昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第九十六話 ミーナの素性

 ニコニコと笑いながらも、テュコは油断なくミーナの様子を窺っている。

 ヴァルナルはテュコの意図を察して、眉を寄せた。正直、あまりミーナの昔の話を聞きたくない。

 

「それは…商家で働いていたときに」

 

 思わぬ質問にミーナは当惑した。落ち着きなく視線をさまよわせながら、小さな声で答える。

 テュコは首をひねった。

 

「商家? どこぜ、場所は?」

「……ルッテアです」

「ルッテア? そりゃおかしなことぜ~。こン豆はつい先ごろまで、都ンいる貴族ン中でも、相当格のある方々しか口にされることのなかった品じゃぜに。コールキアの方で生産拠点が出来て、上からの許可も出て、ようやっと我々みたいなモンの手にも入るようになってきたんじゃぜなぁ」

 

 ミーナの顔が強張り、徐々に青ざめていくのを見て、ヴァルナルはそれ以上、テュコが問い詰めようとするのを止めた。

 

「やめろ、テュコ。いいじゃないか。おいしいものが飲めたのだから」

「そぜに言いよぉわりには、お(まン)、一口しか飲んどらんじゃ」

「うるさいな」

 

 ヴァルナルが苛立たし気につぶやくと、ミーナはおずおずと声をかけた。

 

「領主様、よろしければミルクを入れて飲んでみてはいかがでしょう? 飲みやすくなると思います」

「ミルク? うーん…じゃあ、入れてみてくれ」

 

 ヴァルナルが珈琲の入ったカップを差し出すと、ミーナは持っていたポットからミルクを注いだ。

 黒の液体は見る間に薄い茶色になった。

 ヴァルナルはゴクリと唾を飲み下してから一口含む。まろやかで濃厚なミルクの味と一緒にほどよい苦味を舌に感じて、それが絶妙に調和していた。

 

「うまい」

「よかった…」

 

 ミーナは心のつぶやきが思わず声に出ていた。

 嘘のないヴァルナルの言葉に安堵する。微笑むと、ヴァルナルも固くなっていた表情を緩めた。

 

「やれやれ…ワシはすっかり邪魔者じゃぜな~」

 

 テュコがあきれたように言って、わざとらしく肩をすくめてみせる。

 

「あ…すみません」

 

 ミーナはあわててその場から後退(あとずさ)ると、ミルクのポットを抱えつつ、深く頭を下げた。それは召使いとしてのお辞儀であったが、実のところは赤くなった顔を隠すためだった。

 

「御用がお済みでしたら、私は失礼させていただきます」

「あぁ、ご苦労だった」

 

 ヴァルナルはテュコがこれ以上何をか言い出す前に、早々とミーナを下がらせた。正直なところ、意味ありげにミーナを見る弟の視線から彼女を隠したかったのだ。  

 

 ミーナが出て行った途端、テュコは頬に浮かべていた笑窪を消した。

 

「兄貴…お(まン)、あン女子(おなご)の身の上はちゃんと調べよぅぜ?」

 

 鋭く問われて、ヴァルナルはキョトンとなった。

 

「なんだ…いきなり」

「おかしいぜ、あン女子」

「おかしい?」

 

 ヴァルナルは問い返しながら戸惑っていた。

 テュコが珍しく真剣な顔になっている。

 

「言ったぜ? こン珈琲っじゃ、元々一部の上流貴賓の方々にしか飲まれることのないもんじゃったぞに…ルッテアなんぞ中途半端な街の、一介の商人が飲めるようなもんじゃなぁぜ」

「例外的にたまたま手に入れたんじゃないのか?」

 

 ヴァルナルは大して気にもせず言ったが、テュコは首を振った。

 

「そぜなこっじゃ、ありえんぜ。こン飲み物は元々、大公家から広まったんじゃぜ」

 

 テュコが口にした言葉に、ヴァルナルは引っ掛かった。

 

「大公家…?」

 

 帝国において、大公は皇帝と同じく唯一の人しかいない。

 

 ランヴァルト・アルトゥール・シェルバリ・モンテルソン大公閣下。

 

 最近、やたらと()の方のことを考えるようになった。

 それは無論、オヅマの『千の目』のことがあったからだが、今回また別の話題から彼の名を聞くのは偶然……なのだろうか?

 

「ホレ、あのイェルセン公国との戦で大公殿下が領土の一部を戦功としてもらったっじゃ? そン中にコールキア一帯があって、そこン少数部族の間で飲んじょった珈琲が殿下に献上されて、気に入られて飲まれるようになったんじゃぜ。帝国内じゃ、しばらくは大公殿下が独占しとったじゃ。そン後で殿下が皇家の上ツ方々にも紹介されて、徐々に都にいる貴族にも広まったんじゃぜなぁ」

 

 話しながら、テュコはまたミーナの淹れてくれた珈琲を一口飲んだ。満足気に息を吐く。

 

「見事なもんじゃぜ。こぅも美味(うも)ぉ淹れるとは。兄貴、あン女子はなかなか只者(ただモン)じゃなかろうぜ」

「………」

 

