことを告げていた。
「おお、起きたか」
小屋を出た途端、マックスと鉢合わせた。反対側の小屋にはコンノ三世が声をかけて、神鍋と飯島を起こしていた。
「ねえ、どうしたの?ずいぶん騒がしくない?」
「ついさっきのことだ。キングコングが怒り狂うようにして海へ飛び出していったんだ」
そう言われても、イマイチピンとこなかった。聞けば、雷が鳴るとキングコングはイキリ立ち興奮するそうではないか。
「そして、だ。朝からアモの姿が見えないらしい」
次の一言で、広樹は事態の深刻さを悟った。
「おい、ヒロキん」
神鍋と飯島もやってきた。
「話はきいたか。どうも不穏な事態になってるようだ」
飯島が言うと、宏樹は昨日アモと話をした小屋へ視線を這わせた。
「宏樹サン、小屋にはもちろん、集落どこにもアモ、いないデス。キングコングのところですか?オトーサンにそう訊きましたけれど、それならばキングコングが海へ入っていったのがワカラナイ、そう話してまシタ」
宏樹が考えていることを読み取ったコンノ三世が言った。
「キングコングは、自分から海へ飛び込んでくことはしないんでしょ?」
「そうデス」
今度はコンノ二世がやってきた。
「ボー、海に入れば海の悪魔・・・神鍋サンが呼ぶエビラに勝てないの知ってマス。お相撲さん、プロレスのリング上がると弱い。ルール違うカラ。同じことです。それでもボー、海を越えようとしている。これが意味すること、なると・・・・」
コンノ二世は固く目を閉じた。
「ま、まさか・・・・」
「アモは、連れ去られたと考えるべきか」
想像はついても口に出すことができなかった宏樹に代わるように、マックスが訊いた。
「その可能性、高いデス。一応、村のみんなでアモ、探してますが・・・」
「しかし、いったい誰がアモを連れ去る?何の目的があって?」
飯島の問いかけは、ショックに打ちひしがれた一行の思考を冷静にさせる力があった。
「・・・そんなのわかんないよ。でも・・・アモって、不思議な力っていうか、人を見透かす能力みたいの、感じるんだよ」
宏樹の言葉に、ピンと来る者は少なかった。
「あるいは・・・アモを餌にキングコングを誘い出すことが目的なのかもしれないな・・・しかし、そうだとすればいったいなぜ・・・」
言いながら考え込む飯島。
「とにかく、アモ探そうぜ。島からいなくなったとも限らないんだから」
じれったそうに、神鍋が言った。
「コンノ二世、チキロ酋長に島民は全員安否が取れるか、いなくなったものはいないか訊いてほしい。島民が何らかの手引きをした可能性もある」
マックスは冷静に話したつもりだったが、それを聞いたコンノ二世は顔を紅潮させた。
「わ、わかりました・・・しかしマックスサン!島の人間に、アモに危害加えようとする人なんか、イナイ!」
「気分を害したのならすまない。だがこうも考えてほしい。アモが自分の意志で海へ出たなど考えられない。明らかに第三者の介在があったことと考えられる。そうなれば、少なくとも島に上陸した誰かの仕業によるものなのは間違いなさそうだからな」
「酋長には訊いてみますが・・・あなたタチの仕業じゃないって保証はナイですよネ!」
コンノ二世は怒りを隠さず、捨て台詞を吐いて酋長の元へ駆け寄っていった。
「マックスサン、オトーサン、すみません。でも、私も島の誰かが犯人だなんて、思いたくナイ」
コンノ三世が言うと、マックスはもうしわけなさそうに両手を上げた。
「うるさいなあぁ・・・いったい何の騒ぎですか?」
するとチェ支社長が、だらしのない腹をボリボリかきながら起き出してきた。昨日気分が良くなってビールをしこたま飲んだのだった。吐く息が恐ろしく酒臭い。
この大事なときに、そう言いたくもなったが、宏樹たちはかくかくしかじか、事情を説明した。
「はあ・・・なんだってしかし、帰る日にそんなことなっちゃったモノだか・・・そういえば、本社から寄越されたあいつら、どこで何してんだか・・・」
