恐れ谷に吹く風   作:がじゅ丸     

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現れし谷の鬼、追い込まれる実弥。
そして砂歌の民に危機迫る…

Attention:
キモグロのオンパレードです。


璽永地

朝な夕な入念に 涙でもって水をやり

ほくそ笑みと欺瞞でもって 怒りを暖め育めば

怒りは日ごとに大きくなり

やがて見事なりんごの実がなる

(ウィリアム・ブレイク『毒の木』)

 

 

【挿絵表示】

 

 

ーー静かだーー

 地響きが収まった直後、突如静寂が訪れた。世界の音という音が皆黙り込んでしまったかのように。

 土埃が舞う中で実弥は息を殺しながら辺りを警戒する。

 

 沈黙の中に張り詰めた空気。時が止まり、闇がじっとこちらの気配をうかがっている。

 

 今自分は、この谷の「真実」に肉薄しつつある。そう思うと、これから狩り場に出るような高揚感を覚えると同時に、急に自分の周りを満たす暗闇に恐怖が募る。命の保証はどこにもない。そんなことはこれまでの実践経験から十分承知しているのに、何故だろう。これほどまでに息苦しく、迫るものを感じるのは。既に巨大な化物の贓物に飲み込まれている気がする…指先は冷え切っているのに、掌が汗ばんでいる。

 

 目を血走らせ、耳をそば立てながら、実弥は少しの空気の乱れも見逃すまいとする。

 

 

 

 

 

 やがて

 

 

 

 

 

 チキチキチキ チキチキチキ…

 

 

 

 

 

 

 

 奇妙な音が四方から湧いた。何か軋むような、あるいは虫が鳴くような微かな音だが、確実にそれは地上に這い出てきている。やがてその姿を捉えた三白眼の瞳孔は急速に縮まった。

 

 谷底や岩壁の亀裂という亀裂から、無数の棘を生やしたツル科植物のようなものが顔を覗かせている。黒くて細いその探索枝を畝らせ、たちまち犇き合うまでになる。恐れの谷は今や一層濃い影を纏い、不気味さを増すものとなった。

 

 

 

 

 戦慄が走り、実弥は眼球のみゆっくりと下に向ける。一筋の冷や汗がこめかみから流れた…

 

 

 

 

 

 

 すぐ足元に探索枝(そいつ)がいる。

 

 

 

 「!!」

 

 

 

 焦燥が背骨を駆け抜けて脳天を直撃。思うより早く飛び上がったが、時すでに遅し。

 

 

 

 

 

 ズドォォォン!!!

 

 

 

 

 

 凄まじい轟音とともに、見たこともないような巨木の枝が岩を突き破り、全方位から実弥めがけて襲いかかった。足元からも枝が躍り出て実弥の脇腹を掠める。実弥はすんでのところで襲撃を避け、下の岩場に飛び降りた。獲物を取り損ねた枝は勢い余り、そのまま向かいの崖に突っ込む。だが、これがまさに敵の意図したところ。通常の木の十本分はあるかと思われるその枝群が、目にも止まらぬ速さで折り重なり、谷の上方を覆いつくしていく。実弥は瞬時に自分が置かれつつある状況を悟った。岩壁を飛び移りながら、まだ空間の開けている前方に一目散に逃げようとする。だがーー

 

 

 ドン!!ドン!!

 

 

 

 嘲笑うかのように目前で枝が横切り、振り向けば後方も既に道を断たれている…

 

 

 

 

 ーーくそッ!ーー

 

 

 

 

 

 囲まれた!もはや逃げ場がない…月光も届かぬ閉ざされた空間に今自分はいる。

「ギリッ…」実弥は悔しさの余り歯軋りする。

 

 

 

 現れた巨木は、真っ黒で鋼鉄のよう。その触手のような枝を回転しながら押し広げ、空間を埋め尽くしていく。幹も異常な速さで成長し、天を衝かんばかりに畝りながら、一挙に巨大化する。その勢いは止まるところを知らない。

 

 

 

 そしてーー

 

 

 目前で怪物の正体が顕になる中、実弥は信じがたい光景を目にした。

 

 

 

 

 

 

 

 顔、顔、顔

 どこを見回しても…

 

 

 

 

 

