私がここに来て最初の記憶。
威厳を出そうとして固い口調で喋っている貴方。
でも、馴れない口調で喋るものだから所々でぼろが出てしまって。
そんな様子が妙に可笑しくて笑ってしまったら、貴方は拗ねてしまいまって。
あの後、機嫌を直して貰うのは大変でした。
だけど、最後には仕方ないなと笑ってくれましたよね。
貴方と出会った大切な思い出。
私はまだ、覚えています。
貴方の役に立ちたくて
★
現在時刻マルゴーサンマル。
総員起こしには少し早い時間帯。蛍光灯で照らされた薄暗い鎮守府には海岸から押し寄せるさざ波の音が響いている。
そんな早朝の人気のないグラウンドを独り駆ける。聞こえるのは私自身の呼吸と鼓動、衣擦れ、踏みしめる砂利、そして押し寄せる波の音。走り込みを始めてから幾らか経ったけれど、呼吸はさほど乱れていない。日頃の訓練の成果が実感できるのは、嬉しい。
そのまま走り続けること数十分。太陽が水平線から顔を出し、鎮守府を優しく照らし出す。鎮守府は柔らかな陽射しに包まれ、朝がやって来た。
最初からずっと走り続けて少し疲れた私は、ジャージの袖口で額の汗を拭うとゆっくり立ち止まった。
このジャージを着て走るには少し暑くなってきたかもしれない。半袖のものを箪笥から出さなければ。今度からは汗拭き用のタオルも持ってこよう。そんなことを考えながら長時間の運動で荒くなった呼吸と、どくどくと鼓動が煩い心臓を深呼吸で落ち着かせる。
グラウンドに設置してある時計を見ると、あと数分で総員起こしがかかる時間だった。
「……汗も流したいし、一度部屋に戻りましょうか」
誰に言う訳でもなく独り呟くと、私は空母寮に戻った。
★
現在時刻マルナナニーマル。
朝食の時間である。食事処間宮は今日も人で賑わっていた。
「お待たせしました。こちら焼き鮭定食です」
「ありがとうございます」
間宮さんから料理を受け取り、トレーに乗せる。朝早くの訓練でお腹が空いていたけれど、営業開始直後の人混みを避けるために少し時間をずらした。……それでもまだ結構な人がいるようだ。
せっかくだからと周囲を見渡して、一緒に朝食を食べる人を探す。
赤城さんと加賀さんたち一航戦は食事に夢中のようで話しかけづらいし、飛龍さんと蒼龍さんたち二航戦の姿は見受けられない。
たまには空母以外の人と食べるのもいいかも知れない、と思いながらきょろきょろしていると。
「おーい、大鳳さーん! こっちこっち!」
聞き覚えのある声がしたから振り向くと、少し遠くの席に座った瑞鶴さんが手を大きく振っていた。その隣には姉の翔鶴さんが座っていて、同じく控えめに手を振っている。
思わず気分が明るくなった私は彼女たちに近づいていった。
「翔鶴さん、瑞鶴さん、おはようございます。ご一緒してもいいかしら?」
「おはよう! もちろんいいわよ。そのために呼んだんだから」
「おはようございます、大鳳さん。前の席が空いてるのでどうぞ」
翔鶴さんに促され、礼を言いつつ向かいの席に座った。
最近見たドラマが面白かったとか。間宮新作のデザートが凄く美味しかったとか。そんなとりとめのない話を交わしながら、間宮の美味しい食事を楽しむ。
そうして食事を始めてから幾らか時間が過ぎ。ふと何かを思い出した瑞鶴さんが話を切り出した。
「そういえば、最近隣町で新しいショッピングセンターができたことは知ってる?」
「ええ、なんでもかなり店舗が充実してるって聞きました」
服屋や本屋、ケーキ屋など多種多様な店舗が入った大型のショッピングセンターができることは艦娘たちの間で話題になっていた。
「そうそう! 今はオープン記念のセール中なんだって! で、今度の土曜日に翔鶴ねぇと一緒に行こうって話だったんだけど……大鳳さんも一緒に行かない?」
「え? 私も、ですか?」
突然の誘いに思わず聞き返してしまった。遠慮がちにしながら瑞鶴さんは続ける。
