追憶のオーバーロード   作:wash I/O

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第7話 追憶のオーバーロード

 ピーは垂直に切り立った壁を登っている。

 

 壁は磨き上げた鏡のように真っ平らで、一定間隔に手足を引っ掛けることのできる溝がある。ここへ指と足をかけて延々と登っている。上下(じょうげ)方向いずれも、どこまで続いているのやらわからぬ水平線(すいへいせん)……ならぬ垂直線(すいちょくせん)

 

 どうしたことか、何故これをやっているのか、何時(いつ)からやっていて何時(いつ)まで続くのか、ピーにはまったくわからなかった。

 

 思い切って手足の力を抜いて落下してしまいたい、という衝動は、溝ほどではないがやはり一定間隔で訪れる。が、これも何故かピーは都度拒絶し続けている。

 

 自分が何か大切なことを忘れてしまったのだ、という自覚はあるが、忘れてしまっているがゆえにそれが何であるかは皆目見当がつかない。ただ、登り続けねばならない、という思いだけがある。

 

 これまた何度目であったかわからない小休止を終えてピーは再び登り始めようと視線を上へと向けたが、そのとき、前方……正しくは上方(じょうほう)の様子に変化が生じたことに気づいた。上方向の垂直線が、まだまだかなり先ではあるが途切れているように見える。ひょっとするとあれが到達すべき目的地(ゴール)なのだろうか。

 

 しかしそんなことに思い悩んでも意味はない。そこまで行ってみないことにはそれが目的地であるか否かはわからないのだ。その程度の分別は備わっているピーは、焦って手を滑らせないよう、これまでにも増して慎重に登り始めた。

 

 ややあって、もうあと少しで切れ目に手が届きそうだ、と希望が見えたその瞬間、地震でも起こったかのように壁が揺れ始めた。憶えている限りにおいてこんなことは初めてだ。必死に壁にしがみつくが、これは耐えられそうにない、と覚悟を決める。

 

 果たせるかな、ついに揺れに負けてピーは背中の方向へ向かって自分の体が宙に浮いたのを感じた。下方向はどこまで続いているのだろう。もう、登り続ける必要がなくなったことを喜ばしくは思うものの、あと少しでたどり着けるかに見えた切れ目の向こうに何があったのかは心残りだ、と思いつつ目を閉じようとしたとき、切れ目の向こうから手が差し出されてピーめがけて伸びてくるのを認める。

 

 咄嗟にそれを取ろうとするが、よく見ればその手は人間のそれではなく、骨の手だ。

 

 取るべきか、取らざるべきか。

 

 判断猶予の時間はほとんどない。

 

 

                    *

 

 

「……かっはぁ!」

 

 溺れていた水中から辛うじて顔を上げ、ようやく(こら)えていた呼気を吐き出したかのようにピーは声を上げた。まだ思考が混濁していて、自分の置かれている状況がたちまちに理解できない。

 

 ややあって、ピーは周囲から自分の名を呼ばれていることに気づいた。

 

「ピー、大丈夫?私がわかる?」

 

「……デルカか?」

 

 そして遂に自分に何が起きたのか察したピーはさっと右手を自身の左胸の上においた。

 

 モモンガの<心臓掌握(グラスプ・ハート)>を喰らって破裂したのを鮮烈に記憶している心臓からは、確かに鼓動が伝わってくる。

 

「ダラムは<蘇生(リザレクション)>が使(つけ)ぇーたんだっけか?」

 

 聖騎士(パラディン)攻性(こうせい)より設定のダラムは回復魔法はともかく、蘇生魔法までは習得していなかったのではなかったか……とまで思考して、反射的に自身の状況(ステータス)を確認した。百レベル限界到達(カンスト)だったはずのそれは九十と(すこ)しになっていて<蘇生>ペナルティを受けたのは明らかだ。一部の魔法が使用不能になっているのも直感的に理解できた。

 

「……どーいうことか説明してくれ。」

 

「それはオレからさせてもらおうか。」

 

と聞き慣れない声がしてそちらに視線を向けると、自分自身の(かたき)の姿がそこにあった。

 

「モ……モモンガ……さん?」

 

「今はアインズ・ウール・ゴウンと名乗っている。アインズ、と呼んでくれ。」

 

「……それはギルドの名前じゃねーんですか?」

 

「そこいらは話すと長くなるから追々。

 おまえのことは仲間に倣ってピーと呼べばいいか?それともホーソンかな?」

 

「……デイヴィッド・ホーソン……だ。」

 

 結局アインズは、その後も彼をピーと呼び続けることになる。

 

