僕にとって大切なのはクラスだった。
大切な友達を守るためにクラスを守って、クラスを守って友達を守る。
クラスには何十人という生徒がいて、人の数だけ考えがあり揉め事を起こす。
だから僕は守ろうとした。まとめようとした。
────揉め事を起こさないように
────みんなから笑顔を奪わないように
出来るだけ相手の意思を尊重した。みんなで平和的に仲良くするために。
もちろん誰もがそれを望むわけじゃない。須藤くんのように僕の理想を嫌って反発する人もいたけれど、決して彼らを無理やり従わせるようなことはしない。
そんなことをすればどんな結末になるのかを、僕は既に知っているから。
だから反感を覚える生徒たちをなだめて、彼らに無理に行動を改めさせることはしなかった。
その時は距離を取るのが一番だと思ったから。
だけど────結局それは僕が現実と向き合うのを避けていただけだった。
それをこの先、嫌というほど思い知らされることになる。
そして過ちを繰り返すことになる。
***************
4月。
この日、僕は高度育成学校に入学した。
そしてこれから共に3年間共に過ごすことになるはずだったクラスメイトたちと出会った。
みんな個性的でクラスとして一枚岩になるのは、いまはまだ想像できない。
それでもこの時の僕は3年後には全員そろって笑顔を浮かべて卒業できると、そんなおぼろげな理想を夢見て疑わなかった。
「僕らは今日から同じクラスで過ごすことになる。
だから今から自発的に自己紹介を行って、一日も早く皆が友達になれたらと思うんだ。
入学式まで時間もあるし、どうかな?」
贖罪のために、理想の実現のために、僕は進んでクラスをまとめる役目を引き受けた。
────二度と同じ過ちを繰り返さない。
そんな決意を胸に抱えて僕はこのクラスの中心になったはずだった。
***************
「お願い平田くん! 私の彼氏役になって!」
入学してから3週間になろうとした頃、同じクラスの軽井沢さんからそんなお願いをされた。
正直いきなりそんなお願いをされたときには驚いたけど、理由をきけば納得した。
軽井沢さんは小学校と中学校の9年間に渡ってずっと酷いイジメにあっていたらしい。そしてその過去と決別するためにこの高校に進学した。だけどこの学校でも今後自分が虐められないとも限らないから、そうならないためにクラスの中心的立場にいる僕を利用させてほしい。そんな内容のお願いだった。
彼女と出会ったのはこの学校に入ってから。普通なら出会って三週間にも満たない彼女の話を信じたりはしないかもしれない。
だけど僕には彼女が嘘をついていないことがなんとなくわかった。彼女には虐められている人特有の気配があったから。
被害者として、加害者として、誰よりも近くで虐めを受ける人たちを見てきた。
彼女からは虐められていた親友や僕が平等に虐めていたみんなと同じものを感じた。
見捨ててしまった親友への償いは他の誰かを救うことでしかなし得ない。
僕の立場なんかを彼女が虐められないことに利用できるのなら好きなだけ利用してほしい。それが彼女の救いになるのなら。友達を守ることにつながるのなら。
彼女が虐められない────それだけで僕がこの話を引き受ける理由は十分だった。
「わかったよ軽井沢さん。この先何があっても僕は君の味方になることを約束する」
***************
5月1日。
間違いなくこの日が運命の帰路だった。
「お前たちは本当に愚かだな」
────そうだ。僕は愚かだったんだ。浅はかだったんだ。
その日の茶柱先生の様子は異様だった。
池くんの冗談を冷たくあしらうのはいつもと変わらないにしても、その態度には違和感があった。そして、疑問を口にした本堂くんに対して見下すように言葉を並べる。
「ハハハ!
なるほど、そういうことだねティーチャー。
理解出来たよ、この謎解きがね」
誰もがまだ状況を呑み込めていないなか、高円寺くんだけが理解した様子を見せる。
僕は誰もが思っているはずの疑問を、クラスを代表して質問した。
「先生、ポイントが振り込まれなかった理由を教えてください。
でなければ僕たちは納得出来ません」
そうして始まったのが茶柱先生によるクラスの成績がポイントに影響するというこの学校独自のルールの説明だった。入学以来不思議に思っていた疑問が次々に氷解していくも、そのことを喜ぶ気にはなれなかった。
「茶柱先生。僕らはそんな話、説明を受けた覚えはありません……」
いまこのクラスには悪い空気が漂い始めている。
最初からこの説明を受けていれば、こんなことにはならなかったはずだ。
僕はクラスを危機に陥れようとしている茶柱先生に静かに怒りを覚えつつ抗議した。
だけどそれはポイントの振り込みがなかったのは当たり前のことを当たり前にできなかった僕らの怠慢のツケだと反論の余地のない正論によって返される。
せめて、と僕はポイントの詳細を尋ねたけれど、それも敢え無く却下される。
入学して早々のクラスの危機。
いまこの瞬間にそれを覆せないことも、クラスをまとめる立場でありながらこの状況を未然に防げなかったことも悔しかった。
「遅刻や私語を改め……仮に今月マイナスを0に抑えたとしても、ポイントは減らないが増えることはない。つまり来月も振り込まれるポイントは0ということだ。裏を返せば、どれだけ遅刻や欠席をしても関係ない、という話。どうだ、覚えておいて損はないぞ?」
「っ……」
どうしてそんなことを言うんだ!
