昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百四話 ケレナの悔恨

「ミーナさん、ちょっとお話したいことがあるの。よろしいかしら?」

 

 ケレナがめずらしく深刻な顔でミーナに声をかけてきたのは、ギョルムの事件のあった翌々日のことだった。

 

 ミーナはベッドで休んでいるオリヴェルの顔色を窺った。

 事件後、ビョルネ医師から安静にしておくようにと指示され、今は勉強も休んでいる。穏やかな寝息をたてているオリヴェルを確認した後、窓辺の椅子で繕い物をしていたナンヌに付き添いを頼んだ。

 

「すぐに戻るわ」

「大丈夫ですよ。マリーちゃんも今は寝てますし」

 

 ナンヌは笑って請け負ってくれる。マリーは午前中に草抜きで庭を動き回って疲れたのか、ソファでぐっすり眠っていた。

 

「ありがとう」

 

 ミーナは礼を言って、廊下で待つケレナに声をかけた。

 

「お待たせしました。少し、出ましょうか」

 

 そう言ったのは、自分の眠気を追い出したかったのと、ケレナの顔が暗かったので気分転換をさせたかったのもある。

 館から出て、ミーナとケレナは庭の噴水そばにある東屋へと向かった。

 

 日差しは暑くなってきたが、影になった場所では涼しい風が吹いている。

 最近ではケレナに午後の授業がないときに、しばしば二人で話すことがあり、この東屋はケレナのお気に入りの場所だった。

 

 いつもなら「風が気持ち良いわ!」と大きく()()をして、いきいきと話し始めるケレナは、今日はすっかり落ち込んだ様子で背を曲げ、憂鬱な顔で俯いている。

 

「どうなさったの? そんな暗い顔をして」

 

 ミーナは東屋の中でケレナと並んで座ると、ギュッと膝の上で手を握りしめて、ひどく思い詰めた様子のケレナに尋ねた。

 しかしケレナはしばらくやはり黙りこくっていた。

 

「なにか心配ごとでも?」

 

 ミーナが首をかしげ、重ねて問いかけると、ケレナは急に立ち上がるなり、ミーナに向かって深々と頭を下げた。

 

「ごめんなさい! ミーナさん」

 

 いきなり大声で謝られて、ミーナはきょとんとケレナを見上げた。

 ケレナはおそるおそる顔を上げ、ミーナと目が合うと、泣きそうに顔を歪めた。

 

「ごめんなさい、本当に…」

 

 そのままその場に崩折れてしまったケレナをなだめて、ミーナはとりあえず隣に座らせると事情を尋ねた。

 

「いったい、どうされたの? いきなりなぜ謝罪なんて…」

 

 ケレナは軽く首を振りながら、ミーナの差し出したハンカチで目頭を押さえた。

 

(わたくし)があんまりにも考えなしだからですわ。本当は、昨日気づいた時に、すぐにでも謝りに来たかったのですけど、昨日はミーナさんが休まれているからと…ナンヌにも言われまして」

 

「あ…それは」

 

 一時的にであれ、我を忘れるほどに激昂したせいであるのか、ギョルムのことがあった日、ミーナは発熱してしまった。

 熱は夜には収まったのだが、ギョルムに殴られた頬の腫れがまだ引かず、眩暈(めまい)もしていたので、しばらく体を休めるように、とのビョルネ医師からの指示で安静にしていたのだ。

 

「ごめんなさい。少し体調を崩していて…」

 

「とんでもない! ミーナさんが謝ることなど、何一つありませんわ。()()()()()があったのですから、体をいたわるのは当然のことです。もっと十分に休まれていてもいいくらいですのに…あぁ、今日また私がこうして煩わせてしまって…」

 

 ケレナの言葉に、ミーナの顔が少しだけ曇った。

 

 ギョルムのことについて、館では特に箝口令が布かれたわけではなかったが、誰もが大っぴらに話すことは控えた。

 だが、人の口に戸は立てられない。

 ミーナとしては、ギョルムと()()()()()()()()()()思われるのだけは避けたかったので、本調子ではないものの、今朝から仕事に戻ったのだ。

 それでも、まだかすかに赤く腫れた頬を見て、何人かは痛ましそうに、何人かは物見高く、両者ともに勝手に事件を想像しては噂しているようだった。

 

「大したことではなかったのですし、あまり大袈裟に考えないでください」

 

 大事(おおごと)にしてほしくなくて、ミーナはケレナの過度の同情をやんわり拒否した。

 

 しかしケレナは首を振った。

 

「いいえ。ミーナさん…私はあなたに謝る必要があるのです。あぁ…本当に。あの男、あの破廉恥極まりない不逞な男に、私はうっかりあなたのことを話してしまったのです!」

 

「………え?」

 

 意味がわからずポカンとなるミーナに、ケレナは堰を切ったように話し始めた。

 

「数日前、私、いつものように朝の散歩をしていましたの。あなたとまたお話できないかと思っていたのですけど、その日はちょっと寝坊してしまいまして…前夜に読み始めた本が……あぁ! 考えてみればあの本も不吉なものでしたわ。『罪人たちの朝』なんて! ついつい面白くて止まらなくて、寝る時間がすっかり遅くなってしまったんですの。それで、朝起きるのが遅れたせいで、残念ながらあなたにお会いすることはできませんでした。そのまま薔薇園の方にでも一人で行こうとしていたら、あの男がビョルネと話しているところに出くわしたんです」

 

「……ビョルネ先生と?」

 

 知った名前が出てきて、ミーナは聞き返す。

 ケレナは深く頷いてから、ハタと気づいたように、つけ加えた。

 

