「随分と無茶をしたようですね」
「そうでもないさ。この程度は傷の内にも入らない」
平田から暴行を受けた日のこと。
寮へ帰宅するとなぜかオレの部屋の中で待ち構えていた坂柳にそう答えると、憐れみにも悲しみにもとれる、彼女にしては珍しい表情に変化した。
それにしても、どうして坂柳がオレの部屋の中にいる?
こいつに鍵を渡した覚えはないのだが……
「寮の管理人さんにあなたの彼女だと名乗ると快く渡してくださいました」
おい。それでいいのかこの学校……
虐めの件だけじゃなく、セキュリティにまで問題があるじゃないか……
にしても口に出してないはずなのに当たり前のようにオレの疑問に答えないでほしいんだが。
いろいろなことに呆れていると、ふと坂柳がオレの隣にまで移動していることに気付く。
なんだ? と不思議に思っていると、坂柳はその小さな手でオレの手を包み込む。
「綾小路君。
人は触れ合うことで温かさを知ることができる。
それは大切なもの。人肌の温もりも、決して悪いものではありません。
覚えておいてください」
彼女の言った言葉を、残念ながらオレは理解することができなかった。
だが、理解出来たらいいなとも思う。
──―そのためにも、オレは平穏な日々を目指したいと思った。
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「軽井沢……ちょっと黙れよ」
暴君と化した平田は想像以上によく機能してくれた。
平田の更なる変貌にDクラス生徒はみんな揃って困惑し、それ以上に不気味さと恐怖を覚えていた。
特に顕著だったのが軽井沢だった。彼女と篠原には虐めの主犯として特に厳しい制裁が加えられたのだが、篠原はただ怯えるだけの範疇に収まっていたが軽井沢はそれ以上の反応を見せた。怯えを通り越して空っぽ。瞳から一切のハイライトが消え、ただただ命令に従う人形のような空虚な存在となってしまった。
廃人がひとり立ち直ったかと思った矢先に、それが原因で別の奴が廃人と化してしまった。
以前あいつに感じた違和感の正体がそこにあるのかもしれない。
このクラスに平田に暴力で敵う存在はオレともう一人の例外以外にはいない。
しかしそのどちらも平田による恐怖支配の障害にはならない。
オレはそもそも平田を暴君の道に誘った首謀者であるからして、平田の行いを止めるはずもない。
もうひとりの例外である高円寺も興味なさそうな態度だ。あいつの行動は予測できない分不確定要素ではあったが、平田には当てがあったらしい。事前に何らかの交渉を持ち掛け奴の不干渉を取り付けていた。
結果として平田の暴君体制はほぼ盤石なものとして出来上がっていた。
Dクラス生徒の表情は一様に固いが、以前の荒れ果てていた頃よりはマシに感じている生徒も何人かいたようだ。
だが、この体制にもまだ一つだけ欠けているピースがあるようだ。
──―佐倉愛里
面識のない彼女は現在不登校らしい。
オレが編入する前には既に不登校だったらしく、彼女の存在を把握できていなかったのは仕方がない事だろう。
どうやら気が弱くて目立たない生徒だったらしく、不登校の原因もおおよそあのクラスの様子が怖かったのだろうと平田と堀北は予想していた。
一度どんな人物か見ておこうと彼女に登校の説得に向かう平田についていくことにした。平田はそれを快く受け入れてくれて、現在オレと平田の2人で佐倉の部屋の前にいる。
平田が呼び鈴を押すも応答はない。
めげずに感覚を置いてもう一度鳴らすと呼び鈴の機械から「は……はい」と怯えたような声がきこえた。
しばらく待つと、わずかにドアが開きその隙間からおずおずと女の子が顔をのぞかせた。ドアチェーンはかけたままだ。
「ひ、平田くん……と?」
「やぁ、佐倉さん。
この人は綾小路清隆くん。6月から僕らと同じDクラスに編入してきたクラスメイトだよ」
「へ……編入…………?」
佐倉がうかがうようにオレを見る。
「綾小路清隆だ」
そう短く自己紹介をすると、佐倉は一瞬何かに安堵した様子でオレと平田を見比べた。
「そ、……その…………私に、何か…………?」
「佐倉さんには学校に来てもらいたいと思うんだ」
平田が直球に要件を伝えると、佐倉は怯えて身を縮ませる。
「で、……でも…………」
