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4月。
今日は進学した高校での入学式の日。
私は兄に追いつくために目の前にある高度育成学校の門をくぐる。
この学校に進学を決めたのは何といっても誰よりも尊敬してやまない兄がいるから。
──―堀北学
私の自慢の兄だ。
兄さんはあらゆる能力において常人の遥か上をいき、どの分野においても優れている。
私も人並みよりは十分に優れた能力を持っている自信はあるが、どれにおいても兄さんには敵う気がしない。
私が兄さんに抱くイメージを一言で表すのなら
────―『孤高』
この言葉があてはまる。
他を一切寄せ付けず、圧倒的な実力で周囲を魅せる。
そんな存在に私は憧れ尊敬し、わずかながらの劣等感を抱くのは身内として仕方がない事だろう。
だから、私は兄さんみたいになりたい。
兄さんみたいになって、兄さんから認めてもらいたい。
私は兄さんがこの学校に入学してしまった関係上、しばらく会うことができていない。
それに、私が兄さんと最後に会った時の思い出はひどく寂しいものだった。
昔は甘えさせてくれたのに、いつの間にか兄さんは私を突き放すようになっていて、その理由は私が兄さんの能力には遠く及びつかない不出来な妹だからだと考えた。
この学校で私の能力の高さを証明して、兄さんから認めてもらってみせる。
その決意とともに私の高校生活は始まった。
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入学してさっそく、私は同じクラスになった人たちに辟易することになる。
彼ら彼女らはくだらない慣れあいに興じるばかりで、入学初日に行われたものが妙なものである事には気づいていない。
私自身、その妙なことが何かに対する確信は持てていないものの、授業中の私語や散財を繰り返す彼らにはあきれてものも言えない。
つくづく、こんな人たちと同じクラスになってしまったことに嫌気がさす。
私は今日も独りで学校を過ごし、授業が終われば自分を高めるために勉強に励む。
4月の間はそんな変わりない日々の繰り返しだった。
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5月1日。
この日、私にとって衝撃的な説明を受けることになる。
プライベートポイントの支給額が0だとか、この学校のシステムだとかはどうでもいい。
私にとって何よりも衝撃的だったのは、兄さんの妹であり能力も優れているはずの私がこの学校で不良品と揶揄されるDクラスに配属されたことだった。
────ありえない。
即座にそう思った。
何よりも気に食わないのは私がいまも周囲で無様に騒いでいる彼らと同じだと判断されたこと。こんな人たちと私が同列だなんて決して思えない。
だから私は即刻先生に判断のやり直しも求めるも、先生は決して受け入れてくれない。
これは学校が判断ミスという過ちを認めたくないからだ。
そう確信する。
「随分と自信があるんだな」
当然よ。
だって私は堀北学の妹なんだから。
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中間試験で赤点を1つでもとれば退学になる。
そう説明をされても大半の人たちは実感を持てていないようだった。
不良品と揶揄されるだけあって、私以外の生徒の有様はなかなかに見るに堪えないものだった。
平田くんが赤点による退学者を出さないように勉強会を開いていたようだけれど、私にはそれが無意味に思えた。何より、最も赤点をとる可能性の高い肝心の3人は全く参加する様子を見せない。ポイントも少ないのにいまだに遊んでいる様子だ。
どうせこのままだろうし、彼らは次の中間試験を最後にお別れすることになるだろう。
私は勉強会の参加の呼びかけを無視して今日も独り中間試験の対策にいそしむ。
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ある日、私は兄から呼び出されて指定場所へと向かう。
そこにいた兄は私を見ると、とても家族に向けるとは思えない瞳で私を見据える。
そのことがひどく寂しくて、とても悲しくて…………
「もう、前までの私とは違います!
