少しだけズレた少女と、かなりこじらせた少年の、微妙に非日常な物語です
少し前から毛布はいらなくなった。
寒くもないが暑くもない、入浴からしばらく経って冷え始めた身体に羽毛布団をかぶればちょうど良い暖かさである。
寝るときがそうも至福であれば、目が覚める時もまた同じ。
『春眠暁を覚えず』と言うように、夏の蒸し暑さも冬の刺すような冷気もなく、眠りを妨げるものなど何もない季節の睡眠は最高級の贅沢だ。
学生に課された通学というノルマも春休みという免罪符にかき消され、心ゆくまでその贅沢を堪能できる。
はずだった。
「やっほぉぉぉ!! 」
なるほど、そう来たか。
いや、連日こうして邪魔をされていれば今日もまたこうなるのだろうと予測はしていたのだけれど、その手口には恐れ入る。
昨日は僕の母親に僕が学校で先生のことを『お母さん』と呼んでしまったことをさもつい最近のことのように教えて、僕の古傷を母親経由でえぐって快眠を妨げた。
一昨日は前日(終業式)の放課後に僕のスマホを勝手に操作してマナーモードを解除した挙げ句にアラームの音を動画投稿サイトから拾ってきたいかがわしい(ように聞こえる)音声に変え、それを大音量で早朝と呼んでいい時間に鳴らされた。
玄関前から大声で叫ぶというのはシンプルで、何も考えていないようにも思えるが、下手に策を練るくらいなら単純に考えるのがいちばん効果的だ。
ここは団地だから、少なくとも今のは左右3軒には聞こえただろう。彼女は別に幼なじみでもなんでもないから、無愛想コミュ障で名を馳せる僕の家の前で見ず知らずの女の子、しかも悔しいことに相当に目を惹く容姿をしている彼女が僕の名前を呼んだことは家庭内どころか近所一帯総出での大騒ぎになるだろう。場合によっては集会所の小部屋に通され、消防団若手の屈強な男どもに尋問されるかもしれない。こんな田舎での結束意識はまあ迷惑なもので、僕の母親がタイムラインに乗せた情報は同じ学区の子どもを持つ親全員に知られるといっても過言ではない。
ああ、布団から出たくない。
うだうだと巡る思考の結末は結局そこにしか収まらない。いずれ訪れる不幸より、今ここにある幸せだ。
さてどんな言い訳を並べればこのまま寝ていられるだろうか。仮病か、それとも寝たふりか。小学生中学年くらいの子どもにも劣るような稚拙なアイデアしか出てこないのもきっと、布団の魔力が僕を蝕んでいるからだ。
ああ、そうか。
ついさっき、答えは彼女が示してくれたじゃないか。
単純明快、即断即決。
母親は既に彼女に取り込まれていて、既に階下からは怒鳴り声が聞こえる。もう、昼まで布団のなかで過ごすというプランは諦めた。
ならば取る手段はひとつ。
ギリギリまで気付かなかったふりを続ける。
そう、少しでも長くこの楽園に留まるのだ。そのことだけを考えろ。
「起きてるんだろぉぉぉ!! 早く出てこないと学校中に『アレ』言いふらすぞぉぉぉ!! 」
勘弁してよ、マジで。
一気に覚醒した頭で手足を動かし、布団をはねのけて階段を飛び降りる。「っつぅ …… 」最後の一段を踏み外して腰を角に打ち付けたのも構わず、背骨を駆け抜けていく鋭い痛みを堪えてリビングへ。取り込んで床に散らかされている服の中から自分のものを抜き取って素早く着替え、朝から騒がしい息子を冷ややかに見つめる母の視線を背に受けて玄関を開ける。
「ふぅん、そんなに知られたくないんだ」
特大パフェを目の前にした年相応のJKのような笑顔でそんなことを言えるのだから、この天三 進は大した役者だと思う。
「何も秘密なんかない …… けどこういうのは『言われた時点で詰み』なんだよ」
「うん、知ってる」
また満面の笑顔。この女は、自分が他人からどう見られているのかを完璧に分かっているからたちが悪い。
「とにかく、一旦部屋に戻るぞ …… 」
