夢を見た。
厳かで悲しみに満ちた葬儀のような場で、前には棺の中に穏やかに眠る少女が二人。
棺の前で泣き崩れる少女が一人。
入口には、押し寄せる大波の如き虚無感や無力感に苛まれ、立ち尽くす青年が一人。
場面は変わり、雨が降る暗い空の下、丸亀城の天守前。
少女の亡骸を抱きかかえ、赤く染まりながら悲しみに涙を流す青年と少女。
青年は少女達の運命を嘆き絶望する。
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目が覚める。自分の手に重なる小さな手。それを辿った先には千景の寝顔。
毎朝、目が覚めた時に千景の穏やかな寝顔を見るのが、最近の僕の小さな幸せになっていた。
どんな夢を見ているのだろう。良い夢を見ているだろうか。もうじき夢は終わるのだろうか。
僕はあと何年、この夢を見続けるのだろう。
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土曜日の10時半前、僕と千景は市民プールの前で真夏の暑い日差しの下、ではなく日陰の下で立っていた。暑い。日差しに当たるよりはマシだが、熱された空気は結局どこでも暑いのだ。
「ひゃっ!!」
冷たいペットボトルを千景の頬に当ててみた。可愛い。
「このまま持ってていいよ」
「うん」
今度は自分でペットボトルを頬に当てる千景。気持ちよさそうにしているのがなんとも可愛らしい。
「まだかな」
「もうすぐ来ると思うよ」
約束した時間は10時半なのでそろそろ来るはず。あ、麦わら帽子が見えた。
「おはようございます!」
「おはよう」
今日もにこにこ挨拶してくる、麦わら帽子を被ったひなた。似合っていて可愛い。
隣にいる初めましての人がひなたのお母さんだろう。こちらもとてもよく似ている。ひなたが大人になったらこんな感じだろう。
「初めまして、ひなたの母の上里琴音です」
「郡蓮花と千景です」
娘同様にこにこと自己紹介してくる琴音さん。ひなたの柔らかさは母親譲りか。
「暑いだろう?早く入ろう」
楓さんに促され、六人ぞろぞろと市民プールへ入っていく。
更衣室前まで来たところで、繋いでいた千景の手を放す。
「じゃあ千景、また後でね」
といっても数分程度だが。
「うん」
千景を男子更衣室に連れていくわけにはいかない。しかし、僕が女子更衣室に行くわけにもいかない。
若葉達に連れられて更衣室に入っていく千景を見送り、僕も更衣室に入っていった。
着替えを終え、プールサイドで女性陣を待つ。
千景と5m以上離れたのは久しぶりだ。香川に来て以来、どこに行く時も千景と一緒である。
さほど待たずして女性陣が更衣室から出てきた。
この前買ったフリルのついたワンピース型の水着はとても良く千景に似合っていた。ひなたと若葉の水着もよく似合っていて大変可愛らしい。
別に僕はロリコンとかではない。
楓さんと琴音さんはビキニの上にパーカーを羽織っている。
しかしなんというか、大きい。琴音さんは大変立派な双丘をお持ちであった。楓さんも決して小さくはない。むしろ下半身の肉付きは楓さんのほうが……。
……僕は千景の友達のお母さんの水着姿を観察しに来たわけではない。
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更衣室から出ると、既に蓮花さんが着替え終わって待っていた。
そして私達と目が合ってからちょっと固まってしまった。
「…どうしたの?」
「…なんでもないよ」
そう答えた蓮花さんが私の髪を優しく撫でてくれる。少しくすぐったい。
「早くプールに入ろう!」
はしゃいでいるのか暑いのか、乃木さんが皆を急かしていく。初対面では落ち着いた印象だったが、年相応なところもあるらしい。
「そうだね、行こうか」
私の髪を撫でていた蓮花さんが、今度は私の手を握って歩き出す。
友達と来る初めての市民プール。私も内心少しはしゃいでいるのを自覚する。
プールに入っていく。冷たい水が、昂った心と熱された肌に心地よく染み渡った。
「あぁ~冷たくて気持ちいぃ~」
「れんかさんが温泉につかるおじさんみたいだ」
乃木さんが言う通り、蓮花さんはプールに入るなり縁にもたれてくつろいでいた。
「おじさん……まあそうだよね。若葉ちゃんやひなたちゃんからしたら僕はおじさんか…」
なんか落ち込んでいたので蓮花さんの髪を撫でてあげた。
「おいしいです!」
パラソルの下の椅子に腰かけ、カップヌードルを食べる上里さん。柔らかそうなほっぺが動いていてかわいい。ちょっとつんつんしてみたい。
そんなことを思いながら私もカップヌードルを啜る。おいしい。家で食べたことのあるカップヌードルよりもなんだかおいしく感じた。
「なんで大体の市民プールってカップヌードル売ってるんだろうね」
「身体が冷えて体力を使った状態では、炭水化物や脂質、タンパク質が豊富に含まれていて温かい料理を身体が要求するからだそうだ」
カップヌードルを啜る蓮花さんの疑問に、同じくカップヌードルを啜る楓さんが答える。
「なるほど」
「さすが楓ちゃんは博識ね」
今食べているカップヌードルがおいしく感じるのは気のせいではなく、ちゃんと根拠があるらしい。
「冬に暖かい部屋で食べるアイスがおいしいのと一緒かな」
「ああなるほど」
乃木さんが私の例えで納得する。楓さんの話はよくわからなかったらしい。
「早く食べてプールにもどりましょう!」
そういう上里さんはいつの間にか食べ終えていた。
「若いなぁ」
上里さんを見て蓮花さんが呟く。
「蓮花は何歳なんだ?」
「今年23になりまする」
「あら、私達からしたら十分若いですよ」
「この子達と比べたら僕は年寄りですよ」
大人達は年寄りみたいな話をしていた。
