・8月30日 19:40 東京都大田区 羽田空港第三ターミナル
「それにしても、こんな時間に飛行機乗って外国行くなんて、なんかワクワクするよね」
ビジネスクラスの搭乗手続きを終え、3人そろったときに神鍋が話しかけてきた。夜の空港ということだが、人は多い上に一日が終わる頃に漂う、蛍の光が流れそうな雰囲気はない。
「羽田だとオセアニアへ飛ぶ便は、たいていこの時間帯なんだよ。こちらを夜出発すると、現地には早朝に到着できて時間を有効に使えるのが良い。それにオセアニアは日本と時間帯がほぼ同じだから、時差ボケが生じることもない。旅行のしやすさでいえばダントツなんだ」
既に飯島はiPhoneを片手に撮影を始めている。出発の様子を自身の動画に上げることも多いため、彼にとって仕事はもう始まっているのだ。
「へえ~!実はさ、オレ海外旅行初めてなんだよね。メッチャ楽しみになってきた」
出発前にビールを嗜んだこともあったが、唐津教授からの宿題で意気消沈気味な雰囲気を打ち消すべく努めている部分もあるのだろう、神鍋は終始楽しそうだ。
「すげぇー!夜なのにあんないっぱい飛行機並んでるよオイ」
保安検査場のすきまからわずかに見える滑走路に、神鍋は目を輝かせている。この時間の羽田空港の様子をリポートするのに忙しい飯島と、やはり浮かない顔が晴れない宏樹。そんな宏樹に気を遣い、二宮がいろいろ話しかけてきてくれる。
「ヒロキンさんは、この様子を動画撮ったりしないんですか?」
「う~ん、聡くんが撮影してるし、オレはまあ、今はいっかなって・・・」
話している傍ら、テンションが上がった神鍋もiPhoneで空港の様子を映し始めた。
「よぉーし!この様子shortで上げよう!」
などとはしゃいでいる。最年長なのに何やってんだよ・・・そんな醒めた視線を送る宏樹。
「ヒロキンさん、いろいろお願いごとしちゃいましたけど、パシフィック製薬を代表して・・・あと、みなさんのファンを代表して、私が一番応援してますから」
「ははは・・・ありがとうございます」
乾いた笑いは、気持ちがこもっていないと二宮に伝わったようだ。愛想笑いこそ返してくれたが、お互いぎこちない雰囲気が漂う。
「2人とも、そろそろ行こう」
テンションが対照的な宏樹と神鍋に、飯島が声をかける。フライトは22:20なのだが、今回ビジネスクラス利用であるため、ラウンジの様子をリポートしたいという飯島の希望もあり、早めに出国手続きをすることにした。
ファロ島探検の旅は、乗り継ぎ地であるオーストラリアにおける所要時間を含めて7日間取っている。だが現地の事情や天候悪化等の事情を加味し、ビジネスクラスでチケットはオープンとした。
「じゃあ、行って参ります」
神鍋が挨拶すると、見送りに来ている二宮と太田も頭を下げる。
「おお~い、鍋ちゃーん!」
ふと、遠くから声がした。
「鍋ちゃーん!間に合ったぁ!」
少し一張羅な格好をしたじいさんばあさんたちがやってきた。
「おお!小林さんに剣持さん、内海さんらも!」
神鍋の顔が一気に綻んだ。
【いってらっしゃい!気つけて戻らんせ 聖篭の星、鍋ちゃん】
まるで出兵前の兵士を見送るかのごとく、横断幕を掲げる老人たち。どうやら神鍋と一緒に稲作に励んでいる地元の農家さんたちのようだった。
「鍋ちゃん、あんた身体に気ぃつけなぁせよ!」
「怪我なんかしたら、ばあちゃん泣いちまうがーてよ!」
「おら鍋ちゃん、ちゃんと稲刈りまでには戻ってくるんろ!?」
じいさんばあさんらに囲まれ、神鍋は少し涙目になりながら「大丈夫!南の島で元気もらって帰ってくるすけよ~!」とみんなと握手している。
