翌日、レンは「城に行きたい」と言い出した。しかしメルは中々腰を上げようとしない。
「ねえ、お母さん。リュカ兄ちゃんに会いに行こうよう~」
「ダメよレン。もうあの人は雲の上の存在…会っていただけるわけないの」
「そんなの行ってみないと分かんないじゃんか」
ヘンリーは王にはならなかったものの、宰相として以後デールを補佐していくこととなった。一国の宰相の側近となったかもしれない人に一領民の自分が会ってもらえるわけが無い。
メルがそう考えるのも無理はなかった。だが幼いレンにそれは理解できないことである。強引にメルの手を引っ張り城へ行こうと聞かない有様だ。
「こら、離しなさい!」
「やだ。一緒に行こうよ~」
と、レンが玄関のドアを開けた時であった。
「あっと」
ラインハットの軍装をした兵士がそこに立っていた。メルはレンの手を解き、兵士に訊ねた。
「あ、あの何か?」
兵士は敬礼をして
「メル殿とレン殿ですね。宰相閣下がお召しゆえ、お迎えに上がりました!」
「は?」
(何…? 殿って…)
兵士をよく見ると、その後ろには馬車が用意してあった。
宰相閣下とはヘンリーのことだ。
「さあお乗りくださいませ。宰相閣下がお待ちです」
「いや、あの、お人違いなさっています。私たち親子が宰相様に呼ばれるなんて恐れ多いことが…」
しかしレンはさっさと馬車に乗ってしまった。生まれて初めての馬車に嬉しそうに乗っている。
「何言ってんだよお母さん。その人、俺たちの名前を呼んだじゃんか!」
確かに兵士は自分たちの名前を呼んだ。しかし俄かには信じられなかった。自分が王室に呼ばれるなんて考えたことも無かったのである。兵士はとまどうメルに改めて言った。
「さあメル殿、お乗りください」
しばらくすると馬車はラインハットの城門をくぐった。戸惑いながら馬車から降りると、メルの前に青い法衣を身に纏う金髪もあざやかな美しい女性が立っていた。
昨日、ヘンリーの横に立っていたシスターのマリアである。
「お待ちしておりました」
急いで平伏しようとするメルの手をマリアは取った。
「そのような振る舞いは不要です。さあこちらに…」
メルとレンがラインハットに住むようになって久しいものの、城に入るのは初めてであった。マリアに案内されているメル親子は城の優美さにただ見とれていた。そしてメルは恐る恐るマリアに訊ねた。
「あの…リュカ様は…」
マリアは立ち止まり、メルに振り向いて答えた。
「残念ですが、リュカさんは本日早朝に城を発たれました。まだあのお方には成すべきことがございますから…」
リュカは城に留まらず、再び旅に出たことを告げられた。身分はあの時のままなのだ、とメルは何となくホッとしたが会えないことは残念だった。改めてお礼を言いたかったのに。
「…そうですか…」
「お母さん、そんなにガッカリすんなよ。いつかきっと会えるって!」
レンは母の腰をポンポンと叩いた。自分だって残念と思っているだろうに、レンはそれを表に出さず母親を励ました。
「え?」
「お母さん、リュカ兄ちゃんが好きなんだろ?」
「な…何言っているのこの子は!」
メルは顔が真っ赤になった。
「だってこないだリュカ兄ちゃんが帰ったあとずぅ~とポーとしていたじゃんか。お船を掃除しているときも時々今みたいに顔赤くしていたしさあ」
「あ、あれは病み上がりで少しだるかったから! お母さんが好きなのは死んだお父さんだけなの! ホントにもう、マセた子ね」
必死に弁明しているが、メルがリュカに恋心を抱いているのは七歳の子供から見てもモロバレであった。
「ふぅ~ん、でも寝言でリュカ様って言っていたの、俺聞いちゃったんだけど」
「エッッ!?」
「へへ~ん、嘘だよ~」
「こらッ!」
マリアはあっけに取られて親子を見ていた。それに気づいたメルは慌てて取り繕った。
「し、失礼しました」
クスクスとマリアは微笑を浮かべた。
「いいえ、仲の良い親子で羨ましいですわ」
「は、はあ…」
「さ、つきましたよ。ここであの人がお待ちです。お入りください」
応接間に通された二人はヘンリーに会った。リュカに劣らないほどの気品と威厳を持つヘンリーにメルは思わず平伏した。
