目を覚ます。
食欲を唆る美味しそうな匂いがする。既に朝食ができているようだ。
布団から身を起こして立ち上がり、襖を開けてリビングに出ると、キッチンにはれんちゃんが立っている。
「おはよう千景、もうすぐ朝ごはんできるから顔を洗っておいで」
「おはよう…」
洗面所に行って顔を洗い、戻ってくるとテーブルの上にフレンチトーストやサラダ等、朝食が用意されている。
テーブルを挟んでれんちゃんの向かいに座り、二人で手を合わせる。
「「いただきます」」
平凡で幸せな、日常の朝。
「ん……」
目を覚ますと、視界に映るのはもはや見慣れた寮の部屋の天井だ。
すぐには起き上がらず、ベッドの上でぼーっとする。
懐かしい夢を見た。香川での生活が始まったばかりの頃の夢だった。
あの頃はまだ色々と不安があったが、今では随分と馴染んだものだ。当時は8歳だったのが今では13歳だ。それだけの時が過ぎた。
少し感傷に浸っていると、大きな声と共に扉がノックされた。
「グッモーニン千景さん!朝食の蕎麦は既に準備万端よ!」
私の今日の朝食は蕎麦で決定らしい。別に構わないが。
身を起こし、目を擦りながらベッドから立ち上がり朝から元気いっぱいの友人が叩く扉へ向かう。
「ダメだようたのん!まだ寝てるかもしれないし迷惑だよ!」
扉を開けると、騒がしい歌野とそれを止めようとする水都がいた。
「……おはよう。朝から元気ね」
「グッモーニン千景さん、もしかして寝ていたかしら?」
「一応起きてはいたけれど……」
寝起きにこのハイテンションはキツい。元気なのはいい事だが、朝はもう少し落ち着いてほしい。
「朝からうたのんが騒がしくてごめんなさい……」
「朝食の準備はできてるから、顔を洗ったら談話室に来てね!」
「ええ、ありがとう」
扉を閉めて部屋に戻ると、隣の若葉の部屋の扉を叩く音が聞こえた。
「朝からとても驚いたわ……」
「どったの?」
10分程後、全員が談話室に集まり蕎麦を啜っていた。
どうやら歌野はあの後、何かあったようだ。その悲鳴は私にも聞こえてきた。
「千景さんをコールしに行った後、私は若葉の部屋の扉をノックしてコールしたのよ」
「それで?」
「何度呼んでも出てこないからまだ寝ているのかと思ってね、談話室に戻ろうと思って振り向いたの。そしたら、後ろに若葉がいたのよ!!」
「ジョギングから戻ってきたら私の部屋の前に歌野達がいたんだ」
「そういうことだったのね」
若葉やゆうちゃんはよく早起きしては走りに行っている。
今は辺りに桜が咲いているから、きっとジョギング中の景色も綺麗なのだろう。
「皆さん、今日の予定は何かありますか?」
「私は特に無いな」
ひなたの問いに少し考えを巡らせる。私は春休み中にゲームショップに行きたいが、別に今日である必要は無い。
「私達は今日から補習だよね」
「あ、そうだったわね」
「はぁ……まあ、遅れている分頑張んないとね」
「9時に教室に集合だっけ」
教科書や問題集だけ渡して「これやっとけ」なんて言ったりせずに授業の準備をしてちゃんと教える辺り、烏丸先生は面倒見は良いのだ。
教師に向いているのではないだろうか。丸亀城での生活が終わった後、本当に学校で教師をやればいいんじゃないだろうか。
……終わった後、か。
「……皆は、将来の夢ってある?」
なんとなく、私の口から出てきた問い。
「夢?」
「ええ。なりたい職業とかじゃなくても何でもいいんだけど」
「私はファッションデザイナーかな。まあ、何かしらファッションに関する仕事をしたいな」
「雪花は変わらないわね」
小さい頃からずっと変わらない好きなモノがあって、大人になったらそれに関する事を仕事にしたいとすぐに言える。目指す方向性が既に定まっている。
そんな雪花を少し尊敬する。
「私は農業王になるわ!!」
「歌野は農家ね」
「ただの農家じゃないの。農業の王になるの!」
「はいはい」
「私は、うたのんが作った野菜をいろんな人に届ける宅配屋さんかな」
「それ、いいわね」