汗まみれの後頭部をボリボリ掻きながら、チェ支社長はぼやいた。
「・・・ちょっと待て。支社長、本当にあの2人、今どこにいるんだ?」
「マックスさん、それは私もわからないよ。本社の人間だからって、エラソーにふんぞり返って島中ほっつき歩いたかと思えば、ビールカッ食らって居眠りしたり・・・・」
チェ支社長は周囲が自分を見る目が険しくなったことに気づき、言い淀んだ。
「確認する。あの2人は、朝進グループの本社から派遣されたんだったよな」
マックスが訊いた。
「あ、ああ」
「それは、間違いないのか?」
「そ、そんな・・・だって、本社から来ましたと言われれば、ハイそうですか、としか言えないのが支社の身分だよ。確認なんていちいち取らないモンだけれども・・・あのう、まさか、アモがいなくなったのは、あの2人が原因だとでも?」
「それはわからない。だが彼らが近くにいて、身許が保証できない以上、現時点でもっとも怪しまれる対象だろうな」
ちょうどコンノ二世がやってきて、島の住人はほとんど集落にいる、あるいはキングコングの寝床をたしかめに5人走らせたと報告してくれた。
マックスに怒りを顕にするコンノ二世だが、いまの話をしたところ顔を曇らせた。
「そういえば・・・あいつら良く海岸行ってたな。ギリギリ衛星電話通じる、とかいって」
チェ支社長の言葉に、もはや疑いは強まるばかりだった。
「あの2人、名前は?」
「イとソンだ」
「よし。どうだろう、海岸を探して、その2人に話をきいてみるのは」
マックスの提案に、一瞬怖気づくが、宏樹は頭を振った。
「うん。わかった。みんな、一緒に来てほしい」
「ようし、もしそいつらがアモに何かしたんだったら、筋トレ2時間やらしてやるぞ」
悪く言えば単純な性格の神鍋は鼻息荒く、拳を握った。
「気をつけよう。もしその2人が誘拐の張本人なら、武器を持ってる可能性がある」
飯島は顔を引き締めた。ブンチャヤはアサルトライフルの弾倉をたしかめ、いつでも撃てるようにしている。
コンノ親子を通していまの話を島のみんなに伝えると、槍や弓を持った男衆がついてきてくれることになった。だがもしも相手が銃火器を所持していれば、力の差は歴然である。事実上、ブンチャヤが持っているG36アサルトライフルくらいしか対抗し得る武器はない。
一行が海岸へ向かい始めた。雲の隙間から朝日が顔を出し、島に強烈な日差しが差し込んだとき、一行を追い縋る住人が走ってきた。
「どうかしたの?」
宏樹がコンノ親子に訊いた。
「た、大変ダ・・・」
それっきり、コンノ二世は言葉を失った。
「エライこと、なりまシタ!黄色い泉、崩れ去った!」
コンノ三世が答えた。
「黄色い泉って・・・・まさか、ファロラクトンεの?」
宏樹が訊いた。昨日、足を運んだばかりだったではないか。
「そ、そうデス。さっき、キングコングが海へ向かう前に、泉の方からものすごい音がしたんデス。だからチキロ酋長、たしかめてくるようにって、男衆行かせたんデス。そうしたら、泉ごと吹き飛んで、崩れていたって・・・」
宏樹たちは顔を見合わせた。自分たちが調査、そしてサンプル回収を依頼されたあの黄色い液体、ファロラクトンε。もしかすると、自分たちの想像以上に重要で危険な存在だったというのか・・・。
「これ、泉が吹き飛んだのと、アモがいなくなったことって、何か関係あるのかな・・・」
宏樹が誰にともなく訊いた。
「わからない。だが状況的に、何らかの関係があると考えれば自然だ・・・・」
飯島が答えた。
「ファロラクトンεだっけ?ソイツ、そんなにヤバイのか・・・」
神鍋が頭をかきむしったとき、海岸の方から銃声がした。コンノ親子の報告を聞くべく、宏樹たちは足を止めていたのだ。そして、海岸へはマックスたちが走っていったのだ。