薄い笑いを浮かべてますますクラスの崩壊を助長するような発言をする茶柱先生にさらに怒りが込み上げた。わざわざ遅刻や私語を改めようとしてくれていたかもしれないみんなの気を削ぐような事実が今後のクラスの先行きに与える影響を想像して暗い気分になる。
さらに茶柱先生は黒板に厚手の白紙を張り付けて説明を続けた。
僕たちのクラスは不良品の集まり。1科目でも赤点を取れば退学。卒業時の特典はAクラスにしか与えられない。
一通りの説明を聞き終えたみんなが動揺するのも無理ないことだ。
みんな気が立っている。
互いが互いに対して怒りを覚えてこのクラスはバラバラだ。
だからこそ僕は使命感を覚えた。
みんなが嫌い合わないように、みんなで卒業するためにこの難局を乗り切ろう。
確かに状況は厳しいけれど、きっとこれを乗り越えられればみんなで笑いあって卒業できる未来が待っているはずだ。
このときはまだそう思っていた。
***************
僕たちのクラスは────試練を乗り越えることができなかった。
池くん、須藤くん、山内くん……
赤点を取れば即時退学だという話を彼らは真剣に受け取っていなかった。
「え? 退学ってマジだったの?」
「冗談きついって、紗枝ちゃんせんせー……」
「ふざけんなよ! こんなことで退学なんて俺はしねぇぞ!」
この状況になってようやく、僕は自分の過ちに気付いた。
赤点を回避するために開いた勉強会。だけど彼らはそれに参加しなかった。
────絶対に強制してはいけない
誰かの意思を無視して望むような行動をさせる真似はしたくなかった。
そんな思いから僕は勉強会をあくまでも自主参加にした。
彼らの意思を尊重したつもりだった。
無闇に勉強会の参加を義務付けるのはよくないと思った。
それがいけなかったのか?
だけど、それをしてしまったら僕はあの頃の自分に戻るようで嫌だった。
それに彼らにも何度か参加しないか声をかけたけどどれも断られた。そんな彼らをどうすれば説得できたのか僕にはわからなかった。
「……本当に退学させない方法は何もないんですか?」
「ないな。赤点のボーダーを大きく割ったあいつらを助ける方法はない」
「い、嫌だ!! 退学なんてしたくねぇ!!」
退学が決まった3人は阿鼻叫喚といった様子だった。
それに対して────
「ハッハッハッ! 実に醜いねぇ。さっさと退場したまえ」
「正直あいつらウザかったし、いなくなって清々するって感じよね!」
「だよねー!」
そんな心無い言葉を投げかけるみんながいた。
この空気は……僕が最も恐れていたもので……この状況を作り出したのは────僕だ。
「くそっ! おまえがもっと俺らに勉強会勧めてくれてたら退学しないで済んだのに」
そんな山内くんの言葉が心を抉った。
僕はどうすれば良かったんだ?
彼らを無理やり勉強会に参加させてればよかったのか?
でもそれだと彼らの意思が……
思考が巡って鈍くなっていく。
────どうすればよかった?
────何を間違えた?
