三人でゲームをしている最中、風呂が沸いたことを報せる曲が聞こえてきた。時計を見れば既に8時過ぎ。一旦ゲームは終わって順に入浴を済ませるべきだろう。
「風呂沸いたし、先に入りなさい」
「一緒に入らないの?」
「三人じゃさすがに狭いでしょ?僕は最後でいいから」
「「じゃあ私も後で……」」
綺麗にハモった千景と久美子が顔を見合わせる。
「仲良いね。久々に二人で入ってきたら?」
「えぇぇ…………仕方ない、ほら行くわよ」
嫌がりながらも着替えを持って脱衣場に向かう千景。久美子は特に表情を変えずそれを見送る。
「……千景のこと、嫌わないであげてほしい」
「別に嫌ったりしないさ。アイツはまだ幼いだけだ。それに、この程度でいちいち嫌っていたら教師なんてやってられん」
「ありがとう」
「じゃ、私も入ってくる」
「うん」
まだ20代半ばなのに、とても大人びていると感じた。
脱衣場に向かう久美子は、茉莉の入浴に突撃する時のような少し悪い笑みを浮かべていた。千景を心配したほうがいいのだろうか。
──────────
「どうしてまたこんなことに……」
「そう嫌そうにするなよ」
身体を洗い終えて湯船に入り、久美子さんの対面に座る。狭い。
「私にもたれてきていいんだぞ?脚を伸ばせないだろ?というか脚を伸ばしたいからこっちに来てくれ」
「……」
「ほれ、ほれほれ」
「……あなた、そんな感じだったかしら。ちょっとれんちゃんの影響を受けてない?」
「今更だろ」
いつまでも腕をこちらに広げてくるので、仕方なく移動して久美子さんに背を預ける。れんちゃんにもたれる時とは違い、背中に柔らかい感触がある。
「……お前の髪ツヤッツヤだな。普段触ることがないから驚いた。蓮花がよく撫でたがるのもわかる」
「ちゃんと毎日お手入れしているもの。久美子さんはしてないの?」
「面倒臭い。蓮花が少ししてくれる程度だな」
「綺麗な長い黒髪がもったいないわね」
「髪を染めなくなっただけマシだ」
言われてみれば、最初は赤のインナーカラーを入れていたが、今は染め直さず色も落ちてきている。
「染め直さないの?」
「蓮花が黒髪が好きだと言ったから、このままでいい」
「ふーん」
「……」
「……」
……話題が無い。ただでさえ静かな空間で無言はさすがに気まずい、何か無いのか。
「……何か話題を振ってよ」
「ふむ……ああ、そういえば少し気になっていたことがあったんだ」
「何?」
「お前と蓮花は、どんな風に出会ったんだ?」
「れんちゃんから聞いてないの?」
「ああ」
まあ、聞かれなければわざわざ話すこともないかもしれないが。
少し過去を振り返る。れんちゃんと出会ったあの夏の日から、もう少しで五年になる。
「……私が小学三年生の時、家に帰る途中で唐突にあの人は私の前に現れた」
「不審者か?」
「そして、君を助けに来た、僕と一緒にここじゃないどこかで暮らさないかって言ってきたの」
「やっぱり不審者じゃないか」
「うるさいわね、確かに当時は誘拐かと思ったわよ」
「よくそれについて行ったな」
「……私は、故郷の村から逃げ出したかったのよ」
怪しさ満点の初対面の男性について行ってしまうほど、当時の私は毎日が辛かった。そして、あの時の決断は間違っていなかったと、今ははっきりと言える。
「父親は子供のような人で両親の仲は悪く、母親は不倫した。田舎だったから、そういった話はすぐに広まり、私は虐められていたの。周りの大人達も黙認していたわ」
「……」
「まるで地獄のような日常だった。……だから、れんちゃんの言葉に縋りたくなった。ここから逃げ出せるのならなんでもいいと思って」
「両親はそれを許したのか?」
「両親は私の親権を押し付け合っていたから、私を引き取ってくれる人が見つかってよかったと喜んでいたわ。れんちゃんはその様子にブチ切れていたけれど。その日の夜には、私は荷物を纏めてれんちゃんと一緒に家を出た」
「蓮花も、ちゃんと怒ったりするんだな」
皆はれんちゃんが怒る姿を見たことは無いだろう。あの時以来、私も見ていないのだから。
あの時は、私の為に本気で怒ってくれていることが嬉しかった。そしてれんちゃんを信じる理由の一つにもなったと思う。
