世界最大の都市、ラインハット。だが凡庸な王デールの治政になってからはその言葉もすでに過去形となっている。政治は乱れ、税の徴収も厳しく貧富の差も激しくなった。
ここはラインハット城下、悪政が引かれているだけあって雰囲気は最悪のようだった。人々は疑心暗鬼に陥り、弱いものはただ、泣いて暮らす毎日だ。
夫を亡くし、子供が残り、そしてその身が病魔に冒されていても王国は容赦なく税を取るだけで何もしてはくれなかった。そんな不幸な境遇を持つ女が城下で物乞いをしていた。彼女の名前はメル、息子の名前はレン。
「お願いします…。せめて1ゴールドだけでも…」
物乞いに身を落とした一人の女、年のころは二十代前半だろうか。かたわらには息子レンがいる。
「やかましい!! 俺がもらいたいぐれえだよ!!」
と男にあえなく突きとばされてしまい転倒してしまった。レンはそんな母に駆けよった。
「お母さん! ちくしょう、よくもお母さんを!!」
と殴りかかるが男に突き飛ばされてしまった。
「あぐっ!」
小さな体がむなしく吹き飛ぶ。
「レン…」
「ちきしょう…」
「ごめんね…。お母さんが病気で働けないばかりにあなたにこんな惨めな思いをさせてしまって…」
レンはそれに答えずにうつむいている。そんな息子を不憫に思うばかりだ。だがその視線の先に人の良さそうな若者を彼女は見つけた。王城をぼんやりと眺めている。
(外壁からの侵入はムリそうだな。外堀から入るのにも小船がいるなあ)
メルは立ち上がり、その若者に声をかけた。
「もし…」
考えごとしていた若者は声の主に振り向いた。
「何か?」
「お願いします…。せめて1ゴールドだけでも」
若者は薄汚れた女に少しとまどったようだが、その後ニコリと笑った。
「いいですよ」
と懐から5ゴールドを渡した。
「こんなに…ありがとうございます。これで息子にパンを食べさせることができます」
「それにしても…城下はひどい有様ですね。僕は昔、この国に来たことがあるのですが、とても活気があってよい城下町だった。いつからですか、こんな苛政の地となったのは?」
メルは小声で答えた。
「恐れながら…。デール様が国王となってからです。デール様は母親の太后様の言いなりとか」
「そうですか…」
若者の歳は十七歳くらいだろうか。メルより六つ七つは年下であろうが、彼の持つ気品と威厳は年上の彼女もうっとりして見つめてしまいそうだ。
「教えてくれてありがとう。助かりました」
と言いながら、若者は懐から20ゴールドを彼女に渡した。
「いえ、私そんなつもりでは」
若者はニコリと笑い、メルに向け優しく言った。
「坊やがパンを食べられても母親のあなたが食べられなければ意味がないでしょう。では」
「あ、ありがとうございます。私はメル、貴方のお名前は」
「名乗るほどのものではないですよ。では」
若者はその場を去っていった。レンは母親に駆け寄っていった。
「お母さん、よかったね。優しいお兄ちゃんで」
メルは若者の背中をしばらく見ている。彼女のこの後の人生で今の若者が大きく関わってくることになろうとは彼女自身、予想もしていなかったであろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
数日後―――
いつも物乞いをしている場所にあの親子はいなかった。この日メルは持病の肺病がやや悪化し、家にこもっていた。だが家と云ってもようやく雨露がしのげる程度なボロ家である。
「ゴホゴホッ」
痛々しい咳が狭い部屋に響く。そして今日はこの親子に不幸な来客があった。親子に金を貸した高利貸しである。メルは夫の葬儀の際に金が無く、やむなくこの男に120ゴールドを借りたのだ。
メルの夫は農夫であったが、あまりの太后の悪政のため国王デールに農夫仲間と共に直訴を試みた。だが密告により太后にそれを察知され、捕らえられ裁判も無く処刑された。反乱者の家族と云うことで城下では迫害され、葬式をするにも、わずかな蓄えも根こそぎ国に取られてしまった。だからやむなく借金をした。
借金の額は今では利子により300ゴールドとなっていた。男はいかにも金回りの良さそうな太目の男。顔は好色そうであった。メルは知らない。直訴を密告したのはこの男ガラードだと云うことを。
