恐れ谷に吹く風   作:がじゅ丸     

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無尽蔵に湧き出る、像たちの源泉とはーー。




地の咆哮

みだれうつ暴風雨(あらし)の中に

ひそみまつはるひとすぢの声

常に離れて言葉をおくる

(吉田一穂『声』)

 

ヒョオオオ…

 吹き荒ぶ風の中を実弥は一人佇み、向かいの岩群を睨んでいた。幻覚から覚め、いつしか元の風柱の姿に戻っている。だが虚な歌はまだこだましており、油断できない。

 

 

 あの磁場が像の源泉なら、破壊するまで。しかしどうすれば…近づけば跳ね返される。放射状に沸き、自分に迫る像たちを見ながら、実弥は考える。

 

 ーー月光が原動力なら、まずそれを遮るかーー

 

 物は試し。月光が岩群に差し込む角度と風向きを確認し、磁場より左下に狙いを定める。

 

 風の呼吸・陸ノ型 黒風烟嵐

 

 たちどころに砂塵を巻き上げた黒い旋風が天をめがけて昇り、岩群に当たる月光を遮断する。すると、実弥に襲い掛かろうとしていた像たちがノイズブロックのように途切れ途切れになり、消えていく。

 

 

 

 歌が止んだ…

 

 ーー今なら磁場を壊せるかもしれない!ーー

 

 実弥は素早く上に飛ぶ。

 

 

 

 

 問題の箇所は一時的に磁力が弱まっているようだ。跳ね返される気配はなく、あと一間というところまで近づけた。砂塵が舞う中でよく目を凝らすと、巨大な鏡のようなものが埋め込まれている。表面が滑らかで、その漆黒の闇は万物を吸い込んでしまうかのように深い…周りの岩とは明らかに異質だ。標的を見定めた実弥は、猛然とそれに斬りかかる。

 だがーー木枯らし颪を繰り出した途端、そうも簡単にはいかないことを思い知った。

 

 「!」

 

 技が磁場に届く際にその威力を失い、五割が自分に跳ね返ってくる。やはり月光で蓄えていた力があるのか。砂塵では月光を遮断しきれないのも一因だろう。咄嗟に避けはしたものの、頬に血が迸り、隊服が刻まれる。なんという皮肉…自らの斬撃に傷つかねばならないとは!

 それでも磁場にヒビが入っているのを確認し、実弥は奮い立つ。打開策は見つかったのだ…壊すしかない!

 そのまま黒風烟嵐と四爪、木枯らし颪の組み合わせで攻める。砂塵に塗れ、ただでさえ視界が悪い中を飛び回り、対象を斬っては自分も傷つく。それを繰り返すうちに巨大な「鏡」に亀裂が入り、磁力は徐々に弱まっていく。こうなればどちらが根負けするかだ。

 

 

 あと少しというところ…実弥はよろめき、膝をついてしまった。ゼエゼエと息が上がり、目を瞑って項垂れている。岩群が歪み、揺れて見えるのだ。自分の斬撃から受けるダメージとは別ものである。

 普段の討伐なら、こんなに早く体力の限界は来ない。来たとしても意地だけで動ける時もある。だが、今回は見えない敵に身体も心も蝕まれている。時間が経つほど不利になるのは分かっているのだが…なるほど「恐れ谷」なわけだ。こんな状況で生きて帰れる方がおかしい。

 

 

 

 その隙にも砂塵は霧散し、「鏡」にいよいよ月光が差し込む。岩場にうずくまる実弥を囲むように、像たちが出現する。「鏡」に傷がついたことでその姿は腕や頭部、足などが欠けていた。すると突然ーー。

 

 

 

 そいつを殺せ 殺せ 殺せ

 

 

 

 谷にこだます囁きに、実弥はハッとする。声の主は歌っていた子供か…こうして像たちを操っているのだ。

 像たちの身体に触手が生え始め、中心に据えられた「獲物」(自分)に全方位から憎悪と殺気が向けられる。

 

 シィアアアアア…

 

 風の呼吸音が響いた。

 像たちが一斉に飛び掛かる。実弥は彼らが中心に寄ったところで、思い切り地面を蹴る。影の如く像たちの間をすり抜け、黒風を起こし、「鏡」にとどめの一撃を加える。

 

 キィィィィン

 

 

 渾身の力を込めた鋭い突きが、「鏡」の表面に刺さった。だが「鏡」とてその磁力をまだ完全になくしたわけではない。これ以上はなるものかと、最後の抵抗をするかのように刃先を押し返そうとする。両者の間で激しい摩擦が起き、その帯電で火花が飛び散る。

 