「それから、香川で暮らし始めて、友達ができて、いろんな経験をして、毎日が楽しいと思えるようになった。れんちゃんは文字通り、私の生きる世界を変えてくれたの」
「なるほどな……なあ、千景」
「ん?」
「両親に会いたいとは思ったりしないのか?もう二度と会いたくないか?」
「まあ、そうね。……ああ、でも」
「なんだ?」
「いつか、私が大人になったら一度だけ会うのも悪くないわね。そして、あなた達の元を離れてから、私はこんなに幸せになってやったと自慢してやるの」
「それは……とてもいいな」
「でしょう?」
あの二人が今どうしているかなんて、わからないし興味も無い。おそらくとっくに離婚していてバラバラにいるのだろう。今生きているのかすら不明だ。
それでもいつか、偶然にも会うことがあれば、満面の笑みで言ってやろう。私は幸せだと。
──────────
一人で特にすることもなくスマホを眺めて時間を潰していると、先に出てきたのはバスタオルを体に巻いた久美子だった。
「着替えを借りていくのを忘れた」
「ああ、そうか。ちょっと待ってね」
タンスの引き出しを開けて久美子に丁度良さそうな服を選ぶ。
まあ、大体どれも少し大きいかもしれないが。
「蓮花」
「ん?」
「千景は、強い子だな」
「……ああ」
「ちょっと久美子さん!なんて格好で出てるのよ!?」
今度は千景が脱衣場から出てきた。髪はまだ乾かしていないが、ちゃんとグレーのネグリジェを着ている。
「服を借り忘れたんだよ」
「はい、これでいい?」
「ああ。……これが彼シャツというやつか」
「は?」
「冗談だよ。怒ると皺が増えるぞ?」
着替えを渡すと、久美子はその場で着ようとしてバスタオルを取ろうとする。
しかし、すかさず千景がそのバスタオルを巻き直した。
「あっちで着てきて!」
「今更な気もするが」
「いいから!」
「わかったよ」
渋々脱衣場に戻っていく久美子を見送る。風呂から上がったばかりの千景は既に疲れていそうである。
「あの人の羞恥心はどうなっているの?」
「慣れって怖いね」
「……れんちゃんのバカ」
「え、えぇぇ……?」
何故唐突に僕が罵倒されたのか。しかし今の『バカ』は世界一可愛い『バカ』ではないだろうか。録音できていないことが悔やまれる。
久美子が脱衣場から出てくると、入れ替わりで僕も風呂に向かった。
──────────
「さて、そろそろ寝ようか」
「もう寝るの?」
「夜更かしは美容の敵だよ」
「それを聞くのも何度目か」
れんちゃんが指さす先に目を向けると、時計の短針は11時をさしていた。確かにそろそろ寝る準備をするべきかもしれない。
「でも、どう寝るの?久美子さんは床?」
「おい」
「安心して、布団は敷いてあげるから」
「僕は下でいいから、二人でベッドで寝なよ」
せっかくれんちゃんがいるのに、どうして久美子さんと二人で寝なければならないのか。それなら私も下で寝る方がマシだ。
「三人でベッドで寝ればいいんじゃないか?」
「千景がそれでいいなら」
「……まあいいわ。順番はどうするの?」
「千景が真ん中でいいんじゃない?」
久美子さん、私、れんちゃんの並びだと、身長から見ていわゆる川の字ではないだろうか。それは一般的に子供を真ん中にして左右に両親が並ぶはずだ。
それは駄目だ、子供扱いされてしまう。れんちゃんの隣に並ぶ為には対等でありたい。
「れんちゃんが真ん中になるべきだわ」
「千景に賛成」
「二人がベッドから落ちないように端になろうと思ったんだけど……まあいいや」
というわけで、部屋の明かりを消して壁側から順に私、れんちゃん、久美子さんの並びでベッドに入る。わかってはいたが狭い。
幸か不幸か、狭いが故にれんちゃんに密着せざるを得ない。……幸だな。いつも通りである。
「久美子、落ちないようにね」
「しっかりくっつくから大丈夫だ」
「朝起きて落ちていたら笑ってあげるわ」
「なんてやつだ」
「久美子さんって寝相いいの?」
「どうかな。基本的には悪いけど、僕を抱き枕にしてる時は動かないね」
「あらそう、ふーん」
「フッ」
「なにその顔、腹立つわね」
勝ち誇るようなドヤ顔を向けてくる久美子さん。デコピンでもしてやろうか。
