赤目の守護者 作:ブラブレ8巻難民
決戦の夜。
真守はティナが居るであろう、廃ビル群に向かっていた。
(五分……五分、ね……)
人間の歩行速度は分速約80m程度。その場合五分で進めるのは400mということになる。1km先の目標を正確に狙える狙撃兵ティナ・スプラウトを相手にする今回の場合、一発は不意撃ちを貰う恐れがあるが──
(──銃口炎ッ!)
幸運なことに、彼女の潜伏先は予想通りだったらしい。正面からの狙撃弾を危なげなく弾いた彼は、すかさず鎧に着けたウエストポーチからアンプルを取り出し、首筋に突き刺した。
──瞬間、彼が所有している
そう、再生レベル増加なぞオマケに過ぎない。GVBアンプルの真骨頂は、彼のスペックを最大限引き出すこの効能にこそある。
「……見つけた」
彼の所有因子には、フクロウを含めた複数種の強力な眼を持つ生物が存在する。この瞬間、真守の視力はティナをも凌駕した。
「やっぱ、同時狙撃のタネはそういうことね……夏世の予想通りだったワケだ。まさか本当に無人とは」
その事実は、彼の心を複雑に掻き乱す。
説得する相手がティナ一人であるのは、真守にとっては都合が良いことだが……
「絶ッッテェ許さないからな。四賢人の誰かさんよぉ……!」
真守の眼球が、憤怒により輝きを増した。
思念により物体を操作するBMIの技術はガストレア大戦以前から存在していたが、コレは本来医療目的の技術である。イニシエーターである彼女には、無用の長物なのだ。本当なら。
「五分もいらねぇ、十秒で片してやんよ!!」
*
決戦の夜。
満月の夜道を、懐かしい道を、私は一人眺めていた。
彼に本当の名前を打ち明けたあの日。恋を知ったあの日。まだあれから一月も経っていないのが、信じられない。随分と昔のことに感じられる。
そんな場所に、一人の男が現れた。見覚えのある鎧を纏って。
「────ッッッ」
この国には『怒髪天を衝く』という怒りの表現があるらしいが──今まさに、私はその状態にある。
ずっと、気になっていた。彼の鎧が、どこに行ったのか。誰が何のために、回収したのか。
「マスターより性格の悪い人間なんて存在しないと思っていたんですが──どうやら下には下がいるらしいですね、ドクター室戸……!」
もう一人いたのだ、彼と同じ個人兵装を持つ人間が。そして情報を渡さないために、鎧だけを回収した。
あの時彼を連れ帰った彼女はそのことを知っていたのだろうか。……いいや、知らないのだろう。彼女は鎧の在り方について、一切気にした様子がなかった。それに、彼女は純粋に真守さんの死を悲しんでいた。そうでなければ、血で汚れることも厭わず、あれほど優しい手付きで、遺体を抱きかかえることはしない。
「悪趣味にも程がある……!」
室戸菫は、知っていたのだ。私と彼の関係を。だから態々誘導場所に此処を選んで、同じ個人兵装を持つ人間を送り込んだ。
「私の前にその鎧を纏って現れたこと、後悔させてあげます……!」
そう息巻き、BMIを使って囮の銃を操作する。弾は弾かれるが想定内。彼と同じ方法で殺してやろう──と、思った次の瞬間。
標的をロスト。同時に囮を配置していたビルが、
「──は?」
ビルに配置していたシェンフィールドが全損している。見間違いではない。
一体、何が起こった……? ワケが分からない。思考が停止して、活動を放棄している。
ただ、呆然として倒れたビルを見つめ続けた結果……一つ分かったことがある。
舞い上がった粉塵が少し落ち着き、人影が見えるようになったのだ。兜の隙間から赤い光を出している、相変わらず悪趣味な鎧を纏った人影が。
「更にもう一人……? いや、まさか……この一瞬で近付いて、ビルを壊した?」
なんだそれは。私の上位互換、最強のハイブリットであるリタでも不可能だろう。ふざけるな、そのような生物が存在してたまるか。
しかし現実は非情で、今度は私の居るビルで轟音が響いた。
……こういう時、どうすればいいのだったか。
「『万が一、敗北した場合』は……」
拳銃を取り出し、バラニウム弾が装填されていることを確認。
呼吸を整え、側頭部に銃口を押し当てて目を閉じ──