必ず兄さんに追いついてみせます」
そう私の決意を見せたのに…………
「追いつく…………か」
兄さんは私に失望の目を向けてきて…………
「おまえは何もわかっていない。
いまのおまえには、Aクラスに上がる資格も、目指す資格もない」
その言葉を最後に私の意識は途絶える。
「兄……さん…………」
途絶える寸前、兄さんに少しでも私を見てほしくて、縋るように兄と呼ぶ。
だけど、目が覚めた時。
その場にはだれもいなかった。
兄さんは本気で私に打ち込んで、そのままどこかに去ってしまっていたようだった。
────兄さんにとって私は……必要がない存在なの?
それどころか……
────兄さんにとって私は足を引っ張る邪魔な存在になってしまうの?
だとしたら、私はいったい何のために生きているの?
私を必要としてくれる人はどこにもいないの?
────私は…………誰からも必要とされていないのかしら?
暗闇に独り。吹きすさぶ風が体を冷やす。
私の心は孤独による恐怖に蝕まれた。
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中間試験が終わり、案の定あの3人は退学することになった。
いまになってようやく退学が脅しじゃなくて本気だということを実感したらしい。
本当に、どこまでも愚かだと思う。
終始騒がしいだけだった彼らがいなくなって、むしろ気分的には清々した。
けれど、それからだった…………
クラスの雰囲気が異様に変わり、私に害をもたらし始めたのは…………
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「いい加減にして!!」
入学当初から私に執拗に絡んでくる人物が一人だけいた。
──―櫛田桔梗
誰にでも分け隔てなく接して、誰からも好意的にみられている人物。
周囲からは聖女のように崇められているようだけれど私はそうは思わない。
彼女は何度も断っているにも関わらずしつこく私に絡んでくる。
関りを持ちたくないと言っているのに、それに構わず何度も何度も何度も…………
特にここ最近は度が過ぎるほど数が多い。
それに、彼女は私を嫌っている。
直接言われたわけではないけれど、悪意を直接向けられている私にはそれがなんとなくわかる。
なのに、彼女は私に声をかけ続ける。
嫌いに思うのなら、私に話しかけないでほしい。
心の底からそう思う。
だから…………
「何度同じことを言わせるつもりなの!
私はあなたと交友を持つつもりはない。この先何度声をかけられようと何度呼び掛けられようとそれを変えるつもりはないわ。
いい加減無駄なことはもうやめてくれるかしら!
大体、あなた私のこと嫌っているでしょう?
それなのに私に構い続けるなんていったいどういうつもり?」
「そ、そんな……!?
私…………堀北さんのこと嫌ってなんか…………」
「見え透いた嘘はやめてくれる?
私にはその嘘は通用しない。
いい加減、あなたのままごとに私を巻き込むのはやめにしてちょうだい!!」
そう言うと櫛田さんはわざとらしく泣き始める。
「私……堀北さんのこと……嫌ってなんかないよ…………
それに……堀北さんは頭がいいから…………
私たちがAクラスに上がるためには力になってくれると思って……
私が堀北さんと仲良くなれれば……
次の期末試験の勉強会に参加してもらえて、今度こそ誰も退学させないで済むから…………
そうおもってずっと声をかけてたのに…………」
ここでようやく私は周囲の異変に気付く。
まさかこれは…………
「てかさー、須藤たちが退学したのって堀北さんのせいじゃない?」
「たしかに~。堀北さん頭いいんだし、堀北さんが須藤たちに勉強おしえてればあいつら退学しなかったかも」
「別に須藤たちが退学しようとどうでもいいけど、そのせいで来月も0ポイントなのはあたしも困るな~」
いつの間にか私に向けられている視線は侮蔑、嫌悪、軽蔑、などの負の感情一色になっていた。
もしかして彼女はずっと……これを狙っていたの?
