平穏な日々は遥か遠く   作:石門 希望

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第15話 体育祭Ⅲ

 ついにその日がやってきた。一か月準備を重ねてきた体育祭本番の日だ。

 周囲を見渡すと用意周到に生徒の体調を管理する施設に誤審や曖昧な結論を避けるためのカメラなどが備え付けられていた。

 

 体育祭の開幕。

 まだ競技は始まってもいない。

 だというのに、オレたちのDクラスは既に負けを察して完全に諦めてしまっている者ばかりだった。

 

 それも当然だ。

 

 体育祭を目前にクラスの数少ない主力でありDクラスの指導者だった平田洋介がCクラスの石崎と揉めたことで参加できなくなっていたからだ。

 クラスの士気は最悪もいいところ。

 平田がその場にいないために抑止力もない。そのため雰囲気はかつて6月半ばまでの混沌とした空気感をどことなく予感させるものになっていた。

 

「くそっ! ただでさえ勝ち目が薄いのに平田はなんてことをしてくれたんだ!」

「平田くん……」

「マジありえない! 最悪! これで負けたら平田くんのせいだよねっ!!」

 

 これまでの強引な支配で押さえつけていた不満が噴出する。ほとんどがこの場に居ない平田への失望や怒りの声だった。

 平田以外に不満をぶつける者がいない現状はある意味平田の望み通りの成果なのだろう。

 

「……100メートル走、あなたは確か1組目だったかしら」

「ああ。プログラム表によるとそうらしい」

「そう。1位、期待しているわ」

「取れなくても文句言うなよ」

 

 それだけ言い残してオレはグラウンドへ向かう。

 1組目の位置につくと、否な偶然で龍園が隣で走るらしい。

 

「ククク。随分とおまえのクラスは荒れてるな、綾小路」

「まぁな、それもしょうがない。元々荒れていたのを平田が強引に隠していただけだ。その平田が最悪の形で権威を落としたんだからああなるのも仕方ない」

「その割には表情一つ変えねぇな。いったい何を考えてやがるんだ?」

「何も考えてないぞ」

「期待しているぜ、綾小路。

 お前を表に引きずり出してやるよ」

「期待してもらってるとこ悪いが、オレは何もするつもりはないしそれに応えられそうにはないな」

 

 そんなくだらない会話しているととうとう出番が来たようだ。

 

 パンッ! 

 

 合図の銃声とともにスタートを決める。

 途中龍園がよろけた振りをして体当たりを迫ってきたが軽くかわして先頭を走る生徒を抜かす僅差の1位を演出した。同じ組分けの博士は最下位だったがオレが一位を取ったことでまずまずの滑り出し。

 だが、それもほんの一瞬。

 元々身体能力が優れた生徒とそうでない生徒が両極端だったらしいDクラス。だが、それが期待できたというらしい生徒は既に退学済みで、残った男子の中で期待できた平田はアクシデントで欠場。高円寺は端からやる気がないから戦力外。そのため調子は振るわない。

 一方の女子は個人競技の成績は全体的に悪くない。だがしかし団体競技はDクラス男子にすら比べると劣るためにひどい有様だ。練習時点ではそこまでの差はなかったはずだが、平田の欠場によって一部の生徒が暴走しがちになっている。

 

 順当という言葉がこれ以上当てはまらないほどにDクラスは敗北を重ねる。巻き込まれてAクラスの成績まで振るわず、Aクラスの生徒はこちらに殺気まで飛ばしてくる始末だ。

 

 既に勝ちの芽はない。

 

 これはDクラス全員の共通認識になっているだろう。

 そしてこうも思っているはずだ。

 

 このクラスは今後も、こうして順当に負け続けていくのだろうと。

 このクラスでAクラスを目指すなんて夢のまた夢。ありえないことだ、と。

 

 

 ******************

 

 

 私、堀北鈴音はこの体育祭で自分の無力に絶望していた。

 私1人が個人競技でいくら勝利を重ねても何の意味もない。

 それは────彼も同じ。

 綾小路くんはどの個人競技も高順位を取ってくれている。けれどそれだけでは勝利を目指すうえで致命的に何かが欠けている確信があった。

 

 ────何が足りないのかしら。

 

 いえ、もうそれはわかっている。

 この大会が始まる直前に、彼に言われたことをずっと頭の片隅に置いていたから。

 