「なんか政治家みたい」
おかしそうにはにかむ二宮がつぶやいた。
保安検査場前で別れを惜しむ神鍋。ふいに宏樹は、飯島の姿も見えないことに気が付いた。
飯島は少し離れたところで、スーツ姿の男女に並ばれ、いろいろ話をされていた。
「飯島さん、どうかお気をつけて」
「次回旅立たれる際には、またのご利用をお待ちしております」
どうやら、JAL、ANAを筆頭とした航空会社の職員が見送りにきてくれたらしかった。交通系YouTuberとして飯島のリポート能力は業界でも定評があるらしく、現役・退役した航空会社スタッフが動画に登場することもある。
それぞれ見送りに来てくれる人々がいる中、宏樹は気まずそうな表情の二宮と太田に気が付いた。
「ああ、じゃあ、僕はこれで」
適当に頭を下げ、先に保安検査場を通過することにした。
ファロ島へ冒険の旅に出る、という告知動画を出したところ、たしかにファンからのリプライはあった。
『ヒロキン気を付けて!』
『空港に見送りいきます!』
そんな声が多数だったが、実際はこれが現実だった。宏樹を見送ってくれたのは太田と二宮くらいだった。実の親も、来なかった。いや実の親は別に良いのだが・・・。
それから時は過ぎ、フライトの時間を迎えた。ビジネスクラスラウンジの様子をまとめながらワインを愉しむ飯島に、おばあちゃんたちからもらったおむすびを頬張る神鍋。宏樹は動画のコメント返信で時間を費やした。
『誰も見送りにきてくれなかったよw』
自虐的にTwitterへ投稿したが、その件には触れず、『気をつけて』『キングコングによろしく』『飛んで火にいる夏の虫』←アンチ といった当たり障りないコメントしかつかなかった。
今回は飯島の推薦でカンタス航空という航空会社を利用することになった。オーストラリア籍の航空会社で、オセアニア各地に便があるため、乗り継ぎの利便性を考慮した結果らしい。サービスも日系航空会社に引けをとらない、と太鼓判も押している。
はじめてのビジネスクラスに神鍋は興奮しきりで、離陸後早速ビールを注文しまくっている。おばあちゃんたちからおむすびや漬物を大量にもらったらしく、ラウンジであれほど食べたにも関わらず飽くことなくおむすびをパクつきまくっている。
神鍋とは若干離れているが、飯島とは通路をはさんで隣りあわせだ。宏樹はアテもなくスマホを手繰り、知り合いのYouTuberである高畑敦也が上げた最新の動画にたどり着いた。
『はいどうも。日本時間でこんばんは。ドバイ時間でも、まあこんばんは。いやこんにちは。高畑UNIVERSITYです。本日はですね、先日国会でも議論が紛糾した、日本の核武装について。先刻の北朝鮮による軍事行動以降、日本国内でも抑止力として核武装を議論すべき、という声が高まってますね。まあ、マスコミも国会も議論すらタブー視するものだから、高まる声を掬い上げられないんですけども・・・。これはね、僕の私見です。日本はね、核武装をすべきです。断言します、核武装、しましょう。日本の周辺情勢に目を光らせてみましょうか。ご存知のように北朝鮮。依然軍事的脅威ですね。中国もです。もちろん中国も。これらはいずれもですね、核保有国です。核保有国に対抗するには?核しかありませんよね。ですけど、日本の場合他国への牽制以外にも事由があります。それが、60年前に日本に上陸し、東日本を縦断した怪獣・ゴジラです。キングコングとの戦いで相模湾へ沈んで以降、どこにも現れていません。ですが、ゴジラが死んだという確証もない。そして、みなさんご存知ですかね、城南大学の重沢博士。