「メルさん、こっちも商売なのですよ。お貸しした300ゴールド、耳を揃えて返してもらえませんかねえ」
「…そんな大金ありません。それにお借りしたのは120ゴールドではありませんか…」
「世の中には利子というものがあるのですよ。ウチはまだ低金利な方なのですよ」
そう言いつつ、ガラードはメルのうなじを卑猥な目で見つめた。
この日、城下町は晴れていた。季節は春。桜が咲いていた。思わず空や桜を見上げ深呼吸の一つもしたくなるところだが
「う~ん…。偽太后の正体をあばくラーの鏡も手に入れた今、あとは城に踏みこむだけなのだが、警備が思いのほか厳しいな。蹴散らすのは僕とヘンリーが力を合わせれば造作もないけど、後々王になるかもしれないヘンリーがそんな力技を使うのは印象が悪い。それに太后にどんなモンスターが化けているのか分からないしなあ…」
先日、メルにゴールドを渡した若者、城の外堀の縁に立ち止まった。
「やっぱりヘンリーを勝たせるためには警備兵といちいち戦っていてはダメだ。二人とも無傷に近い状態で偽太后にたどりつかないと。となると夜に乗じて外堀から秘密裏に侵入するしかない。しかし船がない。最悪の場合は泳いででも…いや待てよ。これほどの警備体制だ。堀に四十や五十の肉食魚を放し飼いしていても不思議はないな…。ん?」
若者は城下町をうろうろしているうちに、あばら家の軒先に小船があるのを見つけた。
「あ、あった! まさに文字通り、渡りに船だ。素人の作りみたいだけど頑丈そうだ。十分使える! よし持ち主にかけあって…」
家の中から子どもの怒鳴り声がした。
「ヤメロォッッ! お母さんに何をするんだ!」
ガラードはメルをベッドに押し倒そうとした。メルは無い力を振り絞り激しく抵抗する。そこにレンがガラードに飛びかかったのだ。
『やかましい!』とガラードは怒鳴り、まだ七歳程度のレンを容赦なくひっぱたいた。彼は倒れたレンの襟首をつかんで起こし、まだひっぱたこうとしている。
「レン! 何を…!」
ガラードを止めるべく、メルはベッドから降りるが、そのまま床に崩れるように倒れてしまった。
「ハアハア…ゴホッ」
もう呼吸もままならないものの、メルの目はガラードを睨み付けた。そんな睨みなど全く意に介さず、ぬけぬけと彼は言い放つ。
「簡単な話だ。病気でくたばっちまう前にいただくものいただきましょうってことですよ」
「…私が罹っている病は移るもの。私を抱けば死にますよ」
「下手な嘘は言いなさんな。なら何でガキはいつもアンタのそばにいるのです?」
ガラードはレンを床に放り投げた。
「レン!!」
確かに彼女はいま嘘を言った。どんな理由があろうと、こんな男に抱かれるなんて耐えられない屈辱である。
「さあさあ、俺に抱かれるだけで借金棒引きなんですよ。逆に感謝して欲しいくらいですなあ。おとなしく服を脱ぎな、それとも無理に脱がしてあげましょうかねえ?」
「…レン…お外に行っていなさい…」
恥ずかしさと悔しさの中でメルは服を脱ぎはじめた。瞳からは涙がポロポロと落ちていた。
(ちくしょう…ちくしょう…ッ! あなた…ごめんなさい…)
メルは心で無念の中に死んでいった夫に詫びていた。レンには母親が服を脱ぎ始めた理由が分からなかった。
「お母さん?」
その時、ドアが勢い良く開けられた。そこにはメル親子にゴールドを渡した若者が立っていた。
「すいません。ノックはしたのですが返事がなかったので。実は軒先にある小船を譲っていただきたいのですが」
ガラードはせっかくメルが服を脱ぎ始め、彼女を抱けると思っていたに邪魔が入ったことに苛立ち、若者に凄んだ。
「ああ? いま取り込み中だ。あんなボロ船欲しければ持っていきな」
「…貴様には聞いていない」
「なんだとォ」
そんなガラードを無視して話を続ける若者。
「僕の見たてでは…そうですね。300ゴールド!これで足りますか」
「あ、あの…」
そんな高価なわけがない。メルの亡き夫が趣味の釣りのために作った素人作品なのだから。
「いや、助かります。ちょうど、ああいう小船を探していましてね」
若者は300ゴールドが入った革袋をメルに手渡した。小声で