財布が入ったポーチを部屋に忘れたのだ。少し上ずった呼吸と腰の痛みをごまかすように告げると、ムラサキは「上がっていい? 」などと聞いてくる。
「30秒で戻る」
ばたん、と勢いよく扉を閉めて上下しっかりと鍵をかけた。
※※
どうやら駅前のショッピングモールに行くらしい。最近やたらとテナントが入れ替わっているらしく、ネット広告にもよく流れてくるくらいだ。
今は七時。確か開店は10時だから、開店直後を攻めるにしても流石に早い。ムラサキの心配性にも困ったものだが気持ちは分からないでもない。電車に一時間揺られるのはいいとしても、最寄りの駅まで自転車で15分というのはなんとかしてもらいたいものだ。車を運転できるからといってこんなところに家を建てた両親に少しだけいら立ちもする。
「で、何を買いに行くんだよ」
「んー、『バルバロッサ』さんの新刊」
オーキヅキ・バルバロッサ。
やけにファンタジーチックなペンネームからは想像もつかない硬派な歴史小説で一定以上の知名度を誇る作家 …… 数冊貸してもらって読んだ感想は、上の下ってところだろうか。
確かに、新刊を買うために足を延ばす価値は十分にある。
「でもわざわざ駅前まで行かなくたってさぁ」
「ついでにいろいろ見て回りたいんだって。どーせ暇なんだから付き合ってくれたっていいじゃんか」
「お前はなぁ …… 」
なんだかんだ言いつつ相手をしてやっているのは、結局僕にとって『美人から二人でのお出かけに誘われる』という状況がまんざらでもなくて(たとえ性格に難があったとしても)、それに付き合いも長くなってくれば互いに居心地のいい距離感を掴めているからというのもある。
安っぽいラブコメによくある『クラスメートにからかわれるが当人たちは決して認めないカップル』の当事者はこんな感じなのだろう。何かきっかけがあれば、僕らもそういう関係になるのかもしれない。
そんなことはどうでもいいのだけれど。
ともかく僕らは、2人乗りも並列運転もながら運転も許されなくなったふたつの車輪がついた乗り物に乗って、さほど急ぐわけでもなくとろとろと駅へ向かっていた。
2人でやっているソシャゲに最近追加された新キャラの話だとか、典型的なダメ上司みたいな性格をしたムラサキの部活の先輩の話だとかくだらないことをだらだらと喋りながら。
早すぎる時間に召集をかけられたことによって生まれた空き時間を調整するためのこの行動が裏目に出るとは、全くもって予想できないことだった。
「ガシャン」
あまり聞き馴染みのない不穏な音、その発信源に目を向けると、薄手のパーカーにジーンズというボーイッシュな格好をした女性が金網に抱き抱えられていた。
年は同じくらいだろうか?
身長はざっと170センチはありそうだ。
「アレ、追いかけて」
ぞくりとするムラサキの声音に反射で「はい!! 」と返事をして視線を前にやると、学チャリを立ち漕ぎする男の後ろ姿が見えた。
それでようやく得心がいった僕はペダルを踏む足に目一杯の体重をかける。
ああ、ちなみに「ムラサキ」っていうのは去年の春に僕が天三さんにつけたあだ名で、由来はまあ …… ってこんなこと話してる場合じゃないか。
「待ってくださいっ!! 」
僕の前を行く男の手には、明らかに女物と分かるバッグが握られている。いわゆる通り魔ってやつだろう。
となれば、さっきの僕のバカ丁寧な叫びは場違いなものに思えてくるが仕方ない。他人を怒鳴ったり叱りつけたりした経験などないのだから。
わりと繁盛しているらしく車の往来が激しいコンビニの駐車場と道路の間の歩道を乱暴に突っ切って、見通しの悪い交差点に飛び出しクラクションを鳴らされても男は止まらない。
数百メートル進んだところで、後ろから女の叫び声が聞こえた。
「 …… ないで!! 」
知らない声。たぶんバッグを取られたあの子の声だ。『逃がさないで』だろうか?