 「クソがァァァァ!!!」

 

 実弥は叫びながらさらに刃を捩じ込んでいく。軋み音を立てながら、次第に歪んでいく「鏡」の磁気空間。

 

 「いつまで隠れてンだクソガキィィィ!!!」

 

 

 

 

 

 

 ピシッピシッ…

 

 刺さった刃先の周りに無数の亀裂が入り、刃はついに「鏡」の中へ…そして、その闇を貫いた。

 

 

 バリィィィーン

 

 硝子が割れるような大きな音とともに、粉々になった「鏡」の破片が飛び散る。実弥はすぐさま岩壁を蹴り、より上方の岩場へ。だが、次の瞬間ーー

 

 

 

 ギャアアアアアアアアアアア

 

 

 

 大地を割り、空まで突き抜けるかのような叫びが響き渡った。断末魔ではない。怒り狂った咆哮だ。金属音をも思わせる、耳をつん裂くような声が幾重にも重なり谷中を震わせている。思わず悲鳴を上げ、耳を塞ぐ実弥。そこかしこの岩壁がソニックウェーブで弾け飛ぶ。

 絶叫が鳴り止むか鳴り止まないかのうちに、今度は地の底からドンと突き上げるような衝撃。谷全体が激しく揺れ、大きな亀裂音とともに岩壁や谷底が裂けていく。岩壁にいては危ない…実弥はずっと上の岩尾根に移動する。

 

 

 

 そして、彼は見た。結界を守っていた鳥居が崩れるのを。谷底や岩壁が大波のように畝り、潜んでいた怪物がいよいよ動き出す。今まで対峙したこともない巨大なそれに比べれば、塵にも等しいくらい小さくて非力な自分。恐怖に足がすくむ。この身ひとつ、この日輪刀だけで闘えるのか。

 だが、もはや地上に出ようとしているこの谷の「呪い」。放っておけば間違いなく人里を襲う。ここで討たなければ人が死ぬ!

 

 

 

 

 

 

 その頃、千泉観音堂へと至る坂道では…

 

 「おンも!!」

 

 紫万が、かの老人の息子を背負いながら叫んでいた。額には汗が滲み、顔は茹蛸よろしく真っ赤でフーフー言っている。結局のところ根は優しくて引き受けてしまったわけだが、尋常でない背中の重さに腰が悲鳴を上げている。もう少しで砕けそうだ。

 

 「くそう。なんでオレがこンな目にィ!ありえねぇ!!」

 

 しかも背中の客は、呑気にいびきをかきながら寝ているときた。重い・暑苦しい・いびきの三拍子で我が沸点に限りなく近づく紫万。

 

 「投げ出したろかコイツ」

 

 独りごちている横で、子供たちの手を引いた愛生が笑いを堪えている。

 

 「なーにさっきからニヤニヤしてンのよ」

 

 紫万が訝しげに横目で友を見やる。

 

 「え。別に」

 

 慌てて顔を背ける愛生。

 

 「笑ったね。その心笑ったね。許さないよ」

 

 「いや、面白い構図だなと思って」

 

 「何が『構図』だよオンメ…」

 

 ブウたれる紫万。後ろで荷を乗せた馬を引いていた樹が、ついに我慢しきれず笑い出す。

 

 「あはははは」

 

 普段は冷静沈着でクールな彼が、屈託なく笑うのを見て紫万は驚く。そういや、樹が笑ったのあんま見たことなかったっけ。

 

 「なんも面白くねェって」

 

 「いやいや、ごめん…」

 

 暫く笑いが収まるまで時間がかかりそうだ。後ろでクスクス言う樹に紫万は口を尖らせながらも、こういうのもまぁ悪くねぇかと思い、和んでくる。深呼吸して、背中の「客」を背負い直した。空は緋色だが、まだ静かだ。いや、嵐の前の静けさといったところか。

 

 「おおい!ちょっとこっち手伝ってくれ!」

 

 先で荷物を運んでいる町人の呼ぶ声がする。

 愛生と子供たちが小走りに走って行った。

 

 

 

 暫くして…

 

 

 

 「紫万」

 

 不意に沈痛な面持ちで樹が口を開く。

 

 「どうした」

 

 「…嫌な予感がするんだ」

 

 「…どういう?」

 

 樹の足が止まった。振り返る紫万。

 

 

 

 

 「これから俺達が対処するのは、多分鬼じゃない。鬼討伐の訓練しか受けていない俺達にそれが務まるのか…」

 

 樹はひどく不安気だ。友の意を汲んだ紫万は、暫く考えた後、こう答える。

 

