4.
突然だが先輩の術式は降霊術式というものだ。
霊を降ろす対象は何でも良いらしく、物質に降りれば呪具に、自然に蓄積している呪力の塊に降りれば呪霊にもなる。もちろん生物に降ろすことも可能ではあるが、元々存在する魂と反発しあって碌な結果を生まないらしくそういった用途には使えないと言っていた。人間などの自我を持つ高級霊は倫理的問題や制御面での問題もあり呼ぶのは大抵動物とか虫とかの低級霊である。
降霊のため必要なものは、術式を使うための呪力、目的の霊を呼ぶための縁、そして媒体。これらを繋ぐのが降霊術式の本質らしい。
もっとも、普段の呪具制作にはあまり用いていない。有用な術式が付与される確率はあるのだが、如何せん降ろした霊を使役すること自体は不可能らしく、高い確率で呪具というより呪物と化してしまうためだ。
今は珍しく術式を用いて呪具を作ろうとしていたのだが、残念ながら失敗して新しく一つの呪物を世に生み出してしまった。
ただの鏡が今では完全に呪いの鏡となってしまっている。呪具を生み出す際に霊体が媒体の隙間を埋めるように空間に存在する呪力を勝手に取り込んでしまうことでこうなる。
部室内はできる限り清浄な空間に保ってはいるのだが、まだまだ甘いらしい。ちなみに部屋の四方に呪符が貼りまくられているためか、この部屋を訪れる者は大抵ドン引きして踵を返していく。俺はともかく先輩が学校で軽くヤバい人扱いされている原因の一端である。
映した対象に手当たり次第霊障を植え付ける立派な呪物を俺は呪力剣で裁断した。こういう手に負えない呪物を処理するのも半ば俺の役目の一つ。
「あーあ、また失敗した。本当に役に立たないな私の術式…」
「まあぶっちゃけ正悟さんが自分から捨てた理由もなんとなくわかりますね」
「ねぇ、ちょっと辛辣すぎない?」
「でも成功例も一応あるじゃないすか」
非術師でも呪力を認識できるようになる伊達メガネとか、遠見の水晶とかは傑作だと思う。売れば大金になるだろうけど後者は便利だから売っていないらしい。
「でも術式制御の練習がしたいだなんてえらく殊勝ですね。なんかあったんですか?」
「別に、あんたがどんどん強くなってるから軽く触発されただけよ。結界や式神はお父さんやあんたほどの才能もないし、私が強くなるにはやっぱり術式をなんとかするしかないからね」
へー、先輩も実は強くなりたいと思っていたのか。てっきり呪具師の道を進むのかと思ってたけど、将来は呪術師として活動するつもりなんだろうか。強くなること自体はいいことだと思うけど、先輩には呪術師になって欲しくはないな。やっぱり危険だし。
「先輩って呪術師になりたいんですか?いや職業として」
「そういうわけじゃないけど、ちゃんと私にも目標があるのよ」
「なんですか目標って」
「あんたには教えない」
気になる。すごく。でもデリケートな話題っぽいししつこくするわけには行かなそうだ。
ともかく、それが先輩自身の意思なら俺に邪魔をする権利はない。俺に出来ることは何かあったら傍にいて守ってやることだけだ。
「先輩、これあげます。お守り」
「あ、ありがと…。ていうかどうしたの急に」
「別に。ただ先輩が危ない目に合わないようにって俺の気持ちです」
このお守り、実はこの間作った俺の呪力が付与されている呪具だ。離れていても大体の居場所がわかるようになっている。いつでも危機に駆けつけられるように。ちなみに地図とか他の呪具との組み合わせも可能。教えたらストーカーみたいってドン引きされるかもしれないから教えないけど。バレないように隠蔽の方に力を注いだから見た目は何の変哲もない一般お守りだ。渡す機会を伺っていたが勢いで誤魔化すことができた。できたよな?