「自害、しないと──ッ」
手首に衝撃。拳銃が飛ばされ、私は全ての手札を失った。一応ナイフはあるが、それでどうにかなる相手とは思えない。
これからどうなるんだろうか、私は。
『自害』というのは、何もハイブリットとしての技術や情報の漏洩を避けるためだけの行動じゃない。何せ私は『呪われた子供』だ。生きて囚われれば、待っているのは大抵『死んだ方がマシ』とされるような拷問の日々。その中には……性的なものも、含まれているという。
──嫌だ。
『痛い』のは嫌だ。彼以外の男に犯されるのはもっと嫌だ。絶対に嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ──
「はぁ……デコピンくらいはしてやるつもりだったんだけどな……」
「ぇ?」
震える私を、温もりが包んだ。もう感じることはないだろうと思っていた、人肌の温度。そして壊れものを扱うような力加減で、背中がポンポンと叩かれる。それに、この声は──
「──うそ」
「何が?」
「こんなの、ウソです。幻覚です……」
だって、彼は死んだのだ。私がこの手で、殺してしまったのだ。
そう分かっていても、目を開けられない。そうすればこのまま、夢見心地に浸っていられ──
「せいっ」
「あうっ」
額にヒリヒリとした痛みが走り、その後一瞬で治癒される。覚悟していた拷問には、遠く遠く及ばない痛み。
まさかと思って恐る恐る目を開けると、そこには『彼』がいた。
「コレは夢でも幻覚でもないよ? というかそもそもイニシエーターって、幻覚とか見れるの?」
「……私、ストレスで味覚無くなったんですよ?」
「げぇ、マジで?」
「本当です。本当に──本物、なんですよね……?」
「大丈夫大丈夫。モノホンの真守さんですよー? たびたび語呂の悪い偽守さんになったりするけど、ちゃんと本物」
「────っ」
感極まって、彼を抱き締めた。
本物だ。声も、体温も、所作も、匂いも、突拍子のないことを言うところも、ちゃんと『彼』だ。
「ごめんなさい……! ごめんなさいっ、最後の電話で言ったこと、全部嘘です!」
「あー、アレね。結構傷付いたんだよ? でも許す」
「貴方を撃ってしまったこと、ごめんなさい……!」
「あぁ、アレなぁ……ガチで死ぬかと思ったわアホ。でも許す」
「私他にも、謝らなきゃいけないことが沢山あるんです……! 本当は私、誰にも許されちゃいけない……!」
「でも許すよ。全部全部、許してあげるから。許されちゃいけないことも、オレが半分背負って償うから── 一緒に帰ろう、ティナ」
あぁ……反則だ。断らなければいけないのに、そんなことを耳元で囁かれたら……頭の中がドロドロに溶かされて、何も考えられなくなってしまう。
「う、うぅ……だめ……ダメです……」
「……またそれか。そうやって自分を抑えつけるのは、ティナの悪い癖だよ」
「でも……!」
『うるさい。余計なことを考えるな』
「──っ」
急な命令口調に、ビクンと身体が跳ねる。
「前に言った筈だよ? 『オレの前では我慢しなくていい』から『やりたいことを遠慮なく言うこと』って。
──ねぇ、ティナはこの先どうしたい?」
「ぅ、あ……」
いけない。コレは、マズイ。本格的に、頭が回らなくなって……
「ティナ、護身術の先生になりたいってのも嘘? 本当に、こんな所で死にたいの?」
「──ゃ、やめて……お願いです、もう止めてください……!」
頭の中の『やるべきこと』が薄れていって、心が『生きたい』と叫び出して、もう止められない。
だけど、私にとって一番の望みは
「
「……死なないよ」
「死にますよッ! マグレでも私相手に負けてしまうようでは、絶対に……!」
「は? 負けてねえし。オレ生きてますけど? ピンピンしてますけど?」
「〜〜っ、仮に! あの時点では貴方の負けじゃなかったとして、この先私を殺しに来る刺客を、貴方が次々打ち倒したとして──最後の刺客には、絶対に勝てません……!」
「……どのくらい強いのさ、ソイツは」
「アレは、私の完全な上位互換です。私程度じゃ、底が見通せないくらい……」
「ふぅん? ──で? お前に
────は?