 

 

 三賢者会議(トリニティ)(けもの)から七日後、アインズは五人組がニグレドによる完全監視状態で軟禁されていたギルド拠点、エリュシオンを訪れていた。エリュシオンは帝国自由都市リ・ロベル沖合の無人島に、岩礁に()もれる形で存在している。

 

 エリュシオンの名はデイヴィッドが与えたものだが、元はユグドラシルにおいて課金により贖うことができた汎用ギルド拠点であり、正二十面体が四つ繋がった形をしていた。最初の一つが基本ユニットでNPCレベル二十。これだけではほぼ意味をなさないが、正二十面体をひとつ追加購入する毎にNPCレベルが百増え、最大で二十個まで連結可能だが、ユニットコストが次第に加重され一般的なプレイヤーが賄える額面を超えるため、デイヴィッドが利用している規模、つまり基本ユニット一つ+拡張ユニット三つのNPCレベル計三百二十で運用されるのが一般的であり、デイヴィッドもそれに倣ったものである。

 

 アインズの供回りはデミウルゴス、パンドラズ・アクター、コキュートス、セバス、に加え、エントマ、ソリュシャン、シズを除く戦闘メイド(プレアデス)が同行している。もはや戦意はないとは言え、百レベル四人を要するギルド拠点に乗り込むのであるから、ここ百年来のナザリック勢の外征としては最大規模の部隊編成が組まれた。

 もっとも、パンドラズ・アクターがダラム、デルカと、セバスがリーマンと、既にある程度打ち解けていることをアインズは理解しているので、さほどの心配はしていない。念には念を入れて決して舐めて掛からないのは、もはや彼のお家芸である。

 

 アインズは、ピーの仲間たちの理解を得た上で、ピーと二人きりでの会見の場を設けた。

 

 まずアインズを驚かせたのは、ピーが開口一番、

 

「ユグドラシルは日本語の世界だと思ってたが、流石、有名ギルドの(かた)ともなると英語が話せるんだな。」

 

と言い出したことだった。

 

 言われてみれば、現地人同様にピーたちの会話は口の動きと聞こえてくる声の間に乖離があるのに気づいたが、ユグドラシルプレイヤーは同じ日本語話者だという思い込みがその発見を遅らせた。

 

 一方で、彼の本来の国籍は終ぞわからず仕舞いだった。

 

 彼らが、現実社会(リアル)の記憶をまったくもっていなかったからだ。

 

 (おも)にダラム、デルカからパンドラズ・アクターが聞き出したエリュシオンの来歴から、アインズはこのことを前もって予想はしていた。

 

 アインズが元の自分が会社員鈴木悟であったことを理解できるのは、<アインズ・ウール・ゴウンの日誌(ログブック)>に記録された数多くの会話の中で、彼が少なくない仲間から鈴木悟と呼ばれ、同志ヘロヘロなどとブラック企業勤めについての愚痴を交わしていたからだ。

 

 エリュシオンに籠もり、かつての仲間を模したのであろうNPCに独り話しかけ続けていたピーには、そういった要素がまったく欠けている。結果、彼は自分をユグドラシル生まれのユグドラシル(じん)であり、かつ、周囲の大半の人々とは異なる母語を持つ少数派(マイノリティ)だと認識していた。

 

 ピーにとって異世界転移は、ただただ創造したNPCたちに突如自我が生じた奇跡(ミラクル)だったのだ。

 

 ピーたちがモモンガたちの情報をそこから得たという『ユグドラシル・リーダーズ・ギルド・レビュー』をアインズが知らなかったのも、これが英語刊行物だったからだ。このことに気づくまで、アインズはピーと交渉してそのデータを持ち帰ることが出来ないか、と夢想していたが、この世界の自動翻訳の力が活字に及ばないことは既に理解していたので、面倒臭くなって()めにした。

 もっとも、仮にこれを最古図書館(アッシュールバニパル)を探せば出て来るはずの英和辞書を片手に読んだところで、日本語で書かれたユグドラシル攻略ウィキからの抜粋の粗悪な英訳であることに気づくだけなのではあるが。

 

 このことも含め、アインズは敢えてピーの認識を正そうとは考えなかったし、<日誌(ログブック)>の秘密についても語らなかった。これらは、自分がそうであったように自分自身で気づくから意味があるのであって、他人から知識としてもたらされるのであれば魔女アナールがおこなった使嗾となんら変わらない。

 