その日からDクラスの私に対する虐めが始まった。
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最初はなんてことないものだった。
私に対するわざとらしい陰口を聞こえるようにあからさまに言うなどその程度。
事務的な連絡が届かないなんてこともあったけれど、もともと他人に期待していない私からすればどうとでもできる術を知っている。
だけど、再び変化があった。
変化の原因はまたしても櫛田さんだった。
彼女はそういうことをいうのはやめようと呼びかけ、あの後も私に声をかけ続けてきた。彼女が陰口を注意すればするほど、「櫛田さんは悪くないよ」「堀北さんが悪いんだよ」と私の周囲からの心証は下がり、反比例して彼女の心証は良くなっていった。私に声をかけ続けてくる彼女が不気味に思えて仕方がない。そんな彼女の話に乗る気にはどうしてもなれず断ると、そこでまた私の悪印象と櫛田さんに対する同情心が生まれていく。
そのことが徐々に私に対する虐め行為の過激化を招いていった。
いままで口頭でしか行われていなかった私への陰口が私の机や椅子へ書き込まれるようになっていった。
あえて水性で書くことで私の制服に文字がうつるようにしていたのは不快だったけれどそれだけだった。
気にしさえしなければ、授業にも生活にもなんの支障もない。
だけど、いつの間にか私への加害行為はさらに過激になっていた。
昼休憩の時、昼食を買いに教室を抜けてから帰ってくると、ビリビリに破かれた私の教科書がこれ見よがしに私の机の上に置かれていた。確認するとご丁寧なことに1頁残らずさかれていたようだ。
「これは!!」
そう驚いたような声がしたほうへ視線を向けると、そこには櫛田さんがいた。
「堀北さん! 大丈夫!?」
「あなた……いったいどの口で……!?」
睨みつけると彼女はわざとらしく怯んだ様子を見せて…………
「みんな!! これはやりすぎだよ!!!」
そう高らかに声をあげる。
「でもさー、櫛田さんのためにやってあげたんだよ?」
「私の……ため……」
「そう。櫛田さんだっていってたじゃん。
堀北さんが困ってくれたら私を頼ってくれるかもって。
堀北さん真面目だし、教科書がなくなったら困るんじゃないかなって」
「私……そんなつもりじゃ……」
櫛田さんの本心はいまや私をもってすらわからなかった。
どこまでが彼女の計画で、どこからが軽井沢さんや篠原さんの自発的な行動なのかがまったく読めない。それほどまでにこの教室の空気は異様で、虐めの熱に浮かされていた。
──―私は、こんなクラスでも邪魔になる存在なのかしら
私には、私自身の存在意義が全く分からなくなってしまった。
兄の言う通り、この学校をいますぐやめるべきなのかもしれない。
それでも、いま逃げ帰ってしまえば…………
私の居場所はどこにあるの?
兄から認められる機会を失い、高校を退学してしまった私はきっと家族にも失望される。
「そんなこともできないのか?」「兄とは大違いだ」「兄の評判を悪くする出来損ない」次々とそんな言葉が脳裏をよぎる。
自主退学してしまえば楽なのかもしれない。
だけど、それをしてしまえばきっと…………私の居場所はどこにもなくなってしまう。
だから最後の意地。なけなしの意地を振り絞り続けて学校へと通い続ける。
そんなときだった。
Dクラスに異例の編入生が現れたのは…………
**********************
「えー……えっと、綾小路清隆です。その、えー、よろしくお願いします」
最初に彼を見たときに感じた印象は地味で目立たない生徒というものだった。
この学校では異例の編入という難関を突破しながら、配属されたのは不良品のDクラス。
そんな彼に対して同情心と、彼もDクラスに所属されるに足るよっぽどの欠陥があるのかと疑いを持つ。
そんな生徒は少なくない。
いまだ表面上は聖女じみている櫛田さんや、退学者が出る前の平田くんがいい例だ。
奇しくも彼の指定された座席は私の隣。
どうせ関わりあうつもりもないし、私には関係のないことだけれど。
そう思っていると、隣から声がかかってくる。
「おい、大丈夫か?」
そんな声を煩わしく思いつつ、私は沈黙し続けることを選ぶ。
「おい、返事をしてくれないか」
「おーい」
