麺処・ロアナプラ亭~悪党達に愛されたとある料理人の生き方 作:37級建築士
何でもないことだろう。この街、ロアナプラで起こる性犯罪なんてものは暗がりに捨てられたごみみたいなもの。拾われず片付けられず、放置されてそのまま。
暗がりは汚い物。
僕は不注意だった。守られていることに感謝して、反省した。
「……落ち着いたかしら」
「はい……紅茶、美味しいです」
「そう、なら良かったわ」
悪漢達に襲われて、助けてと叫びながら、破られる服を取り返そうとして暴れて、抑えつけられた。
そして、叫ぶ僕の口を塞ぐ男に気持ち悪い感覚を与えられて、耐えきれず僕は指を噛んだ。
その報復で、右足には深すぎず浅くもない程度に切り傷を与えられた。
そんな所だ。
珍しくも無い話だ。
顔を殴られたり、腹を死なない程度に刺されたり、そう珍しくない事件だ。警察だって片手間にしか聞かないだろう。
ただ、こんなことが起きてしまう前にちゃんと注意するべきだった。不用意に街を歩いて、そして市場からストーキングされていたことに気付くべきだった。
本当に幸運だった。
たまたま、本当にたまたま通りがかったオフの遊撃隊が気付いて、とっさに引き金を引いたから。
常々、自分は幸運と悪運の二つで生かされているのだと理解する。
〇
~翌日~
~夕暮れ~
~ロアナプラ亭前~
車で移動して、その間も特に会話も無い。
ホテルでも、事件の聞き取りをする警察官の様に事の話、それぐらいで後はベッドに寝かされただけ。
距離は未だに開いたままのバラライカさんだと、再認識しただけだ。
「……ごめんなさい、バラライカさん」
「えぇ、何度聞いたかしらね」
車を降りる。
一泊して、痛み止めが聞いて歩いても問題が無い。
休みの日の翌日、いつもなら営業時間で暖簾を上げている頃合いだ。
「階段は大丈夫かしら」
「えぇ、無理しなければ大丈夫です。」
「……駄目よ」
× × ×
車から降りて、店の前でもうお別れかと思ったらバラライカさんは僕の部屋にいる。
ホテルでは薬の影響かほとんど寝ていたから、なんというか時間を置き去りにした感覚が残っている。
事件にあって、痛い思いと怖い思いをして、たしなめられて、そしてベッドで横になって、起きて、気づけばもう自分の家にいる。
そして、今はエダさんではなく、バラライカさんがいる。
……初めてだ
二回のvip席まで、住まいに足を運んだのは初めてのこと。
前の、ロベルタさんの騒動の以前は本当に雑多で粗野な住まいだったから。今みたいにフローリングを敷いて畳まであって、浴室もキッチンダイニングもしっかり取り付けた今の部屋なら招くことは不敬にはならない。
エダさんの匂いばかり染みついていて、そのことに不満は無い。
だけど、こうして今同じ空間に貴方がいる。
欠けたものがあると思い出してしまう。
抑えつけていた腕の疲れを思い出す。
「貴方を抱えるのはそう難しくないわ……しばらくは、他人の手を借りて生活なさい」
「……軽いです、からね」
「あなた、50キロもないわよね」
「……気にしてます」
たわいもない会話をしている。
キッチンにある卓上の椅子を引いて、腰かけて
バラライカさんは立ったまま。
いつ、その足が踵を返そうとするか、僕は目が離せないでいる。
「……あの」
「じゃ、帰るわ」
「だめ!」
「……え……ぁ、えっと……あぅ」
反射で声が大きくなった。
そんな反応を、バラライカさんはしっかりと相貌で観察していた。
からかわれたのだと理解した。
久しく見た柔らかいバラライカさんの笑みに、僕は何を思えばいいの変わらなくて表情を置き去りにしてしまった。
どんな、間抜けな顔をしているだろうか、鏡が近くに無いことに内心安堵してしまう。
「……ここには、食材があるのかしら?」
「え、はい……その、自分で食べるように……冷蔵庫に、揃えてます」
「そう、ならラーメンを作れるのね」
「はい、でも……どうしてそんなことを聞いて」
「そんなことじゃないの、もう日も落ちる頃合いよ。だから……食事をしましょう」
「誰と、ですか?」
「この場には私とあなたしかいないわ。貴方、いつからゴーストが見えるようになったの」
「いや、ゴーストなんて……映画は好きですけど。えっと、ちがくて……あ、あの、なんで?」
「……何を驚いているのかしら」
すごく平坦に話している。僕ばかり動揺して、バラライカさんは飽きれて首を斜めにしてしまった。
だから、か
葉巻を吸っているその手が、僕の手を取る。震えた手を覆いかぶさって、食べられてしまったかと思った。
大きな大人の手が、僕を内包した。
「……」
手の先、手の甲、手首
腕を伝い、肩に触れて、そして頬を撫でた。
……匂いが、しない?
この手には甘く苦い葉巻匂いがする。だけど、それが今は薄くて、代わりに強い香りが染みついている。
香水と、ボディーソープ。兵士の身でありながら、清潔に清く華やかに保たれた体臭を、僕の機敏な鼻が感じ取っていた。
「……失礼よ、匂いを嗅ぐなんて」
「ごめんなさい……でも、敏感で」
「そうね……知ってるわ、貴方が敏感なことなんて。えぇ、良く知っていることよ」
「……」
「ディナーにしましょう。ケイティ、私もお腹が減ったのよ……いいかしら?」
「…………」
「ご相伴預かっても良いかしら、断らないでくれると嬉しいのだけど……ケイティ」
何を考えているかはわからない。
距離を置いてきたこと、そのことに憤り子供の様に駄々をこねる、そんなことも脳裏の片隅にはある。
寂しいと叫びたい衝動はある。
切なかったと泣きたい衝動もある。
ただ、それでも今は
「……作ります」
今は、料理人の血が熱を帯びている。
次回、飯テロ予定