 そもそも、この世界からかつて鈴木悟が暮らした現実世界(リアル)への接続(アクセス)手段が一切ない今、そのような知識になんの意味があるだろうか。それ以前に、現実社会とアナールの妄執、そしてピーの自己欺瞞の間に、真実性という点において優劣があるとは、アインズには思えなかったのである。

 

 なので、アインズは話題を実用的なことに絞った。

 

「ピー、二つほど大切なことをおまえに伝えたいと思う。聞いてくれるか?」

 

「……アインズさんには(えれ)ぇー迷惑をかけちまったし、こーして生き返らせてもらったからには、拒む筋はねーわな。」

 

「では、まずはギルド維持に要するユグドラシル金貨の話だ。」

 

 途端にピーの顔色は曇った。パンドラズ・アクターが気づいていたように、やはりピーに無茶をさせたのはこの問題が主因であったらしい。

 

 おそらくユグドラシル時代のピー、すなわちデイヴィッド・ホーソンは、定期的に重課金をおこなうことでエリュシオンを維持してきたはずだ。課金にはコンソールへのアクセスが必要になるが、少なくともナザリック地下大墳墓においては、転移後コンソールは応答したことがない。

 どこかの時点でピーもまた自分がもはや課金の手段を持っていないことに気づき、とはいえそれを、そもそもギルド維持の仕組みについての知識を欠く仲間たちに相談することも出来ず、独り追い詰められたのだろう。

 

 逆に言えばアインズは、ユグドラシル時代にたまたま自身の創造物であるパンドラズ・アクターに宝物殿守護者かつナザリックの財務責任者、などという、ユグドラシルにおいては特段意味を持たない背景を与えていたことに、結果的に随分と助けられたことになる。

 

「オレは当面の維持費をおまえに貸し付けるに十分な余剰金貨を持っている。これは慈悲で言っていることではないから無理強いはしないが、どうする?」

 

 ピーは、敢えてアインズが「与える」ではなく「貸し付ける」と言う真意を訝しく思ったのか、たちまちには返事をしなかった。

 

「……おれたちに返す当てがあると考えてのことかい?」

 

「まさか。だが、貸し付けであるからには担保は必要だ。返済が叶わない場合は、ギルド武器を差し押さえる。」

 

「……訊いていいかい、アインズさん。」

 

「おまえが問いたいのはこうだ。ならば今すぐ奪えばいいじゃないか……違うか?」

 

 ピーは黙って頷いた。

 

「そこで第二の大切な話だ。おまえたちには寿命がある。」

 

 一部例外があるものの、アインズを含むナザリックの面々は異形種の特性として寿命がない。HP(生命力)をゼロまで削られない限り、永遠に生き続けることになるだろう。対して、人間種のユグドラシルプレイヤーには……そしておそらく同じく人間種のNPCにも寿命がある。ツアーの証言から、過去に渡って来た人間種プレイヤーは(みな)次の揺り返しを待つことなく死去したことがわかっている。

 

 アインズは、このことは少なくない衝撃をピーに与えるのではないか、と予想していたが、意外にもピーは安堵した様子でこう答えた。

 

「そりゃーいー話を聞けた。もし、このまま永遠の時を過ごさなきゃならねーんだとしたら、耐えれねーな、とは思ってたんだ。」

 

と。

 

 そしてこうも。

 

「アインズさんたちは寿命がねーのかい。そりゃーご愁傷様。幸多(さちおお)からんことをお祈りしますよ。」

 

 思わず、ふふ、と笑ってしまったアインズは、

 

「お気遣いどうも。」

 

と返すほかなかった。

 

「……で、その話と金貨の話はどーつながるんですかい?」

 

 <日誌(ログブック)>の記録がどうしても軽薄なピーは、基礎的な教養を本質的に欠いていた。対してアインズは、極めて癖の強い個性的な四十一人の記憶に支えられているため、どうしてもピーが三下のチンピラに見えてしまう。おそらくはかつての八欲王もこんな感じだったのだろう。

 

「貸し付け金の返済期限はおまえたちの死までだ。返済の努力をしなくていい、などと言うつもりはないが、要するに、おまえらが死んだら遺産は頂戴する、という契約だよ。」

 

「はぁー、なるほどぉ。こいつぁーうめーことを考えなさったもんだ!」

 

 結局ピーは、そんなことをしてアインズに何の得があるんだ、と問うこともなくこの提案を受け入れた。

 

 

 

 一方でアインズは、ピーを<蘇生>させる直前に、聞く耳を持とうとせず「そんな話はダラムとでもやっとくれ」と言い張ったケイトを除くダラム、デルカ、リーマンと話をし、別の提案をおこなっていた。