何度となく呼びかけられ続ける。
櫛田さんのときとは違い悪意はないため不快にはならない。
だけど何度呼び掛けられても反応する気にはならなかった。
そう思っていると、何を思ったのか彼から私に向かって手が伸びてきた気配がする。
私は反射的に手をはじく。
「気安く触らないでくれるかしら」
「す、すまん」
露骨に落ち込む声音がする。
「その…………いじめられているのか?」
「いいえ」
「いや、でも……」
「いじめられてないと言ってるでしょう。
勝手なことを言わないでちょうだい」
「机やいすに落書きされて、教科書もそんなに破られて、これでいじめられてないと言えるのか?」
「そうよ。兄さんの妹である私がいじめられるなんてことない。あってはならないのよ…………」
そう。私が虐められているなんてことは絶対に認めてはならない。
そんなことを認めてしまえば、歴代最高の生徒会長の妹はDクラス所属な上にDクラスから虐めを受けているなんてことが事実になってしまう。
私は決してこのことを学校には訴えない。
訴えることで公然の事実と化して、兄さんの顔にまで泥を塗るわけにはいかないのだ。
ガンッ
すぐそこには無表情のままに私の机と自分の机を勝手にくっつける彼がいた。
「ちょっと。なんのつもり?」
「オレの教科書を見せてやろうと思ってな」
「必要ないわ」
「そんなことないだろう。お前の教科書じゃまともに授業なんか受けられないはずだ」
「必要ないと言ってるでしょう。
私は優秀なの。教科書なんてなくてもこの程度の授業ついていけるわ」
「そうは言うがな、この先ずっとそうするつもりか」
「ええ、そのつもりよ」
「1教科でも赤点取ったら退学なんだぞ。もうすでに3人も退学しているらしいし、脅しでも何でもない事実だということはわかるだろ。
それに、いまはついていけてるのかもしれんが、この先ずっと教科書なしじゃいくら優秀でも点を取りにくくなるだろ。
大人しく見とけ」
認めがたいことに正論だった。
教科書のない授業は思ったより辛く、習っていない範囲を勉強するにはあるに越したことはなかった。
結局私は何もいえないまま彼の提案をしぶしぶ受け入れる。
ただでさえこの教室には居づらいのに加えて、このまま彼の隣にいるのはなんとなく居心地が悪くて、昼休みになると私は即座に教室を後にした。
*************************
休憩が終わり次の授業時間になるため教室に帰ると、そこには認めたくない光景が広がっていた。
隣の席の彼の机と椅子には私ほどの数はないものの数々の落書きが施されていた。
編入したばかりの彼がこのような仕打ちを受ける理由は生憎と一つしか浮かんでくれなかった。
「…………ごめんなさい」
謝罪の言葉を口にする。
彼がこのような目にあったのは間違いなく私のせい。
認めたくはないけれど、認めざるを得ない事実。
──―これで私は彼からも邪魔な存在になったわね
本当に独りぼっち。
ずっと『孤高』を望んできたけれど、これではただの『孤独』なのだと自嘲する。
以前兄さんの言っていた言葉が脳裏をよぎる。
──―ああ、このことだったのね。
いまさら気づくなんて本当に私は愚かな妹だ。兄さんから邪魔に思われるのも仕方がない。
ガンッ
ふとそこをみると午前同様に机を合わせる彼がいた。
「…………どういうつもり」
「どういうつもりも何もないだろ。
教科書見せてるんだ」
「いますぐやめなさい。そんなものなくても私は平気よ」
「別にいいだろ。
事なかれ主義のオレにも意地があるんだ」
「くだらない主義を掲げる割に、その主義すら守れないなんて滑稽ね。
あなたのちっぽけな意地に付き合うつもりはないわ。
いますぐ私から離れなさい」
「どうせもう手遅れだろう。
それならちっぽけでも意地くらい貫かせてくれ。
別にお前が気に病む必要はない。
それにほら、もうすぐ授業始まるぞ」
私は黙るしかなかった。
なにより「ちっぽけな意地でも貫きたい」。この言葉が不思議と胸に残った。
それに…………決して認めたくないけれど、見捨てられなかったことをうれしいと感じてしまう自分がいたから。
それから綾小路くんから教科書を見せてもらう日々が始まった。
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「軽井沢……ちょっと黙れよ」