「調子を合わせて下さい。小船が欲しいのは本当なのですから」
と、メルにつぶやいた。
「分かりました。お売りいたします。ガラード!」
メルはガラードの胸元に革袋を突き付けた。
「これを持って、とっとと消えて下さい。借用書も渡して」
「ちっ…」
革袋の中を確認するとまぎれもなく300ゴールド入っていた。
「余計なことしやがって…」
ガラードは若者を睨む。
「ナイト気取りか、小僧。こんな病気もちの乞食女、俺の性欲処理くらいにしか役に立たな…」
聞くに堪えない下卑た言葉。若者はガラードの胸倉をつかみ片手で自分より体重のありそうな彼を簡単に持ち上げた。
「二度とこの親子に近づくな。また妙なことを考えたら僕の今の目を思い出せ。わかったな」
ガラードは鋭い若者の眼光に怯えた。歴戦の強者が醸し出す雰囲気、借金で女を脅して我が物にしようなんて思う三流以下の男は震えるしかなかった。
「はい…」
それを聞くと若者はガラードを床に放り投げた。眼下に見下ろし、すさまじいまでの烈迫を放った。
「失せろ!!」
ガラードはほうほうのていでその場を去っていった。メルは衣服を整えながら立ち上がり若者に礼を言った。
「ありがとうございます。お金は必ずお返しします…」
「いや、本当にあのお金で小船を買ったのです」
「し、しかし、夫が亡くなって使わなくなり埃だらけ。いくら私でもあんな小船が300ゴールドの価値があるとは」
「あるのです。僕と仲間には」
若者が本気で言っていることがようやく分かったメル。
「では…ありがたく、そのお金でお売りします。借金も無くなって、しかも追い返してくださり…何とお礼を言えば…ゴホッ、ゴホッ!」
借金とガラードの干渉が無くなったことで気持ちが楽になったか、同時に胸の苦しみが襲ってきた。激しく咳き込む。
「お母さん、ほら横にならなきゃ」
レンは幼いながらも母を精一杯気遣っている。若者にはそんな少年がまぶしく見えた。
「…見たところ肺の病のようですね。どれ、横になってみてください」
「え、ええ…」
メルは若者に言われるまま仰向けになった。
「ちょっと失礼」
若者はメルの胸元に軽く触れた。
「……ベホイミ」
メルの全身を光が包む。
「どうですか?」
「…!? く…苦しくない…治っている? …こ…こんなことって…」
「お母さん! 本当!? 病気治ったの?」
レンの目から大粒の涙があふれてきた。
「あああッ! なんとお礼を申し上げて良いのか! ありがとうございます、戦士様! このご恩は一生忘れません!!」
メルは両手を合わせ若者に心から礼を言った。
「いえいえ、困った時はお互い様です。僕も船が入手できて助かりました」
「お兄ちゃんありがとう。グスッ」
レンは泣いて若者に礼を言った。
「…坊や、名前は?」
「レン」
「レンか、良い名前だ」
そう言いながら若者は腰を下ろし、レンの背の高さに視線を合わせた。
「いいかいレン、君は男の子だ。お母さんをしっかり守ってあげるんだよ」
「うん」
「僕にはもう守ってあげたくても守ってあげられるお母さんがいないんだ。親孝行をすることがもう出来ないんだ。だからレンがとても羨ましい。お母さんを大事にするのだよ」
「うんっ!」
レンはソデで涙を拭いて元気良く若者に答えた。メルは思った。息子もこの若者のように育ってほしい。いや、きっとこの若者のように育つであろうと思った。レンは若者を尊敬と憧れの目で見ていた。まるで父親や歳の離れた兄のように。きっと息子はこの若者のようになることを目指すはずだ。メルはそう思った。
「うん、いい返事だ」
若者は優しい笑顔を見せ、レンの頭を大事そうに大きな手で撫でた。レンは嬉しそうだった。立ち上がった若者はメルの方を向いた。
「それでは小船、大事に使わせていただきます。後ほど取りに伺いますね」
若者はペコリと頭を下げて、立ち去ろうとする。
「お願いします、せめてお名前だけでも!」
メルには若者が名乗らないことは分かっていた。何か名乗れない事情があると感じていた。しかし聞かずにはいられなかった。若者は照れくさそうに笑った。
「ははは、名乗るほどの者じゃありませんよ。それじゃ」
若者はメルの家から出て行った。レンは若者を追うようにドアを開けた。