ゴジラには、帰巣本能がある、と論文を発表しています。もしどこかにゴジラが存在していた場合、帰巣本能に従って戻ってくる場所はどこか?言わずもがな、日本ですよね。で、60年前に比べて自衛隊の装備はかなり進化しました。そのうえ、ゴジラは電気に弱いとされたことを前提に、自衛隊内でも再度ゴジラが日本へ上陸した場合を想定し、高電圧による撃退計画が練られていることはかねてより語られています。ですが、もしもその作戦でゴジラを退治できなかったら?ゴジラを確実に抹殺するには?そのときこそ、日本が保有する核兵器を使用すべきなんです。核兵器保有に関して、慎重論や反対論もありますね。しかしこれらは・・・』
イヤホンで視聴していたところ、隣席の飯島に腕を軽く叩かれた。宏樹はイヤホンを外すと、飯島に向き直った。
「高畑くんの動画、好きなの?」
供されたワインを口にしながら、飯島は訊いてきた。
「うん。いろいろ勉強になるし」
酒が飲めない宏樹は、アイスコーヒーを手にしている。
「そうだな。勉強になることは間違いないだろうけど・・・オレは高畑くん、嫌いだな」
飯島は忖度ということを知らない。はっきり告げられ、宏樹はムッとした。
「語る内容は理解できる。でもそれらは、他の誰かが語っている内容の焼き直しなんだ。彼じゃなくても聴ける内容ばかり。口さがなく言うなら、パクリだよ。だが彼の場合若年層への知名度は抜群だし、いまだテレビや論壇しか知らない論客よりかは波及力がある。自分の頭で考えてるワケじゃないところは鼻につくけど、将来的に彼の動画に影響を受けた若者というのは大勢出てくるだろうね」
宏樹はひと言モノ申したくなったが、言葉をひっこめた。自分の頭で考えて動画を作っていない、パクリ、という部分においては、自身への藪蛇となりかねなかった。
「まあ、新聞やラジオで議論されてたことがテレビに登場した頃は、同じようにラジオで誰かが語ったことをさも自分の意見としたごとくしたり顔で話す論客が多くて、当時の若者は思想的な影響を大いに受けたというし、時代は繰り返すんだろうね」
ワインのお代わりを頼み、飯島は言った。向こうではガツガツおむすびを頬張り、もう2桁目のビールをお代わりしてキャビンアテンダントを呆れ混じりの笑顔にしている神鍋がいる。
「それはともかくとして・・・ヒロキン、この動画さっきチラ見して気になったんだけどさ、ゴジラってどうなったと思う?」
そう飯島が訊いてきた。
ゴジラ・・・宏樹はもちろん、飯島も神鍋も教科書でしか習っていないのだが、昭和29年とその翌年、さらには昭和37年に三度も日本へ上陸し、甚大な被害を与えた大怪獣。あるいは、核実験の申し子、人類の負の遺産・・・さすがに最後に現れてから60年も経過したいまとなっては、そのように語られるのみだ。
宏樹はゴジラの様子を、修じいちゃんからよく聞かされていた。白熱光、あるいは放射能火焔などと呼ばれる、口から吐く青白い息。それが周囲にばらまかれると、どんなに堅牢な建物でも瞬時に燃え上がり、辺り一面焼け野原になってしまう。あるいは、自分と同じ大怪獣が存在していると知るや、獰猛な闘争心剥き出しに襲い掛かって叩き伏せ、自慢の放射能火焔で焼き尽くしてしまう・・・。
そんなゴジラも、偶然帯電能力を得たキングコングと富士山麓から御殿場にかけて激しく争った上、熱海の海へ没して以降、その行方が杳として知れなかった。キングコングは重傷を負いながらファロ島へ帰ったが、ゴジラはまったく姿を見せなかったことで、キングコングに敗れ死亡した、あるいは再起不能となった等と噂されていた。