私と綾小路くんへの虐めが続く日々は唐突に終わりを迎えた。
二度目の変貌を果たした平田くんが虐めの加害者たちに次々と制裁を加えるさまにみんな一様に恐怖した。平田くんは今後このような虐め加害行為をした人にはこれ以上の制裁を加えると宣言。同時にこの先一人も退学者を出すことは許さないと強固な決意を口にした。
彼の変貌には他人に興味のない私をしても驚かされた。
一度目の変貌のときにはこれまでが嘘だったかのように暗くなり、半ば廃人のような意思のない人形になってしまった。
この変貌にも驚かされたが、今回はそれ以上だった。
一度目は退学者が出るという明確な起点があったのに対し、二度目は本当に唐突だった。けれど何を呼び掛けても廃人同然だった彼が、自発的に変わることなど考えにくい。平田くんの変貌には何かしらの外的要因があるはずだ。
ふと、いまも顔に傷がある癖にすまし顔で、特に驚いている様子のないこの男を見て確信した。
ほぼ間違いなく、この男が何かしたのだろう。
いったいどういう手段を使ったのかは想像できない。けれど、彼以外にこんなことをする可能性のある人物がいないのだ。
平田くんを暴君に変えたのはおそらく荒れ果てていたこのクラスを強引にでも立て直すためだろう。実際、指揮系統も何もなかったこのクラスに一筋の秩序が生まれようやくクラスと呼べるまとまりを見せ始めたのがその証左だ。だけど、編入した彼以外がこのタイミングで彼を変えるのは考えにくい。彼以外の場合、するのならここまでクラスが荒れる前にそうしていたはずだ。
それに彼が私に櫛田さんについてきいてきたのも気になった。彼からその名前が飛び出した時や、虐めについての核心の話が出た時には彼の洞察力に少なからず驚かされた。
彼には私にはない何かがあるのだろうか?
私はその日から、綾小路清隆という人物について気になりだしていた。
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いつの間にかずっと不登校だった佐倉さんが学校に通いだした。
気になるのは登校し始めた彼女が授業中以外ずっと綾小路くんの側から離れたがらないことだ。
平田くん曰く、佐倉さんが登校し始めたのは彼のおかげらしい。
いったいどんな手段を使えばそんなことになるのやら…………
私が視線を向けると綾小路くんは少しだけ居心地悪そうにする。
それがなんとなく面白かった。
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「みんな。
テストも近づいてきたことだし今日から勉強会を再開しようと思うんだ。
もちろんこれは強制だよ」
その日から平田くんによってDクラスの勉強会が開かれることになった。
私は学力においてこのクラスで一番優秀なこともあってみんなに勉強を教える教師役に指名された。
正直気乗りしないけれど、さすがに私もいまの平田くんに逆らう気は起きなかった。
それでも、こんな勉強会は無意味だと思ってしまう。
私が任されたのは男子数名の成績下位の人たちだったけれど、誰も彼もがひどいレベルだった。とても同じ高校一年生だとは思えない。中学校の基礎すら危うい部分が何か所かある。
こんな無駄なことをしないで、自分の勉強に集中したい。
私はこの勉強会を憂鬱だと思うようになっていた。
そんなある日。
「どうした? 浮かない顔だな」
いつの間にか恒例になっていた彼との昼食のとき、相変わらずの内心を見透かしたような無表情で綾小路くんが尋ねてきた。
彼に自分の内心を打ち明けると…………
「おまえがDクラスに配属されたのは学校側のミスじゃないってことだ」
思いもよらない否定に言葉が出てきて激怒する。
「ふざけないで!!!」
「落ち着け。
堀北。そもそも学校側のミスを主張したところで何になる。もうすでに何度も訴えても何も変わらなかったということは無駄だということはおまえも気づいているだろう。
ならそのうえでどうすべきか考えろ。
科学と一緒だ。目の前の現象を否定したところで何も始まらない。現象を認めたうえで、その理由と理屈を追及していくことで初めてスタートラインに立てるんだ」
彼の言っていることはわかる。わかるのだけれど…………