 

「曲がりなりにもおまえたちの(あるじ)を殺めたオレを信用しろ、と言うつもりはないが、オレはピーを<蘇生(リザレクション)>するつもりでいる。」

 

 ピーを<蘇生>してから感じたことになるが、不思議なことながらピー、すなわちデイヴィッドから創造されたはずの彼らは、ピーよりもずっと真っ当な教養と知性を備えているように見えた。

 

 無論、アインズはこのからくりも理解している。

 

 本来のデイヴィッド・ホーソンは、かなり洗練された教養を持ち、課金だけで百レベルを贖えるほど裕福な人物だったに違いない。NPCたちは、十全な教養を有するデイヴィッドが書いたフレーバーテキストによって意識が顕現したため、孤独な生活の<日誌>の影響下にあるピーとは異なる運命を辿ったのだ。

 

「理由を……お伺いしても?」

 

 ナザリックのNPCたちが銘々現れ方の個人差はあるにせよ基本的には極めて直情的であるのに対し、エリュシオンの彼らは極めて複雑な性格をしているようにアインズには思えた。

 

 その最たるものは、(あるじ)の在不在で主導権者(リーダーシップ)が入れ替わることだ。

 

 ピーが共にあるときは、主にダラムがまとめ役になる。アインズ自身、<飛行(フライ)>時の編隊(フォーメーション)特性に気づかなければ、彼らは全員プレイヤーでリーダーはダラムであると判断したであろうほどに。

 

 対してピーがいない場合、デルカがその地位に取って代わる。今もアインズに対して(みな)の疑問を代表して問うているのは彼女だ。

 

 ナザリックのNPCたちの立ち位置がいかなる状況にあっても固定的であることと対照的だが、彼らが(あるじ)を敬称を用いず、ピー、と呼ぶのもそうだが、これはどうやらフレーバーテキストの大半がデイヴィッド・ホーソンに対してどのように振る舞うか、の記述に当てられていることに起因するらしい。

 デルカにその傾向が顕著だが、彼女は知性のパラメータが四人中最高に設定されているが、デイヴィッドに対しては無関心を()()ように定められている。おそらくこれもモデルとなったデイヴィッドのかつての友人を再現すべくそうされたのだろうが、一方で、ピーを欠く今の状況ではその規定が意味を失うので、自然と彼女が主導権を握ることになるようだ。彼らがアインズの前では(あるじ)を、ホーソン()と呼ぶのも理由は同じなのだろう。

 

 このことはアインズをいささか当惑させた。

 

 彼がエリュシオンに対して強い関心を(いだ)いたのは、アインズが求めて止まなかった、プレイヤー由来の自身とNPC由来の下僕(しもべ)が仲間として振る舞う関係を、彼らが実現しているかのように見えたからだ。が、蓋を開けてみれば、そのからくりは本質的にはナザリックのNPCたちと何ら変わるところはなく、むしろ、NPCとしての本性……少なくともアインズには、ピーをホーソン様と呼ぶ彼らの方が彼ら本来の姿であるように見える……を逸脱する振る舞いを強いられ続ける彼らが哀れにすら思えるほどだ。

 

 一方でアインズはこうも思う。

 

 一つの独立した人格として考えた場合、相手の在不在や状況で応対が変わるのは自然なことであり、デイヴィッドがNPCたちに求めたこと……その時点のデイヴィッドはよもやその求めにNPCたちが応じる日の到来を予想も期待もしてはいなかっただろうが……もおそらくはそこにある。

 逆に至高の四十一人は、それぞれ創造したNPCに託した思いは微妙に異なるが、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンへの絶対の忠誠を求める点では差がなく、そして、その忠誠対象の位置へ他ならぬアインズ自身が改名を以て納まってしまったからには、彼らが如何様(いかよう)に命じようともアインズをアインズ様と呼ぶのは当然、と言えば当然のことなのだ。

 

 つまり、ナザリックのNPCは忠誠を、エリュシオンのNPCは友情を演じることを創造者に求められた存在であり、アインズがエリュシオンのNPCの振る舞いを羨ましく感じるのは筋違いなのだ。自身の下僕(しもべ)の言動の一貫性は、創造者の求めとNPCの本性が合致しているからなのだろう。

 

 では、ナザリックのNPCたちが示す忠誠こそが本物で、エリュシオンのNPCの示すピーに対する友情は紛い物なのだろうか。アインズにはそうは思えない。ピーはNPCたちに心配をかけまいとギルド資金問題を一人で背負い込み、NPCたちはピーが何か無理をしていることを察しつつも何とかそれを支えたいと願って付き従って、遂に、誰もがおそらく勝てるはずもあるまいとわかっていたアインズに戦いを挑んだのだ。

