反転術式によって体を完全に復元した真だったが、やはり呪力消費は凄まじく、夏油の呪霊を祓うことで補った呪力分もほとんど使い果たしてしまっている。
だが自然な呪力回復のために十分な休養を取って体勢を立て直しているような時間はない。
夏油に連れられて去っていく直前、空は酷く不安定だった。錯乱していたと言ってもいい。
誰がどう見てもあの時の真は助かる見込みのない状態。真を見逃す代わりに夏油と縛りを結んだのは真が反転術式で回復することを期待していたのではなく単に冷静な判断が出来なかっただけだ。
時間が経って冷静になれば自棄になって自ら縛りを破ることも考えられる。それは夏油自身理解しているはず。
奴はすぐにでも彼女に仕事をさせるために動き出す。そしてそれが済めば用済みだ。その後彼女はどうなってもおかしくない。今すぐにでも追跡するべきだ。
真が呪霊を祓い、取り込む時、魂の強化に合わせて取り込んだ呪霊の魂が生み出す分の呪力も補填される。
『餌』が必要だ。失った呪力を補給するための。しかしそんなに都合よく呪霊は湧いていない。普段から街を巡回して呪霊を狩って回っていたことが裏目に出た。
一応、呪力補填の方法はある。
(背に腹は代えられない。あれをやる)
術式反転、『魄砕き』。
術式の順転によって魂を統合することができるなら、反転させることで分割できるのも道理。
真の術式反転は真円の魂を十三に等分する。数は別に真が定めたわけではないから、元々そう言う術式なのだろう。そして分かたれたその内の一つを、完全に砕く。呪力は魂からにじみ出る力。その元を分解してやることで純粋な呪力に還元する。その後、分かたれた魂は再び元の真円に戻った。
これにより枯渇していた呪力が回復した。
しかし代償は大きい。魂の一部を失い、単純にその分の強さも永久に失われた。
これでようやく戦闘に耐える身体に戻ることが出来た。
夏油が空を連れてここを去ってからそこまで時間は経っていない。今ならまだ間に合う。
追いかける術はある。以前空に渡していた呪具が効果を発揮する。
真の呪力をマーキングしたお守り、その方角を指し示す方位磁針型の呪具を今も持っている。酷くアナログな方法になるが仕方ないだろう。本当に使う機会がやってくるとは真自身も正直考えていなかったが、自分の周到さに感謝しなければならない。
そして今再び、今度は本来の使用方法で術式反転を使う。
真はそれを用いるためにすぐ近くに流れる川の元へ急いだ。必要なのは水だ。
式神術とは依り代に自分の呪力と構築した術式を乗せて操る技だが、今から行うことはそれとは微妙に違う。
「術式反転、召喚・分御霊『水龍』」
そこに現れたのは以前正悟と共に祓除した、水を操る呪霊。真はこれに水龍と名付けた。
これは姿形を変え、そして異なる術式を持った自分自身。主従関係が存在せず、術式による命令系統は存在しない。故に行動を縛るのは分身自身の思想のみ。
自分同士で思考が食い違うということは早々ないだろうが一応注意が必要ではある。自身の肉体、外界の環境に合わせて記憶や意識は変わっていく。それに分身は呪力で構成されている、本質的には呪霊と変わらない存在。あまりに長く分かたれ過ぎるとそういうこともありうる。
魂円呪法では真は取り込んだ呪霊の術式を使うことは出来ないが、使えないのは魂円呪法を持っている本体の魂に限った話。
呪霊を取り込んだ際に一緒に術式も取り込まれてストックされている。分けられた魂にはストックされた術式が刻まれる。だからストックの上限は魂円呪法を除いた十二、入れ替えは自由だが消去したストックは永久に失われる。術式は肉体と魂に刻まれるものであり、逆に現実に顕現した魂は元の呪霊の形を為す。幸いにもこれまで真が狩ってきた術式持ちの呪霊は十二にも満たなかったため、上書きされることなく水龍の術式はまだ残っていた。