「…………納得いかないわ」
「堀北。確かに聞くところによるおまえの能力は高い。
学力もAクラスに引けを取らないし、運動能力も高いほうだ。
能力面だけ見たら、おまえは間違いなくAクラスだろう」
彼から今度は肯定の言葉が出て安堵するとともに、じゃあ何がダメなの? と疑念が湧く。いったい彼は何を伝えようとしているのだろう。
「なら、能力面以外になにか問題があると考えろ。
その理由を見つけられたとき初めて、おまえはAクラスに上がる資格を得る」
「…………あなたには…………私の問題が見えているの?」
「まぁな。だが教えてやるつもりはない。
自分で見つけることに意味がある」
まるですべてを見透かしたような彼のセリフに私はずっと疑念に思っていたことを意趣返しも込めて問い返す。
「随分と上から目線ね。
それを言うなら、あなたにはあなた自身の問題がわかっているの?」
「ああ。オレはオレ自身の欠陥を誰よりも理解しているつもりだ」
「…………そう」
その意趣返しすら見通していたように平然と答え返されるのが気に入らない。私にはできていないことが、まるで自分は当然できていると言わんばかりの態度が気に入らない。
なにより、欠点があることがわかっても自分の欠点に気付けない自分が気にいらない。
「大丈夫だ堀北。
おまえなら必ず自分で問題を見つけられるはずだ。
少し視野を広げてみろ。
おまえに必要なものが自然とわかるようになるはずだ。
自信を持て」
それだけ言い残して立ち去る彼を見て、私は素直に従ってみようと思うことにした。
彼は学力においては私にはほんの少しだけ及ばない。
彼は兄さんほどにあらゆる面で卓越しているわけではない。
だけど、少なくとも彼には…………
────いま、私が見えていないことが見えているらしい。
そんな彼から自信を持てと言われて、自分に自信を持っていいのだと思いなおす。
私のいつの間にか気づかぬうちに折れていた自信は、いまこのとき少しだけ取り戻すことができていた。
********************
今回は1人も退学者を出さずに期末試験を終える結果となった。
「綾小路くん」
彼に言われたことをずっと意識して勉強の面倒をみていると、本当にこれまで見えていなかったことを見つけることができた。
放課後、私は彼にその答え合わせをするために呼び止める。
彼は急かさず私が話し出すのをじっと待ってくれる。
「最近……みんなに勉強を教えていると気づいたことがあったの。
彼らのレベルははっきり言ってひどいものだった。
高校生にもなって中学レベルの基礎もところどころおぼつかなかったのには呆れたわ。
けど……」
まずは最初に感じた事実を伝える。
「平田くんを怖がってのこととはいえ、彼らは彼らなりに一生懸命に勉強を頑張るようになっていたわ。
初めはこんなこともわからない人たちにはどうせ教えても無駄だと思いながら、嫌々教えていたけれど…………いつの間にか彼らは自分でも頑張るようになっていた。勉強会の予習をする人や、私に積極的に質問するような人が増えていった……。
私が教えたことは決して無駄じゃなった。
だから…………」
次に勉強を教え続けることによって変化を伝える。
「私の予想に反して、彼らは成績を伸ばした。
私の最初の見積もりを大きく超えるまでに成長した。
今回は私たち成績上位陣がすこしだけ点数を下げる必要があったけれど、今後はそれも必要ないと確信できる」
私の認識を変えるに至った気づきを伝える。
そして…………
「私の問題点は……他人の可能性を最初からないものと決めつけてしまっていたこと。
ずっと他人を侮っていると、いつか自分の足元も掬われる。
私が1人で戦うとき、その侮りはいつか命取りになるかもしれない。
それがわかったわ。
これでどうかしら?」
彼から答えが返ってくる数秒が永遠にも感じられた。
間違っていたことを考えると過る恐怖、正解していることに期待する気持ち。
どちらの感情も心という一つの器で交ぜになり、不安という形に収束する。
「正直、まだ十分とはいえないな。
最初の一歩、それにもまだ届いていない」
彼からもたらされた回答は否定だった。
そのことに私は動揺を隠せない。
────また、私は失望させてしまったのだろうか?