 ヴァルナルは少し考えた。

 

 確かに前々から気になっていたことではあった。

 レーゲンブルトのような片田舎では不似合いなほどの、ミーナの挙措の美しさ。

 

 今までは帝都近郊のルッテアの商家で働いて、そこで身につけたと聞いて納得していたが、よくよく考えれば、あぁまで完璧な礼儀作法を商家が仕込むとも思えない。

 

「まだ、世間的にはさほど知られてもいない珈琲の淹れ方を知っとるなン、よっぽどの家格の屋敷に勤めてたはずじゃぜ。いや……もしかしたら、皇宮ってことも」

「まさか!」

 

 ヴァルナルはテュコの想像を笑い飛ばそうとしたが、顔は強張った。そんな兄を見て、テュコはまたキセルをふかす。

 

「わからんぜぇ。今は子供も産んで多少老けとぉっじゃ、若い頃はもっと美しかったんじゃろぜ。あン美しさなら、皇宮で一級女官として働いていたとしても不思議はなぁぜ」

 

 皇宮の一級女官といえば、学識、所作、礼式の全てに習熟し、容姿においても優れている、と認められた『完全無欠の女中』とも呼ばれる存在である。

 彼女らは貴賤の区別なく厳しく教育されており、皇宮にあまたいる召使いの中でも別格だった。その完璧な礼儀作法を習得させるために、自分の娘を預ける上位貴族家もあったほどだ。

 歴史上では、彼女らの中から皇帝の后となった者もいる。

 

 ヴァルナルはテュコの言葉を結局、否定できなかった。

 古語や、古典礼法にも通じたミーナのふるまいは、皇宮の一級女官となっても十分に通用するだろう。

 

「まぁ、見たところ(かか)様が心配しとぉっじゃ、性悪女には見えんぞに、なんぞ隠しとぉことがあるんじゃろぜ、あン様子では」

「それがどうした?」

 

 ヴァルナルは超然として言った。

 

「隠したいことなんぞ、人間生きてれば一つ二つ出来て当たり前だ」

「ハハッ」

 

 テュコは笑った。

 これは相当、入れ込んでいるようだ。前のように公爵の肝煎りだという理由だけで貰い受けた女とは違う。

 

「兄貴にそン本気(マジ)もンの女子ができるぞなぁ~、人は変わるもんじゃぜ。オリヴェルのことも十分に面倒見てくれとぉっじゃ、本当(ホン)の親子でもないぞに、有難いことじゃぜ。実の(かか)は放っぽっていきよったぜなぁ」

 

 あけすけなテュコの言葉に、ヴァルナルは眉をしかめた。

 脳裏に前妻の姿が浮かぶ。

 

 互いに愛せないままに終わってしまった妻。

 世話してくれた公爵と公爵夫人のためにも懸命に愛そうとはしたが、形式的なことが済めば、何をすればいいのかわからなかった。

 その後、南部の紛争が再び始まってしまったのもあり、紆余曲折を経て別れてしまった。

 

 今となれば、彼女には失礼なことをしてしまったと思う。

 自分は彼女に興味を持つこともなく、気持ちを推し量ることもしなかった。

 

 今回、アドリアンの近侍としてオヅマを公爵家に送りこむためには、ミーナと結婚することが理想だと言われても、ヴァルナルは即断できなかった。

 それがアドリアンの為になることだとわかっていても、こちらの事情で婚姻を進めることは、ミーナを利用するようで嫌だった。

 

 そのくせ前妻のことは、公爵の意であるというだけの理由で結婚し、周囲の人間に貴族として認めてもらうための道具として利用することにためらいはなかったのだ。

 なんとも身勝手な話だ。

 

 ヴァルナルは来し方を思い、自らに慚愧した。であればこそ、今度は間違えないように、ゆっくりと手堅く進めたいとは思う。

 ただ、そのためには相当に忍耐力が必要だと、日々、思い知らされているが。

 

「……近いうちに正式に申し込むつもりだ。決まればまた、知らせる」

「ほぅか…」

 

 テュコは短く頷き、パイプの灰を灰皿に落として立ち上がった。

 

「ほいじゃ、ワシはこれで失礼するとしよう。街道の話はまだまだ先の長い話じゃぜ、また追々にな。ワシらの方で話が進めば、いい按配で動いてくれっじゃ。期待しよぉぜなぁ~」

 

 ヴァルナルはテュコの物言いにフッとあきれた笑みを浮かべた。

 つまり、テュコの仲間である商人たちも、それぞれの筋から街道新設について願い出るのだろう。だが皇帝陛下にまで話が伝わるのはそう容易ではない。そこで、ヴァルナルに後押しを頼みにきたのだ。

 

「まったく、タヌキになってきたのは姿形だけじゃないな……」

 

 ヴァルナルがあきれたようにつぶやくと、テュコはニッと笑った後に、ぽんと手を打つ。

 

「おぉ、そうっじゃ。甥っ子の顔くらい見て行かねば、母様にどやされる。前にここン来た時は、おっ怖い乳母にロクに顔も見せてもらえんじゃったぜなぁ~」

 




次回は2022.10.30.更新予定です。

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