 

 命懸けの行動を引き起こす友情は、仮にそれがフレーバーテキストの為せる技に過ぎないのだとしても、本物の友情と呼ぶべきではないのか。

 

「……必要かね?」

 

と、デルカの質問にアインズは質問で返した。デルカは黙礼で応じる。

 

「……おまえたちの誰もが、オレのNPCをオレの()()だ、と言ってくれたことにオレは少なからず感謝している。オレはそういう恩義に報いないほど恥知らずではないのでな。」

 

 三人はその言葉を不思議そうに聞いた。

 彼らにとってそれは呼吸と同じくらいに極自然なことなのだ。

 

「戦いになってしまった以上、勝敗はある。が、それが決した今、おまえたちから()()を奪う理由は、オレにはない。だからホーソン氏をおまえたちに返そうと思う。」

 

 意外なことに、喜ぶかと思われたデルカは不満げだ。

 

「……何か不満かね?」

 

「いえ……このようなことをお願いするのは不躾かとは思いますが、ホーソン様のことはピーと呼んで差し上げてください。それが我が(あるじ)のお望みですので。」

 

 なるほど、とアインズは腑に落ちた気がした。

 

 アルベドが唐突に、アインズ、と彼を呼んだことに喜びと同時に驚きも覚えた彼ではあるが、喜びがあったのはそれこそが自身のかねてからの望みであったからだ。そして今なお、平時にあってはアルベドは自身のことをアインズ様と呼び続けるのを常態としている以上、NPCとしての本性やフレーバーテキストの規定が無効化されたわけでは決してない。

 

 否、むしろフレーバーテキストが彼女に命じる「モモンガを愛している」の意味合いがより一層深まったことが、彼女をして彼を(いとお)しげに、アインズ、と呼ばしめたのだろう。

 

 この変化をもたらしたのがツアーなのだとしたら……それで間違いないはずだが、

 

「あいつには感謝してもし切れないな。」

 

「……はい?」

 

「いや、すまん。おまえたちの(あるじ)の話ではない。

 

 ……では、ピー、と呼ばせてもらうことにするが。

 そのピーのために、おまえたちに提案がある。」

 

とアインズは本題を切り出した。

 

「石碑の回収……ですか?」

 

 三人はたちまちにはその真意がわからない、という態度を見せた。

 

「そうだ。アナールが各所にバラ撒いた日本語が刻まれた石碑は、旧王国領、ひょっとすると帝国領にまで相当数散在することが予想される。これを回収、破壊する使命(ミッション)をおまえたちに提案したい。」

 

 実のところ、来たるべき百年の揺り返しに備えて日本語で書かれた何かを世界中にばら撒くことについては、アインズ自身もかつて検討し、そして破棄したことがある計画だ……とデミウルゴスは言っている。

 

 これが話題に(のぼ)った当時の三賢者会議(トリニティ)は、ユグドラシルからの来訪者を捕捉する有効な手段であることを認めつつも、相手がどの程度()()()であるかもわからないうちからこちら側の存在を察知される仕掛けをおこなうのは悪手だ、という結論に至った。そんなことをするくらいであれば、何か目立った動きが起きてから影の悪魔(シャドーデーモン)やニグレドで探査した方が安全性は高い。

 対してアナールは、彼女の言う稀人(まれびと)でさえあれば相手は誰でもよく、かつ、彼女はユグドラシルプレイヤーの人格の顕現機序についての知識を欠いたため、何の危機感も(いだ)かずにこの計画を実行に移したのだろう。エリュシオンの連中はたまたまアナールと意思疎通できる程度には知的で、かつその思惑に乗ってはくれたが、確率的には最初の出会い(ファーストコンタクト)時点でアナールたちが瞬殺されていた可能性の方が高い、とデミウルゴスは分析している。

 

 いずれにせよ、石碑を残置すると今後来訪するユグドラシルからの転移者に旧王国北方に集結するおかしな動機付け(インセンティブ)を与えることになるし、必然的に空振りに終わるその探索は、逆恨みからこの世界に対する攻撃心を煽る恐れもある、とアインズは考えていた。

 

「命令、ではなくて?」

 

 訝しげにデルカが問うた。

 

「勘違いするな。石碑を片付けるだけならオレたちがやった方が早いし確実だ。オレは、おまえたちがピーと共に生涯取り組める課題を持っていた方がいいだろう、と言っている。」

 