弱点はある。分身を召喚している間は分かたれているその魂の分だけ本体の力も落ちる。そしてその分身が祓われてしまった場合その分の魂がそのまま失われる。分身を本体に戻すときには本体が直接祓って魂円呪法の術式順転を発動させる必要がある。万が一分身が造反するようなことがあれば戦って下すしかない。よって強力な術式であればあるほど分身として使う際のリスクも増す。本体は常に頂点の実力を持っていなければならない。
「頼む」
『承知している』
水龍は川の水を身にまとい、その身を宙に浮かせる。真は浮き上がる水龍に跨った。
そして水龍は水ごと自分の体を動かし、高速で移動を始めた。
真が成長するほど分身として生まれ落ちる呪霊も強くなる。しかし今は真の十三分の一の魂しか持っておらず、元の呪霊より若干劣化している。これは今の真の実力が元の呪霊の十三倍未満であることを示している。
夏油を倒すにはまるで足りない。少なくとも正攻法では勝てない。
だが予想が正しければ、夏油を出し抜くための好機はある。自分はその機会を待つために追いつき、そして耐え忍ばなければならない。
青森から飛んで、福島上空。
夏油は空を飛ぶ呪霊に乗って移動していた。
安全のため呪霊の口の中に入れて運んでいる空に向かって話しかける。
「もう少しで目的の場所に着く。傷心の君に鞭打つような真似をして悪いけど、早速仕事をしてもらうよ」
しばらく錯乱状態でいたのが、今は逆に怖いほど大人しい。あまり長くは持たないだろうと夏油は予想した。
呪術師という仲間を傷つけるのは本意ではないが、必要とあらばやる。夏油という男はどこまでも冷酷だ。だがそうやって心の底から気の毒に思っているということが逆に恐ろしい。既に一線を踏み超えて、人として必要なブレーキを自ら壊している。不必要な感情を排して怪物のような理性と湧き上がる非術師への嫌悪がこの男を動かしている。
「着く前に予め教えておこう。君にはある呪霊をこの世に呼び出してもらう。準備自体は全てこちらで済ませてあるから、君は術式を使うだけだ」
夏油が穏やかに語りかけるが少女は反応を示さない。
本来ならばあの真という少年を人質に取ることで協力を取り付ける予定だったが、予想外に強く、そして危険な存在だった。彼を殺したのは本当にやむを得ない
ことだった。今はまだ自分の足元にも及ばないだろうが、際限なく強くなるという術式の性能は本当に恐ろしい。呪霊を下せば下しただけ強くなる呪霊操術という術式を持つ自分だからこそ正確に理解できる厄介さ。自分が大義を果たすまで呪霊は無限に湧いてくる。つまり彼もまた無限に強くなることができるということ。無限の強さなんて一人で十分だ。
空に話しかけてからそれほど時間を置かず目的地に着く。
出迎えるのは夏油の同胞。彼が家族と呼んでいる者たち。
「夏油様、お疲れ様でした」
「夏油様おそーい」
長髪の女と、空と同い年くらいの双子の少女が夏油を歓迎する。
夏油は呪霊から空を引き上げて、呪霊を手持ちに戻した。
「ごめんごめん。でもそんなに遅れてはないだろう?準備は済んでるかい?」
夏油の問いかけに女の呪詛師が答える。
「呪物と儀式場は整えてあります。あとは降ろすだけです」
「そうか、ありがとう」
夏油はそう言ってその一見荒れ野にしか見えない丘の一画へ歩いて行く。そして夏油が一喝すると隠された洞窟への入り口が顔を覗かせた。その結界で隠された洞穴の中に足を運んでいく。
その儀式が非常に危険であることを知っている夏油の仲間たちは、夏油に同行することなく洞窟の外で見張りの役を担う手筈になっていた。
「ではお気をつけて」
「心配ない、前みたいなヘマはしないよ」
そう爽やかに笑って見せて、夏油は虚ろな少女の手を引いて暗い洞窟の中へと姿を消した。
ここはとある妖怪についての伝説が残る土地。
その伝説の名は、殺生石伝説といった。
真は水龍に跨って空を高速で移動していた。
そして空が持つお守りの方向を指し示していた方位磁針が急に方向を変える。
(通り過ぎた!ということは先輩はこの辺りにいる!ここは…)
持っているスマホで地図を調べる。示されるのは栃木県の最北端の町。
真は自分の予想が正しかったことを悟った。