「うん、よかったらだけど……翔鶴ねぇもいいよね?」
「ええ、大勢で行った方が楽しいし大鳳さんなら歓迎だわ」
翔鶴さんは微笑みながら、その提案に賛成した。彼女たち二人とショッピングセンターにお出かけ。きっと楽しいだろう。朝の走り込み用の薄手のジャージを買いに行くのもいいかもしれない。
──しかし
「ごめんなさい……秘書艦の仕事があるから行けないと思います。今週末は……特に忙しくなると思うので」
今週の予定を想像したら少し歯切れが悪くなってしまった。私の話を聞いて、彼女たちは少し思案顔になった後、すぐに納得したようだ。その顔はどこか同情するものに変わっていた。
「そうですね……大本営に顔を出さなくちゃいけないですもんね……」
「はい。提督だけを大本営に向かわせるわけにはいかないので、今回は遠慮させてもらいますね。すみません、せっかく誘ってもらったのに」
「あー、別にいいわよ気にしなくっても。ショッピングセンターは逃げないしね」
「お仕事、頑張ってくださいね。また今度、一緒に行きましょう」
誘いを断ってしまった後ろめたさから私が謝ると、瑞鶴さんはからから笑いながら許してくれた。翔鶴さんは懲りずにまた誘ってくれるようだ。彼女たちは優しい。そのことを改めて実感した。
そうして、その後も他愛もない世間話をして朝食の時間は過ぎていった。
★
現在時刻マルハチマルマル。
少し瑞鶴さんたちとゆっくりしすぎてしまった。いつもなら既に執務室にいる時間だから、気持ちが焦ってしまう。すれ違う艦娘たちに挨拶しつつ、廊下を小走りしながら移動する。本当はもっと速く走りたいけど、誰かとぶつかってしまったら事だ。
やがて、執務室の大きな扉にたどり着いた私は軽く息を整え、リズムよく三回ノックをした。
「提督、大鳳参りました!」
「入れ」
提督の許可を得て入室する。提督は両手の書類に目を通しているところだった。
「今日は少し遅かったな。君にしては珍しい」
手元から目を離さずに話す提督。その声色はいつも通り平坦で、遅刻したことを怒っている様子は見られない。安堵すると同時にどこか残念に思う──そんな矛盾した感情を抱きつつ返答する。
「すみません。瑞鶴さんと翔鶴さんと食事をして、つい話し込んでしまいました」
「……そうか。まぁ、やるべきことをやってくれるなら、多少遅れても構わない」
そう区切ると、提督は再び資料に集中し始めた。
提督は集中を乱されるのを好まない。曰く、集中力があまりないから仕事は一気にやるに限るから……とのこと。
だから、それ以上は声をかけずに秘書艦用の執務机に腰を下ろした。提督の執務机と直角になるように配置されているここからは、彼の横顔がよく見える。私だけの特等席だ。
遅れを取り戻すために、早速目の前に積まれた書類に手を伸ばす。遠征により獲得した資源の収支。新兵装の開発状況。果ては休日の外出申請や売店に並べてほしいものの要望まで。
そんな雑多な内容の書類に目を通していく中、ふと一枚の書類に目が止まった。
『西部海域における敵艦隊の変化についての報告と提案
先日のヒトゴーマルマル頃、敵戦力漸減作戦中に空母ヌ級の上位個体2隻を擁する艦隊と遭遇し、これを撃破しました。
しかし、予期せぬ敵艦の爆撃により雷が中破、電が大破し、その後の戦闘も楽なものではありませんでした。
先月の重巡リ級の上位個体の出現に続いて二度目となる敵艦隊編成の変化です。まだ練度の不足している艦をこれらの敵艦にぶつけるのは得策ではありません。
つきましては、今後も敵艦隊に上位個体が混ざることを考慮し、これに対処可能な練度の艦を優先的に出撃計画に組み込んで頂きたく存じます。
神通』
思わぬ内容に思わず目を疑った。敵艦隊編成の変化。神通さんは些か優しい表現を使っているが……これは変化というよりも強化だ。
