麺処・ロアナプラ亭~悪党達に愛されたとある料理人の生き方 作:37級建築士
約束の日、街の騒動が収束を迎えた日。
ホテルモスクワが起こしたネズミ探し、それは街に大きな損害をもたらしたものだった。というのも、街で暴れていたのはこの街に住む現地人のほぼ全て、普段は荒事に加担などしない現地人のタイ人ですら慣れない銃をもったり、とにかく怪しいモノに片っ端から銃口を向け合うとんだバトルロワイヤル案件だったとか
そうなった背景というのも、皆が追う諜報員とやらは現地人を装い自分の疑いをなすりつけるという、この街に住む者なら誰しも怒りを抱くような不届き者であったことも理由の大きなところだ。
僕も依然似た手口の輩のせいで大層な目に遭ったから他人ごとには思えない。正直街は荒れてしまったけど得心は得てしまった。それはそうだ、無理もないと
そんなこんなで、街は大騒ぎ、例にもれずイエローフラッグは半壊を通り越して全壊。街は平常運転である。トボトボと市場を歩くバオさんがこの世の全てを憎むような目の輝きをしていても、街は依然平常運転だ。酒場が倒壊しても街は回るように、世は多少のことで支障をきたすことも無し。
ただ回り続けるのみ。コペルニクスの言う通り、世界は回り続けるのだ。この街で天動説を信じる者がいないのは、きっとそういった理由からだろう
世界は回り続ける。神も人も関係なく、この地は回り続けるのだ。故に、世はことも無し、どこぞの暴力シスターお姉さんの請負である
〇
~麺処・ロアナプラ亭~
「……ふ~ふふん、ふ~ふふん」
街が物騒になる中、この店主といえばスイートなルームで惰眠を貪るばかり、と言う訳でもなく暇を消化するために料理をしていた。
試作、研究に費やした一週間。休みで腕はなまっておらず、変わらず彼のかき混ぜる鍋からは極上の風味がただよい、それは店の外へ流れ出てしまう。
まだ営業に早い時間、夕方でロアナプラが本当の顔を見せる前の時間
……ガララッ
「?」
匂いにつられて入ってきたのか、申し出もなく開かれた扉からはヌルっと黒い塊が。決して間違っても新種のUMAではない
「……おい、ケイティおめえ……今までどこ行ってたんだよ」
「ローワンさん」
開口一番にまず自分の聞きたい言葉を投げかける。そんなこの人は理もなくカウンターに座り、さっそく使い捨てのおしぼりで顔を拭いていた
「ローワンさん、店はまだ」
「いいだろべつに、おれたちのなかじゃねえか……で、お前さんこの一週間どこ行ってたのよ。知らぬ仲じゃねえんだし、心配ぐらいするぜ……嬢たちを宥めた苦労をわかってくれよ」
「……まあ、野暮用です」
疑ってみてくる。しかし言ってどうなるというのだ。間違っても、僕があのバラライカさんと一緒の部屋で寝たことなんて、口が裂けても言えない。
「…………ま、深入りはしねえけどよ。事前に一言言えよ」
「そんな余裕があればですけど……あ、そうだ、今日はもう帰ってください。先約もうすぐ来るので」
「え~、腹減ってんだけどな」
「営業時間前に来てるだけ既に図々しいですよ……ほら、帰った帰った。じゃないと、怖いものを見ますよ」
「は? お前さんが怖いモノだって、こいつはお笑いだ……なんだぁ、ジグソーのジョン・クレイマーみてえに俺を震え上がらせてくれるのかよぉ。いったいぜんたいどんなスリルを見せてくれるってんだよぉ」
真に受けずお茶らけている。ああ、そうこうしているうちに
「……ケイティ」
「お、おいおい……先約っつのはまさか娼婦デモォォオオオオオオォォオ!!?!?!?!?」
叫んだ、それはもう電動ノコギリで寸断されてしまったのかと見まごうばかりに、椅子から転げ落ちて壁に背を向けた。ここは飲食店、頼むからズボンにデカいモノを産み落とさないで欲しい
「お待ちしていました、バラライカさん……先に二階でお待ちください」
「ええ、そうさせてもらうわね」
「な、なな……おぉぉ、お前さん、いったいなにを」
僕とバラライカさんを交互に見て驚き腰を抜かしている。早く店を出るように言うべきだったか
ローワンさんは本当にこの人が苦手なようだ。というか、こんな派手にしておいて内心は小心者、まあこの街で最も恐ろしい女性に、あろうことか娼婦といいかけたのだ。減る寿命もあるだろう
「……おい、ローワン」
「!?」
「やかましいぞローワン、静かに場を去れ……間違っても、貴様の汚いブツの匂いを私に嗅がせてくれるなよ」
「は、はいぃいぃぃ!!!!」