 犠牲になった生贄たちの顔が、巨木の表面を覆っている。大方子供だ。まだ骸にこそなっていないものの、形骸化しており、限りなく人形の顔に近い。蒼白く、唇はひび割れ、眼球を失った眼窩から赤黒い血の涙を流している。既に死んでいるのに怒りと苦悶の表情を湛え、ただ一人の鬼狩りの自分に殺意を向けている。焼き尽くさんばかりの憎悪…声の主に操られているのだ。さながら死せる魂、生ける屍の如く。真っ当に死ぬことさえ許されず、永久にこの生き地獄に閉じ込められ、その形をとどめることを余儀なくされている。絶望としか言いようのない悍ましさに、実弥は言葉を失った。

 

 

 そして今この瞬間に、実弥は何故あの像たちに顔がなかったのかを理解した。抉られていた顔は全て、ここ(・・)にあったのだ。犠牲になった生贄は、養分を吸い尽くされた挙句に身体を分解され、顔を除く身体は次なる生贄を呼び込むための像に作り変えられた。そして、残る顔は鬼の本体に据えられている。

 

 

 ーーこの中に声の主が紛れ込んでいるというのかーー

 

 

 犇き合う顔に素早く目を走らせるが、おそらくその中にやつはいない。自分の勘を信じるならば、木の幹か根元だ。この巨木を切り刻んで引きずり出さない限り、勝ち目はない。

 

 

 「くッ!」

 

 実弥は歯を食いしばる。巨木はなおも成長を続け、その根をもめりめりと地の底へ伸ばしていく。まるで地獄への入口が開けていくかのように、谷底に地割れができていく。こいつが人里に及ばぬうちに、息の根を止めなければ。

 

 

 

 しかし…

 

 

 

 巨大な枝が次々実弥に振り下ろされる。鞭のようにしなりを利かせ、獲物を叩き潰そうとしているのだ。視界どころか意識まで奪われつつある実弥は蹌踉めきながら躱すが、避けられた先でさらなる難が待つ。巨大な「鞭」がそのまま谷底や岩壁に突っ込み、激しい地鳴りと衝撃波を生むのだ。その衝撃波に晒され、体力が急速に奪われていく。実弥は苦し紛れに技を放った。

 

 

 風の呼吸 漆ノ型 勁風・天狗風

 

 

 枝の猛攻を避けると同時に、地面を蹴り宙返りする。巨大な旋風が敵に襲いかかった。だが渾身の力を以ってしても、その鋼鉄のように硬い身に爪痕一つつけることができない。それどころか自分が放った攻撃によって、実弥はさらなる窮地に追い込まれることとなる。

 

 

 ギャアアアアアアア!!!!!!

 

 

 旋風を受けた生贄の顔たちが一斉に咆哮を始め、その金切り声が耳をつん裂く。実弥は思わず耳を塞いだ。さらに、数十個の生贄の顔が果実が落ちるように地面に転がり、たちまち首元から根を生やし木となっていく!今や目前に迫るは巨木だけではない。血の涙を流す顔を茎先に据えた木々が次々に芽生え、囲うように自分を追い込んでくる。

 

 

 

 かごめ かごめ

 かごのなかの とりは

 いついつ でやる

 

 

 

 声の主が歌い始める。

 

 

 「やめろ…やめろ!!」

 

 

 悲痛な叫びも虚しく、視界がどんどん暗転していく。抵抗できる時間も体力もあと僅かだ。俺は本当にここで「終わる」のか。

 

 

 

 苦しいか鬼狩り もっと苦しめ

 さっさと逃げれば良かったものを

 愚かな英雄気取りが!

 

 血の涙を流せ

 想像を絶するほど惨い最期にしてやる

 

 

 

 声の主がはじめて自分に言葉を投げかける。かつてのあどけなさを僅かに残すその声は、この世に向けた全ての憎しみに駆られ、地を這う苦しみに喘いでいた。それに同調するように、生贄の顔たちが低く歪んだ呻き声を発する。自分で抱えきれないほどの「呪い」を身に宿した、声の主の運命を嘆くように。

 

 やがて絶え間なく発せられるその呻きが、狂気を帯びた嘲笑に変わった。

 

 

 あははははは ははははははは

 

 

 反響していく狂笑のなか、今度は転がる石の破片や岩が重力に逆らい浮上し、回転しながら鋭い凶器へと変化する。目を見張る実弥。今や生贄となりつつある自分にそれらの矛先は向けられている!