3人とも、黙り込んだ。じっとりした汗が顔ににじんでいくのがわかった。様子をうかがえない島のみんなは半分が怯えた顔で後退り、もう半分は果敢にも武器を強く握って銃声がした方を向いている。
「・・・進もう」
勇気を振り絞り、宏樹は言った。気圧されるように神鍋と飯島が頷いた。もちろん命の危険は感じている。だがそれ以上に、宏樹はアモのことが気にかかって仕方がなかったのだ。
ふいに、足元が揺れ始めた。緊張のせいだろうか。
すり足のようにして音を立てぬように海岸へ向かうと、何かが焼ける臭いがしてきた。鼻の奥に刺さるようなこの不快な臭いは、ゴムタイヤを燃やす臭いに似ていた。足元の震えはさきほどより強くなっている。そこまで自分はビビっているのか、宏樹はそう思い、気合いを入れるべく両頬を叩いた。
黒い煙が漂ってきた。岩陰から海岸の様子をうかがうと、海辺で何かが燃え盛っていた。あれは・・・島に上陸するとき乗ってきた、ホバークラフトだった。
その傍らでは、小銃をかまえた男性が2人・・・間違いなかった、チェ支社長と一緒にやって来ながら、言葉が通じないながらも横柄さと傲慢さを存分に湛えた本社派遣だかの、イとソンだった。2人が銃口を向けているのは、両手を頭に乗せた状態のマックスとボロロ、そしてブンチャヤだった。ブンチャヤの足元には、アサルトライフルが横たわっている。状況から、よくハリウッド映画で目にする「動くな!銃を捨てろ!」と言われた後らしいことは容易に推察できた。
「ああっ!あいつら」
義憤にかられたのだろう、神鍋が岩陰から飛び出そうとしたところを、飯島がすんでのところで止めた。
「ダメだよ鍋ちゃん、あいつら銃を持ってる。君が飛び出たところでどうにもならない」
「だからって!このまま黙ってられるか!」
「ちょっと、声大きいよ!」
3人で押し問答する様子を、島の男たちは何事かと眺めてくる。
「あぶないから、岩陰から出てはいけない」
飯島の言葉を、コンノ三世が忠実に通訳した。
「ちっくしょう、いくら元軍の特殊部隊でも、銃を向けられたらダメかあ」
神鍋は悔しそうに歯ぎしりを始めた。
飯島はスッと顔を覗かせた。
「2艘のうち片方を焼いてるらしい。もう片方で、あの2人は自分たちだけ逃げ出そうとしてたんだろうな」
状況を把握した飯島がつぶやいた。
「じゃ、じゃあ、オレたちを置き去りにするつもりか?」
「そうらしい。それにしても、なんだこの揺れは?」
「えっ?聡くんも感じる?」
思わず宏樹は訊いた。
「ん?ヒロキンも?」
「うん。てっきり緊張で足が震えてるのかなって」
「おいおい、震えってなに?」
「鍋ちゃん、感じない?」
「言われてみれば・・・農作業用管理機かけてるような震えみたいな感じするなあ」
表現が独特だが、どうやら宏樹たち以外、すなわち島民たちも足元の揺れを認識し始めたようだった。
そしてそれは、次第につよくなりつつあった。
断壁から小石がいくつか落ちてくるころには、不気味な地響きが怒り始めた。
「なんだこれ?地震?」
神鍋がつぶやいた。落ちてくる石はだんだん大きくなり、一行は断壁から距離を取った。
突然、大きな咆哮が周囲を轟かせた。
「い、いまのは?」
怯えた声で、宏樹は訊いた。
「ゴロ、ゴロ!」
コンノ二世が答えた。山の向こうにいるであろうゴロが活発に動き始めたのだろうか、にわかに騒がしくなった。今度は空からも、雄叫びが伝播してきた。大きなコンドルが島の上空を旋回し、何かを威嚇するように何度も哭いているのだ。
そしてそれらに呼応するかのように、地響きはどんどん強くなる。
ふと、海岸の様子が気になった。銃を持つイとソンだが、島の中から聞こえる異変に顔をこわばらせている。そんな状況でもマックスたちに銃口を向けたままだが、マックスたちも向けられた銃口より、巨大な獣たちの不穏な動きに神経を尖らせているのがわかった。
ズン!