「さあ先輩、この調子でどんどん練習しましょうか」
「…?付き合ってくれるのはありがたいけど、なんか隠してない?」
「なんもないですけど?なんか変ですか?」
「…まあなんでもいいけど」
危ねー、変なところで鋭いんだよなこの人。小細工はバレてなさそうだ。俺も流石に変態扱いされるのだけは避けたいからな。
先輩は再び降霊による呪具作成を再開した。
静かだ。
先輩はそうお喋りな方ではないからこうした沈黙が生じることは多いが、俺はこういう時間が嫌いではない。集中している先輩の顔を眺めているだけで楽しい。はっきり言って幸せ。まあ先輩とお喋りするのも好きなんだけど。
とかなんとか思ってたら誰か来るな。
この足音、体重の乗せ方やニオイからして女子生徒かな。と、こんな感じで俺は周囲の気配を察知することが出来るわけなんだが、このことを先輩に前話したら思いっきり引かれた。まあ確かに結構変態チックな響きはするけど、わかるものはわかってしまうのだから仕方ない。
この部屋を訪ねるということは幽霊関係で何か困った事があるはずだが、彼女は引き返さずにとどまるだろうか。
予想したとおりに部屋の扉がノックされ、先輩が応える。
「どうぞ」
「失礼しまーす。ってうわっ、噂通りやばげな雰囲気だ…」
黒いカーテンを締め切って薄暗い部屋の中には呪力散らしの呪符が壁中に貼られている。光源は蝋燭のみ。完全に呪術の儀式中って感じの部屋。
扉を開けてそんな部屋の中を一瞥するなりその女子生徒は口元をひくつかせて心情を顕にした。完全に引いている。だが意を決したように部屋の中に入ってきた。中々胆力あるな。
顔を見てみると、俺の同級生だった。
「姫矢さん、なんか用事?」
彼女は見知った顔を認めて少しだけ安堵したような表情になった。
だがまだ何か思い詰めたような顔だな。かなり困っている感じがする。
「あっ、神凪くん!よかった、噂で聞いてたけど実際見てみたら予想以上で緊張してたんだよね」
「確かに怪しげな雰囲気だよねこの部屋」
「雰囲気作りにしては本格的過ぎない?なんか御札いっぱい貼ってあるし」
「全部本物だからねー。悪霊は一匹たりとも寄り付かないよ」
「またまた」
まあ信じるも信じないもお任せする。大抵の人は本物だといってやると逆に信じないけれど。
俺が緊張を解すために冗談めかして話していると、先輩が軽く咳払いをして要件を問いただした。
「…おほん!それで姫矢さんとやら、うちに何か御用でも?」
「ああすみません。姫矢順子といいます。教室で神凪くんに言っても良かったんだけど、人前では話しにくかったから…。で、用事っていうのは私の従兄弟のことなんだけど…」
姫矢さんが言うには、彼女の高校生の従兄弟が1ヶ月前に急に意識を失って目を覚まさなくなったらしい。当然病院に運ばれてあらゆる精密検査を行ったのだが、医学的には何の異常もなかった。心因性の問題か、まだ医学で解明されていない脳の疾患の可能性はあると医者は言っていたが、親族の中には何かに呪われたのではないかと言い出す者もいて、念のために聞いてみることにしたという。
「正直呪いなんて信じてなかったんだけど、あまりに突然で医学的な異常もないっていうならそんなのもあり得るかもと思って、ダメ元で来てみたんですけど…。って、こんなこと急に言われても困っちゃいますよね」
いやまあ確かに、予想以上に深刻な問題で驚いた。
流石に原因不明で突然1ヶ月も寝たきりになったら藁でも怪しい呪術師でも何にでも縋りたくなるのはわかる。
当然呪いの可能性はある。非術師は基本的に呪いへの耐性がないから、何が起こってもおかしくない。ただそうであれば必ず体に何らかの痕跡が残っている。呪痕であったり、残穢であったり。
「最近の様子がおかしかったとかは?どこか変なところに行ったり、誰かに会ったり。恨みを買うようなことはする人?」
先輩が医者の問診のように呪いの宛を探る。実際には何らかの呪霊に遭遇して喰われずに呪われたパターンとかが多い。人のことを呪えるような人間は呪霊よりも少ない。
「いえ、全然普通の優しい男の子だったんですけど、誰かのことイジメたり喧嘩して恨まれるような質の人じゃないし、逆に気弱な方というか…」
「その人が誰かを恨んだりとかは?」
これは呪詛返しの可能性を聞いている。人を呪わば穴二つ、呪いを掛けるのに失敗するとその業が自分に跳ね返ってくることがある。それにしたっていきなり1ヶ月も寝たきりになることはそうそうないと思うが…。
「生活では特に大きな悩みとかはなかったみたいだし、そんな恨みを持つようなことはないと思いますけど…。まあ詳しくはなんとも言えないけど…。」
手がかりとなるような情報はなさそうだ。これは実際に見てみないと始まらないだろう。
先輩もそんな結論に至ったみたいだ。そしてこれはなんとかしてやりたいという顔だな。伊達に日頃から先輩の顔を観察していない。あ、またなんか変態みたいなこと思ってるな俺。
「真」
「はい。…姫矢さん、今週末は空いてる?一回そのお兄さんを見せてほしいんだけど」