もちろん生存説もあった。とりわけ平成11年~12年頃、フィリピン沖やグアム沖で『海の底に巨大な影が見えた』『急に波が強くなり、転覆した船から命からがら逃げだしたとき、海上に大きな背鰭らしきものが見えた』といった目撃情報が相次いだ。それもそのときだけ。果たしてそれはゴジラだったのかどうか、誰にもわからなかった。
「そうだなあ・・・オレはね、オレはだよ?あんなに生命力旺盛で凶暴な生物がここまで出てこないってことは、もう死んだんじゃないかって思うけど?」
「そうだよな・・・そう考えるのが自然だよな。ねえヒロキン、ゴジラの伝説って、きいたことあるかい?」
「なにそれ?」
「昭和29年、ゴジラが初めて人類の前に姿を現す前だよ。小笠原諸島・大戸島にはこんな伝説があるらしいんだ。昔から、島の近海には大きな怪物がいて、ひとたび暴れ出すと周囲の魚を食い尽くし、海を荒らして陸にも上がり、人をも襲う。そこで、若い娘を生贄として海へ流すことで、怪物の怒りを鎮めていた・・・大戸島の伝承らしいよ」
「ヘッ、そんな。日本昔話の世界じゃないか」
「そう、ただの昔話かもしれない。でもさ、この話の真贋はともかくとして、ゴジラは海を荒らすってところ、気にならないか?事実、昭和30年と37年の出現時には、ゴジラが潜航することで大波が発生して、多くの船が遭難したようだ。そこで、だよ。もしも、ゴジラがまだ生存していて、それもファロ島近海に潜んでいるとすれば?」
「・・・聡くんは、ファロ島の海難事故はゴジラのせいだって言いたいの?」
「仮説だよ。あくまで。自分で言っといてアレだけど、もしゴジラが原因として、ファロ島には空からも近寄れないって部分を説明しきれない。ただ、オレにはどうにも、ファロ島近海の不穏な状況にはゴジラ・・・とは言わずとも、何か大きな生物が絡んでいるんじゃないかって気がしてさ」
「・・・」
今回の探検だが、この後オーストラリアで現地の警備会社スタッフと合流の後、ファロ島があるミクロネシアへ航空機で向かい、そちらで韓国企業の輸送船へ乗り込んでファロ島を目指すこととなっている。だがもしも、島へ接近した時点で少しでも危険を感じた場合(具体的には、気候急変や海が荒れだした等)、即刻上陸を中止して帰還することになっている。
もしも、飯島の言うようにファロ島近海にゴジラが潜んでいて、船が襲われたとしたら・・・。
「ごめん、変なこと話したな。ヒロキン、この先日本と時差はほとんど変わらない。休んでおこう」
残ったワインを含むと、不安そうな表情の宏樹を安心させるように腕に手を置く飯島。ちょうどビジネスクラスの照明も薄暗くなり、睡眠をとるのに打ってつけの雰囲気となった。飯島を真似て席をフラットに倒し、ブランケットを身にかける宏樹。
翌朝、明るくなる頃に宏樹たちを乗せたカンタス航空機はシドニーへ到着した。重過ぎる身体に鞭打って、席を立つビジネスクラスの人々。
「いやー、ビールも食事も上手くて睡眠もしっかりとれた!ビジネスクラス最高だよ!」
ひとり元気な神鍋は、機を降りて合流するなり明るく元気だ。
「あれ、ヒロキンも聡くんも寝不足?なんだぁ、せっかく環境良好だったのにもったいないなぁ」
すっかり目の下にクマを作ってしまった宏樹と飯島に、飛びぬけた笑顔でぬけぬけ話す神鍋。
(寝不足は、あんたのせいだよ!)
宏樹と飯島、そして神鍋以外すべてのビジネスクラス利用者が心の中で怨嗟の声を叫んだ。
アルコールの作用も、ビジネスクラスシートに漂うアロマの香りも、そして自然と睡眠へ誘う夜の時間帯の睡魔すべてを覆す、神鍋の壮絶ないびきが原因だったのだ。