────そもそも僕が……
自罰的な感情が次々と浮かんでは膨れ上がり循環し、ついには悪化する状況に心の許容量を超えてしまう。
────そうか。僕は…………
***************
それからの日々はよく覚えていない。
何もできない、何かやっても間違える自分への失望による心の穴を埋めるのに精いっぱいだったんだと思う。
周囲に何が起こっていてもそもそもそれを認知せず、何も知らなければ悪くない。
きっとそんな救いようもない愚かなことを考えていたのだろう。
それが過去と全く同じ過ちなのにも関わらず。
***************
「おまえがそうなったのは3人の退学者が出た時からだと聞いている」
聞き覚えのない声だった。
「いまのクラスははっきり言って異常だ。
授業中の私語は当たり前、それどころか当然のように虐めが横行している」
それは冷徹で無機質な声だった。
「平田、須藤たちが退学したのはお前が悪い」
それは容赦のない事実で────
「おまえの綺麗ごとは誰も幸せにはしない。
その事実として須藤たち3人は退学し、いまDクラスは荒れ放題だ。
授業をサボってる奴や聞いてない奴にはちゃんと注意すればよかった。誘っても勉強会に参加しない奴は強引にでも参加させればよかった。
だが、平和主義を理想とするおまえはそれをしなかった。輪を乱すことを恐れた結果、いま誰一人として幸せにはなっていない。それどころか多くの不幸を生んでいる」
────それは認めたくない現状だった。
「おまえの平和主義はただの臆病だ。
本気で須藤たちの退学を阻止したいなら力を用いてでも説得すべきだった。
本気で虐めを止めたいなら今すぐにでも強引に阻止すべきだ。
それ以外に、おまえがおまえの理想をかなえる手段は果たしてあるのか?」
それはずっと頭の片隅にあった手段だった。
「おまえならできるはずだ。
おまえが本気だというのなら、今すぐにでもDクラスから虐めも退学者もなくなるはずだ」
でも、僕はその手段を────
「須藤たちが退学したのはおまえが悪い」
やめてくれ────聞きたくない────
「その責任を取りたいなら、この先は手段に構わず虐めも退学者もなくすことだ。
それがおまえにできる唯一の贖罪だ」
気づいたときには僕は1人の男子生徒をひどい傷がつくまで殴っていた。
もうその時には────僕の心は壊れていた。
***************
***************
***************
「…………そうか。もう、終わったんだね」
「ああ。これからは堀北がクラスを引っ張っていく」
体育祭を終え堀北とも別れた後、オレは平田の部屋まで訪ねていた。
「これからはもうお前が暴君を振る舞う必要はない。
普通に学校にきて、普通に授業を受けて、普通にみんなとともに過ごしてくれたらいい。
今後はクラスをまとめたりなんかせずにただの一生徒として過ごしていいんだ」
今後の生活の展望を平田に示す。
すると平田は静かに聞き終えてから、おもむろに言葉をつぶやき始めた。
「綾小路くん、君は……残酷だね……」
オレはそれを黙って聞き届けることにする。
「僕は君の影響で理想を捨てた。二度と繰り返さないと誓っていた同じ過ちを繰り返した。
君に贖罪と言われてもう一度暴力でクラスをまとめたけれど、今度はその贖罪すらも諦めなきゃいけないんだね……」
平田の表情は暗かった。
それも仕方がないことだと思う。理想も、誓いも、贖罪も何もかも果たせずただ自分の無力に打ちひしがれる男がそこにいた。
「結局僕は……何もできない。何もできなかったんだね……」
「そんなことはない」
オレは力強くそれを否定した。
「確かにお前は理想も誓いも果たせなかった。
だが残せたものは確実にある。
お前が暴君として虐めを制裁したり、クラスに恐怖を覚えさせてくれたおかげで今後はまず虐めが起きることはないだろう。
お前は今後普通に過ごしていても、お前の存在が虐めの抑止力になるんだ。
お前のしてきたことは決して無駄じゃないこととオレは保証する」
大方過去の失敗を想起しているのだろう。
そんな平田に対しオレは続く言葉でこいつを折ることにする。
「お前には理想を叶える力がなかった。
お前自身の目指す覚悟が足りていなかったのも当然ある。だがそれ以上にお前の理想そのものが上辺だけの綺麗ごと、叶うはずのないものだった。
今後は堀北がクラスを引っ張ることになっていくが、あいつには絶対にお前の理想を押し付けるな。あいつの理想はお前とは違う。あいつにはあいつの理想があってそのためにクラスを引っ張っていく。その足を引っ張るような真似はしないでほしい。
自分が叶えられないことを他人に押し付けるような真似は許されることじゃない」
「……うん、そうだね。……その通りだと、思う」
オレは平田の理想も、理想を目指そうとしたことも何もかもを否定する。
「おまえはこれまでよくやった。
贖罪としてはまだ不十分と思うところがあるかもしれないが、これ以上間違いを犯さないためにもおまえはリーダーを降りるべきだ。
これからのクラスはオレと堀北に任せて休んでくれ」
これで平田は櫛田を退学させるときの大した障害ではなくなった。
そしてようやくオレは目的のための下準備を整え終えたと言えるだろう。
さて────そろそろ本格的に動き始めるとするか。