 ギルド維持費の問題が片付きさえすれば、ピーが再び引き籠もり生活に入るのはほぼ間違いない。四人のNPCたちは、これまで通りピーのかつての友人であり続けようとするのだろう。それはそれで構わないが、そうなれば、彼らを変化のない生活に閉じ込めたのは、結局のところその資金を提供したアインズだ、ということになる。

 

「おまえたちに冒険の可能性を残しておいてやりたいと思うんだ。オレの勝手な自己満足だがな。」

 

 この百年を振り返って、アインズは自身と下僕(しもべ)たちの関係において最も重要なことは、共に尽きぬ未知に挑む仲間であることだ、と身に沁みて感じている。記憶にこそ残らないが、いや、記憶に残らないからこそ、繰り返しそこに共に挑むことに価値がある、と彼は信じていたし、エリュシオンの連中にもその機会は与えてやりたかった。

 

 アインズは、彼らNPCの方から、今後ユグドラシルからやって来る他のプレイヤーが件の石碑に惑わされることのないよう未だ残る石碑を破壊して歩く旅をしないか、と復活したピーに持ちかけてみてはどうか、と提案した。何なら、ダラムが文字考古学者としての興味関心からそれを希望する、という筋立てでも構わない、と。

 

 別に今すぐである必要はない。エリュシオンでの引き籠もり生活が耐え難い停滞に陥ったときに、新風を引き入れるきっかけにでもすれば、おまえたちは天寿をまっとうするくらいまでは楽しく暮らせるんじゃないか、と伝えたかったのだ。

 

「乗るも反るもおまえらの勝手だ。

 ただ、デルカ……と出来ればダラムも、日記をつける習慣は身につけた方がいい。」

 

と、ユグドラシル由来の存在が宿命的に背負うところの短期記憶の問題についても言い含める。

 

 変化のない引き籠もり生活に入ってしまえば、存外ピーたちはアインズたちとの邂逅を生涯忘れない可能性はある。が、少なくとも誰かがほんの僅かであってもこの交流の記憶を維持しないと、エリュシオンがかつて魔神と呼ばれた存在に堕してしまう可能性は少なくない。

 

 最初はあからさまにアインズに対する猜疑心を隠さなかった三人ではあったが、ようやくアインズの言を信じ、その通りにするとは約束できないが、提案いただいたことは大切にしたいと思う、と最大の礼を以て応えた。

 

 アインズからすればそれで十分だ。

 

 

 

 結局、向こう六十年のギルド維持費に相当するユグドラシル金貨……ギルド拠点の規模がナザリックとでは十倍近く異なるため、その量はアインズたちからしてみれば屁のようなものに過ぎなかった……をエリュシオンに運び終えた後、アインズたちは彼らに別れを告げた。

 

 その際、簡易ベッドに横たわったNPC、エリュシオンの目であるリーマンが、セバスに強く感謝の意を表していたのがアインズの印象に残った。遠からず、アインズを含めて(みな)がこの出会いを忘却の彼方へと忘れ去ることは既に決定事項であり、この一件でセバスが成長する、などということはない。

 

 が、アインズは出来るだけこういった体験を下僕(しもべ)たちが楽しめるよう、これからもやっていきたいと考えている。冒険があれば、きっとピーもそうするだろう。

 

 おそらく……

 

 デイヴィッド・ホーソンの四人のNPCは、それぞれに来歴は異なるかもしれないが、現実社会(リアル)のデイヴィッドがなんらかの形で喪失した友人なのだろう。デイヴィッドにとっては、ユグドラシルは冒険ゲームではなく、失った友人を再生する基盤(インフラ)だった。

 

 いささか様相は異なるものの、ユグドラシル時代末期をただ独りナザリック地下大墳墓の維持費稼ぎに費やした記憶を有するアインズは、ピーの()(よう)に、共感こそしないものの他人事とは思えない気持ちを抱いている。

 

 <七秒間の奇跡の指輪(リング・オブ・セブン・セカンズ・ミラクル)>などという決して安かろうはずもないアイテムを、ユグドラシルにおいて冒険をしていたとは思えないデイヴィッドが贖い、しかもNPCであるダラムに装備させて死蔵していたことをアインズは奇異に感じていた。

 が、エリュシオンがデイヴィッドの失われた友人の再生事業なのだとしたら、ダラムのモデルになった人物が、現実社会において()()()()()()さえあれば落命せずに済んだ事故に遭ったと考えれば、これもデイヴィッド流の追悼の儀式だ、との説明が可能になる。

 