「安心してほしい。いまはもうクラスに虐めはないし、起こさせない。
何かあっても佐倉さんを守ると約束する。
だから、佐倉さんにもぜひ学校に来てほしいんだ」
平田が佐倉を安心させるためにクラスの状況が変わったのだということを伝える。その言葉は同時に固い決意も宿していた。
それを聞いた佐倉は怯みながら確認するように口を開く。
「そ、その……じゃあ…………櫛田さんは…………?」
「櫛田さん?」
「ご、ごめんなさい!!!」
謝罪の言葉を口にした直後、佐倉は勢いよくドアを閉め立てこもってしまう。
暴君として覚醒して日が浅い平田はまだ精神的に不安定なようで冷静さを失い、ドンドンと何度もドアをたたいてもう一度佐倉を呼び出そうとしてしまう。
「落ち着け平田」
「でも!!!」
「平田、それじゃ逆効果だ。
篠原たちみたいな加害者じゃなくて、佐倉はなにも悪いことはしていない。
むしろ怯える被害者側の人間だ。
そんな立場の人間に暴力は効果的ではないことは冷静なおまえならわかるはずだ」
「…………そうだ、ったね。うん。そうだね。
少し暴力に囚われすぎていたみたいだよ」
「ああ、それでいい。
暴力は必要なときにだけ振るえばいい。
過剰に振るえばかえって自主退学者を出しかねない」
そういうと平田は気落ちした様子でうつむいてしまう。
「僕は、……どうすれば佐倉さんに来てもらえるんだ?」
「平田、佐倉の件はオレに任せてくれないか?」
平田は顔をあげオレを見る。
「時間はかかるかもしれないが、必ず連れてくると約束する」
「…………信じていいんだね」
「ああ。オレが必ず佐倉を学校に通えるようにする」
「わかった。信じるよ。僕に何か協力できることがあれば言ってほしい」
「助かる」
この日はここで解散することにした。
それにしても、櫛田か…………
佐倉からその名前が出るとは思わなかった。
あの様子だと、あのことに気づいている可能性も考えられる。
オレはしばらく佐倉愛里と交流を重ねることに決めた。
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翌日。
オレは昨日に引き続き佐倉の部屋の前で立っていた。
インターホンを押しても反応はない。
しかし、機械を通して声は通るはずだ。だからそのまま話を続けることにする。
「佐倉、今日はおまえに無理に学校に来いというつもりはない。
そうだな。オレの愚痴にでも付き合ってほしいんだ」
そしてオレは当たり障りのない内容の愚痴をひとりでにこぼす。
反応がなくて、傍目から見たらただ独り言をドアの前でつぶやき続ける怪しい人物になってしまっていることに悲しくなってきてしまうが必要なことだと割り切ることにする。
「今日は愚痴を聞いてくれてありがとな」
本当の所は聞いてもらえているか怪しいが、そう言い残して今日は去ることにする。
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あれから毎日愚痴を吐き続けていると、思いのほか早く、佐倉の行動に変化が訪れた。
ドアの隙間をわずかに開け、最近は一方的ではない会話らしい会話をすることができていた。佐倉の趣味がカメラだという話を聞き出せたので、それを中心に佐倉が気を許すようにコールドリーディングで会話を広げた。基本オレのほうが話すのが苦手で、佐倉の趣味の話を聞いている感じだ。
そして、ついに部屋にもあげてもらえるようになった。もう十分に佐倉はオレに気を許しているはずだ。ようやくここから本題に踏み込むことにする。
「佐倉、どうして学校に来ないんだ?」
佐倉は怯むも、どうにかして答えようとしてくれているようだ。
オレはその答えをじっと待つ。
「その……みんなが怖いから…………」
「確かにな。オレも入ってきたばかりの時にはひどい目にあわされた。
だが、いまはあれからだいぶマシになってると思うぞ。
少なくても目に見える虐めはもう起きないだろう。
おまえが被害にあうことはないはずだ」
実際佐倉が登校してあのクラスをどう思うのかは気にかかるところだが、嘘は言っていない。Dクラスは編入当初よりマシになったと思うし、目に見える虐めもない。平田が暴力をふるう機会はあるかもしれないが、それが佐倉に向かう可能性は限りなく低いだろう。