冷ややかな一言、つんざくような声を上げるローワンさんは情けない四足歩行で逃げ出した。恐怖にはどうやら人から二足歩行の権利を奪う効果があるらしい。
さらに店を出ては表を囲むように並ぶスーツ姿の遊撃隊の皆さん。二度目の悲鳴が遠ざかって、ようやく僕とバラライカさんだけの時間が始まる。店に残るのはバラライカさんのみ、外で待つボリスさんは、心なしか温かい目でサムズアップを一瞬だけしたような
「じゃ、先に上がらせてもらうわね……美味しいの、期待してるから」
「……ええ、もちろん」
期待してる、その言葉を聞いたのは確かあの時、おぼろげな意識でも微かに記憶に留めている。
あれから数か月、随分と待たせてしまったものだ。
「すぐに、用意しますよ……あの時の約束、ようやく果たせますから」
そう、今日僕は約束を果たすのだ。日替わりのラーメンでリクエストは受け付けていないけど、今日はだけは特別。寸胴鍋いっぱいに満たされた師匠直伝の塩ラーメンスープ。バラライカさんを持て成すために作り上げた味、その一杯目をこの人に
「楽しみにしてください、まさに怪我の功名で編み出せたラーメンなんですから」
考えに考えたラーメン、この人に食べさせるべき味、それは何かと考え続けて試行錯誤を重ねた。師匠曰く、ミシュランのガイドが食えば三ツ星を分獲れるに違いないと豪語していた故に名は三ツ星淡麗塩ラーメン。淡麗と名付けた割には傲慢極まりない考えだが、今はその傲慢さをお借りしたい。
曲がりなりにも、この街のトップに坐する人の食すもの、高貴であればいいということではないけど、それでも今自分が作れる最高の味で挑むこと、これが大事なんだ。誤魔化しのきかない繊細な味、これでこそ僕のあの時の答えにふさわしいモノは無いはず
「心を込めて作りますよ、バラライカさん……」
本心から、僕はそう言葉を送る。ちょっといい顔で、かっこつけた気分で言ってみた。すると。バラライカさんは微かに笑って
「じゃ、そろそろ上がるわ……美味しいの、待ってるわね」
機嫌よく、その火傷痕の刻まれた容姿を和やかに微笑ませた。優しく、落ち着いた心地の良いトーンの声で、僕の聴覚だけにピンポイントで刺さる声色で返事を返してきた。
「……ッ」
顔が熱くなる。顔を背け、調理に集中せんとして、そんな僕の様子にまたバラライカさんは軽く笑いを口ずさんだ
「…………せっかくだし、あなたも一緒に食べなさい……向かいの席で、嫌とは言わせないわよ」
「!?」
足音がフェードアウトしていく。拒む言葉を受け付ける余裕などない、確定事項ということか
少し悩んで、けどもうあの人の言葉なら仕方ないと納得して、僕は二杯目の器を用意した。
〇
~バラライカside~
部屋には簡素なテーブルが一つ、向かいに座る席を合わせて二人まで、遮光ガラスの飾り窓は南向きに、眩しい夕日を柔らかい明りに変えて部屋へ流す。
様相は小奇麗なレストランといった所か。自分が指定して作らせたこの作り、しかし使うのはこれが初だ。
約束のラーメン、それを今日やっと数か月ぶりに果たせるのと同じ理由、私的な用を取るためにこうも時間がかかってしまった。
だが、長引かせたことも、今思えば
……続けたかった、ということなのか、私が
彼との関係は贖罪、冤罪でその命を奪いかけた責任を果たすために、彼には必要以上に目をかけた。その結果店は繁盛し、そして後ろ盾という名の贔屓客には自分をはじめ多くの有力者が名を連ねている。彼はもう、この街で誰よりも滞りなく店を構えられる稀有な人間となった
故に、一週間の保護も建前、何も問題ない。だが、自分の欲は彼を欲っして、結果あの明け方の軟弱な自分が出来上がった
……いかんな、これでは本当に
甘ったるい時間は麻薬のようなもの、今でこそ抜け切れているが、いつかどうしようもなく没頭してしまい、オーバードーズを引き起こしてからでは遅いのだ。
考えたくはないが、もし今彼との関係で自分に手ひどい支障が出るのであれば、いつかに躊躇った引き金を再度引くことがあるのだろうか。そんなことを思えば、ふと愚痴の一つでも漏れてしまう
「……年、取ったかなぁ」
「……?」
「……いや、何もない。流せ、たわごとだ」
気が緩む、これも彼と二人でいるせいか。
「いかんな……いやなに、気にしないでいい。さあ、料理を出しなさい……今は食事を優先するわ」
ケイティに話したようで、その言葉は自分に言い聞かせるようなものだ。
「……しかし、早いわね」
