・愛知県 渥美半島上空
「中部国際空港より着陸の許可がおりました。あと20分で空港滑走路へ進入します」
貨物機のパイロットがアナウンスしたことで、ファンはまどろみから目を覚ました。同行しているゴロツキ連中はしこたま呑んだビールと焼酎の影響で、すっかり眠りこけている。
舌打ちすると、ファンは客人である南国の美女に目をやった。追加で打った薬の影響か、相変わらず首をもたげてぐったりしている。
大きく背伸びをしたが、固い座席のせいで満足にリラックスできない。まあ貨物機なので、旅客機のような快適性は望むべくもあるまい。
だいたい、予定通り進めばとっくに名古屋へ到着しているはずだった。ところが日本の中部地方に大型の台風が接近しているということで、貨物機は途中給油のため着陸したフィリピンの朝進グループ拠点で概ね8時間の足止めを喰らってしまった。
台風は日本の中部地方を北進、日本海へ抜けつつあるという情報を受け、貨物機は現地時間の7時過ぎにフィリピンを離陸。およそ5時間かけてようやく日本上空に達した。
台風による欠航の影響は現在も続いており、着陸待ちをしていた商業便を続々と着陸させる都合上、3回ほど知多半島上空を旋回して着陸待ちを行い、ようやく許可が下りたのだ。
本来なら昨夜のうちに名古屋へ着陸、そのまま隣にある飛鳥村の朝進グループが保有している倉庫へアモを運び込み、サンプルとなる血液を採取し終える頃には朝を迎えているはずだった。
こうなれば致し方あるまい。当初予定していた本国への帰還ルートはもう間に合わないが、ここはスマホの電波もまともに入らない南洋の孤島ではない。海路でも空路でも、韓国へ戻る手段はいくらでもある。そう割り切り、とにかく早いところ仕事を終わらせて、このワケのわからないゴロツキどもと離れたい気分だった。
着陸へ向けて高度を下げているのか、次第に耳が詰まってきた。白い灯台が印象的な、伊良湖岬が視界に飛び込んできた。激しく白波が立っており、波が岸壁にぶつかると白い飛沫となって弾ける様子が、この高度からでも見て取れる。
睡眠を貪っていたが、どうやら台風一過の影響か、灰色の厚い雲が空を一面に覆っている。この気圧の影響で鼓膜を圧迫する圧が強く、唾を飲み込み少しでも耳抜きをしようと努める。
アモも強烈な気圧のためか、顔をしかめ気味だ。ここで目を覚まして暴れ出すことはないか、ファンは通路を挟んだ彼女に視線を送り続けた。高度は建物の輪郭が見えるほどに降下しており、わずかばかり窓から見える先には、中部国際空港の誘導灯が輝いている。
ややあって、白い飛沫を上げながら輸送機は中部国際空港に着陸した。よほど後がつっかえているのか、静止したと思ったら即座に貨物機の誘導路へと回された。飛行中は気がつかなかったが、細霧のような雨が空気を支配している。貨物エリアに誘導されると、すぐさま空港の職員から入国・税関手続きが行われた。人間以外荷物のないファンたちは入国手続きはさして時間はかからなかった。
唯一、意識を失ったままのアモだが、組織が用意した偽造パスポートの精巧さと、飛行機酔いによる体調不良を理由に手続きを押し通すことができた。そこから旅客ターミナルへ進み、あらかじめ待ち合わせの打ち合わせを行なっていた現地の協力者と合流した。
いずれも金田と木村と名乗り、口数少なくファンたち一行を駐車場のハイエースへ案内した。ファロ島より同行しているゴロツキどもは手配していた別のレンタカーに乗り込み、都合2台で飛鳥村の倉庫を目指すことになった。雨は止んだが、台風通過後の生暖かい風が強く、高速道路から見える伊勢湾は波がずいぶんと高い。
金田も木村も、くっついてきたゴロツキとは異なり、饒舌さは鳴りを潜めて必要以上にしゃべることはしない。てっきり組暴の連中が手配されているのかと考えていたが、どうも日本の反社会的勢力を構成する者たちのようだ。