「え、空いてるけど、本当に呪いなんて可能性があるの?」
俺たちが真剣な雰囲気を出していることで向こうも本当に呪いなのかもしれないと思い直しているようだ。
「今の情報からはまだなんとも言えないけど、見てみたら大体わかるはずだから」
「…二人共本当に霊感とかある人なんだ。来てみてよかったかも。じゃあよろしくお願いします」
一言礼を言って彼女は部屋から出ていった。
なんだか懐かしい。最近だとこういうことは少なくなっていたから。
呪いというのは案外世の中に溢れてる。ある日突然術師非術師に関係なく被害に会う可能性は十分にある。少し忘れかけていたけれど、やっぱりこうして困っている誰かを助けたいという気持ちは間違いじゃないだろう。
「先輩、今回はあっさり受けるんですね」
「私だってそんな気分なときもあるわ」
「本当に困っていて可哀相だから助けたいって言えばいいのに。まあ先輩のそんな素直じゃないとこ好きですけど」
「…生意気言ってないで、続きやるから付き合いなさい」
これは図星突かれて照れている。見ていて本当に飽きないな。
そしてその週の土曜日。
俺と先輩、そして例の姫矢さんは従兄弟が入院しているという病院に来ていた。少し前まで大学病院に入院していたと言うが、改善の兆しも見えず、原因も不明であるが幸い命に別状はないということで一旦慢性期病院に移されることになったらしい。
俺たちは早速病室へ案内される。
そこには少し細身で色の白い少年が安らかに息をついて寝ていた。
心音、呼吸音に異常はない。本当に意識がないだけで体の方は問題なさそうだ。
しかしそこには明らかな呪術的『徴候』が見て取れた。
残穢はない。だが呪われている証である呪痕、あるいは呪印とも呼ばれるものが彼の額に浮き上がっている。
「先輩、これは…」
「うん、間違いなく呪詛師の仕業ね。呪印の意味は…」
呪力を刻んだ式。見た目の簡素さ以上に含まれている意味は複雑だ。
「幾つか紋様が組み合わされてる…。なるほど、これがああなって術式と絡むことになると」
「なんかわかった?結界術に関係してるってことはわかるんだけど、あんたの方がもう詳しいでしょ」
「なんとなくですけど、術師との繋がりを表してるんじゃないかと」
おそらく術式の遠隔発動。俺も少し前似たような術式を考案したことがあるが、こちらの方がずっと洗練されている。先輩の言う通り2点間の呪術的な距離を無くす結界術の範疇の術式だ。これは俺も参考にできるな。
よく見ると向こうからの接続だけでこちらからの繋がりは絶たれているようだ。呪印から術者を辿るのは難しいだろう。例え辿れたとしても危険を伴う。術を施した術師は相当高度な結界術の使い手だ。多分正悟さんよりも上。
ということは昏睡の理由は術式そのものというよりこの呪印からの呪力に当てられているショックによるものか。非術師かつ呪力抵抗の弱い人間ならそういう事が起こってもおかしくない。加えて頭部に直接呪力が当てられているのがまずい。下手したら脳に不可逆的なダメージを負ってもおかしくない。
「術式の消去自体は難しい。けど、呪力漏れをなんとかできれば」
「そうっすね。根本的な解決にはならないけど、一時しのぎにはなります」
目覚めるかどうかは未知数だが、現状維持のためにも漏れ出ている呪力を処理する必要はある。
先輩が護符を一枚呪印の上から貼り付ける。空間に淀み溜まる呪力を吸い取り拡散・消失させる効果を持つ。これでなんとかなればいいが。
「ちょっと何日かこのまま様子を見てみて。上手くいけば目覚めるはず」
「あっ、ありがとうございます!神凪くんも!」
「まだ目覚めたわけじゃないからお礼はいいよ。なんか変わったら知らせて」
「わかった!二人共本当にありがとう!」
その場を姫矢さんに任せて俺たちは病室を後にした。
結界術の練度から見ても高位の呪詛師の仕業、少なくとも呪術高専には報告するべき案件だ。後日正式に術師が検分に寄越されることだろう。そして術式自体は解除できていない。術式の解除は今の俺達の技量では難しい。そもそも解除することが難しければ、解除のために頭部に呪術的処置を施さないといけないというのが厳しい。いずれ犯人の呪詛師を何とかする必要がある。彼がもし目覚めたらその辺のことも説明しなければならない。
「少し後味が悪い結果になりましたね」
隣を歩く先輩に語りかける。その表情はやはり曇っている。俺も似たような顔をしているだろう。
「私達にできることはやったわ。どうにもできないことについて考えても仕方ない」
「わかってます。だからこれからできることを増やしていきましょう」
「…そうだね」
納得してないのは先輩もだ。人を助けたいなら相応の実力を身に着けないといけない。目につく全てを助けることなんてできないけど、俺は今、できるだけ多くを助けたいと思っている。
だが今は考えていても仕方ない。先輩の言う通り出来ることはやったのだから。
「先輩、気分転換に昼ご飯食べにいきましょう」
「私ラーメン」
「俺はうどんです」
「勝負する?」
「望むところ」
そのあとゲーセンで滅茶苦茶マリカした。