不死川実弥と竈門兄妹の絡みを縦軸に、不死川実弥と久米匡近の友情を横軸に群像劇を書いてみようと思います。
ご笑覧いただけましたら幸いです。
美しい満月の夜。任務帰りの炭治郎は、田圃道を歩いていた。月明かりに彼の赤みがかった髪が映える。虫の音が聞こえる以外、辺りは静かだ。
「今日も頑張ったな、禰豆子。早く藤の家に行って休もう」
そう優しく、背中の妹に声をかける。肩には鎹鴉の松衛門が留まって寛いでいる。今日は東京の拠点からずっと北に離れた、槍嶽山という険しい山の麓にある小さな町での任務だった。子供が複数何者かに攫われるという事件が起き、その原因が元下弦の鬼だということがわかったのだ。禰豆子との共闘はいつものように息が合い、倒すのにさほど苦労はしなかった。今までの経験や蝶屋敷での訓練がものを言ったなぁ、とつくづく炭治郎は思う。こうやって皆、強くなっていくんだなぁ・・・。
「!」
突然、刺すような視線を感じて足が止まる。右を見ると、十二間ほど隔った先の河原橋に誰かが立っている・・・よくよく目を凝らしてまもなく、それが誰と分かり背筋が凍った。鬼舞辻無惨だ。あの真っ赤な眼で、ねめつけるようにこちらを見ている。
一瞬固まるも我に返り、素早く日輪刀を引き抜く。集中しろと自分に言い聞かせるが、動悸はなかなか鎮まってくれない。まさかこんなに早く宿敵との対決が訪れるとは・・・。だが肝心の無惨は、不思議なことに一向に襲ってくる気配がない。動かないまま、やがて透けるように姿を消していく。
「ハッ・・・!?」
数秒すると、今度はまた遠く離れたところにぼんやりと現れ、追いかければ同じように消える。それを繰り返すうちに我が憎き敵は、槍嶽山の山道奥へとどんどん吸い込まれていくではないか。
「ま、待て!」
炭治郎は怯んだ。月明かりにあっても、槍嶽山は何か巨大な化け物のごとく聳え立ち、その山道はあたかも自分を飲み込もうとするかのように、大きく口を開けている。その奥へ入り、暗闇で一人無惨に立ち向かうのは無謀ではないか。それでも――
「ここで逃すわけにはいかない。俺は無惨を倒すと決めたんだ!禰豆子を人間に戻すために・・・」
そう自分を奮い立たせ、炭治郎は松衛門が呼び止めるのも聞かず、無惨を追っていく。やがて、その姿は闇に包まれた山道へと消えた。
それからしばらく経った頃の蝶屋敷。風柱に連れられた負傷の隊士が、蟲柱の胡蝶しのぶの手当てを受けている。背中に大きな切り傷。鬼に爪で裂かれたらしい。
「傷はあまり深くありませんから、心配しないでください。数日経てばかなり良くなりますよ」
しのぶはいつもの柔らかな口調で言いながら薬の瓶を取り出している。
「ちょっと滲みるかもしれません」
「ぐうッ・・・」
隊士は「ちょっと」どころではない痛さに顔をしかめて俯き、しばらく耐えてから恨めしそうに風柱を見上げた。
「風柱様、だから大したことないって言ったじゃないですか」
そんな彼に、風柱の不死川実弥は眉を上げて答える。
「任務帰りに怪我した隊士と出くわしちまったら、ほっとくわけにはいかねェだろうがよ」
しのぶは、先ほど実弥が背中に隊士を担いできたのを思い出して、くすくすと笑い出した。背中の隊士は「恥ずかしいから降ろしてください」と足をばたつかせ、実弥は「うるせぇ!大人しくしやがれ」と尻を叩いていたのだ。その手つき、さながら鼓を打つようだった。
「なかなかここに来ないあなたが、こういう時だけは来るんですから」
実弥はきまりが悪くなり、素知らぬ顔をして壁の方を向いてしまう。後ろでアオイに包帯を巻いてもらっていた別の隊士は、そんな光景をニヤニヤしながら見ていた。
――バン!バン!