俄然ペダルを踏み込む力を強めた僕のジーンズのポケットの中で、間の悪いことにメッセージの着信音が響く。無視しようと思ったら続けざまに電話がかかってきて、「ああ、もう」と震えるスマホを荒っぽくポケットから引っ張り出す。
ムラサキだった。
日頃からしっかりとしつけられている僕は無視するなんてできず、いちど自転車を止めて電話に出た。
「そいつのことは追いかけないで、って間波さんが」
間波さん? と疑問符を浮かべ、どうやらそれが被害者の名前なのだと思い当たる。ムラサキはあの場に残って付き添っているらしい。
普段がひどすぎて気付かないだけで、そういうところはしっかりと普通の感覚を持っているのがムラサキだ。
僕が通り魔にあって倒れてたって、「どうせ盗られるならその前に私にくれれば良かったのに」とか平気で言い出しそうだが。
「追っかけるなって、あのバッグ盗まれたんだろ? 交番も遠いし、直接とっちめるしかないでしょ」
「私もよく分かんないけどいったん戻ってきて。なんかワケありみたいだし、説明させるから」
ひっ、と悲鳴が聞こえた。
凄むと怖いからな、ムラサキは。
でも僕だって説明してもらわなきゃ気が済まない。こういうモヤモヤしたのは嫌いなんだ。
「りょーかい」と努めて明るい声を出して、遠ざかる男の背中を睨み付けながら僕は道を戻った。
ムラサキと間波さんはコンビニの駐輪スペースの車輪留めに腰掛けてジュースを飲んでいた。呑気なものとは思うけれど、間波さんを落ち着かせるには必要なことだろう。
これを口実にのちのち何かの出費を負担させられないかという心配は心の片隅にしまい込む。
いくらか落ち着いたらしい間波さんの顔を見ればこちらも少し冷静になれた。いずれ訪れる災難より、いまここにある幸いだ。
「で、さっきのことなんだけど」
びくり、と間波さんの身体が震えた。
今のは意識的に優しい声を出していたようで、ムラサキも少し俯いている。
心配しなくとも、普段からそれなりに怖いよ。
「っと、間波さん、見失っちゃったけど、よかったの? 」
フォローに入る僕に対しても声にならない怯えを示していた。しかもムラサキの方からは「キョドってんじゃねぇよ」と言いたげな鋭い視線が投げつけられている。
もともと異性との会話は苦手なんだ、特に同世代ってのは。
「はい、これでいいんです。私と、タマとの約束ですから」
「物騒な約束だね。どんな内容か知らないけど、誤解を招くってレベルじゃないよ」
ムラサキの返答の速さにまた間波さんがフリーズする。
怯えているというより、一言一言を吟味して口に出しているような、そんな印象だった。
「私、前にタマ …… 球木くんに告白されて。その返事を今日、渡すことになっていたんですが …… 」
「告白ぅ!?」と驚くムラサキの反応は順当なものだ。
黙っていればいくらでも男が寄ってくるであろう容姿をしていながら、いらぬ噂話を学校じゅうに知られてしまっている彼女にそんな機会があるはずもない。
「球木 …… 確かB組の、サッカー部部長だっけ」
「コミュ障陰キャのクセにそういうの詳しいよね、ローカ」
「そういうとこ隠せばお前は堂々とクラスの輪に溶け込めると思うんだが」
「学校で習ったのよ、『表裏のある人間になるな』って」
「全国の疲れた顔したサラリーマンにアンケート採ってみろよ、絶対にそれ実践できてるやついないから」
アホらしい。
「で、告白の返事だっけ」
「はい」
少し表情が解けた間波さんが話す。
「直接伝えるのは恥ずかしいから、手紙で答えるって言ったんです。受け渡しは○○駅の約束でした」
ムラサキがこちらに視線を寄越す。カレシいない歴イコール年齢の奴には分かるまい。
まあ僕だって同じだけれど。
ロマンチックってなんなんだろう。
「もしかして、あのバッグの中身」
小さな顔が、無言でこくりと頷く。
ムラサキはどちらかと言えば「綺麗」と表現される美人だが、間波さんは「かわいい」と言われるタイプだろうか。
目線が自分よりも上にある人に対して使う形容かどうかは分からないが。視線を合わせられないのも、それが少し響いている。
「まさか、直接返事もらうのにビビって手紙パクったとか? めんどくせーとか飛び越えてやべーヤツだよ、それ。やっぱり追い掛けるか」
本性出てるぞ。
そもそも「追い掛ける」のは僕なのだけれど、相手がサッカー部の部長ともなれば追いつける気がしない。
放課後に山奥の道場まで自転車を漕いでいる以上、弓道なんていう半分文化部みたいな集団のなかではそこそこ体力があると自負してはいても相手はグラウンドを何十分も駆け回る正真正銘のスポーツマン。敵うわけがない。
というか、思春期の男女のデリケートな部分をそんなにバッサリ行くなよ。
と、そこで何か違和感に気付く。
何かがおかしい、という漠然とした感覚。何気なく二台並べて停めた自分たちの自転車を見てみる。
改造もなにもしていない標準的な学チャリ。銀色のフレーム、反射板のついたタイヤ。車体番号が書かれたシール、
学校の通学認定シール。
うちの学校は学年ごとに色が違い、僕たち3年生は青色だ。