 

 

 風の呼吸 参ノ型 晴嵐風樹

 

 

 放たれた石の凶器から自らを守るように、巨大な竜巻を発生させるが、ますます狭まっていくこの敵の贓物の中で繰り出される風の呼吸の威力など、たかが知れている。竜巻を通過した石の破片が容赦なく降り注ぎ、頭部を庇う腕や胴体に突き刺さる。爆ぜるような衝撃が全身に走った。

 

 

 「くッ!」

 

 

 こんなところで死ねない。まだやり残していることがあるだろう?匡近の穏やかな顔が浮かぶ。

 

 倒れ込もうとする身体。踏ん張る脚。高く舞い上がる。

 

 

 風の呼吸 玖ノ型 韋駄天台風

 

 

 

 樹皮に大きな爪痕がついた。だがダメージを受けている様子はない。むしろその逆だ。

 爪跡から無数の触手が烈火の如く躍り出、放たれる。ひとつでも当たれば命はない…必死に魔の手をかい潜りながら、実弥はついに自分の戦意さえ潰えようとしていることに絶望する。もはや逃げ惑うことしかできないのか。

 

 

 振り下ろされる枝、迫る木々、雨のように降り注ぐ触手、石の嵐。そして何よりこの歌。死せる魂の叫び声。

 

 攻撃すればますます凶悪になり、切り刻めば増えていく。

 

 

 

 

 残された時間はもうない。

 

 

 

 

 俺は…どうすれば。

 

 

▷▷▷▷▷

 

 巨大化を続ける木の根は地中を進み、やがて砂歌町の真下まで達した。地上ではすでに黒い霧が町を覆い尽くしている。あの探索枝が地面から顔を出し、町の家々の壁をつたいながら不気味な木となり、成長していく。かつて人々が営んでいた生活空間は侵食され、廃墟と化してしまった。ただ生を否定する空虚な世界だけが広がり続けていた。

 

 

 

 砂歌の民は、我が愛する故郷が闇に包まれていくのを、ただ千泉観音堂から眺めていることしかできなかった。嘆くこともせず、言葉を失い、茫然と立ち尽くしている。

 

 そんな中、愛生に支えられながら二百の石段をやっとの思いで上り、観音堂に着いた紫万が背中の「客」を降ろした。

 

 

 ドサッ。

 

 

 グキ。

 

 

 「いってぇ!いてててて!!!」

 

 「だだ、大丈夫!?」愛生が驚く。

 

 紫万の腰がついに砕け、悲鳴を上げた。こんな肝心な時にぎっくり腰になるとは…くっそう。仰向けになる紫万。横では降ろされた「客」がなおも気持ちよさそうに鼾をかいている。こいつの神経は一体どうなってる。恨めしそうに横目で見る。もはや怒りを通り越して呆れるばかりだ。愛生は不思議そうに首を傾げながら「客」を観察している。

 

 

 「お兄ちゃん、大丈夫?」

 

 

 上を仰ぐと、町の子供達の無垢な顔が覗き込んでいる。どんなに切羽詰まっていても、こうした光景には何故か癒されるというものだ。

 

 「だめー死にますさようなら」

 

 とぼけた顔で手を振ってみせる。

 

 「笑」

 

 「お前ら、とーちゃんかーちゃんから離れんなよ。あぶねーから」

 

 「はーい」

 

 

 何人か親の元へ戻っていった。残るニ人が話しかける。谷から一緒に引き上げてきたあの少女と少年だ。

 

 

 「さっきは助けてくれて有難う…お礼を言うのが遅くなってごめんなさい。お兄さんたち、名前はなんていうの?」

 

 「俺?紫万。あそこにいるのは樹」

 

 「じ、城ノ上…愛生です…」

 

 「嬢ちゃんたちは?」

 

 「南琵(なび)

 

 「僕は真司(まさし)

 

 「よろしくな。具合はどう?」

 

 「大丈夫。落ち着いた」

 

 「良かった…怖かったろ?」

 

 「うん…」

 

 南琵が俯く。

 

 「お姉ちゃんに会いたくて…でも」

 

 涙が浮かんだ。紫万はそんな南琵を見つめ、背中をぽんぽんと叩き、さすってやる。

 

 「辛かったな…」

 

 「谷で僕らを守ってくれたのは?何ていう人?」

 

 「不死川実弥。鬼狩りで一等強い柱の一人、風柱だ」

 

 そこまで言うと紫万の表情が急に暗くなる。先程から絶え間なく続く地震。樹から伝えられた結界の崩壊。町を覆う黒い霧。ここまで影響が及んでいるということは、もはや形勢不利になりつつあるということだ。

 

 

 「大丈夫」

 

 

 

 紫万の心情を汲み取った愛生が、自分にも言い聞かせるように言葉を繋いだ。

 

 

 

 

 ーーあの人は、負けたりしないーー

 

 

▷▷▷▷▷

 

 

