沈む夕日を横目に見ながらバスに揺られる。私はこれから、知らない人と一緒に知らない場所へ行く。
こんな状況でいつものように携帯ゲームをする気分にもなれず、ふと数時間前のことを思い返す。
今更どうにもならないが、これでよかったのだろうかと考える。
隣に座る男性の優しげな表情を見て、これでよかったのだと思う。
よかったのだと、そう思いたい。
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「郡千景ちゃんかな?」
小学校三年生の一学期最終日、放課後に買い物に出た帰り道。私は知らない男性に話しかけられていた。
普通の子供なら、ここで防犯ブザーを鳴らしたり叫んだりするのだろう。
でも、私がそんなことをしたところで、助けてくれる人はこの村にはいない。
「……わたしに、何か用ですか」
「うん。僕は蓮花、君を助けに来たんだ」
「……は?」
どういうことだろう。この村の人ではないのか?なのに私の現状を知っている?
色々と浮かんでくる疑問を口に出す前に、男性が続けて話す。
「…僕と一緒に、ここじゃないどこかで暮らさないか?」
これが最近の誘拐の手口なのだろうか。
しかし、こんなにも優しい声色で話す人を誘拐だとも思えなくて。
何より、ここでの日常から逃げ出したかった。
その言葉に、縋りたくなってしまった。
気がつけば、私は頷いていた。
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蓮花さんを連れて家に帰ってきた私は、両親と話をするからその間に荷物を纏めておいてほしいと言われ、自室に入って戸を閉めた。
唐突なことで色々混乱しているが、教科書等はランドセルに詰め込み、服やゲーム機等はリュックサックに詰めていく。
元々私物は多くない。早々に荷物を纏め終えた私は、することも無く布団に横になる。
今夜にはこの家を出るらしい。生まれてからずっと生活してきた家だが、名残惜しくなるほどの思い入れは無い。
両親は私の親権を押し付けあって離婚できずにいる。この家に私はいらないのだ。
しばらくして、父親が帰ってきた音が聞こえた。
そして話し声の後、蓮花さんが怒っている声が響いた。
私が蓮花さんの怒りを顕にした声を聞くのは、この日が最後になった。
「一応聞くけれど、最後に千景に何か言いたいことはありますか?」
玄関前で私の手を握った蓮花さんが両親に尋ねる。
「千景、引き取ってくれる人が見つかってよかったな」
「ッ、あんたはそんなことしか言えないのか!!」
面倒な問題が片付いたとでも言わんばかりの顔で言う父親に、再び憤怒する蓮花さん。
私はこの人達の元を離れたかったはずなのに。どうしてだろう……胸が痛かった。
最後の最後まで、愛してくれたらと心のどこかで思っていたのかもしれない。
無意識に、握る手に力がこもっていた。
「千景……元気でね」
私を手放すことを望んでいたはずなのに。
どうしてお母さんは最後にそんな優しい声をかけてくるのだろう。
「……お父さん、お母さん。今までありがとうございました。……さようなら」
手を振ることも無く、小さく頭を下げる。
そして振り返り、蓮花さんと共に歩き出す。
たとえ親がどんな人であっても。幼い心は、自分を産んでくれた両親との別れを少なからず悲しんでいた。
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気がつけば、蓮花さんがバスの降車ボタンを押していた。
「今日は市役所の近くの宿に泊まろうか。今夜はもう暗いから、市役所での用事は明日済ませよう」
「はい……」
子供を引き取って遠くで暮らすというのは、色々手続きをしなければならない、らしい。
具体的に何をするのかはわからないが、大変だろうというのはわかる。
見ず知らずの子供の為にどうしてそんなことをしようと思うのか、私にはわからず、いつの間にか難しい顔になっていた。
「……晩御飯どうしようか。千景ちゃんは何かオススメある?」
難しい顔で黙り込んでいたのを気にしてくれたのだろうか。
せっかく意見を求めてくれたのだから真面目に答えよう。
「…………カツオ……とか」
「そういえば高知はカツオが有名だったっけ。じゃあ今夜はカツオ食べるか!」
外から高知に来たのなら是非ともカツオを食べてほしいと思って出した案は、どうやらお気に召したらしい。
いざ立ち寄った飲食店、メニューを開いた蓮花さんの視線は『カツオ丼』に向いていた。
「こんなのあるんだね、食べたこと無いから気になる……これにしようかな。千景ちゃんは?」
「……わたしもそれで」
「了解」
注文してしばらくすると、カツオ丼が二つ運ばれてきた。正面に座る蓮花さんは目を輝かせている。
「いただきます。……美味」
「…いただきます」
ひと口食べて真顔で感想を零す蓮花さんがなんとなく可笑しくて、自然と頬が緩む。
「千景ちゃんは美味しい?」
「うん」
「それはよかった。そのうち作ってみようかな」
蓮花さんは料理もできるらしい。少し楽しみになった。
その後も気さくに話しかけてくれる蓮花さん。
誰かと食事を楽しむというのはいつ以来だろうか。蓮花さんは雰囲気が柔らかくて、まだ緊張はするけれど、不思議と一緒にいて不快感は感じない。
他人といるのが少し楽しいと感じている私がいる。
「やっと少し笑ってくれたね」
「え?」
いつの間にか私は笑っていたらしい。少し気恥ずかしくなる。
「これからは毎日君が笑えるような日常にしてあげたいと思うんだ」
そう言って笑いかけてくれる蓮花さんを見て、今更ながら、この人は信じていいのかもしれないと思い始めた。
優しい言葉しか言ってこない人は逆に怪しい、と思う人もいるかもしれない。
それでも、優しくされることに慣れていない私は、こんなにも真っ直ぐに向けられた優しさを、信じて受け止めたかった。
少女達に幸せになってほしい青年が頑張る日常系。