「うん!」
歌野も将来の明確なイメージがあり、その夢は水都に影響を与えた。
おそらく水都は私と似た人間で、元々は夢なんて持っていなかったのだと思う。
「みーちゃんは私の生命線ね!」
「逆だよ?うたのんが野菜を作ってくれないと私の仕事が無いから、うたのんが私の生命線なんだよ?」
「……確かに!でもやっぱり、野菜を作っても売れないと生活できないからみーちゃんが必要よ」
けれど歌野と出会い、共に過ごし、その人柄や力強さに影響され、夢を持った。
あなたの夢を叶える為に自分の夢を叶える。
自分の夢を叶える為にあなたの夢を手伝う。
そんな二人の関係を羨ましく思う。
「あんずは本が好きだから本屋さんとかか?」
好きなものに関係する夢でパッと出てきそうな杏に問う球子。
「そういうのもいいんだけど……私、実はお医者さんになりたくて」
「え!?医者!?」
「どうして?」
「私は昔から病弱で、よく入退院を繰り返していたんです」
杏が病弱だったという話は少し聞いたことがある。最近はかなりマシになったようだが、丸亀城に来てからもたまに体調を崩して欠席することはあった。
「私は入院していたころ、治療自体が怖かったせいでお医者さんのことも苦手になってしまいました。お医者さんが悪かったわけではないんですけどね。同じような子を時々見かけたし、多分そういう子供はよくいるんじゃないかと思うんです」
「ああ、確かになぁ」
「だから、もし可能なら私は、子供の患者さんに優しく接する、怖くないドクターになりたいなって。医者になるのは簡単じゃないってことはわかっているんですが……」
自身の経験から生まれた、優しい彼女らしい夢。
「とても、素晴らしい夢だと思います」
「あんずなら大丈夫だ、きっとなれるぞ!」
「ありがとうございます」
その後もそれぞれの思い描く将来を聞いていく中、若葉は顎に手を当てて悩んでいた。
「若葉ちゃん、どうかしましたか?」
「……なかなか将来をイメージできなくてな。未来の私は何をしているだろうか」
「きっと仕事一筋で行き遅れキャリアウーマンになった後、その職を失うのよ」
「よく覚えているなそれ。しかし実際にそうなりそうなのが怖い」
人数も増えたことだし、また今度皆で人生ゲームをしてみても楽しいかもしれない。
私には、将来の夢はあるのだろうか。
「ちょっと皆で出かけてくるわ」
「構わないがどこに行くんだ?ついて行ったほうがいいか?」
昼食時、ちょうど食堂に来ていた烏丸先生に、午後は皆で出掛けることを一応報告しておく。
何も言わずに出掛けると心配をかけてしまう。
「商店街とか、近所を案内するだけだから」
「そうか。……まあ、一応私もついて行こう」
「烏丸先生って過保護なの?」
「万が一にも何かあっては困るからな。お前達は本当ならどこに行くにも護衛をつけるべき立場なんだぞ?」
「うっ……まあ確かにそうかもしれないけど」
元々は勇者にSPをつけるなんて話もあったと聞いたことがある。
どうして実施されなかったのだろう。どこに行くにも人がついてくるのは少し鬱陶しいので構わないけれど。
出掛ける準備を整え、正門前に全員が集合して丸亀城を出る。
空を見上げるととても良く晴れており、雨の心配は無さそうだ。
「それにしても久美子さん、お仕事中なのについてきて大丈夫なんですか?」
「お前達の面倒を見るのも私の仕事だ」
「なんか先生っぽい!」
「失礼だな、先生だぞ」
悪意は無いけれど失礼なことを言うゆうちゃん。しかし私も同じようなことを思ってしまったのは黙っておく。
先に家で一緒に生活してから教師と生徒の関係になったのもあるからか、どうも学校に行ったら近所のお姉さんがいたみたいな感覚が抜けない。
休みの日に一緒にゲームしたりしているのも影響しているかもしれない。
「そういえば私達、こっちに来たばかりで服とか全然無いんだよね。色々買いに行きたい」
「あ、そうね。私も新しい鍬とか買っておきたいわ」
「鍬ってどこで買えるんだ?」