いや、待ってほしい。流石に聞き間違いだと思いたい。
恐る恐る、私は崩れたビルを指差し確認する。
「……アレ、手加減してやったんですか?」
「本気を出してたら、こっちのビルまで崩れてたかな。でもってその場合、ティナが無事である保証はなかったし……」
「……じゃあ、前回私と戦った時のアレは本当に……?」
「本当にマグレ。そもそもティナが相手じゃなかったら、狙撃兵相手にわざわざ足を止めたりしないっての」
……確かにあの時私が彼を撃てたのは、彼が止まっていてくれたからだ。
──で、あれば。
この人なら、リタに勝てるのではないか?
だが、それでも……
「私……返せるものなんて何もありませんよ……?」
「あー、別に気にしなくていいんだけど……うーん、ティナがどうしてもって言うなら……そうだ、
「──っっ!?」
身体が一気に熱を帯びる。そういえば、先程からずっと抱き合っているワケだが…………無意味に周囲を見渡して、誰もいないことを確認。
「それは、その……今、ここで……ですか?」
「え? いやいや。確かに早い方がいいけど、今すぐは無理でしょ」
「私なら、大丈夫です。ただその、初めてなので、優しくして頂けると──」
「ごめんちょっと待って。話が噛み合ってない気がする……オレは、ティナが『
「……え?」
『身体で支払う』って、
「〜〜っ!! ま、紛らわしい……!」
「一体何をされると思ったのさ」
「言わせないでくださいよ恥ずかしい……!」
「えぇ……何それマジで気になるんですけど……」
まぁ冷静に考えれば、この人が子供を性欲処理の道具にするような非道をするワケがないのだし、私は真守さんのそういう誠実なところが好きなのだが……この対応は、普通に悔しい。悔しいので、この仕返しは
「……しかし、意外に厳しい提案をするんですね。アレだけ事務所をボロボロにして、あまつさえ社長を殺しかけたのです。会社の皆さんはきっと、私を認めないでしょうに」
「あぁ、そこは説得済みだから大丈夫。ていうかそもそも──」
そこで一度言葉を切った彼は、琥珀色の目を閉じ──赫色の目を開いた。
「オレの目、見てみ? キミらと違ってガチの
「……それ、見間違いじゃなかったんですね」
「失望した?」
「まさか。むしろ嬉しいです」
「嬉しい? どうして」
「だって、赤目で良かったことなんて今までありませんでしたけど──真守さんとお揃いなら、悪くないかなと。本当の兄妹、みたいじゃないですか」
そう言うと、彼は照れ臭そうに顔を逸らし 『そっか』と呟いた。
「……もうすぐ姉もできるよ」
「ふふっ、楽しみにしてます」
こうして私達は、カビ臭いビルを降りて。錆びた扉を押し開ければ、清涼な空気と優しい月光が出迎えてくれる。
──あぁ、今日が満月で良かった。
世界がよく見える。この眼は暗闇すらも見通すが、それでも暗ければ暗いほど、見えないものは多くなるから。例えばそう──黒塗りの拳銃なんかは、特に。
「えっ」
力一杯愛しい人を引き寄せて、半回転。そしてすぐさま押し離す。不意打ちに弱い彼は、間の抜けた声を漏らしてたたらを踏んだ。
──銃声。
彼が無事であることを確認して、溜め息を一つ。
「ごぼふっ」
吐息の代わりに出たのは、汚い音と多量の血。乙女的に、これはいただけない。
「なん、で……」
彼の言葉に、首を傾げる。『なんで』とは、なんのことだろう。
「なんで庇ったッ!? オレなら大丈夫だったのに……!」
……どうだろうか。体感的に、コレは