「Aクラスを目指すうえでいまのDクラスには致命的に欠けているものがある

 堀北、お前はこの体育祭でそれをよく見極めるんだ」

 

 一人だけが優秀でも、なんの意味もなさない。せめて連携が取れてこそ初めてクラスでの勝利を目指すことができる。勝負の土俵に立つことができる。

 けれど、と平田くんが不在で荒れているDクラスを見る。

 

 ────あれでは無理ね

 

 つくづくこのクラスに配属されてしまったことが恨めしい。クラスでAクラスを目指すのは諦めるしかない。彼らを切り捨てて、何とか一人でAクラスへたどり着く方法を考えた方が得策だ。

 そう思ったとき、ふととある記憶と感情が蘇る。

 

『奴は編入初日、私にこんな質問をしてきた。クラスを移籍するには何ポイント必要だ? と』

「っ…………」

 

 ……そうだ。私に彼らを切り捨てる資格があるのだろうか? 

 私は彼に──綾小路くんに見捨てられたくない。

 もし私がここでDクラスを見捨てる選択をしたとして、私は見捨てる側の人間だと思うのはあまりに愚かで傲慢なことだと気づく。

 

 だって、とこの体育祭を振り返る。

 確かにDクラスの男子はひどい有様だった。けれど、それ以上にこの体育祭の足を引っ張っているのはDクラスの女子だった。個人競技はともかく、顕著にそれが現れるのは女子団体戦。平田くんの存在が欠けたことによる抑圧からの解放的な気分に酔ったのか、篠原さんを筆頭に一部の女子たちは体育祭で勝利を目指すモチベーションが著しく低かった。そのうえで徐々に体育祭の成績が振るわない不満を平田くんのみならずDクラスの男子にも発散しはじめ、悪い空気を蔓延させる。

 

 もしかしたら綾小路くんからすれば、私も見捨てるべき対象の一人なのかもしれない。

 彼は私よりも優秀だから──―私には見えていないことまで見えているから。

 

 そう思うと途端に先ほどまでの自分の思考が怖くなる。

 私がしようとしていた選択は、彼に私を見捨てさせる結果にならないだろうか。

 そんな不安がもたげてくる。

 

 もしも──―もしも私が彼を見捨てさせてしまった場合、私の居場所はどこにもない。

 またあの時の──―あの時の本当の孤独を味わうことになる。

 それが怖かった。

 

 少し前の自分なら絶対にありえなかった思考に自嘲する。

 

 ────一人で何でもできると思っていた。

 

 ────孤高に憧れて生きてきた。

 

 けれど、家族から呆れられ、兄からは見放され、見下していたクラスから拒絶されて初めて自分が孤独だと知った。

 

『おまえは孤高と孤独を履き違えている』

 

 やっぱり兄さんのいうことはいつも正しい。いつも私には見えないところまで見えている。ずっと私の先にいる。

 

 ────私は兄さんのように強くない。

 

 自分の弱さを知ったから。自分の驕りを教えてもらったから。

 

 居場所を作ってくれた彼の期待に応えたいと思った。

 体育祭までの彼の様子を思い出して、彼のこれまでを思い出して──―わかる。

 

『堀北はオレにも平田にもないものを持っている。

 それはAクラスに上がるという強い意志だ。

 あいつはいまのどん底のDクラスにあってなお、Aクラスに上がることをあきらめていない。

 それはいつの日かクラスがピンチに陥った時の救いになるかもしれないからな』

 

 いまここで私がすべきこと。私が彼の期待に応える方法。

 彼が編入してきてから、彼の姿を一番近くで見てきただからこそようやくたどり着く。

 

 彼が私に期待している事。求めていること。

 それは──―彼らを、Dクラスを見捨てることでは決してない。

 

「堀北、おまえはまだAクラスを目指しているか?」

 

 幻かと思うほど都合のいいタイミングで彼は現れて問いかけた。

 その答えはいま決まった。

 私はいつもと変わらない表情の彼に意思をはっきりと伝えて決意を固める。

 

「当然よ。私は絶対に──―Aクラスに上がることを諦めない」

 

 覚悟と決意、これを固めるために溜を作る。

 きっと以前の私なら絶対に言わなかったはずの言葉。

 これで少しは──あなたの期待に応えられるかしら? 