「間波さん」
改めて女子の名前を呼ぶと、やっぱり少し声が上ずる。つられたのか間波さんまで上ずった声で「はい」と答えた。
「バッグ盗った人の顔は見た? 」
「いえ、突然のことだったので」
やってしまった、と直感した。
「髪型はスポーツ刈り、身長はたぶん170センチくらい。服装は黒っぽいTシャツに青色のジーンズ。後ろ姿しか見てないからこのくらいしか分からないけど」
そこでいったん言葉を切る。
既にムラサキはなんとなく察したらしく、僕に向けたからかうような笑みは消えている。
「自転車の通学認定シール、ピンク色だった」
ムラサキの呼び出しを無視して追い掛けていれば。
激しい後悔が頭を殴る。
「ただの通り魔ってことか」
固まってしまった間波さんに代わってムラサキがはっきりと言う。
これは優しさなのか、それとも追い打ちなのか。敢えてその表現を避けた僕には分からないことだ。
「やっぱり取り返さなきゃだね」
「逃げた方向、見当もつかないだろ」
「ムラサキなら分かると思うんだけど」
黒っぽいTシャツの背中にでかでかと書かれていたのは、『一球入魂』。そしてピンク色の通学認定シール。
「その色と言葉なら、北中だろ。野球部の連中がそれ着て通学してるのを見たことがある。あそこも認定シールは学年色だったはずだ、ピンク …… いや、色褪せた赤だろうな。ってことは、今年の2年、いまの高2、それより前となると …… 」
「あのTシャツは、私たちの代から始めたものです」
諦めたように、そして怒りに震えるように間波さんが言った。
そういえば、今も野球部のマネージャーだったっけ。
「じゃあいまの高2で間違いない。高校の認定証貼ってないってことは電車通学でしょ。知り合いに北中の野球部OBいるし、確認すればほとんど絞り込めると思うよ」
言いながらスマホを取り出し、すぐに電話を掛ける。
あいつは返信が遅いタイプだから、SNSでの連絡は待っていられない。
結論、容疑者は1人だけだった。
学年からなにからいろんなことを特定したのだからすぐに分かるとは思ったが、ここまですんなり行くとは予想外。まあ、これだけの情報であっという間に個人を特定されてしまうのが田舎の良さでもあるし悪さでもある。
家を訪ねると、玄関の扉を開け間波さんの顔を見たとたんそいつは気まずそうにうつむいた。
いや、そんなレベルの話じゃないんだが。
ともかく警察沙汰にはしない、と約束して、めでたくバッグは持ち主のもとへ帰ってきた。
しかしムラサキは髪の毛が逆立つほどに怒りを露にしていて、僕が宥めるのも振り切って一言だけ怒鳴り付けていった。
「事情は聞かない、聞きたくもないけど、他人のものを不意打ちで力任せに奪うなんてのはやっていいことじゃない。力ずくなら正面から正々堂々、自分より強い奴に挑みなさい」
少年マンガのセリフっぽいが微妙に違う。この場合ダメなのは弱いものいじめではなくひったくりなのだが …… 指摘してもマトモに取り合わないだろうからわざわざ言ったりもしないけれど。
ここまでを済ませ、駅に着くまでに2時間ほど。かなり遅くなってしまったが、ムラサキがやたら早い時間に呼び出しをかけたお陰でまだ開店の時間も来ていない。
間波さんの待ち合わせ場所も同じだったから自転車置き場までは一緒だったけれど、さすがにそこから先はやめておく。
その日はショッピングモールで本来の目的を果たし、自分ひとりでは決して行くことのない洒落た店で家族への手土産を買い、フードコートのざわめきの中で昼食を済ませて家に帰った。
もちろん代金は自分のぶんだけを払う。
ムラサキ曰く、「奢らせるなんて付き合ってるみたいじゃない」――ごもっとも。
しばらくして、風の噂で間波さんたちのカップルが別れたことを知った。
原因はどうやら、あの手紙にあるらしい。
「球木のやつ、後輩に手紙を受け取らせたらしいんだよ。それでイエスだったから、待ち合わせ場所に行ったってさ。直接返事聞くのが恐いってのは分かるが、さすがに臆病すぎるだろ」
最初に間波さんが言っていたことは間違いではなかったようだ。
受け取らせたのではなくひったくらせたのだと広めれば球木の評判がさらにがた落ちするだろうことは目に見えていたから言わなかった。たぶん間波さんは言わないだろうし、ムラサキが言っても話半分でしか聞いてもらえないから広まることはないだろう。
下手をすれば球木の恨みをかううえ、自分とはほとんど関わりのない後輩くんにまで被害が及ぶ。余計な波風を立てるのは僕の主義に反するのだ。
ムラサキになじられ、怒鳴られても本当のことを言わなかった後輩くんには、少し好感を覚えていたし。
後日ムラサキから借りた『バルバロッサ』の新刊は、戦乱の世の中で愛を育む学生たちの青春を描くものだった。
重厚かつ濃密な時代背景の描写と同時に進行する甘ったるい恋物語は胃もたれを起こしそうなほどで、正直苦手なタイプのストーリーだったけど、たまにはそういうのも悪くない。
特に何も考えずノリだけで書いてみた青春です。
今は何もアイデアありませんが、気が向いたら続き書くかもです。