だけど、そういう問題じゃないのだ。もう、彼が撃たれる姿を見るのは嫌だったのだ。私が何度、あの日の悪夢に魘されたと思っているのか。
「──おい」
背後からの声に視線を向けると、『パシャリ』という機械音と同時に、一瞬光を浴びせられる。
……写真を撮られたらしい。
「ククク、イイ表情だ。最高の写真が撮れたぞ」
「……どうして……どうしてこんなところに居るんですか、保脇さん……アナタの配置は、聖天子様のすぐ近くだった筈でしょう……?」
「バカが。お前、聖天子様に自分が狙撃手と通じていることを自白したんだってなぁ? バンの運転手から聞いたぞ」
……それは、ちょっと……擁護しようのない愚行ではないだろうか。
「実際調べてみれば──そら」
写真が何枚か、投げ渡される。
パサリと落ちたそれは、私と彼が映った写真。駅や遊園地の防犯カメラに映った画像だろうか。
「狙撃手が赤目のゴミというのは話に出ていたからな。お前の行動履歴を探って、会社のイニシエーター以外でお前が会っていた女児という条件で絞ればすぐだったぞ?」
そして今、私と彼が此処に居た証拠も撮られた。
「ククッ、ハハハ! 無様だなぁ守屋。折角お優しい聖天子様が許してくれたのに、台無しになってしまったなぁ? コレでお前達はオシマイだ」
コイツ……!
シェンフィールドが無くても、BMIの狙撃自体は可能なのだ。全弾を惜しみなく使って、脳髄をぶち撒けてやる──!
「ああそうだ、僕を殺して証拠隠滅してやろうなんて考えない方がいいぞ? 例の運転手には、定期的に生存報告を送っている。連絡が途絶えたら、証拠をばら撒いて貰う手筈だ」
……それを言うということは、コイツの目的は。
「だが守屋真護、僕はお前の力を高く評価している。ここで失うには惜しい。だから、選択肢をやるよ。
お前、僕の犬にならないか? そうすればそこのゴミも、命だけは勘弁してやる。僕が今すぐ車で病院に搬送すれば、まだ助か──」
言い切られる前に、私は保脇と呼ばれた男を撃ち殺した。この手の輩は、話をするだけ不利になる。
「なっ、なんてことを……!」
「……片手落ち、です。さっきの写真、さえ、送られなければ……私が、狙撃手とは……分かりません……貴方は、ただ……知り合いの、子供と……遊んでいた、だけですと……言い張れ、ます」
「どうっっでもいいんだよそんなことは!! このままじゃ、お前……!」
「死ぬでしょうね……」
それこそ、どうでもいい話だ。
……でも、どうせなら……
「……最期に一つ、お願い……です……」
「嫌だ、最期だなんて……!」
「お兄さんの、いじわる……私に、悔いを残したまま死ねと……そう言うんですね……?」
「──ッ、チクショウ。言えよ不肖の妹。なんでも叶えてやるから……!」
「じゃあ…………で、ください……」
「……ごめん、もう一回お願い」
そうして耳を近付けてきた彼の頭を引き寄せ、口付けをする。
「──好きです」
「なっ、なぁ……!?」
「私の、最期のお願いは……真守さんに……私の、好きな人を……どうか……嫌わない、で……」
もう喉が限界だが、言いたいことは言えた。これで悔いなく逝ける。
「なんだよ、それ……」
わなわなと、彼が震えている。
……いや、私が痙攣しているのか? 息ができなくて、意識が朦朧として、もう何も分からない。痛くて熱くて寒くて、現実がぼやけていく。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
ぼやけた視界の中で、最期の瞬間──巨大な『竜』が、見えた気がした。