「そのように畏まらず、こちらにお座りください」
マリアがメルの肩に触れ、ヘンリーと向かいのソファーに座るように促した。恐縮してそのソファーにメルとレンは座った。
「そんなに緊張することはない。肩の力を抜いてくれ」
ヘンリーは親子を気遣った。そして改めて自己紹介をした。
「よく来てくれた。私はヘンリー」
「マリアです」
「わ、私はメルと申します。この子は私の息子で」
「レンです」
母親の紹介がじれったくなったのか、レンは自分で名前を言ってしまった。しかもレンは母親と比べ、さほど緊張している様子ではなかった。子供ゆえに状況をつかめなかったのか。それとも肝が太いのか。ともかくレンはヘンリーに堂々と名乗った。
「うん、中々いい面構えをしているな。ガキのころのアイツと似ている」
ヘンリーはレンを嬉しそうに見つめた。褒められてレンは顔を赤めた。幼いレンでもヘンリーの云う『アイツ』が誰であるかは分かったからだ。
「急に呼び出してすまなかった。だがどうしてもそなたたち親子に会ってみたくてな」
「あの…私どもに何か…」
ヘンリーは語った。まず船を提供してくれた礼。そしてかつてデールに直訴を試み偽太后に殺されたメルの夫に対して詫びの言葉と名誉回復のための発布を国内に伝達し、義勇の士として慰霊碑も作り、ラインハットの史書にその名を刻むことを約束した。
無論、夫と同志だった農夫仲間も同様であった。そしてかつて没収したメルの夫が残した蓄えも倍額にして返済したのである。
「あ、ありがとうございます…。夫もこれで…」
メルは感涙にむせびヘンリーの思いやりに感謝した。
「お父さん、すごいや。義勇の士だって! カッコイイ~」
義勇の士と云う意味がレンに分かったのかは不明だが、レンは父親の名誉が回復したことは分かったようだ。
一通りの用件を言い終えると、ヘンリーはメルに訊ねた。
「立ち入ったことを聞いてすまないが、そなたたち今後の身の振り方はいかがするのか」
正直、親子には今後の生計を立てる算段はなかった。たった今返済されたゴールドも働かなければ、すぐに尽きてしまう。
しかし病気も治ったことだし、城下の酒場やレストランで給仕でもしようかと考えていた。
「ええ、リュカ様に体も治していただけたことですし、そろそろ仕事に就こうかと思います。この子には少し寂しい思いをさせてしまうかもしれませんが…」
レンの肩に触れながらメルは言う。レンは「平気だよ」と笑顔で母に答えていた。
「良ければ、私に仕えないか」
「…は?」
ヘンリーはニコリと笑った。
「親子共に私に仕え、城に務めないか」
「……!?」
信じられない言葉であった。メルは言葉を失った。つい先日まで物乞いをしていた自分が城に務められる幸運を得られたのである。
「メル殿は我が妻となったマリアの侍女として、レンは騎士見習いとして私に仕えてくれないか。そなたのように世の中の酸いも甘いも見てきた女性が妻に仕えてくれたら私も安心だし、レンは幼いが良い面をしている。騎士として、ものになるかもしれん。どうであろう?」
メルはソファーから降りてヘンリーとマリアにひざまずいた。
「はいっ!是非お願いします!!」
すかさずレンも母親を真似た。
「お願いします!」
ヘンリーとマリアはお互いの顔を見て微笑んだ。マリアはソファーを降り、メルの手を取った。
「至らぬ私ですが宜しくお願いします」
「は、はい!」
「そんなにかしこまらないで下さい。私とて元はただの修道院のシスター。遠慮せず私に落ち度があるときは叱って下さいね」
メルはここまで腰の低い『エライ人』を見るのは初めてだった。ゆえに感動してマリアに仕えることとなるのである。レンもまたヘンリー直属の騎士団の見習いとなった。
今回のこの親子の幸運がリュカの口添えによることは明らかであった。
しかしヘンリーはリュカに口止めされているのか、そのことはメルには言わなかった。 メル親子はいつかリュカに再会し、礼を言うことを楽しみにしながらラインハット王家に仕えていくのであった。
そして…九年の歳月が流れた。