 そして、ナザリックの維持費捻出にはかつての仲間たち、至高の四十一人が遺していった神器級(ゴッズ)アイテムの売却が最も有効で、かつ、ほとんどの仲間たちからそうしてよいと告げられていたにも関わらず、最後までそれが出来ずに宝物殿奥の霊廟にかつての仲間たちを模した彫像(アヴァターラ)を作りそれらのアイテムを纏わせていたアインズからすれば、ピーが、ひょっとするとあり得たもう一人の自分であるかのようにすら感じられるのであった。

 

 デイヴィッドは、デルカたちに彼らの直接のモデルが何者でありどのような運命を辿ったかについてユグドラシル時代には何も語らなかったため、結果的にそれは彼らのギルド<日誌(ログブック)>に記録されることがなく、ピー自身は元初の喪失をまったく自覚していない。もはや真相を知る手立てはなく、また知る価値もないのは明らかだが、であるがゆえに、デイヴィッドが創造したNPCたちは、デイヴィッドの下僕(しもべ)ではなく、ピーの本当の意味での仲間になった。

 

 かたやアインズは、自分自身がかつて喪失した仲間たちの記憶に支えられている存在であることを強く自覚している。果たして、自分はピーよりも幸福なのだろうか。それとも……?

 

 

 追憶の道を越えて(オーバーロード)……か。

 

 

 ピーたちの歩んでいくであろうその道は、アインズのそれとは異なり既に終点があることがわかっている。それが約束された悲劇であるのか、あるいは祝福であるのか、アインズには俄に判断することが出来ない。

 

 

                    *

 

 

(わたくし)は遠からずツアーのことをすっかり忘れてしまうと思うのだけれど、ツアーは(わたくし)のことを憶えておいてくださるのでしょう?」

 

 常と変わらぬ蠱惑的な微笑みを浮かべながらアルベドが言う。

 

「もちろん。キミたちはボクの生涯の中でも、もっとも忘れ難い連れ合い(バカップル)であることは請け負うよ。」

 

とツアー。

 

 結局、崩壊したツアーの居城の修復には半年を要し、ようやく入居の目処が立って居候生活も終わりを告げた。

 

 ツアーに随分となついていた双子やシャルティアもこの時分(じぶん)にはもう飽き始めていて、それぞれ自分の領分の仕事に割く時間が増えつつあり、見送りに立ったのはアインズの他にはアルベドのみだった。

 

「またお困りのことがあればご遠慮なくお立ち寄りくださいませ。多分(わたくし)はツアーを無礼な態度でお迎えするとは思うけれども、そのときはまたいろいろお話しくださいまし。きっと(わたくし)は再びツアーを歓迎することでしょう。」

 

「まぁ、そういうことがないようにはしたい、と思っているけどね。」

 

 このやり取りを横目で見ながら、アインズは「オレの女、超いい女!」と悦に入っていたが、流石にそれを口に出すことはなかった。

 

 同様に、ツアーがアルベドに何を言い含めたのか、アインズは終ぞ問いそびれた。が、それはNPCの次の行動を予測するためにフレーバーテキストを覗きみるようなもので無粋な行為だ。

 

 アルベドは常に自分の傍らに在ってくれるのだから、それはアルベドから知ればよい。

 彼女もきっとそれを望むであろうから。

 

 

 

探索対象(ターゲット)を発見いたしました。」

 

とデミウルゴスが報告してきたのはさらに三ヶ月ほど経った頃で、いつものようにアインズは、

 

(何の話だっけ?)

 

と無責任な態度だったが、まだ一連の記憶が押し流されていたわけではなかったので、デミウルゴスの説明を聞くうちに、ツアー居城崩壊事件の重要参考人のことであることは理解できた。

 

「イビルアイ、と名乗る現地産の真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)で御座います。」

 

「ふーん。」

 

 正直、アインズにはあまり興味がない。

 

「カッツェ平野の南方、さらに山脈を越えますと竜王国なる人間種の国が御座います。そこで冒険者の真似事をして暮らしているようです。ご下命あれば確保して参りますがいかがいたしましょうか?」

 

 ツアーがこれを気に掛けていたのは知っている。捕まえて届けてみるか。いや、ツアーのことだから、そんなことをして欲しいとは夢々思ってはいまい。

 

 だが、今回の事件はそもそもこいつが余計なことをしなければ起こらなかったはずだ、という思いも少なからずあり、自分同様に寿命がないであろうその者が将来的に同様な騒ぎの発端になり得ることを考えれば、一度文句の一つも言っておいても(ばち)は当たらないだろう、という気分にもなってくる。