「れんちゃんは大丈夫?真ん中狭くない?」
「大丈夫だよ。凄く幸せだ……」
「両手に花だな」
「ああ」
両腕枕で動けない状態だが、とても満足そうなのでれんちゃんは大丈夫だろう。
「良い夢見れそう……おやすみ、二人とも」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
れんちゃんの胸に置いた右手から心臓の鼓動を感じる。
久美子さんも私と対称的な体勢なのか、時折私と手が触れる。
払い落とそうかと考えていると、私の手の上に久美子さんの手を乗せられた。
なんとなく、今夜は甘んじてそのまま受け入れることにした。
自分の幼さを感じた気がしたから。
──────────
夢を見た。
厳かで悲しみに満ちた葬儀の場で、前には棺の中に穏やかに眠る少女が二人。
棺の前で泣き崩れる少女が一人。
入口には、押し寄せる大波の如き虚無感や無力感に苛まれ、立ち尽くす青年が一人。
場面は変わり、雨が降る暗い空の下、丸亀城の天守前。
少女の亡骸を抱きかかえ、血で赤く染まりながら悲しみに涙を流す青年と少女。
青年は少女達の運命を嘆き絶望する。
青年は、あの絶望を乗り越えられたのだろうか。
いや、おそらく否だ。
この世界の戦いを終わらせても、あの過去が変わるわけではない。失ったものは帰ってこない。
それを過ぎた事だと区切りをつけることもできない。
けれど、大人になって幸せに暮らす少女達を見ることができたら、少しは救われるのかもしれない。
手に温かな感触を感じて目を覚ます。
ゆっくりと瞼を開いて視線を右に向けると、千景が僕を見つめていた。その手は僕の右手を握ってくれている。
「……おはよう、千景。先に起きてるなんて珍しいね」
「おはよう。魘されていたけれど大丈夫?」
「ああ……大丈夫。少し、昔のことを夢で見たんだ」
「……辛い夢?」
「うん。でも、忘れたくないことなんだ」
「そう……」
右手で千景をそっと抱き寄せる。
「心配いらないよ。お前が傍にいてくれるから、大丈夫」
この子と過ごした5年弱で、僕はどれだけ救われたのだろう。
家に帰れば千景がいる。それがどれだけ嬉しかったことか。
できることなら、これから先もずっとこの子達を傍で見守っていたい。そんな願いを抱いてしまった。
「久美子さんはまだ起きないわね」
「そうだねぇ……今何時?」
久美子は未だ僕の左腕を枕にして眠っているため、僕は身体を起こすことができない。
「8時よ」
「なら、まだ起こさなくていいか。日曜日だし」
「れんちゃんも動けないけれどいいの?」
「いいよ」
「久美子さんに甘過ぎない?」
「久美子には千景に甘過ぎるって言われたことがあるよ。皆を甘やかしたくなっちゃうんだ」
「駄目人間製造機……」
なんという言われよう。
「千景も一緒に二度寝しよう?幸せだよ?」
「……まあいいけど」
千景はそう言うと、再び僕の右腕を枕にして横になった。
最高の贅沢をしようと僕も目を閉じた瞬間、大きな声と共に扉が力強くノックされた。
「グッモーニン千景さん!蓮花さん!久美子さん!朝食に打ちたての蕎麦はいかがかしら!?」
「朝から元気だなぁ……」
「……起きましょうか」
「んぅぅ……うるさい……」
歌野の騒がしさで久美子も目を覚ます。
久美子は目をこすりながらゆっくりと身を起こし、二度寝を邪魔された千景は歌野を止める為に扉へ向かう。
「おはよう、久美子。今日の朝ごはんは蕎麦だってさ」
「ん……あれ、千景はどうした……?」
「ちょっと歌野うるさい!」
「ほらやっぱり!日曜日の朝は静かにするべきだようたのん!」
「でも今日は最高の出来なのよ!?だから打ちたてを食べてもらいたいの!」
「……朝から元気だな。若さか」
「年寄り臭いよ久美子」
こんな日も悪くないなと思い、表情が綻ぶのを自覚する。
「さて、僕等も行こうか」
「ああ、腹が減った」
立ち上がり、光の差し込む扉へ歩く。
そこには、騒がしさに集まってきた少女達がいた。
今この瞬間は勇者や巫女など関係なく、少女達は楽しげに笑い、そこに千景の笑顔もあった。
僕の望んだ世界がここにあった。
7月末、大社から連絡が来た。天羽々斬が完成したと。
最後の大仕事へ臨む時が来たのだ。