ものすごい音がして、断壁からスイカ大の岩がいくつも転がってきた。
「ヤバイ!逃げろ!」
飯島が叫んだ。言葉がわからなくても、島のみんなも飯島の発した言葉の意味を理解したようだ。みんなで一斉に海へ走る。さきほどまで宏樹たちがいた浜辺は大小多くの岩で埋め尽くされた。アチラにこっちの様子を知られたようだが、どうやらそれどころではなかった。
軽自動車くらいはある岩が転げ落ちてきて、焼けてないもう片方のホバークラフトを押し潰していた。慌てるイとソンだったが、そのスキを突くように、マックスが動いた。
電光石火、目にも止まらぬ速さで2人に突撃すると、両手を広げて2人の喉仏に食い込むようにラリアットを喰らわせた。たまらず砂浜へ仰向けになり、気道が潰れかけたことで激しく咳き込む。
それでも小銃を手放そうとしていない。マックスはイと揉み合いにあり、激しく砂浜を転げ回る。ブンチャヤとボロロもマックスに倣い、ソンに襲い掛かった。ソンの腕を踏みつけ、銃を離さんとするブンチャヤとボロロ。傍らではマックスの鉄拳がイの頬に食い込み、イはたまらず銃を放り出す。
それを奪い取ろうと手を伸ばしたマックスだが、涙目になりながらもイは腰から短剣を抜き、マックスの背中に突き立てんとする。
「こんのクソッタレええええ!!」
すると神鍋が地響きに負けない怒声を上げた。砂浜を駆け出すと、全身でイに体当たりしたのだ。身長180センチを誇る神鍋は、普段から筋トレと農業でビルドアップされており、全体重をかけた体当たりにイはたまらず弾き飛ばされた。
神鍋のタックルで無抵抗状態になったイに、マックスはヘッドロックをしかけた。一気に力を込めることで、イはたやすく意識を失った。ソンもブンチャヤとボロロに締め上げられ、顔を紫色に染め上げていた。
「いいか殺すんじゃない」
マックスは言うと、ベルトを外してイの両手を縛り上げた。
「大丈夫!?」
宏樹たちが駆け寄った。イとソンは村人に捕まり、縄で縛られ始めた。
「ああ。危ないところだった」
汗を拭うと、マックスは興奮状態の神鍋に顔を向けた。
「良いタックルだった。感謝する」
「い、いや・・・」
冷静になれば、よくもまあ銃を持った相手に突撃していったものだ。神鍋は照れ笑いの下に、動揺を必死に押し殺した。
「それにしても、妙な地震だった」
マックスが言った。
「あれ?収まってる?」
宏樹がつぶやいた。
「本当だ・・・やっぱり地震だったのか?」
飯島が言い終わらないうちに、今度はもっと大きな地響きがした。地面にはじかれるように、宏樹たちの身体は数センチだが宙に舞った。
1度目ほどではないが、似たような地響きが3度、続いた。
「おかしい・・・地震じゃないぞ?」
飯島がつぶやいた。いつも冷静な彼にしては珍しく、顔色が青くなっている。
ふと見ると、コンノ二世が頭を覆ってしゃがみ込んでいる。コンノ三世が父に何かを声かけているが、コンノ二世は聴こえてないかのように震え出した。
「どうした、怪我でもしたのか?」
心配したマックスが駆け寄った。
「違う、そうじゃナイ。オトーサン、さっきから様子が変ですネ」
コンノ三世がそう答えた途端、またも大地が弾けた。島のみんなが驚きの声を上げ、断壁からは土砂が崩れてきている。
そのときだった。宏樹たちの耳に、おぞましいまでの咆哮が飛び込んできたのは。
「お、おい、いまの・・・・」
神鍋が脂汗を浮かばせつつ、つぶやいた。
「ゴロの雄叫びじゃ、ないな・・・」
飯島は相変わらず、顔色が悪いまま答えた。
さらに一度、あの咆哮が響いた。
「ああああああああっ!!!!!」
コンノ二世が絶叫し、砂浜をのたうち回った。
「オトーサン!オトーサン!」
コンノ三世が必死に父を落ち着かせるべく声をかける。
またも、突き上げるような地響きと咆哮が島を揺らした。集落から何人か走ってきて、一行に怒鳴り声を上げた。
「コンノ、なんだって?」
宏樹が訊いた。
「あ、悪魔・・・悪魔が現れた、と」
震えながら、コンノ三世が答えた。
すると大轟音と共に向こうの断壁が崩れ落ち、山を割って何かが倒れ込んできた。ゴロだった。岩まみれのまま雄叫びを上げて転げ回り、海へ雪崩れ込んだ。
そしてそんなゴロを追うように、崩れた山から何かが姿を現した。
「ゴロ、もう一匹?」
神鍋が茫然と言った。
「違う、あれは・・・・」
より近くで、あの恐ろしい咆哮を上げる存在。キングコングやゴロが発する、大きく野太く迫力に溢れた雄叫びなどではない。
恐怖。
その感情に直接作用し、身体を震わせるばかりの、おぞましく恐ろしい咆哮・・・。
それがいま一度、宏樹たちの身体を震わせた。
「・・・・ゴジラ・・・・ゴジラ!!!」
宏樹は、怒鳴った。