あたしが彼と家族になってから、早くも10年が経過していた。
あたしはすっかりと元気になって、ずっと通えていなかった学校にも通い始めた。
慌ただしかった受験戦争もようやく終わりを告げ、ささやかながら春休みを迎えていた。
消毒薬の苦い匂いのする廊下を歩き、奥の大きめの病室へと向かう。表札のかかっていない個室を開けると、彼と彼の主治医が談笑していた。
「こんにちは!先生!パパ!」
彼は、『僕のことは好きに呼ぶと良い。』と言い、あたしはそれに甘えた。当初の頃こそ、おじさん呼びをしていたけれど、彼と過ごす時間のうちに呼び方は自然にパパとなっていた。
「あぁ、娘よ。そうか、今日は引っ越しだったね。僕が元気なら手伝いの一つでもしてやれたのだけれど。」
パパはそう言ってこちらを向いてにこやかに笑った。
彼は数年前にヴィランに襲われたらしい。常時呼吸器をつけなければならないような生活になってしまってから、あたしとパパは住所こそ同じだったけれど、パパはずっと入院したままだった。言葉尻が少し弱々しいパパは、あたしのことをいつでも案じてくれる。確かに引っ越しの手伝いはしてもらっていないけれど、パパはお見舞いに来るたびにあたしの好きなお菓子や洋服をプレゼントしてくれているし、今回の引っ越しに際しての物件や家具なんかも、一通り揃えていてくれた。
「一人暮らし用の家具とか揃えてくれたし、それだけでも大助かりだよ!それに、パパに迷惑かけたくないし、引っ越しの荷物くらいならちょちょいのちょいだし!」
あたしはちからこぶを作るポーズを真似して、えへんと胸を張った。
「だから、安心してよ。あたしは、ちゃんと一人でも生きていけるから。パパはゆっくり養生しててね。いつか、立派なヒーローになって、パパをこんなにしたヴィランを捕まえてやるんだから!」
そう言うと、パパはゆっくりと腕を広げた。
「おいで」
優しい声色。その腕の中に誘われるように入り、パパの背中に手を回した。あたしがぎゅっと抱きしめると、パパは少し躊躇ったのち、ゆっくりと、壊れ物でも扱うかのようにあたしを抱きしめた。
病院特有の、無機質な消毒液のにおい。
その奥に感じる体温はやけに居心地が良くて、あたしはパパの胸板に顔を埋めた。
「おまえなら、きっとできるよ。辛くなったら、いつでもおいで。」
パパはそう言うと、あたしの頭をゆっくりと撫でた。大きくて、ごつごつとしている。けれど、とても温かい手。
あたしは電車の時間までの間の少しだけパパを堪能した後、大きなキャリーケースを持って病室を出た。
「行ってきます!」
そう言って、気持ち急ぎ足で病室を出た。