特定の海域には、編成に多少の違いはあれど決まった艦種の深海棲艦しか現れない──そういった暗黙の了解が崩れようとしているのかもしれない。一回だけならただの偶然だと、心配のしすぎだと。そう思い込むことができただろう。
しかし、先月に続けて二度目だという。次もまた同じ現象が起こらないとどうして言えるだろうか。
このまま敵艦隊が強化され続ければどうなるか。想像に難くない。
書類を持つ手に思わず力が入り、紙に皺が寄る。そこでハッとする私。
遠征の報告書程度なら処理できるが、出撃関連のものは私の裁量を越えているため提督行きだ。
……そもそもの話、いつもなら出撃関連の書類が混じっていることはないのだけど。
提督が書類を読み終わるタイミングを見計らって、この書類を渡すことにした。
「提督、こちらの確認をお願いします」
「……出撃絡みだな。置く机を間違えたのか」
「そのようですね」
「しかも報告者は神通か。珍しいことがよく起きるものだな」
受け取った神通さんの報告書を読み進める提督。一見すると無表情にしか見えないその顔が、僅かに曇ったように感じた。
提督はこの件にどう対応するつもりなのだろうか。
「今後の出撃計画はどうしますか?」
「……艦隊を再編成した後に改めて慚減作戦を開始、深海棲艦どもを叩く。それまでは出撃停止だ。各位に伝えておいてくれ」
「分かりました。……あの、提督」
「まだ何かあるのか?」
提督が続きを促す。言っていいものか、彼を困らせてしまうのではないかと、少し躊躇う。これは単なる私の我が儘だから。
「はい。次の漸減作戦に、私を組み込んで頂けませんか」
「……何故」
「その報告書にも書かれているように、今はどんな深海棲艦が出てきても対応可能な高練度の艦での出撃が望まれます。その点、私なら大抵の艦に遅れを取らないはずです」
静寂が執務室中に拡がった。提督は俯き帽子を深く被り直す。ひょっとして、自惚れ過ぎただろうか。ちょっと練度が高いからと言って調子にのるなと、怒らせてしまっただろうか。そんなマイナス方向に思考が傾いていくと、再び顔を上げた提督が口を開いた。
「……確かに、君なら練度も申し分無しだ。本作戦も難なくこなしてくれるだろう」
「では!」
「しかし、だ」
実力を評価する言葉を貰って舞い上がる私に、提督は待ったをかける。
「君は本艦隊の最高練度の艦娘だ。守護の要なんだ。そう簡単に出撃させることはできない。それに、上位個体の出現といっても高々重巡や軽空母なのだろう? この程度の作戦は他の者に任せればいいんだ。君が出張るまでもない」
「……ここには多くの艦娘がいます。練度だって十分高いです。私が常に鎮守府を守る必要はないと思います。それに、もっと強力な深海棲艦が出現したら……」
「ハハハ」
乾いた笑い声が提督から漏れる。久しぶりに聞いたはずのそれを、嬉しく思わなかった。ぞくりと悪寒が込み上げてくる。帽子から覗く目は冷ややかだった。
「そうとも。ここの艦娘は精強揃いだ。自分でもよく分かっているじゃないか。君が出撃する必要はないんだと」
「しかし、提督……!」
「そこまでして武勲が欲しいのか? 他の艦娘の活躍を奪ってまで?」
提督の言葉に思わず耳を疑った。まさか、そんな言葉を投げかけられるなんて。
ぐらりと。視界が歪む。身体から血の気が引いてゆくような感覚に襲われる。上手く息が吸えない。
「そんな、私は、ただ……」
「ならばここで大人しくしていろ」
取り付く島もなく切り捨てると、提督は何事もなかったかのように仕事を再開した。書類を見つめる顔は無表情。これ以上の会話を強く拒絶していた。カリカリとボールペンを走らせる音が響く。
そんなつもりは全くなかった。
ただ、私は。
──貴方の役に立ちたかっただけ。
自身の思いを伝える機会は逸した。
仕事に戻らなくては。処理の終わっていない書類は、まだ沢山あるのだから。
震える手で書類を掴んで読もうとした。
視界が滲んで、文字がよく見えなかった。
不定期で頑張ります。