脳裏をよぎるのはあの日の暗い夜。
この学校で久しぶりに再会した兄から向けられた冷たい視線。
「だが…………」
続く様子らしい彼の言葉に恐怖とほんの僅かな希望をみる。
「確実にスタートは踏み出せた。
おまえがこのまま成長し続ければ、必ずおまえはクラスに必要とされる人間になれる。
おまえはみんなから望まれる存在になれる」
去来した感情はいかようにも表しがたいものがあった。
ずっと、否定されてきた。
────大好きな兄からも
────見下していたクラスメイトからも
この学校に来てからずっと私は否定され続けてきた。
一時は自分の存在意義すら見失い、誰からも必要とされないどころか邪魔になるものとして自分ですら自分の存在を邪魔に感じてしまっていた。
だけど、ようやく…………
────―ようやく、誰かに認めてもらえた。
その誰かは私よりもほんの少しだけ学力では劣るかもしれない。優秀な成績には違いないが、兄さんのような他を圧倒するほどのものではない。
けれど、確実に私にはないものを持っていて、私には見えていないことが見えている。
そんな彼が、私を必要とされる存在になれると言ってくれた。
皆に望まれる存在になれると言ってくれた。
「オレはおまえの成長に期待している。
おまえならあの壊れたクラスを導ける存在になれると思っている。
成長したおまえを必要とする場面が、この先きっと訪れる」
期待してくれていると言ってくれた。
導ける存在になれると言ってくれた。
だからこそ思う。
────期待に応えたいと
彼はなにより、私の成長に期待してくれている。
成長した私が必要とされる存在になることを信じてくれている。
──―綾小路清隆
私が彼に向ける感情は多岐にわたる。
────私にはないものを持っていて羨ましい
────私には見えないことまで見透かしていて妬ましい
────私にはできないことができるあなたを尊敬する
────私もあなたのようになれるかしら
────彼の期待に応えたい
────私を認めてくれてありがとう
そのどれもが、決して口に出していえるものではないけれど…………
私が最も尊敬していて、最も認めてもらいたい存在は依然兄である事に変わりはない。
最終的に一番私を認めてほしい存在は兄である堀北学の他にいない。
けれど、兄に認めてもらう前に彼の期待にも応えたいとも思ってしまった。
「期待している」と彼は言った。
それは裏を返せば、まだ期待には応えられていないということ。
「必要とされる存在になれる」と彼は言った。
裏を返せば、まだ必要とされる存在にはなれていないということ。
彼が来る前の自分を考えれば当然だ。
まだまだ道のりが遠いことも今となってはよくわかる。
だけど、私は成長する。
彼が私の成長に期待してくれるなら、私は彼の期待以上に成長して見せたいと思う。
そしてあなたの予想を超えるほど成長してみせたとき、あなたのその無表情が驚くさまを見てみたい。
だから…………
────期待して待ってなさい
他者視点での綾小路くんの話を見てみたいとのリクエストに応えようと思って手始めに堀北さん視点の話を書き始めたら自分でもドン引きするほど筆が乗りました。人生初の小説1話一万字越えです。
本当はいろんな独白詰め合わせにするつもりだったんですけどね………
次回は無人島かな?
他の人の独白はあっても船上試験以降ですかね