8月頭の朝、上里家の玄関にて。
「千景をお願いします」
「はい。ひなた、ちーちゃんが来ましたよ」
リビングから裸足でぺたぺた歩いてくるひなた。口元にケチャップらしき赤いものが付いている。朝食中だっただろうか。
「ちーちゃん、おはようございます!」
「おはよう、ひなた」
朝からにこにこ元気な子だ。朝は弱い千景とは反対なようだ。
「もうひなた、ほっぺにケチャップ付いてますよ」
琴音さんが指摘する。ケチャップで合っていた。
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃーい」
少し不安そうな顔をする千景の頭を撫でて上里家を出る。向かうは仕事先である。
ちなみに隣にはお屋敷のような家が建っている。乃木家である。
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貯金はある。千景と二人でなら数年は働かなくても生活できるくらいにはある。
しかし、いつかは尽きてしまう。千景にちょっと贅沢をさせるならなおさら。なので、働くことにした。
収入はあまり考慮せず、9月以降は学校の行事があることをふまえて、時間に融通がきく働き方をすることにした。アルバイトである。
乃木家と上里家が我が家から徒歩十数分の距離にあったので、千景を一人にすることがないように、夏休みの間は仕事に行っている時は預かってもらうこととなった。
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連れてこられた二階にあるひなたの部屋は、程よくクーラーがつけられて、外とは違い過ごしやすい温度だ。
「さて、何しましょうか」
「うーん……夏休みの宿題は終わった?」
言ってから思ったけど、宿題を指摘してくる友達ってなんか嫌かも。間違えたかもしれない。
「まだですけど、わたしが宿題してる間、ちーちゃんはひまじゃないですか?」
「ゲームしてるから大丈夫」
特に気にした様子もなく返してくるひなたに、持ってきたリュックサックからゲーム機を取り出して見せる。
どこでも持ち運べるのが携帯ゲーム機のいいところである。
「じゃあ、わかばちゃんが来るまで宿題します」
「若葉来るの?」
「多分来ると思います」
家が隣同士だし、きっとよくお互いの家で集まるのだろう。
少しした頃、階段を登る軽い足音が聞こえてきた。
ひなたの部屋のドアが開かれる。入ってきたのは若葉だった。
「おはよう二人とも」
「おはようございますわかばちゃん、おけいこ終わったんですね」
「おけいこ?」
若葉は何か習い事でもしているのだろうか。
「わかばちゃんは毎朝居合のおけいこしてるんです」
「居合!?刀を抜くやつ!?」
「ああ」
そんなことをしている小学生がいるのか。
居合に関してはゲームで得た知識しかないけれど、確かに若葉に似合っていると思った。
そんなことを考えている横で、ひなたはさっき開いたばかりの宿題を片付けていた。
「じゃあわかばちゃんが来たので宿題終わります」
「まだ5分くらいしかしてないけど」
「だいたい終わってるので大丈夫です」
ならいいか。
「さて、何しましょうか」
「5分前にも聞いたセリフ」
「ちかげもいると聞いていたから人生ゲームを持ってきたぞ」
そう言いながら、持ってきた手提げバッグから人生ゲームを取り出す若葉。
人生ゲーム。友達がいたらやってみたかったことの一つだ。ボードゲームも好きだけど一人ではできない。最近はれんちゃんと色々やっているが。
「じゃあそれをやりましょうか」
「あ、また子供が生まれました!」
ゲーム開始から数十分後。ひなたは五人の子宝に恵まれていた。
「すごいなひなた。わたしなんてまだ独身なのに」
若葉は独身街道驀進中である。
「次はわたしね。…4ね」
ルーレットの針が4に止まったので、私の駒を4マス進める。
「『宝くじが当たって5万円もらう』だって」
銀行役を兼任するひなたから5万円を受け取る。
私は結婚して子供が一人、所持金は一番稼いでいた。職業は総理大臣。
「次はわたしか、…10だ!」
ルーレットで一番数字が大きい10を引いた若葉は一気に進み、私とひなたに大きく差をつけた。…かに思われた。
「えっと…『恐慌が起きて職を失う』!?」
恋愛をすることもなく仕事一筋だったキャリアウーマン若葉は、その仕事さえ唐突に失うのだった。
最終的に一位になったのは私だった。総理大臣のお給料は強かった。
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夕方、仕事を終えて上里家へ千景を迎えに行く。いい子にしているだろうか。千景のことだから大丈夫だろうけど。
上里家に到着しインターホンを押すと、すぐに琴音さんが出迎えてくれた。
「おかえりなさい蓮ちゃん。ちーちゃん呼んでくるので、リビングでお茶でも飲んで待っててください」
「わかりました」
言われてリビングに入ると、楓さんがソファに座っていた。
「おや、こんばんは」
「ああ、仕事お疲れ様」
楓さんが労いながら茶を淹れてくれる。
千景が来るまで飲みながら少し話でもしようか。
「楓さんと琴音さんはいつから仲良いの?」
「そうだな…幼稚園から一緒だったか」
顎に手を当て思い出す楓さん。そんなに小さい頃からなのか。
「そこから小中高と一緒でね。まあ高校は自分達で同じ学校を選んだが」
「ずっと仲良しなんだね。家はずっと隣同士?」
「いや、結婚する時に家は隣同士がいいという話になってね。乃木家は昔からあれだから、琴音とその旦那が隣に家を建てた」
なるほど。確かに由緒ある家の一人娘が出ていくわけにもいかないだろう。
そうこう話しているうちに千景が二階から降りてきた。ひなたと若葉も一緒だ。
「おかえりなさい」
「ただいま。今日は何してたの?」
しゃがんで目の高さを合わせ、千景の髪を撫でてみる。
「ひなたに五人の子供ができた」
「………ん?」
「どうかした?」
「何でもないよ…ひなたがなんだって?」
一応聞き返す。凄いことを聞いた気がする。
「五人の子供が生まれ…あっ、人生ゲームの話ね」
「ああ、なるほど」
それなら理解できた。人生ゲームでも子供五人は多い気がするが、置いておこう。
「人生ゲームしてたんだね」
「うん、他にもボードゲームとか色々」
今日のことをとても楽しそうに話す千景。これなら、これからも仕事の間は預かってもらっても大丈夫だろう。
「じゃあそろそろ帰ろうか」
「うん」
お母さん方にも挨拶しておかねば。
「今日はありがとう。明日からも千景をよろしくお願いします」
「はい」
「ああ、明日はこっちで預かろう」
じゃあ明日の朝は乃木家のインターホンを押そう。
「若葉、ひなた、また明日」
「ちーちゃん、れんちゃん、さようなら」
「また明日な」
手を振り合いながら上里家を出る。ここに来るまでにスーパーに寄ってきたので、千景と手を繋いでまっすぐ家に帰る。
「お仕事おつかれさま」
「ありがとう、千景を見たら疲れも吹き飛んだよ」
僕にとって千景は万病に効くかもしれない。
「今日の晩御飯は肉じゃがにしようかな」
「お肉多めで」
「ああ、わかった」
最初の頃に比べて増えた口数に、距離が少しずつ縮んでいるのを感じた。
乃木若葉
落ち着いた金髪ロングの女の子。小学2年生。家の敷地内に道場があり、居合を習っている。生真面目だかちょっと天然なところがある。まだ成長期は来ていないので、身長はひなたより少し高い程度。
上里ひなた
艶のある黒髪ロングの女の子。小学2年生。若葉とは赤ん坊の頃からの付き合いであり大親友。いつもにこにこしていてほんわかする。