 「…昔から人類にとっちゃ、得体の知れねー害悪は皆鬼みたいなもんさ。自然の脅威だろうが呪いだろうが。それ考えたら何も変わんねェよ」

 

 「でも…想定外の大惨事になったらどうする。俺たちだけであの町人たちを守り切れるのか。隠もいないのに」

 

 紫万は深く溜息をつき、困ったような微笑を浮かべた。そして敢えて現実的なことを口にする。

 

 「樹ちゃんてば、俺たち鬼殺隊よ?想定内に事が進んでなんぼの世界。生きて帰れるだけで御の字っしょ。それ覚悟で入っちゃったんだからさーこの組織。腹括るしかないっしょ」

 

 飄々と、しかし自分の憂慮をさり気なく宥めようとする紫万。樹は、そんな彼を見つめる。やがて険しかった表情が和らいでいく。

 

 「そうだな。お互い幸運を祈ろう」

 

 紫万がニコリと微笑んだ。二人はやがて歩き出す。

 

 「全くお前はとらえどころがないよな…余裕があると見えて怖気付いたり、怖がっているようでいざとなれば大胆になる。強いんだか弱いんだか…」

 

 「俺は強かないさ…でもね、少しでも変われたとすれば、風柱と愛生のおかげ。あの二人がいなかったら、俺は鬼殺隊を辞めてた」

 

 先を行く愛生の背中に、目を細める紫万。

 

 「そうか…強い絆で結ばれてるんだな」

 

 樹は少し羨ましそう。

 

 「ところで、そろそろ交代するか。しんどいだろう」

 

 「いいよーあと少しだし」

 

 紫万がそう言いかけた時だった。

 

 

 

 

 

 ドオオオン…

 

 !!!

 

 地底から突き上げる縦揺れに、二人とも踏ん張りきれず倒れてしまう。先の方からも悲鳴が聞こえた…。樹が引いていた馬は混乱して暴れ出し、紫万の背中の「客」は坂を転がっていきそうになる。

 

 

 

 

 地面が大きく揺れている…遠くから聞こえてくる悍ましい咆哮。

 

 「何なんだよ一体…」

 

 「客」の着物の裾を引っ掴みながら、紫万が固まっている。

 咆哮が聞こえてくる谷を見るとーーどす黒い煙のような移流霧が立ち昇っているではないか。槍嶽山を包み込み、山の背を越え、波のように町に迫っている。さながら化け物が、今にも人里を掌中に収めるがごとく。

 

 「まずい…」

 

 山を見据えながら、樹が蒼ざめて呟いた。

 

 

 

 

 「結界が…破られたぞ」

 

 




[裏解説]

1.像たち
 モデルとなったゴームリーの人型彫像は、鉛で作られており、敢えて個人性や特殊性を失った普遍的な体となっている。そのコンセプトは、この無機質ともいうべき体に人の「内部」を見出すものだという。つまり内面世界の具現化である。このコンセプトに、ニーチェの『曙光』の哲学を重ねた。「恐怖心の正体というのは、実は自分の今の心のありようなのだ。もちろんそれは、自分でいかようにも変えることができる。自分自身の心なのだから」というくだりである。
 炭治郎や実弥が像に見たのは、実は自分自身の内面であり、抱えている過去のトラウマだったのかも知れない。心理学によれば、人が辛い過去を思い出す時というのは、その人自身が無意識にそのトラウマと対峙し、乗り越えようとする表れなのだという。(W.M.ジョンストン『ウィーン精神(1)』(井上修一他訳)、みすず書房、1980年、365頁など参照。フロイトとブロイアーの『ヒステリー研究』に詳述あり)

2.磁場の「鏡」
 反射光により、像を浮かび上がらせる魔鏡に似る。璽永地は自ら動こうとはせず、「生贄」が像によって自分のもとに運ばれるのを待つ、いわば蟻地獄の捕食スタイルである。そのために像を生み出すこの「鏡」は必要不可欠である。
 栄養価の観点から、「生贄」は像の幻覚→誘導により無傷で運ばれるのが一番の理想。次に「生贄」が抵抗した場合、やむを得ず肉体的ダメージを与える。肉体的ダメージを与えても、なおも抵抗を続ける「生贄」(大方戦闘力のある者)に対しては、最終手段として触手を用いる。触手は人間に致命傷をもたらし、最も新鮮味かつ栄養素を失わせるものである。

3. 移流霧
 山を越えて町に雪崩れ込む様子は、YoutubeのFog rolling over Long Range Mountains in Lark Harbour Newfoundland (長い笑)と題する動画のイメージに近い。昼間の白い霧だが、これが夜で黒い霧となれば不気味さも倍増であろう…。
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