 

「私はこのクラスを見捨てない。私がこのクラスを引っ張って、Aクラスになって見せる」

 

 その言葉を口にしたとき、僅かながら彼の──綾小路くんの表情が動いた気がした。

 それはまるで──―驚いたような、嬉しそうなような。

 すべて私の幻想なのかもしれない。

 

 けれど今だけは──―あなたの期待を超えられたと思っていいかしら? 

 

 

 ******************

 

 

「それで具体的にいまからどうするつもりか考えはあるか?」

 

 ここにきて堀北が予想以上の成長を見せてくれたのはオレにとって大きな収穫だった。

 これならよりオレの理想に近い状況へ持っていけるかもしれない。

 そんな期待を寄せながら堀北に考えを問う。

 

「ごめんなさい。まだ私にはどうすればいいかまではわからないわ」

 

 俯いた頭があがるタイミングを見計らって声をかけたから推察するに本当についさっき覚悟を決めたところだったのだろう。策がないのは当然だ。

 

「まず確認しておくが、おまえはいまのDクラスがどんな状況に立たされているかちゃんと認識できてるか?」

「ええ。このままだと体育祭はまず勝ち目はない。

 午前だけで個人競技も多くで、団体競技に関しては全部でDクラスは敗北している。

 Dクラスが1位になれる可能性はもうないと言っても過言ではないかもしれないわ」

「それだけじゃない。今のクラス全員の意識が重要だ。

 さっきまで自分が何を考えていたのか思い返してみろ」

「…………」

 

 黙り込む堀北の内心を言い当てる。

 

「このクラスではAクラスに上がることは無理だ。

 この先の試験でもきっと勝つことはない。ずっとこのままだ、とそういう意識になっているのはおまえだけじゃない。Dクラスの生徒全員だ。

 はっきり言うが今この瞬間にDクラスの未来そのものが決まろうとしているのをちゃんと意識すべきだ」

「……っ」

 

 堀北は表情を硬くする。

 

「だからこそ、いまこの瞬間はおまえがみんなに認められ、求められる存在になれる環境が整っている。

 誰もが諦めている。

 この状況で自分のありのままの思いをはっきりと告げろ。

 この状況でも本気でAクラスを目指す姿はみんなには光に見えるはずだ。

 先行きが真っ暗な闇ばかりのなか光があれば、きっと皆ついてくる」

「……そううまくいくかしら?」

「5月までのあんな状況を作り上げたクラスだが、あれでも根っからの悪人はいないはずだ。

 おまえを虐めていた奴らですらあの状況には戻りたくないらしい。

 おそらくおまえが思う以上にあの環境は全員にとって苦痛だった」

「……私にできるかしら」

「大丈夫だ。お前だからこそできるんだ。堀北、おまえがこのクラスを導く存在になれ」

 

 堀北は両手を合わせて胸の前で握る。

 

「昼休憩もあと少しだ。早速行くぞ」

「ええ」

 

 

 ******************

 

 

「みんな、ちょっといいかしら」

 

 私はこの場に居るDクラスの生徒全員から注目を集める。

 突き刺さるような視線。決して好意的なものじゃない。

 けれど──―隣には彼がいる。それだけでとても頼もしかった。

 だから私は彼の言う通り、ありのままの思いのたけを伝えることにする。それが正しい選択だと信じて。

 

「……あなたたちは、このままでいいと思っているの?」

「は? 何が言いたいの」

 

 私に対して特に悪感情を持つ篠原さんが真っ先に突っかかる。

 

「篠原さん、とりあえず落ち着こう」

「そうだよさつきちゃん。とりあえず話全部聞いてみようよ」

 

 松下さんと佐藤さんから意外な助け舟をもらったことで篠原さんが落ち着いてくれた。

 やっと話せる環境が整った。私は息をついて立て直す。

 

「みんなはこのクラスがAクラスに上がれると思っているかしら?」

「無理だな。こんなまとまりも何もない、陰湿ないじめをするような奴までクラスにいるクラスがAクラスに上がれるはずがない」

 

 即答したのは人より幸村くんだった。

 

「私もそう思うわ。いまのDクラスではAクラスには到底届かない。

 確率は0。絶望的でしょうね」

「今更そんなことはわかりきっていることだ。

 こんな奴らと同じクラスにされたせいで俺まで不利益を被っている。

 それで堀北、何が言いたいんだ?」

 

 一呼吸着く。そして、慣れない説得のために言葉を紡ぐ。

 