「お兄ちゃん、ありがとう!!」
若者は少し振り返り微笑んだ。メルも家から出て、若者の姿が見えなくなるまで見送っていた。そして心の中で何かが芽生えた。いつのまにか顔が赤くなっていることを自分で感じた。
(…あたしったら何を考えて…でもダメよね…。あれだけの若者なんだもの。かわいい恋人の一人や二人…。こんなオバさんなんか…。だけど…ああ…ごめんなさい。あなた…)
「どしたの。お母さん。顔赤いよ」
気がつけばレンがキョトンとした顔で自分を見上げていた。
「え? いや何でもないわよ…」
「ふーん…」
(何考えてんの…私は…)
「そうだ! お母さん。お兄ちゃんが取りに戻るまでお船を掃除しとこうよ! 綺麗なお船を渡したいじゃん!!」
我が子ながら名案を出すものだとメルは思った。そして颯爽と腕をまくった。
「そうね! お船を綺麗にしましょ!」
「やろうやろう!!」
レンは元気な母親と一緒に何かをやれることがものすごく嬉しかった。親子はすっかり元気を取り戻した。若者はゴールドだけではなく、親子が元気になるキッカケも与えたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日の夜。このラインハットで革命が起きた。革命の首謀者はずっと行方知れずであった先代の王の嫡男ヘンリー王子。そしてその横にあの若者がいた。
二人はメルより購入した小船で外堀から城内に侵入し、地下牢にて捕らわれ人となっていた本物の太后を救出し悪政をしいていた偽の太后を倒したのである。彼らはたった二人で革命を成功させてしまったのだ。
城のテラスからシスターと思える女性と同志の若者を伴い、領民の前にヘンリーが姿を見せた時、ラインハット城下町は歓喜の声で沸き上がった。
メル親子も、苛政の限りを尽くしていた憎き太后を倒したヘンリー王子を見るべく、城へと赴いた。城に来た領民には小さな国旗が配られた。領民はヘンリーに向けてそれを振り、革命の成功を讃えた。メル親子も心から革命の成功を喜び、ヘンリーに向けて国旗を振った。そしてその時にヘンリーの横にいる若者に目が止まった。
「ああっ!!」
ヘンリーの横には昨日自分たちを助けてくれた若者がいた。メルはビックリして思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「お、お母さん。あれ、あのお兄ちゃんだよ!!」
レンも驚いている。メルは若者が名乗らなかった理由を今すべて理解できた。革命を起こそうとしているのに、おいそれと城下町で名前を言えないのは当たり前である。
「まさか…ヘンリー王子と同志の方だったなんて…」
彼が王子のそばにいたのなら、二人だけの革命の成功もうなずける。戦いには素人のメルでさえ、若者がケタちがいに強いことは理解していた。だから彼女は若者のことを『戦士様』と呼んだのだ。
「お母さん! お兄ちゃんがこの国に住むのだったら毎日会いに行けるね!」
レンはよほど若者が好きになったのか、革命の成功よりそっちのほうが嬉しそうだった。しかしメルにはそう簡単に会うことができない人と云うことは分かっていた。このままラインハットに留まったとしたら、彼がヘンリーの第一側近になることは明白である。ヘンリー、デールに次ぐ立場になってしまう。もはや一領民が会ってもらえる身分ではないのだ。
メルは残念に思うものの、彼がヘンリーと共に治世を行えばラインハットは生まれ変わり、良い方向へと変わっていくだろう。今はその喜びを心から祝おう。メルはそう思い再び国旗を振った。
若者はテラスからメル親子を見つけた。メルと目が合う。元気に旗を振るメルとレンを見た若者は嬉しそうに手を振って応えた。
やがてヘンリーは親友の若者と革命の協力を惜しまなかった美しいシスターの名前を領民に紹介した。シスターの名前はマリア。ヘンリーの妻となる女性である。そして若者の名前は…リュカ。後のグランバニア王である。
自分の自慢のように、二人を紹介するヘンリーに領民は応えるように『マリア様』『リュカ様』と歓呼した。無論、メル親子も。
「リュカ様…その名前、私も息子も一生忘れはしないでしょう」