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午後、プールでは私と乃木さんと上里さんの三人で遊んでいる。蓮花さん達三人は近くのプールサイドのパラソルの下の椅子に座って話している。
「そういえば、れんかさんはすごい身体だな。わたしの父さんよりマッチョだ」
「そうですねぇ。服の上からではぜんぜんわかりませんでした」
上里さんの言う通り、蓮花さんはマッチョだけどボディビルダーみたいな感じではない。服を着ればスリムな人だ。
「関係ないけど、乃木さんと上里さん、お母さんにすごくそっくりね」
「よく言われます」
「うむ」
誰から見てもよく似ているらしい。楓さんと琴音さんの子供の頃の写真を見てみたい。
「えっと、ちかげ」
「なに?」
「名前は呼び捨てでいいぞ。わたしも呼び捨てなんだし」
「そうですね、わたしもひなたって呼んでください!」
「ええ?えっと、じゃあ…若葉とひなた」
なんだろう、友達っぽい。今日一緒に遊んでもっと仲良くなれたってことでいいのかな。
「じゃあわたしはちーちゃんって呼んでもいいですか?」
「え?う、うん。いいけど」
渾名か。初めてつけてもらった。凄く友達っぽい。ぽいじゃなくて友達なのか。
なんだか少し照れてしまう。
まだ出会って日は浅いけど、私の大切な友達。
「だまってしまってどうしたんだ?」
「えっと、あの…なんでもない」
気にかけてくれるのが嬉しいと感じる。
照れて火照った顔を冷やすため、少しだけ深く水に潜ってみよう。
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子供達が遊んでいるのを微笑ましく見守りながら、保護者達はプールサイドでくつろいでいた。
「今年で23歳で小学3年生の娘がいるとはどういうことなんだ?」
楓さんが当たり前の疑問をぶつけてくる。普通に考えれば疑問に思うだろう。14歳で親になった計算になってしまう。
「…千景と僕は血が繋がってなくてですね」
「「え?」」
ここまでの経緯をざっくりと説明する。この人達はきっと信頼できる。若葉とひなたの母親なのだから。
「なるほどな。だからあの子は君を蓮花さんと呼ぶのか」
「普通の親子にしてはちょっとよそよそしい呼び方ですもんね」
「僕と千景はまだ出会って一ヶ月も経ってないから、しょうがないね」
「その割には結構懐かれているように見えるな」
「嬉しいね」
視線の先では千景が水の中に潜っていった。
「これからも一人で千景ちゃんを育てていくんですか?」
「そのつもり」
誰かと結婚する予定もないし、千景と二人で暮らしていきたいとも思う。
ただ、僕は男である。
「そこで、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんでしょう?」
「千景と生活していくうえで、男の僕ではわからないことや、頼りにくいこともあると思うんだ」
「なるほどな。わかった、困った時はいつでも頼ってくれ」
「そうですね。あ、連絡先交換しておきましょうか」
即答してくれたことがこの上なくありがたい。
「ありがとう…」
きっとこれから、たくさんお世話になるだろう。
子育てで頼れる人がいるというのは、とても心強いと思った。
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夕方、そろそろ帰ろうかと思い始めた頃、千景達がプールから上がって戻ってきた。
「もうすぐ日も暮れるし、そろそろ帰ろうか」
「うん」
帰ったら晩御飯作らないと。何にしよう。帰りにスーパーに寄って千景と相談するか。
「あの、れんかさん」
「どうしたの?」
珍しくひなたが話しかけてきた。まだ一緒に過ごした時間も短いので、珍しいというのも変か。
「れんちゃんって呼んでもいいですか?」
「れんかさんにまであだ名をつけるのか?」
「そのほうが親しみやすいです」
なるほど、そういうことか。
「ああ、いいよ」
「ありがとうございます!」
笑顔になるひなたの濡れた髪を撫でる。きっとこれから家族ぐるみの付き合いになることだろうし、仲良くなれるのは嬉しい。
「これからも千景をよろしくね」
「はい!」
「こちらこそ」
本当にいい子達だ。香川に来てすぐに出会えてよかった。
「またね」
「ああ、またな」
「さようならー」
市民プールから出て手を振って別れた後、それぞれの帰り道を歩き出す。
千景と手を繋いで向かうはスーパーである。
「千景、晩御飯何がいい?」
「何でもいい。れんかさんの料理はおいしいから」
そう来たか。褒められるのは嬉しいが、メニューを聞いて『何でもいい』と返すのは世のお母さん達を困らせる。さて、どうしようか。
「食材見ながら決めようかなぁ」
「うん」
今日は疲れたからがっつり食べようか。
「今日は楽しかった?」
「うん」
いつもの短い返事だが、千景の顔には喜色が表れている。
今日は来てよかった。帰る頃には呼び方も変わっていたし、仲良くなれたのだろう。
「…ねえ」
「どうしたの?」
似たような返事をさっきひなたにした気がする。
繋ぐ千景の手に少し力がこもる。
千景の顔を見れば、今度は少し赤くしている。夕日で赤く見えるだけかもしれないが。
「…わたしも、れんちゃんって呼んでもいい?」
話の内容もひなたと同じだった。
聞かれるまでもない。大切な人に親しみを持って呼んでもらえることに嫌な事など微塵も無い。
「もちろん」
内心は嬉しくて仕方ない。
少し安心したように微笑む千景。手にこもっていた力が少し緩まる。
今日は良い一日だった。この浮かれた気持ちのまま眠りたいと思いながら、スーパーへと歩き進めた。