「ホームセンターにあると思います」
「ここから徒歩10分くらいね」
とりあえず最初の目的地をホームセンターに設定して歩いていく。
周囲では桜が既に咲きかけている。れんちゃんが帰ってくる前に散ってしまわないか少しだけ心配だ。
ホームセンターで各自必要な物を買い揃えて店を出る。
そして私は思ったことを言葉にせずにはいられなかった。
「……鍬、邪魔じゃない?それ持ったままこの後服を買いに行くの?」
「え?」
歌野は今、鍬を担いでいる。それも一本ではない。
三本爪の鍬と幅広の鍬、二本の鍬を担いでいる。
「ちゃんと自分で持つからノープロブレムよ。邪魔だけど」
「プロブレムあるじゃないの」
「……丸亀城の人に車で取りに来てもらうか」
そう言って久美子さんがスマホを取り出してどこかに電話をかけると、5分程でホームセンターの駐車場に見たことのある車がやってきた。車から降りてきたのは庭師のおじさんだ。
「お、来た来た」
「……電話で鍬を取りに来てくれって言われた時は何言ってるんだこの人って思ったけど、本当に鍬だったか」
「丸亀城までお願いします!」
「ああ、うん。寮の前に置いておけばいいかい?」
「はい!」
そして庭師のおじさんは歌野から二本の鍬を受け取ると、車に積み込んで丸亀城に帰って行った。
次の目的地は服屋だ。
私達がよく利用する衣料品店といえば、ここ「ユニシロ」だ。お手頃価格でシンプルなデザインの服が多く気に入っている。
単に近いからというのもあるが。
「この店ってどこにでもあるんだね」
「良いことね」
店に入り、特に散らばることも無く行動する。全員歳の近い同性なので、向かうエリアも大体同じだ。
「そういえば私のコーディネートをどうのこうの言っていたけれど、今やるの?」
「ああいや、それは蓮花さんが帰ってきてからにしようかな」
「そうね」
「若葉ちゃんもそれで構いません」
「どうしてひなたが決めるんだ?まあいいか」
私達6人は別に服に困っている訳では無いので、歌野達3人が服を選んでいるのを眺めている。
「こっちかなぁ〜、あっこれもいいなぁ」
雪花は流石というべきか、手に取る服がどれも彼女に似合うものだ。
「うーん……私はこれで!」
歌野が即決して手に取ったのは無地の白Tシャツ。似合うけれども。年頃の女の子なのだからもう少しオシャレに気を使っても良いのではないだろうか。
「わぁ、このカエルのワッペン可愛い。これにしようかな」
「ちょっっと待てぇぇぇい!!」
「え、何!?どうしたの雪花さん!?」
流石に止めに入る雪花さん。私は本人が気にしないなら構わないけれど、雪花は気になってしまうのだろう。
「2人とも、もうちょっとオシャレに気を使おう!?」
「動きやすければ良くない?このシャツ、文字を書きやすそうだし」
「文字を書きやすそう?」
「この服可愛いよ?」
「そうかも、しれない、けど!……私が選んでもいい!?」
「あら、助かるわ」
「ありがとう雪花さん」
そして十数分後、雪花が選んだ服と自分で選んだ服を買い物カゴに入れた。結局買うらしい。
「烏丸先生は服買わなくていいんです?シャツの首元がよれてるけど」
「ん?これか?」
私達の後ろでぼーっと立っていた久美子さんに雪花が声をかける。
今着ているシャツは確か、我が家に来る前から着ているもののはずだ。襟がよれよれになっている。
「私は別に服には困っていないし、これはこれでいいんだよ」
「なんで?」
「この方が蓮花が喜ぶから」
「ちょっとそれどういう意味よ!?」
「……言わせるな恥ずかしい」
「帰ってから詳しく聞いてもいいですかっ!?」
久々に鼻息を荒くする杏を見たかもしれない。
きっとよれよれのシャツは、くっついていると谷間がよく見えるのだろう。
無防備な胸元でれんちゃんを誘惑する痴女は後で問い詰めた方がいいかもしれない。
ユニシロで会計を終え、私達は商店街にやってきた。
ここに来るのも久しぶりな気がする。
「この商店街は私達が小さい頃からよく来ていたんだ」