夏油の目的はやはり自分の予想通り、新たな特級仮想怨霊の降霊と使役。
大嶽丸という特級呪霊の実力を肌身で実感したからこそわかる。特級呪霊は他の有象無象とは比べ物にならないほど力に次元違いの差がある。あれさえあればその他の呪霊なんて戦闘において本来は全く必要とされないはず。まさに一騎当千の力。夏油がそれを欲しがっているということはすぐに予想がついた。
そしてこの土地に残る伝承から呼び出す呪霊といえば答えは一つ。
時間的猶予は殆どない。急がなければならない。
水龍は真の指示を聞くまでもなくその巨体を急降下させる。
そして誰にも見られないように地上およそ100mほどのところで真は水龍の首を跳ねた。
祓われた分身は呪霊として術式に認識され、真の魂へ還元される。
しかし本物の呪霊ではない。自分自身を殺すというのは妙な感触だった。だが今はその感慨に耽っている余裕はない。
初めて訪れる地であり土地勘なんてない。呪具だけを頼りに夜の大地を駆ける。もし夏油に地下に潜られた場合少し厄介だ。
しかしそんな真の心配は杞憂だったようだ。
斜め右前方50m、案内役がいた。
真が気配を察知出来る範囲は、妨害がなければ五感による探知でおよそ半径50m、魂魄感知は約10m程度。
僅かに周囲を警戒している人間が数人、不審に思って近づいてみると術師だった。
魂を認識できる真には魂から呪力が無造作に漏れ出ているかどうかがわかる。今この場で呪力を操れる存在が善良な呪術師である訳がない。
十中八九夏油の仲間。だが向こうは真を認識しておらず完全に油断している上、どいつもこいつも素の実力自体大したことはなさそうだ。
これならば簡単に利用できる。
真は気配を完全に絶ちつつ背後から標的へ接近し、呪力の刃を首元に突きつけた。
そして周囲に聞こえるように脅迫する。
「俺を夏油のもとへ案内しろ。質問は許さない。抵抗すればこいつを殺す」
標的は双子の片割れの一人。
近くにいた他の術師にもわかるように脅す。
自分と同じくらいの歳の子供だなんて関係ない。今の真には明確な優先順位が、確固たる目的がある。
突然出現した脅威に自分の姉妹が危険にさらされて、反射的にもう一人の双子が問いかけてしまった。
「美々子!!あんた一体どこから…」
一切の躊躇なく、真は美々子と呼ばれた黒髪の少女の首を裂いた。
一筋の紅い線が宙を舞った。新鮮な血の匂いが辺りに立ち込める。
紛れもない残酷な現実を知らせるための匂い。
目の前で起きた惨劇に、その双子の片割れの少女が金切り声を上げた。
しかしその鮮血はすぐに止まった。
「二度言わせるな。今度は本当に殺す」
「あ、あれ?」
首を切られたはずの少女が呆然としたように声を発する。首元には傷一つ残っていない。少し痛いと思ったかもしれないが、今はもはや痛みすら感じない。
幻だったのかと誰もが思った。
違う。
今のが幻ではないことは飛散した血痕を見ればすぐに分かる。真が即座に反転術式で治癒させ、あたかも幻であったかのように見せただけだ。
実力差を理解せずに向かってこられても面倒だからこうした。しかしこれでただのハッタリを言っているわけではないことは伝わったはず。彼我の実力差もまた。
後は『縛り』によってこちらの要求を伝える。
「縛りだ。俺を夏油の元に案内してくれたらこいつを解放する。そしてお前たちが俺や先輩に危害を加えない限り、お前たちへ攻撃しないことを誓う。夏油傑を除いて。どうだ?まあ受け入れないなら殺すまでだが」
周囲の呪詛師たちは観念したのか、警戒しつつも降参の意を伝えてきた。双子の片割れだけは敵意を剥き出しにしているが。
ここまであっさりといったのも、おそらくこれでも真が夏油に敵わないことを知っているからこそ。話が早くて助かる。
案内兼監視役として片割れの金髪が付いてくる。
案内役に連れられて、真は結界に守護された洞窟の入り口にやってきた。
典型的な隠すための結界。
観光名所として野に鎮座している殺生石は当然呪物でもなんでもない偽物。