「ええ、ある程度は出来ていますから」
「……そう」
二階に上がって五分も経たずにケイティは上がってきた。配膳トレイに乗せた二杯の器、ふたを閉めたそれを開けずにいるのは自分が口紅を落とすのを待っているから、どこまでも律儀というか、変に気の回る子だ
「……では、どうぞ」
絞りで手を拭ったタイミングを見て、ケイティは二つの器を開け放った。立ち上る湯気、そこに含まれた香りは、筆舌に尽くしがたいものだと今は述べよう。
嗅いだことのない匂い。ロシア料理にはない、だがアジア特有の癖のある風味でもない
ただ純粋に胃を刺激する香り、刺激的ではるが過激ではない。ここロアナプラで興ずる料理というには、これはあまりにも品が良すぎたのだ
……日本のラーメンか、存外に悪いモノではないようだ
箸を取る、そしてレンゲと呼ぶ匙を持ち軽くスープをすくってみた。それではまず一口を、と思うそんな時
……イタダキマス
「?」
ふと、ケイティが何か知らぬ日本語を一言を、その手は皿の前で経を唱えるような姿勢で合わさっていて、少ししてそれが東洋風の食事の作法だと理解できた。
……作法か、確か
祈りをささげる行為はもう久しくしていない。だが、彼の前にいる手前、今はその作法を取るべきと考える。だが、興ずるものは神の恵みとは少し遠い異国のモノ、であれば
「……イタダキ、マス」
「!」
驚いた顔を見せる。なに、同じことをしたまでだ。
箸を手に、二三動かして感触になれたのを確認するや、空いた手で皿を手繰り寄せ麺を掴む。見様見真似、不器用な手ではない故にそう難しくはなくできそうだ
「……まずはスープから、でいいのかしら」
「え、はい……どうぞ、お熱いので気を付けて」
「ええ」
匙を手に、掬い上げるスープに軽く息を吹きかける。冷ましながらも観察を続けて、夕日で色の判別に戸惑ったがこのスープ、色はほぼ透明。故に、日の光と混ざってシャンパンゴールドのごとく鮮やかに輝きを帯びている。
澄み切ったスープ、味があるのかすら疑うほどに奥を映す。だが、漂う香りは上質な鳥のもの、まず確実に美味なるものだと理解できる
唾液が湧く。料理を前に、期待を募らせ胃の衝動に突き動かされるとは、いったい何時ぶりだろうか。とにもかくにもまずは実食を
「………………スゥ」
流し込む。舌にのせ、軽く口内で回し、喉へとやった。嚥下してなお感じる風味、鼻を通り抜けて感じるこの余韻
美しい味、上質なコンソメスープを飲んだような、この味には気品が強く漂っている。だが、それでいて野趣のような、力強さも共存している。
美味い。そして興味が湧いた。
……ふぅ……ぅ…………ぁ、くッ……チュルッ
「……んッ、んっく」
慣れない口の使い方。息を止め、慎重に麺を空気と共に口中へ運ぶ。熱と共に染み渡る味わい、瞬間に舌が唸った
……あぁ、いかんなこれは……想像以上だッ
慎重な一口目、しかし二口目からは怒涛の勢いだ。染みついた食事作法が無ければ、今にも品の無い作法で丼を抱え貪り食わんとしていた所だ。
箸を進める。匙でスープを飲み、否……味わい深いスープは飲むのではなく食む。故郷の味とは似ても似つかない、滋味深く淡い後口、それでいて深淵のごとく深い味わい
豊かなうま味の先、だが微かに慣れ親しんだ味がある。それが一層に胃を刺激する
「……あの、大丈夫ですか?」
「!」
箸が止まる。すでに麺を半玉ほど食したところで、ひとまず食欲の怪物は意思の力で押さえつける。
息を整え、テーブルクロスの代わりに彼が差し出したハンカチで口元を拭った。一呼吸を置き、冷静に
「……これは、鳥だけではないわね」
掬い上げたスープ、見た目からは特に目立つ情報は無い。ただ、漂う香りは気品に満ちてすらいて、そして
……ク…………ゴック
「…………ッ」
舌にのせ、数秒味わってからゆっくりと胃に落とす。折り重なるうま味、その中で微かに舌が反応を示した。それは、覚えのある酸味
「……気づきました?」
「ぁ……あぁ、おそらくな。だが、どうやって」
気づいた味、この澄み切ったチキンのスープ、しかし確かに感じたのは故郷のスープの決め手、赤いボルシチの味を決める食材。
それは色付けのビーツではなく、確かなうま味をもって、味を高めるために入れられる野菜
「……トマトか、だがこれは」
「!」
「どうした、外れだったか」
「あぁ、いえ……正解です。まあ正確にはドライトマトです」
「ドライ?……あぁ、なるほどな」
