「行ってらっしゃい、楽しんできてね」
「行ってきます」
7月、駅で千景を見送る。これから千景は修学旅行に行く。
千景達の通う小学校は、5年生の7月、授業日数の関係で夏休み中に修学旅行がある。
集合場所に向かいながらも時折振り返る千景に手を振る。
千景の姿が見えなくなると、僕は1人で帰路を辿った。
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修学旅行は1泊2日。れんちゃんに出会ってから、そんなに長く離れたことはない。
学校の先生や同級生達と見知らぬ土地に行くというのは、楽しみでもあるが少し不安でもある。
「どうしたの千景?これ食べる?」
「…食べる」
電車で隣に座る美琴に、食べていたクッキーを差し出される。1枚手に取り、口に運ぶ。
このペースで食べていたら到着するまでにおやつは無くなりそうだが、大丈夫だろうか。
「美味しい」
「でしょ。私これ好きなんだ」
そう言いながら鞄の中を見せてくる美琴。そこには同じクッキーの箱が複数入っていた。
「もしかして持ってきたおやつ、全部これ?」
「全部じゃないよ、7割くらい」
「…そうなのね」
「それで、どうかしたの?」
美琴や凛は何かあればいつも気を使ってくれる。2人のおかげで私はこの学校に馴染めたと言っても過言ではない。
「…家族と離れて遠いところに行くって、少し不安じゃない?」
「ああなるほど、わからんでもない。この歳ではなかなかそんなことしないもんね」
腕を組んでうんうんと頷く美琴。しかしすぐに顔をあげる。
「まあ1泊2日だしさ、滅多にない経験だと思って楽しもうよ」
「…そうね」
美琴の明るい人柄にはいつも元気を貰っている気がする。
できることなら、来年も、中学生になっても同じクラスになりたいものだ。
「とりあえず夜は枕投げだ!」
「それはダメって言われてるでしょ」
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夕方、仕事を終えて帰ろうとしていたところ、スマホにRINEの通知が来ていることに気づく。相手は琴音さん。
『ちーちゃんがいなくて寂しくしていそうかと思って、良ければうちで一緒に晩ご飯食べていきませんか?ひなたも喜ぶので』
有難い申し出だ、断る理由も無い。ひなたも喜ぶというなら、尚更行かねば。
しかし千景はいないのに、僕だけ行って喜んでもらえるのだろうか。
少し考えた末、プリンでも買っていくことにした。
上里家に到着しインターホンを鳴らすと、出迎えてくれたのはスーツ姿の伊織さんであった。仕事から帰ったばかりなのだろう。
「こんばんは」
「いらっしゃい、琴音から聞いてるよ」
リビングに入ると、夕食の準備をする琴音さんと、それを手伝うひなたがいた。
「こんばんはー」
「え!?れんちゃん!?なんで!?」
「こんばんは〜。もうすぐ準備できるので、ちょっと座って待っててくださいね」
僕の声に驚きながら振り向くひなた。ひなたには言ってなかったのか。
「どういうことですかお母さん!」
「今日はちーちゃんが修学旅行でいないから、寂しいんじゃないかと思って、晩ご飯に誘ったの。サプライズ大成功〜」
サプライズだったらしい。さっきのひなたの驚いた顔を写真に撮ればよかった。
とりあえず、買ってきたプリンをひなたに渡す。
「ひなた、プリン買ってきたから、晩ご飯の後にでも食べて」
「わぁ、ありがとうございます!」
「あら、美味しそうなプリン」
「ケーキ屋さんのプリンだからね」
これ1つでスーパーの3つ入りプッチンプリンが2つほど買える。ちょっとした贅沢である。
ひとまずプリンを冷蔵庫に入れるひなた。
「これは食後にれんちゃんと一緒に食べます」
「え、僕もいいの?」
「買ってきてくれたんですから半分こします」
「ありがとうひなた。でもひなたの為に買ってきたから、僕は1口くらいでいいよ」
なんて優しい子なのだろう。思わずいつものようにひなたの髪を撫でる。
少しして、部屋着に着替えた伊織さんがリビングへと戻ってきた。
「じゃあ皆揃ったので食べましょう」
夕食を終え、すぐに冷蔵庫からプリンを取り出すひなた。
「それどうしたんだ?」
「れんちゃんが買ってきてくれました」
プリンに興味を向ける伊織さん。人数分買ってくるべきだっただろうか。
「もう食べるの?」
「はい、早く食べないとれんちゃんの帰りが遅くなりますから」
僕の隣に座り、箱からプリンを取り出し蓋を開ける。
柔らかく揺れるプリンにスプーンを入れるひなた。
「いただきます!」
「召し上がれ」
プリンを口に入れたひなたは、とても良い笑顔を見せてくれた。事前に準備しておいたスマホのカメラで写真を取る。
少し顔を横に向けると、伊織さんもカメラを構えていた。
「すごく美味しいです!」
「よかった」
もう一度スプーンでプリンを掬い、今度はこちらにスプーンを向けてくる。
「あーん」
「あ、あーん…美味しいね」
大変満足げな表情をするひなた。
とても嬉しいが、両親の前であーんをされるのは少し恥ずかしい。
琴音さんは微笑んでいるが、カメラを構える伊織さんは何とも言えない表情をしている。
「残りは全部食べていいよ」
「ありがとうございます!」
笑顔でプリンを食べるひなたに、千景のいない寂しさが少し紛れるように感じた。
誰もいない家に帰り、1人で風呂に入り、洗濯物を干して明日用の米を洗い炊飯器を予約する。
1人ではすることも無く自分の無趣味を痛感しながら、時間は早いが布団に横になる。
普段なら、この時間は千景と一緒にゲームをしていたりする。
「千景…」
ここに来てから、千景のいない夜は初めてだ。
もう寝よう。1人の夜は嫌な事を思い出す。
少しでも早く、この時間が過ぎ去ることを願った。
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夕方、駅に帰ってきた私は、おそらく迎えに来ているはずのれんちゃんを探す。
辺りには、同じように我が子を迎えに来ている親がたくさんいる。
美琴や凛は自分の親を見つけて寄っていくのをさっき見かけた。
「れんちゃん…」
ようやく会えるはずなのに見つからないことに、なぜか焦りを覚える。
「千景!」
声がした方を見ると、こちらへ歩いてくるれんちゃんを見つけた。
重い旅行鞄をその場に置き、彼の元へ走り出す。
その胸に飛び込んだ私を、れんちゃんは優しく受け止めてくれた。
「おかえり」
「ただいま」
この人の傍が私の、一番安心できる場所なのだ。
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右肩に千景の旅行鞄を掛け、左手を千景と繋いで歩く。
「帰ったら土産話をいっぱい聞こうかな」
「いっぱい話してあげる」
夕日に照らされながら手を繋いで家に帰る、という状況は何度もあったが、並び立つ背の高さとその手の大きさに時間の経過を実感する。
もうそんなに一緒にいるのか。
「…私がいなくて寂しかった?」
「寂しかったよ」
昨日の時間を埋めるように、今夜はたくさん話そう。千景を傍に感じられるように。