本物の殺生石がこの奥にあるらしい。ご丁寧に人質の少女が教えてくれた。
縛りの件もあるしおそらく本当だ。それに呪具がこの先を指し示している。
しかし伝説の呪物が収められているにしてはそういった呪力を感じない。奇妙な静謐ささえ感じさせる。
ここまでで良いと、案内役に人質の少女を開放する。
そして別れ際になって案内役の双子が真に話しかけてきた。
「…あんた、さっき本気で美々子のこと殺すつもりだったでしょ。なんで止めたの?」
「平和主義だから。それに殺すつもりなら一人だけ残して他は全員殺してた。邪魔だからな」
実際はそんな非効率で時間がかかることはしないが、脅しには丁度いいだろう。
そして双子の少女たちは悍ましい化け物でも見るかのような顔で真を一瞥してから去っていった。
暗い洞窟の中を、先程のの双子の表情を思い出しながら真は進む。
(さっきは嘘をついた。俺は本当にあの女を殺すつもりだった)
あの時、真は確かに明確な殺意を持って刃を引いた。そして確かにこの口元は仄暗い悦びに歪んでいた。
あいつらは夏油の仲間、おそらくは目的を同じくする同胞。
奴が大切にしている存在が自分に殺されたと知ったら、その時どんな顔をするのだろうか。怒るだろうか、自分に憎しみを向けるだろうか。ざまぁ見ろ、いい気味だ。お前の全てを奪ってやるぞ、と。
そんな欲望が真を支配していた。
そして血迷った。引き金を引いてしまった。
欲望が達せられた瞬間、一瞬の思考の空白が生まれた。
その刹那にも満たない時間は自分の薄汚れた魂を認識するには十分だった。
圧倒的な後悔が押し寄せた。
浮かぶのは大切な少女の顔だった。彼女はまだ死んでいない。今のこんな醜い自分を見たらどう思うだろうか、合わせる顔がない。もう二度と一緒にいられる気がしない。
まだ間に合う。人質の少女はまだ死んでいない。まだやり直せるはずだ、とそう思った。
夏油と何も変わらない。自分の欲望のままに人を傷つける怪物。いつの間にか以前の自分が唾棄していた存在に堕ちてしまっていた。
(最低だ、俺は)
だが後悔している暇はない。救うべき人と、倒すべき敵がこの先にいる。
後悔なんて全て終わった後にすればいい。
真のプランは唯一つ。
特級仮想怨霊がこの世に誕生した瞬間を狙って、不意打ちで一気に祓うこと。
いくら呪力量に差があっても、反転術式の正の呪力を使って呪霊の魂をピンポイントで砕けば難しいことではない。
問題は如何にして抵抗を許さず最速で、正の呪力を叩き込めるゼロ距離まで接敵するかであるが、誕生した瞬間であれば外界への認識が甘いはずだという予測がある。
夏油があの大嶽丸という特級呪霊を従える際にしたことも同じようなことだろう。少なくとも真正面から打倒できるような性質の呪霊ではなかった。
だが同格の特級呪霊を取り込みさえすれば、それも適う。奴の疾さについていけるようにさえなれば。
(最悪なのは夏油が俺と同じ手を使って先に呪霊を手に入れられること。その場合は一か八かで奥の手を使うしかないが、成功する可能性は低い。俺の存在を夏油に悟られる訳にはいかない。)
気配を絶ちつつ走っていくと、少しして空間に明かりが漏れているのが見えてきた。
さらに慎重になりつつ進んで行き、広い空間が広がっているのが察知できた。
気配は二つ、夏油と、空のものだけ。呪霊はまだ降霊されていない。
夏油の長ったらしい前口上だけが聞こえてくる。
どうやら奴の話が無駄に長いおかげで間に合ったようだ。
しかし気を抜いている暇はないらしい。
夏油の話が終わり、ついに空が術式を起動させ始めたのを真は感じた。
呪霊の肉体と魂は呪力で構成される。元となる呪力は必要だ。
夏油がこの時のためにと溜めていた有象無象の呪霊たちをまとめ上げ、一つの呪力塊として放出した。
今、ついに新たな特級仮想怨霊が誕生する。
だがその結末はこの場にいる誰もが全く予想しなかったものになった。
実は何回か展開変えて書き直してるから頭ごちゃごちゃになって色々矛盾が出てるかも
特に真人関係は地雷原。
もし読んでくれてる方いたら許して!