「……スープは上質な鶏を丸々、それと各種香味野菜とスパイス。仕上げの際に、塩味と程よいうま味を付け足す調味液と混ぜ合わせるのですが、要はその液、塩ダレにドライトマトを使っています。動物系のイノシン酸と、トマトに含まれるグルタミン酸、これが調和することで奥深いうま味を作り上げます。」
「イノシン酸、グルタミン酸……まるで科学だな」
「ええ、突き詰めれば料理は化学です。慎重に組み上げれば、その味は確実に良いモノへ仕上がる。数式みたいに、美味しいという感想に根拠が生まれる……僕は確信をもって、この味をあなたに提供しました」
「……確信?」
「ええ、確信です」
得意げにそう言って見せる。料理のこととなると饒舌になるようだ
「アジア色の強い味ではロシア人のバラライカさんには口に合わないでしょう。アジアの風味と癖を持つ醤油や味噌は味の決め手にしてはいけない。だから塩味、塩ラーメンが正解、味の方向性でこってりよりもあっさりを選んだのは、少し違う理由ですね。こうしたあっさり味のスープは、きっとロシア料理とは良い意味で遠い、斬新に感じるはず。だけど遠すぎもしない、トマトを旨味の根幹に置いたおかげで舌になじむ味になるず。ボルシチと同じ、肉とトマトでイノシン酸とグルタミン酸が調和する味のコンセプト、そこで共通点を感じてもらえれば」
「美味しいという答えに行き着くのね。なるほど……共通点、言われてみれば納得がいくわ」
匙ですくうスープ、慣れ親しんでいないアジアの味ではあるが、日本食らしいこの品のいい味は舌に馴染むのもうなずける。
品よく香るこのスープ、またかすかに感じる爽やかな香り、これはスープに浮かぶ柑橘の果物の皮か、葉巻で鈍っていた嗅覚に鮮烈な刺激が感覚の幅をこじ開ける。
……ズル、ズルルルルッ
「……良い食べっぷりで」
「ええ、どうも……美味しい料理だからよ」
……ズルルルルッ!
すすり上げる麺は程よい触感を残しつつも歯切れよく、スープと調和して実にいい心地だ
テーブルマナーで音を立たせないという文言、今はそれが馬鹿らしく思える。この料理と、この食し方を知ってしまえば、あぁちがうな……彼の前で無ければ、きっとこうはしない
つくづく、ラーメンなる料理は魅力的だと痛感する。だが、それは同時に
「ケイティ……まちがっても」
「ええ、すすって食べてたなんて……口が裂けても言いません」
「……助かるわ」
察しが良すぎる彼に素直な感謝を送る。
今後、この料理を食するときは、彼と一緒の時だけ。そう心に決めた
彼と一緒、今日のような日を、またいつか
……あぁ、いかんな
抜け出せない。食欲以外のものを満たしすぎるあまり、本当に抜け出せない所まで至りそうだ
「……いかんな、本当に」
「ええ、ラーメンの魅力は麻薬ですから」
「…………」
「あれ、何か変なこと言いました?」
的外れな答え、この天然さは時に狙っているのかと疑ってしまう。
「……いいえ、そのとおりね……たぶん、もう抜け出せないわ」
「?」
あぁ、もうこの味からは逃れられない。
この街で、どうしようもなく狂った生き方を選んだ私であったのに、まさか一杯の麺料理と武器も持たないただの料理人に心を奪われるとは
あぁ、かくも人生は面白い。
「ええ、本当においしいわ……このラーメンも、そしてあなたも」
「ぼ、ぼくは食べられないですけど」
「大丈夫よ、その内わかるでしょうから」
「あの、いかがわしいのは僕苦手で……その」
「いかがわしい?……わたし、そんなこと言ったつもりはなくってよ」
「————ッ!?」
ボルシチもかくやのごとく、その顔は真っ赤に染まる。ああ、なんとも食欲をそそられるものだ
合縁奇縁な人生の味を、私はしみじみと噛みしめて嚥下する。味わい深い料理も、そして
「エッチなのね……ケイティ」
「ば、バラライカさんッ!?」
ただの料理人である、この愛しい少年を私は最後まで味わい尽くすのだ。
…………ズルルッ
読了お疲れ様です。ラーメンの元ネタは実際東京にある塩ラーメンで、あとドライトマトはラーメン西遊記から引っ張ってきました。わかる人にはわかる
感想・評価等たくさん頂いてありがたい限りです。今まで書いてきた中で一番反響が良い作品なので、ほんと頂く声が嬉しくて仕方ないです。書いてよかったブラックラグーン、改めて読了感謝です。
次回、またしばらく間を挟んでから執筆する予定です。オリ主の話か、それともまた原作キャラとの馴れ初めか、たっぱのでかいいい女を書きたい衝動が高まったら執筆するかもです。ではでは