「私は……Aクラスになるのを諦めたくない。

 何としてでもAクラスに上がりたいと思っている。

 そのためにあなたたちもクラスの勝利を目指してほしいの。

 この体育祭は現状のポイントから考えて既に価値の芽はほとんどないけれど、この先のためにせめて勝負の土俵くらいには立つ必要がある。

 だから協力してほしい。

 自分勝手な振る舞いはやめて、クラスの勝利のために連携してほしい」

 

 要求を突きつける。クラスの勝利に必要なもの。それを提示すれば少しは協力するだろうと考えて。

 けれど──―

 

「は? なんで私たちがあんたの言うこと聞かなきゃいけないわけ」

「いまさらそんなこと言われても……」

 

 反応は芳しくない。

 

 どうすれば彼女たちを説得できる? 

 

 どうすれば協力を得ることができる? 

 

 人に協力を求めるなんて初めてで、手探りで、答えを求めるように自然と綾小路くんの方へと視線が向かう。隣に立ってくれている彼に助けを求めるように。

 だけど、彼は視線を返さない。それがなんだか信頼に思えて、私は彼から既に受け取っている言葉の中に、行動の中に答えを探す。

 

 ────ああ、こんなに簡単な事だったのね。

 

「私は……ずっと一人だった。いつも孤独。

 それでいいと思っていた。それでやれると信じて行動してきた。

 だけど──―それではダメだと気づかされたの」

 

 突拍子もなく語り始めた内容に何人かの困惑が混じる。

 

「正直あなたたちのことは見下していた。

 碌に授業も受けずに遊んでばかりで、そんなあなたたちと同じクラスで同じ評価を受けたことも不服だった。

 でも──―そんな私も、あなたたちと一緒だったのね。

 認められたくて、期待に応えたくて、独りよがりだった。

 そんな私はあなたたちと変わらなかった」

 

 いつの間にか困惑は消え失せ、みんな私の言葉を待っていた。

 

「私には認められたい人と、期待に応えたい人がいる。

 認められたい人には、いまもどうすれば認めてもらえるのかわからないでいる。

 けれど、期待に応えたい人から何を期待されているのかはようやくわかった。

 私は──―あなたたちを見捨てない」

 

 意外なのでしょうね。クラス全員、驚く様子を隠せないでいる。

 

「一人でAクラスに行く方法を探そうかとも迷った。

 あなたたちを見捨てて自分だけでAクラスに行きたいとも思った。

 けれど、私にも足りないところがあったから、それが一人では成しえられないとわかった。

 Aクラスに行くためにはあなたたちの協力が必要なの。

 まだ少しでもAクラスに上がりたい気持ちがあるのなら協力してほしい。

 協力してくれるのなら、私は決してあなたたちを見捨てはしないと約束する。

 必ずみんなをAクラスに導いてみせると約束するわ」

 

 

 ***************

 

 

 それは他人に協力を求めるにしてはひどく拙く、反感を買うかもしれない演説だった。

 だが──―どこまでも正直で誠実な決意だった。

 本音の力というのは馬鹿にならない。堀北に反感を持つものも多いが、言わなくてもいいことをわざわざ口に出したのは、どこまでも正直で、愚直なまでの誠実さの表れだ。

 いまの最悪のクラスに希望を見いだそうと思っている者の心には、少なくとも何か変化を与えられたはずだ。

 

 堀北は十分に今やれる仕事を果たしてくれた。

 後は空気を整えるだけ。

 

 オレは松下に目配せする。

 松下はそれに応えて真っ先に発言する。

 

「私も出来ればAクラスに上がりたい。

 まだ諦めるのは早いしやれるだけやってみたいな。

 だから、堀北さんに協力してみてもいいと思う」

 

 数人の生徒が同意する様子を見せる。

 

「俺もまだAクラスを諦めたいとは思わない。

 優秀な堀北が導いてくれるというのなら異論はないし、ここは協力すべきだと思う」

「私も……堀北さんに協力してもいいと思うな」

 

 幸村が真っ先に好意的な意見を発言し、少し意外なことに佐藤も賛同の声をあげる。

 徐々に堀北に対する前向きな意見が伝播し、絶望でしかなかったクラスの雰囲気が変化を始める。

 

「でも、いまのクラスのリーダーは平田くんだよね。

 堀北さんがクラスを率いることってできるのかな? 