そういえば、とファンは記憶を掘り起こした。日本の反社会的勢力は、朝進グループや組暴と強い結びつきがある、とかつて軍の同僚から聞いたことがある。おそらく彼らもそのツテを辿ってきたのだろう。
ハイエースは空港道路をひた進み、東海ジャンクションまであと7キロの表示が見えた。ここから伊勢湾岸道へ出れば、目的地までそれほど時間かからず到着できる。
助手席の金田が車載テレビをつけた。ファン自身は日本語を話すことはできるが、読み書きはできない。それでも、テレビ画面は何やら物々しく深刻そうな雰囲気を映し出していた。
『それでは重沢先生、グアムを壊滅させたゴジラは日本を目指す公算がお強い、とお考えなんですか?』
前のめりになっている司会者が、スーツを着た聡明そうな男性に訊いていた。
『はい。というより、戻ってくる、と申し上げた方がよろしいかもしれません。動物には、帰巣本能というものがあります。この本能に従うと、ゴジラはまず間違いなく、この日本を目指してやってくると考えるべきでしょう』
『いやあね、重沢さん。あなたの発言で日本は大きな混乱が起きてしまいますでしょ。それは本当に、確信があってのことなんですか?』
メガネをかけた、気難しそうな壮年の男性がスーツの男に訊いている。
『はい。ゴジラは過去3度とも、出現後この日本を目指してやってきました。今回も、グアムを襲撃後太平洋を北上するところまで確認されております。米軍の懸命な探索にも関わらず途中で見失ったそうですが、状況的にも日本を目指していることは明白と考えております』
『状況証拠でしかないじゃないですか。困りますなあ、もしこれでゴジラが日本に上陸しなかったら、あなたはどう責任を取るおつもりですかな?』
『如何ようにも。むしろ、私が「ゴジラは日本に来ません」とでも宣言した方が、みなさん慌てずに済むかもしれませんが、それでゴジラが日本に上陸した場合こそ、考え得るもっとも最悪なケースでしょう。私は有事危機管理の専門家ではありませんが、最悪を想定した備えはいまから用意しておくべきだと考えてます』
『詭弁ですなあ』
苦笑いをするメガネの男だが、司会者と傍の女性は深刻な表情だ。そこへ何かの紙を持ってきたスタッフが映り込むと同時に、テレビ画面にテロップが入った。
『え、ここでニュースが入った模様です』
『報道フロアよりお伝えします。安住さーん?』
『はい、報道フロアです。ただいま臨時ニュースが入りました。さきほど中部地方の台風による高波を警戒していた海上保安庁からの情報によりますと、渥美半島沖合に巨大な生物と思われる正体不明の物体を確認したとのことです。えー、渥美半島の沖合に、巨大生物と思われる物体が確認されたとのことです。この発表を受け、徳間官房長官より、海上自衛隊に対し海上警備行動を発令すべく緊急の閣議が招集。また官邸危機管理センターに官邸対策室が設置されたとのことです。またこの物体が、果たしてグアムを蹂躙し行方不明となっているゴジラなのか・・・・・』
ふいに、金田がテレビのボリュームをしぼった。
「おい、どうしたんだ?」
「間もなく料金所だ。この女が目を覚ましてはまずい。刺激を最小限にする」
金田が答えた。たしかに、先にゲートが見える。ゲートを潜るべく、ハイエースは原則した。
「チッ!」
運転席の木村が舌打ちをした。
「ETCゲートが閉鎖されている。こんなときに」
ハイエースは有人の窓口へ進路を切った。折からの悪天候とゲート縮小により、車が列をなしている。
やがてハイエースが料金を支払う番になった。木村は窓を開け、ETCカードを係員に差し出す。早いところ進ませてくれ、そうため息をつきながら、隣の席のアモと目が合った。目が合った、のだ・・・。
アモの拳より早く、ファンはアモの首に手を回した。声を上げられないようにするためだ。ところがアモは渾身の力でジタバタと暴れ出した。
ハイエースはフルスモークで車内は見えないようになっているが、異変を感じたのだろう。料金所の係員が怪訝な目を向けてきた。
「なんでもない、なんでもないから!」