「でも……怖いの……それに…………」
「それに?」
「あ、あの…………綾小路くんは、櫛田さんのこと……どう思う?」
やはりか、と確信する。
佐倉があのクラス、あのクラスに所属する全員を恐れていたことは既に承知していた。が、中でも一番恐怖心を抱いているのは櫛田に対して。これが意味するのは……
「櫛田について……か。正直難しいな」
「あ、あの……櫛田さんって、誰にでも優しくて……私なんかにも、明るく、話かけてくれて、くれてたんだけど…………」
肯定も否定もせず、じっと佐倉の言葉を待つ。
「こ、怖いの…………」
「どうしてか、教えてもらっていいか?」
それから佐倉はゆっくりとだが語りだしてくれた。
聞き出せた内容は予想以上に的を射ていた。櫛田が堀北に持つ悪意。虐めを止めているように見せながらも、周囲を煽っていたこと。それにのせられるみんなに対する恐怖。
言葉は拙いものの、その一つ一つが本質を見抜く説明だった。
佐倉には予想以上の観察眼が備わっているらしい。
──―使えるな
相変わらず人を道具としてしか見ない鬼畜のような考えが浮かぶ自分に自嘲する。
だが、その思考から生み出した結論を変えるつもりはない。
──―佐倉愛理は対櫛田の武器になる
そのためにも、彼女には学校に来てもらえるようになってもらいたい。
そう思った。
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佐倉から話を聞き終え部屋から出ようとすると、オレは彼女の部屋の違和感に気付く。
「佐倉、これは?」
指さした先にはごみ箱がある。だが問題はその中身だ。開封されていない封筒が異常な数捨てられている。
佐倉の交友関係を考えると不自然だと思わざるを得ない。
「そ、それは……!」
つまる佐倉。
「よかったら、クラス以外の悩み事でも話してくれないか?
オレにも助けられることがあるかもしれない」
悩む佐倉だったが、オレがじっと見つめていると覚悟を決めたようだ。
言葉に詰まりながらも事情を説明してくれた。
どうやら佐倉はグラビアアイドルをしていた過去があるらしく、そのときのブログも少し前までは更新していたらしい。だがそのブログに不気味な書き込みが見られるようになり、ついにはどうやって知ったのか大量の手紙まで送られてくるようになったらしい。所謂ストーカーというやつだ。
「心当たりはあるか?」
そう尋ねると佐倉は首を小さく縦に振る。
何でもかなり最近、具体的にはオレと平田が佐倉を訪ねる前日に一度、インターホンを押す怪しい人物が現れていたそうだ。相手は小柄な男性だったらしい。
佐倉が登校できない理由はこれも原因の一つにあるようだ。
「先生に相談してみたらどうだ?」
怯えつつも悩む佐倉。
「おまえが心配していることはわかる。
手紙が自分の住所に届くことからして、学校関係者に犯人がいるのかもしれない。
それが不安なんだろう」
佐倉はコクリと首を縦に振る。
「だが、担任の茶柱先生には相談してもいいと思う。
担任である以上相談されれば応える責任があるし、何より茶柱先生は犯人じゃない」
そして佐倉は茶柱先生に相談することに決めてくれた。明日の放課後、オレの付き添い付きで学校に行く。そのための渡りをつけておくことも約束した。
一通り話し合いも終えたので今日のところは帰ることにする。
「あ、あの! …………綾小路君!」
帰る直前、玄関のドアに手をかけたところで佐倉から声がかかる。
振り返ると、佐倉は精一杯の勇気を振り絞るように……
「ありがとう」
そう言って穏やかな笑みを浮かべた。
******************************
見るからにやつれ果てて、さすがに心配になる茶柱先生は佐倉からの相談を受けてさらに頭が痛いという様子を見せる。
相談を受けてもらっている立場だが、彼女のほうが相談相手が必要に見えてしまう。
「あ、あの……先生、……大丈夫ですか?」
佐倉も不安に思ったのだろう。
遠慮がちにそう尋ねていた。
「ああ、心配ない。
佐倉、すまなかったな。これは学校の不手際だ。
こちらで対応することにする。
2人とも、すまないがこのことは他言無用にしてもらいたい」
「オレは別に構いませんよ。
佐倉、おまえはどうだ?」