 いまの平田くんは、そんなこと許してくれるのかな?」

 

 ここに一石を投じたのは櫛田だ。

 堀北を中心にまとまりつつある空気はあいつの望むところではないのだろう。

 だが、お前のその発言はこの場ではかえって好都合だ。

 

「それに関してはオレに任せてほしい。

 きっと平田は、堀北がクラスを率いてAクラスを目指すことに反対しないはずだ」

「綾小路くんが? でも、本当に大丈夫なの? 

 綾小路くん、平田くんに殴られて酷い怪我をしていたこともあったし、またそんなことにならないか私心配だよ」

「そもそも、なぜ平田が暴力を振るうようになったのかみんな考えてほしい」

「…………」

 

 沈黙が生まれる。

 みんな平田に対して思うところが多いのだろう。

 なぜ、入学当初の平田からは想像もつかなかったのであろう今の平田。何が彼をそれに至らしめるにあたったのかを。

 

「あいつは、あの最悪な状況を変えたかった。

 そのために無理に暴力を振るって、最悪の中でも比較的マシな状況、自分だけが罪を背負う状況を作り上げたんだ。

 それはクラス全員の責任だ。虐めの実行犯にも、それを見て見ぬ振りをしてきた奴らにも、全員が背負うべき責任だ」

 

 目を背けたい事実。クラス全員が己の罪と向き合う。

 クラスの全員に平田洋介という男に対する罪悪感を意識させる。

 

「いい加減、あいつを開放してやってくれないか」

「私は! 私はこれ以上平田くんに暴力を振るってほしくありません!!」

 

 みーちゃんは普段の大人しい彼女からは想像もつかないような大きな声で、その思いを吐き出した。

 

「平田くん、ずっと辛そうなんです! 

 暴力を振るっているときも、クラスをまとめているときもずっと辛そうで、無理をしているんだと、やりたくてやっているんじゃないとわかります! 

 私は! 私はこれ以上平田くんに辛い思いをさせたくありません! 

 堀北さんに協力すればこれ以上平田くんがつらい思いをせずに済むのなら、私は堀北さんに協力します! 

 だから……みんな、お願いします。みんなも、堀北さんに協力してあげてください」

 

 みーちゃんの心の底からの嘆願。それはきっと、何よりも多くの人の心を動かしたはずだ。

 この状況を無下にできる術を櫛田も持たない。

 みんな、大人しく気弱な少女が精いっぱいの勇気を絞った必死な願いに心境を変化させる。

 

「この体育祭、少しでも上の順位を目指してAクラスに近づくわよ」

 

 堀北が決意を込めた目標をみんなにきかせる。

 それに呼応するDクラス。

 

 いまこの時、ようやく、初めて、Dクラスのほとんどの生徒がAクラスを目指すために足並みをそろえた。

 

 

 ***************

 

 

 残る競技は3学年合同1200メートルリレーのみ。

 オレは最後から2番目を務めることになっている。

 

 この体育祭を機に、良くも悪くもDクラスは大きく変化する。

 平田による暴力だけの支配体制から、堀北によるAクラスを目指す健全な体制へと。

 

 オレはアンカーを務める堀北の様子を観察する。

 体育祭が発表されてからあいつの様子に度々不自然さが混じることが多くなった。その不自然の正体がきっと、いまあいつが視線を向けている男にあるのだろう。

 

「綾小路くんっ!」

 

 櫛田からバトンを受け取り加速する。

 

 ────ほんの少しだけ、本気をだすのも悪くない。

 

 

 ***************

 

 

 猛烈な追い上げを見せる綾小路くんに私の胸には言いようもない感情が湧いていた。

 彼はこれまでの競技でも常に高順位をとっている。それは徒競走に関しても例外ではないし、彼の足が速いことそのものには驚きはない。

 

 けれど、今の彼の走力はこれまでとは一線を画すものだった。

 

 着々と他の走者を追い抜き、瞬く間に順位を上げていく。

 

 もし、このまま勢いが落ちずに私にバトンが回ってくれば──―きっと起こりえる状況を想起して、自然と兄の方へと視線が流される。

 

 胸がじんわりと暖かくなる。

 

 これは彼の狙いなのかしら? 

 それとも偶然? 

 

 いいえ。いまはどちらでもいい。

 ただ彼から渡されるバトンを決して離さぬように受け取って、1つでも上の順位を目指してゴールへ向かうだけ。

 

「堀北」

 

 バトンを受け取って走り出す。

 綾小路くんからバトンを受け取って、兄さんと一緒に走り出す。

 

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