 

 どうせ暇だし。

 

 くれてやった居城に馴染んでいるか興味がないわけでもないし、ふん縛って土産にでも持っていくか、後ろ暗いところもないではないし……と意を決すればその後の行動が早いのはナザリックのお約束である。シャルティアと(おなじ)真祖吸血鬼(トゥルーヴァンパイア)とは言え、想定レベルは五十前後というから、デミウルゴスとその配下の手にかかれば、抵抗らしき抵抗もできまい。

 

「んじゃ、確保で。」

 

「はっ!吉報をお待ちください。」

 

 いや、むしろ凶報が聞いてみたいよ。と不遜な思いを抱きつつ、アインズはその場を後にした。

 

 その夜、アルベドといちゃつきながらアインズは彼女に問うた。

 

「ツアーが気にしていた重要参考人をデミウルゴスが見つけてな。近々それを土産にあいつのところへ行ってみようかと思っているんだが……一緒に来るか?」

 

 問われたアルベドは一時(いっとき)思案する様子を見せたが、

 

「殿方同士で語り合いたいことも御座いましょうから、せっかくのお誘いですが(わたくし)は今回は遠慮させていただきます。」

 

と応じ、再びアインズは「オレの女、超いい女!」と盛り上がって、その夜は出血大サービスとなった。

 

 ポォーーーーーーーーーーゥッ!

 

 

                    *

 

 

 ツアーは浅い微睡みの中に居る。

 

 新しい居城は(こと)(ほか)快適で、あの無作法極まりないナザリックの連中に城造り(ホームビルダー)の才もあることを思い知らされ、ツアーは正直驚いている。

 

 唐突に馴染みの強い気配を感じまぶたを開くと、いつぞやのように、彼が寄り目をすれば丁度焦点が合う位置に<転移門(ゲート)>が開きつつあった。

 

(これってひょっとして故意(わざと)なのかな?)

 

 くすりと笑いながら来訪者を待つと、果たせるかな骸骨の友人が小脇にくるりと巻いた絨毯(カーペット)のようなものを抱えて姿を現した。

 

「よぉ、ツアー。新居の具合はどうだ?」

 

「お陰様で快適だよ、アインズ。」

 

土産(みやげ)だ。」

 

 ひょい、とアインズは小脇の絨毯をツアーの鼻先に放り出した。(なか)からころころと小柄な金髪の女の子が転がり出る。

 

「キーノ?」

 

「見つけたので持って来た。」

 

「こんな女の子に非道(ひど)いことを……」

 

「おまえのそういう態度はこいつの為にならんと思うぞ。

 第一、生きた長さでいえばこいつの方が歳上で婆さんなんだから、オレには遠慮する理由なんかない。」

 

 ややあって、眩暈がおさまった女の子は目の前に見知った竜王(ドラゴンロード)の姿を認めて声をあげる。

 

「……ツアー?」

 

「やぁ、キーノ。久しぶりだね。」

 

「ど、どういうことだ?

 見たこともない化け物に襲われたかと思えば、おまえのところに連れて来られるとは……」

 

と、ここまで叫んでキーノは背後にただならぬ気配を感じ、振り返って金糸銀糸に彩られた豪奢なローブを纏う骸骨姿の魔法詠唱者(マジックキャスター)の存在に気づき、素早く戦闘の構えをとった……が。

 

 パタンと背後からツアーが伸ばした竜の右手に差し押さえられる。

 

「すまないね、アインズ。この()は昔からこんな感じなんだ。」

 

「おまえの(むすめ)でもあるまいに、詫びなんぞ要らん。」

 

「い、いったい、おまえらどういうことなんだ。説明しろ!」

 

 ツアーの手の平の下から相変わらずキーノは騒がしく抗議したが、アインズは呆れた声色で受け流した。

 

「それはこっちの台詞だ、ボケ。」

 

 九ヶ月前、ツアーの居城がユグドラシルプレイヤーの急襲により崩落したことを説明すると、キーノは自分が何をしでかしたのか悟ったようで、途端に大人しくなった。

 

「……すまん、ツアー。」

 

「別にキミのせいだとは思っていないけれども、迷惑をかけたのはむしろアインズに対してだと思うよ。」

 

とツアーは暗にアインズに詫びを入れることを促したが、キーノはその意を察することができなかったようだ。

 

 ツアーの手の中を脱したキーノは、ぽつぽつと、この百年ほどの経緯を語り始める。それは説明としては支離滅裂で、自己憐憫に満ちたなかなか素直には聞き流し難い内容だった。

 

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