突然窓を激しく打つ音に、一同驚いて外を見る。炭治郎の鎹鴉、松衛門が飛び回っているではないか。しのぶが窓を開けると即座に入り、こう叫んだ。
「タイヘンダ!タンジロウガ、ヤリダケサンへハイッテシマッタ!!」
松衛門は事の成り行きを説明した。藤の家へ向かっていた炭治郎が、突然「何か」に反応し、自分が止めるも虚しく、槍嶽山の奥へ・・・それも山道の途中で左に逸れる荒道を行き、ある谷へ向かったのだ、と。彼の身に何かが起きたことは間違いないようだ。
「彼は・・・恐れ谷に行ったのではないでしょうか」
後ろの隊士がおもむろに声を上げた。見るとすっかり血の気の引いた顔をしている。
「恐れ谷?」実弥が聞き返した。
「俺、その辺りの出身なんです・・・」
隊士は少し躊躇している。思わず発言してしまったことを、いささか悔いている風だ。自分を落ち着かせるように顎をさすり、少し間を置いて口を開いた。
「ずっと昔のことですが、槍嶽山には呂源という湖があったんです。透明度が高く、それはそれは美しかったと聞きます。そして、そこを水源とする深い露深渓谷がありました。ですが・・・」
隊士は一旦目を閉じ、ゆっくりと息を吸ってまた話し出す。唇が微かに震えているのがわかる。
「明治期に・・・間引きのために、乳飲み子や幼児をその露深渓谷に捨てる風習が、近くの集落で起こりまして・・・」
場の空気が一気に張り詰める。
「集落の人たちが水子供養の地蔵を祀るのですが、その地蔵の首が数日後になくなるという・・・そんな怪奇なことが繰り返し起きたんです。すると今度は、集落から行方不明者が出始めました。今はもう、その集落には誰も住んでいません。皆露深を恐れて山を下ったらしく。その後、呂源湖も露深の川も、完全に水が干上がってしまいました。残ったのは、岩が露わになった不気味な谷だけです。その谷を、恐れ谷と呼ぶんです」
沈黙が流れる。隊士は俯いて、申し訳なさそうに続けた。
「すみません・・・俺が早くにこのことを報告していれば。ずっと幼い頃、山を下りた集落の人から聞いた話なんです。『絶対に谷には近づくな。そしてこのことを人に話すな』と言われました・・・今となっては、もはや禁忌なんです。晴れている日中でさえそこだけ濃霧に覆われていて、興味本位で谷を探索しに行き、生きて帰った者は一人もおりません。それでーー」
隊士が目を細める。
「続けてください」しのぶが促す。
「さっきからずっと気になっていたのですが、竈門くんが任務で派遣された砂歌町では、月夜に子供が行方不明になる、という話でしたよね。あれは元下弦の鬼の仕業と聞きますが、もしかしたら・・・」
「陽動か」実弥が三白眼の目を大きく見開く。
「『本丸』はむしろ、恐れ谷の方かもしれないんだな・・・!」
隊士は黙って頷く。
「チッ・・・あのクソ坊主!」
実弥は苛立ちを露にすると、急いで部屋を出て行こうとする。
「待ってください。私も一緒に行きます。一人では危険ですよ」
後ろのしのぶが慌てて椅子から立ち上がり、呼び止めるがーー
「いや、お前はここに残った方がいい。負傷隊士がこれから来るかもしれねぇし。今日は任務があるやつ、いっぱいいるだろ」
振り返った実弥は、口調こそ落ち着いているものの、目が既に血走っている。
「俺に任せろ」
そういうと、放たれた矢のごとく玄関の外に飛び出した。
「爽籟!松衛門!」
玄関先で待機していた爽籟と、窓の外へ出た松衛門が、実弥の元へ飛んでくる。
「手伝ってもらいたいことがある。一緒に来てくれ」
一刻を争うため、実弥は二羽を自分の隊服の中に入らせた。二羽が寒くならないよう、羽織の前を軽く閉じる。
「行ってくる」
そう言い残すと、微かな閃光を帯びて瞬時に姿を消した。後に沸き起こる激しい疾風。外に出たしのぶやアオイ、隊士たちは、その風に髪を煽られながら、彼が去って行ったであろう北の方角を不安な面持ちで見つめていた。