「へぇー」
「天災前と比べると、シャッターが降りてしまっているお店があるのが少し寂しいですね」
天災の影響は至る所に出ている。少し時間が経った今でもそれは変わらない。
歩いていると商店街に入ってすぐの肉屋のおじさんに声をかけられた。
「おっ、今日はやたらと大所帯だなぁ!新しい友達も増えたのか。皆元気にしてたか?」
「はい、色々ありましたけど元気です」
「おじさんも変わりませんね」
「この歳になると数年じゃあ変わらんよ」
思い返してみると、私がここに来た頃よりは少し老けたかもしれないが、それでも微々たる変化だ。そういえばれんちゃんも全然変わらない。
「皆、コロッケいるかい?揚げたてだよ!」
「いる!」
「ありがとうございます!」
前にもほぼ同じようなやり取りをした記憶がある。
毎度の如く、人数分のコロッケを貰ってその場で頬張る。食べ歩きできるように包んでくれているので手は汚れない。
ちゃっかり久美子さんもコロッケを貰っている。
「今日は蓮花さんはいないんだなぁ」
「蓮花は今用事で遠出していまして」
「なるほどなぁ」
「お肉屋さんのコロッケ美味し〜」
「たくさん歩いたから小腹にちょうどいいですね」
久美子さんがおじさんと世間話をしている隣で、球子達はコロッケにがっつく。おかわりと言わんばかりの速さで食べ終えた。
「おかわり!」
おい。
「おっと……流石に既に十個あげたから、これ以上あげたら売り物が無くなっちまうよ。でも美味かったなら良かった」
「食いたければ自分で買え」
「そうだよな、ごめんなおっちゃん。タマ1個買う!」
「毎度あり!」
二つ目のコロッケもあっという間に食べ終える球子はとても満足気な笑顔だ。
感化されたように若葉やゆうちゃん、歌野ももう1つ買って頬張った。
「またいつでも来てくれよ!」
「また来ます!」
肉屋を後にして歩き進む。
「そういえばここには何を買いに来たんだ?」
「特に何かあるわけじゃないけれど、とりあえず案内しておこうかと思って。何かと便利だし」
ここは居心地が良い。人が温かいのだ。
だから三人にも紹介しておきたかった。それだけだ。
一通り歩き、久しぶりに会う人達と少し話し、商店街を出る頃には日が傾き始めていた。
「そろそろ帰りましょうか」
「そうね」
「久美子さん、こんなに長い時間丸亀城を離れていてよかったのか?」
「想像していた以上に長引いてしまったが、まぁ構わない。少し残業するか」
「茉莉さんを心配させないようにほどほどにね」
「わかっているさ」
皆と出掛けるのは、楽しい。
昔はインドアな趣味しかなかった私だが、こういうことを楽しいと思えるようになったのは、きっとれんちゃんや若葉達のお陰なのだろう。
私の将来の夢なんて大層なものは思いつかない。けれど、小さな事であれば思いついた。
初詣の時にも願った、れんちゃんとずっと一緒にいたいという思い。
贅沢は言わない。どんな関係でも構わない。
これは将来の夢と言えるだろうか。
やがて丸亀城に到着し、私達は門をくぐる。
寮の前には、庭師のおじさんが運んでくれた歌野の鍬が置かれていた。
「じゃあ久美子さん、お仕事頑張っ……」
そう言いながら振り返ろうとした瞬間、世界が止まった。
久美子さんやひなた、水都は微動だにせず、咲きかけの桜から風に舞った小さな花弁が空中に固定されている。
「え?何?」
「みーちゃんどうしたの?」
「これは……まさか!!」
そして私達のスマホが同時に不快な警報音を鳴り響かせた。画面に表示されているのは『樹海化警報』という文字。
「……遂に来たのね」
「どうやらそのようだな」
各々がすぐに自分の部屋に戻り神器を持って再び集まると、やがて世界が姿を変えた。
穏やかな日常は唐突に終わりを告げる。
今日の郡家
夕方頃、なんだかとても嫌な感じがした。何かが頭に直接流れ込んでくる、忘れかけていた感覚。
ボクは家を飛び出し、必死に丸亀城へ走った。もう間に合わないかもしれないけれど。