 眼下に立ち込める黒い霧は、もはや雲海と化している。樹はその中に巨大な怪物の影が蠢くのを見ていた。嫌な予感がしたのはまさにこのことだ。だが、その影が何なのかはよく分からない。鬼ではないことは確かだろうが…。

 上は緋色の空。下は黒霧。現に地獄というものが存在するなら、このような景色なのだろうか。

 

 

 ーー樹ーー

 

 不意にどこからか声がする。

 

 ーー樹よーー

 

 「誰だ!?」

 

 驚いて辺りを見回すが、話しかけてくる人の姿はない。

 

 ーー覚えとらんかのうーー

 

 

 

 ハッとする。遠い昔に聞き覚えのある声…多分自分が生まれてすぐ、よく顔を見に来てくれていた身内の誰かだ。記憶を巡らすうちに、曾祖母の顔が浮かんだ。

 

 

 ーーひいおばあちゃん?ーー

 

 ーーそう。お前の曾祖母の暢恵(のぶえ)じゃーー

 

 

 母方の鳴海家は、青森県むつ市を起源とするイタコ、いわゆる霊媒師の家系だ。暢恵はその中でも群を抜いた霊能力の持ち主だった。母がいつ結婚するのか、結婚相手がどんな漢字の名前の人か、さらには妊娠の時期まで言い当てたらしい。樹が生まれるとよくあやしに来てくれ、当時としては大変珍しく九十歳まで長生きした。

 

 その暢恵が今自分に何か伝えようとしている。胸がざわついてきた。やはり自分たちは厳しい局面にいるということか…。

 

 ーーうすうす感じておろうが、これからお前たちが対峙することになるのは、鬼そのものではない。鬼の「呪い」じゃーー

 

 樹の表情が引き締まる。

 

 ーー「呪い」?ーー

 

 ーーこの鬼は厄介なやつでな、自分や他人の霊魂を自在に操ることができる。肉体から霊魂を切り離したり、霊魂そのものを分散させたり、集めたりできるんじゃ。そうして今まで力を蓄えてきた。全てはこの世に復讐するために。今あやつの肉体は谷にあるがのう、自分の霊魂を二つに分け、そのうちの一つをこちらに飛ばしておる。狙いはもちろん、砂歌の者たちじゃ。お前も気づいておろうーー

 

 ーーこの日輪刀では戦えないの?ーー

 

 ーー霊魂には使えぬ。それは鬼の肉体に対して用いるものじゃろ。谷で相手している者があやつの首を斬らない限り、滅びはせぬーー

 

 ーーじゃあどうすればーー

 

 ーー目には目を、じゃ。お前の体をしばらく借りることになるが、それでも良いかーー

 

 

 思えば母も祖母も霊能力はあったが、代々続いてきたイタコの道を選ばなかった。理由はよくわからない…二人とも口をつぐんで、詳しいことは教えてくれなかった。多分時代の波もあったのだろう。鳴海家のイタコは暢恵の代で途切れることとなる。他に後継者もとらなかった。樹自身もその道には進んでいない。自分は霊媒師になれる器ではないと考えていたし、大体自分の身体に他者の霊魂が乗り移ることなど想像もできなかった。というより、怖かったのだ。

 だが今、暢恵が自分に霊媒師の能力を見出そうとしている。内声を通じて曾祖母と会話するこの感覚が、本物であると言う根拠はどこにもない。単なる幻覚かも知れない。ましてや、霊能力を戦闘に用いた経験など皆無である。それでも僅かな可能性を感じるのは、自分が口寄せをしたのだという愛生の言葉だ。ここはひとつ賭けてみるしかない。自信があるといえば嘘になるが、他に町人を守る術はなさそうだ。

 

▷▷▷▷▷

 

紫万と愛生は、疲れてなおも座り込んでいた。そこへ足音が近づいてくる…

 

 

 「紫万、愛生」

 

 二人の上に、静かに樹の影が伸びる。

 

 「?」

 

 見上げた先にはいつもの仲間。だが、何か妙だ。先程坂道で見せていた迷いの表情が一切消え、超越然とした風格になっている…まるで別人のように。その琥珀の瞳が、妖しい光を放っていたのだ。

 




[裏解説]
1. 璽永地
 素材は樹木子、万年竹、スリーピー・ホロウの死人の木。巨大化し、触手を畝らせる様はバイオハザードのウロボロス・アヘリをイメージしている。
2. 生贄の顔たち
 人形にも見えるというくだりは、人間が「リアルに人間に近いロボットや人形」ほど気味悪く感じる「不気味の谷現象」を想定。雰囲気的にはソチミルコの人形島の感じ。
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