「そ、その……それが必要なことなら…………」
「すまないな2人とも。
進捗があれば連絡する。
今日のところは帰ってくれ。
綾小路、佐倉を部屋まで送り届けてやってくれ」
「もともとそうするつもりだったんでいいですよ」
「すまない」
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佐倉を寮の部屋まで送り届けてるために付き添っていると、部屋の前に妙な人影が見える。どうやら佐倉の部屋の真ん前にいる様子だ。
昨日の時点で可能性を考えなかったわけではないが、さっそく現れたことにすこし驚く。
オレは先ほど入手した茶柱先生の連絡先に佐倉の部屋の前に怪しい男が現れたことを報告する。返ってきたのはそのまま見つからないように隠れていろというものだった。
不安と恐怖に飲まれた佐倉がオレに縋るような視線を向ける。
安心させるようにオレは佐倉に向けて頷きを返す。
しばらく待っていると、この階で止まるエレベーターが現れる。
中から姿を現したのは茶柱先生をはじめとするこの学校の教師陣だった。
目ざとくオレたちを見つけた茶柱先生がこちらに近づく。
「綾小路、あれがそうか?」
あれとは当然ドア前にたたずむ怪しい男のことだ。
オレは頷き肯定を示すと、茶柱先生からここで大人しくしていろと指示を受ける。
茶柱先生だけだと心配だが、男性教師もこの場には複数いることだし任せても問題ないだろう。
オレと佐倉が何かするまでもなく事件は解決した。
男は終始何かを騒いでいた様子だったが、先生たちの配慮でその場を離れていたこともあって何を言っているのかはオレでも聞き取れなかった。
先生から男は捕まえ終わったことを聞かされる。
「こ、……怖かった~…………」
不安と恐怖から解放された佐倉はその場でへたり込む。
「よく耐えたな。佐倉」
「ううん。きっと私ひとりじゃ耐えられなかった。
綾小路くんがいてくれたおかげだよ」
そう言って佐倉は照れたように笑みを見せる。
「綾小路くんは、私のこと……変な目で見ないんだね」
「変な目?」
「う、ううん! 何でもない!」
途端に何かに慌てだす。
「ねぇ……綾小路くん」
「どうした?」
「私……学校に行ったほうがいいかな?」
「まぁな。行くのは怖いかもしれないがちゃんと授業は受けたほうがいいと思うぞ。
それに、オレとしても佐倉が学校に来てくれるのは嬉しい」
「そっか……わかった。私……頑張ってみる」
******************************
次の日から佐倉は学校に通い始めた。
佐倉の再起を平田は歓迎したようすで迎え入れてくれた。
一つ気にかかることがあるとすれば、授業中以外は佐倉がオレの側からずっと離れずにいることだろうか。まだオレ以外のクラスメイトには恐怖心が拭いきれていないようだからそれも仕方がないと受け入れる。
それに、いまのDクラスは他人のことをとやかく言えるような雰囲気ではない。
隣からの鋭い視線さえ気にしなければ、別に問題はないだろう。
そういえば後日、学校からは口止めを理由にオレと佐倉に秘密裏にプライベートポイントを支給してもらえた。
オレには12万ポイント。被害者である佐倉には20万ポイントがそれぞれ追加で支給される。
佐倉は突然渡された大金に狼狽えていたが、最終的には困りながらも説得された。
──―これでようやく、佐倉愛里という駒を手に入れることができた。
正直、佐倉の扱いにはかなり迷いました。
真っ先に思いついたのは既に自主退学しているか、はたまた既にストーカーに襲撃されていて心が折れている展開でした。
しかし、既に自主退学しているルートはこの時点の佐倉に1人で自主退学するほどの勇気が持てるのか疑問だったので見送りました。
既にストーカーに襲撃されているルートはさすがに立て直しが無理だと思ったので却下。佐倉が完全に折れてしまうと同時に、折角暴君化した平田がさっそく折れてしまうので見送りました。学校に行かずに引きこもっていたのが功を奏したとでも思って納得していただけるとありがたいです。
今回は前話までに比べると平和な話でした(軽井沢から目をそらしながら)
次話は期末テストにしようか一気に無人島まで話を飛ばすか迷っているところです。