木村が慌てて言うが、それだけでは係員の疑念は払えないようだ。
「大丈夫ですか?なんだか車、揺れてますがね」
「サスペンションの故障だ。ほら、早く」
首を傾げながらも、係員はカードを返してよこした。アモを必死で抑えながら、ファンは気が気でなかった。料金所にパトカーが止まっており、警官が2人、乗り込んだところだったのだ。
ジタバタするアモをがっしり抑えながら、どうにか注射器をつかむと、やや乱暴にアモの腕に刺した。薬の効果は早く、2分も経たずアモはおとなしくなった。
「世話を焼かせやがる」
思わず母国語でつぶやいた。こんなジャジャ馬娘、さっさと血液サンプルだけ採って、海にでも投げ込んでやろう。
車は名港中央大橋に差し掛かった。そこへ、さきほどのパトカーがハイウェイパトロールを伴ってサイレンを鳴らしやってきた。
「まさか、バレたのか?」
ファンは拳を固くした。だがパトカーもハイウェイパトロールも、ハイエースを追い抜いて走り去ってしまった。
「事故かな?」
木村がつぶやいた。その頃には湾外方面からヘリコプターも飛んできた。
「海上保安庁?なにか言ってるぞ?」
金田がパワーウィンドウを下げて窓を開けたときだった。海面が盛り上がりながら、こちらに近づいてくる。それは橋の支柱部分で大きく爆ぜた。
ファンたちの目の前に、大きく開いた口、そして歯が現れた。一拍の間を置いて、車が揺れるほどの大音量。動物の咆哮だった。そして、明らかに怒りを帯びている。
橋の支柱を、毛むくじゃらの手が握った。橋が大きく揺れて、ハイエースは急ブレーキをかける。
「・・・キングコング!」
ファンはかすれた声で、目の前に現れた存在の名を口にした。
「バカな・・・機雷が通じなかったのか?」
ガクン、とハイエースが揺れた。大きな足が、橋に踏み込んできたのだ。そして、ハイエースをギラリと睨みつける、茶色い瞳。なぜここにキングコングが現れ、何をしようとしているのか・・・答えは決まっていた。
「出せ!車を出せ!」
声を振り絞る勢いで、ファンは怒鳴った。ハイエースは弾かれるように発進した。橋上で急停車した車と、車を捨てて逃れようとする人々をかわし、一気にスピードを上げる。だがキングコングは次の支柱に飛び移った。橋が上下左右に大きく揺れ、ハンドルが持っていかれる勢いだ。
走り抜けるハイエースに、キングコングが手を伸ばす。間一髪逃れたが、後ろを走るゴロツキたちのレンタカーがキングコングの手中に収まった。中を覗くが、目当ての対象がいないと悟ると、キングコングは悲鳴をあげるゴロツキたちごと、レンタカーを海面に放り捨てた。
橋をぬけて時速140キロで爆走するハイエースだが、なんとキングコングは追ってきた。埋立地の倉庫やその先のレゴランド・ジャパンを走り抜け、大きく吼えながらハイエースを逃すまいと迫ってくる。
必死に走っていたが、西大橋を抜けて名古屋競馬場に差し掛かった辺りで急ブレーキを踏んだ。混乱のあまり衝突事故が相次ぎ、道路を塞ぐように立ち往生していたのだ。
「車と女を捨てよう!」
こうなれば致し方ない。ファンはそう言ってスライドドアを開け、薬で眠るアモを引きずり出した。木村と金田も車を出ようとしたが、すんでのところでキングコングに車ごと持ち上げられた。
そこでファンと目が合った。アモを下ろしていたことを悟ると、木村と金田が乗ったハイエースを苛立ち気味に地面へ叩きつけ、ファンへ向かって怒りの雄叫びをあげた。
ファンはアモを地面に放ると、一目散に駆け出した。だがキングコングはそんなファンを赦すことはしなかった。左手でファンをつまみ上げると、怒声を浴びせるように吼えた後、勢いよく海面へ投げ捨てたのだ。
仇敵を葬ったキングコングは、ゆっくりと倒れているアモに寄った。右手でアモを優しく握ったが、反応がない。再会と困惑に大きく吼えたキングコングは、アモを握ったまま海を渡り、その先にあるナガシマスパーランドに腰を落ち着けた。