「あぁ、トーマスの方ですわよ。間違ってもロビン・ビョルネ医師(せんせい)ではございません。あの双子、顔立ちはそっくりですけど、身なりや行動はまったく異なりますからね。間違えられては、ロビン医師が不憫というものですわ」

 

「あの、トーマス先生と…ギョルム卿は何を?」

 

「さぁ? 私が近付いて挨拶する前にトーマスの方は去っていってしまいましたから。あぁ、でも葉巻をもらっていたようですわ。こちらでは手に入りにくいので、融通してもらっていたのでしょう。それからあの不埒な男と話すことに……あぁ! 今、思い出しても忌々しいですわ! あの男の口車にのって、うかうかと…私ったら余計なことを…」

 

 ケレナは自分の失態がよほどに悔しいのか、何度も苛立たしげな溜息をついた。

 ミーナは冷静だった。

 トーマスとギョルムが会っていたことは気になるが、ひとまず()いて、ケレナに先を促した。

 

「ギョルム卿と話されたのですか?」

 

「えぇ。不本意なことですけど、私、あの男を何度か見かけたことがございましたの。ホラ、あなたにもしつっこく声をかけていたでしょう? 私、その時はあの男が、とんでもない不逞の輩だなどと知らなかったものですから、普通に朝の挨拶をしましたのよ。

 それからどういう話の流れなんだか、気がつくと私、あなたがいつも早朝に祠堂(しどう)に行くことを話してしまったんです。やっぱり夜遅くまで本を読んで、寝不足でボンヤリしていたのかしら? ついつい聞かれるままに答えていたら、あなたのことを話していたんですわ。

 ですから、あなたがあの祠堂の近くであの男に…その…とんでもない事をされたと聞いて…最初は驚くばかりだったんですけれど、よくよく考えたらもしかすると、私のせいであなたを危険な目に遭わせたのではないかと……あぁぁ!! ごめんなさい、ミーナさん。どうか許して頂戴!」

 

 ケレナはまた大声で謝ると、座ったままミーナに頭を下げ、泣きじゃくった。

 

「あ……」

 

 ミーナは唖然として、ケレナの話をすぐに飲み込めなかった。

 

 つまり、数日前の朝に、ギョルムはトーマスと話していた。その後にケレナと会って、ケレナからミーナが毎朝、祠堂に行くことを聞いた…ということだろうか。

 

 ミーナは思い当たることがあって、眉を寄せた。

 昨夜、ミーナの様子を見に、部屋を訪れたヴァルナルが話していたことだ。

 

 ギョルムは事件前日に深酒し、寝起きに『目覚まし(ファトム)』という、麻薬を含んだ葉巻を吸ったらしい。帝都にいる頃から時々吸っていて、こちらでの生活が合わず、寝覚めもよくない日が続き、その量は増えていったのだという。

 

 今のケレナの話から推測すると、その葉巻を渡したのはトーマス・ビョルネだということだろうか?

 

 この事はヴァルナルにも伝えたほうがいいのかもしれない。

 違法なものでないにしろ、扱いには注意が必要なものだ。

 トーマスがそこまで常識がない人間とは思わないが、間違って子供達が口にしたりすることのないように、注意してもらった方がいいだろう。

 

 考え込んでいると、いきなり怒声が降ってきて、ミーナもケレナもビクリと身を震わせた。

 

「なにをしている!」

 

 青筋をたてて猛然と早歩きで向かってくるのはネストリだった。

 ズカズカと東屋に乗り込んできて、ミーナを怒鳴りつける。

 

「貴様、ミドヴォア先生に何を言った!?」

 

 どうやらミーナがケレナを泣かせていると勘違いしたらしい。

 ミーナが呆然として釈明するよりも早く、ケレナが立ち上がってネストリをなだめた。

 

「あぁ! 違うのです、ネストリさん。私がミーナさんに謝っていたのです。昨日もお話ししましたでしょう? 私のせいでミーナさんが危険な目に遭ってしまって…」

 

「しかし…こんなに貴女(あなた)を泣かせるほどに責める必要もないでしょう。なにも貴女だって故意にギョルムに話したわけではない。あの男が貴女を誘導して、情報を引き出したのですから…」

 

 どうやらネストリは、この件について既に、ケレナから相談を受けていたらしい。

 ミーナはパチパチと目を瞬かせて、いつの間にかすっかり仲良くなっているらしい二人を見ていた。

 どうすればいいのかわからず、立ち尽くしていると、じっとりとネストリが睨みつけてくる。

 

「なにか言うべきことはないのか?」

 

 それは質問という体裁をとった強要であった。

 ミーナはあわててケレナを慰めた。

 

「あの、ケレナさん。そんなにご自分を責めないでください。私はあなたのせいだと思っていません。悪いのはギョルム卿ですから」

 

 ケレナは目を潤ませて、おそるおそる尋ねてくる。

 

「お許しくださるの? ミーナさん」

 

 ミーナはニッコリ微笑んで頷いた。

 

「ネストリさんが仰言(おっしゃ)られるように、あなたが悪いわけじゃないんですから」

「じゃあ…じゃあ…これまでのように、お友達でいて下さる?」

「もちろん」

 

 ミーナが即答すると、ケレナの顔から暗さが消えた。

 

「良かった! 本当にごめんなさいね。ありがとう。あぁよかった……よかったわ……私、すっかり嫌われてしまうと……」

 

 今度は安堵感からか、ケレナは再び泣き始めた。

 

「大丈夫ですよ。貴女はべつに悪いことはしていません。たいしたことではないんですから、そう罪悪感を抱かずとも……」

 

 めずらしくネストリが親身になって慰める姿に、ミーナは内心で驚いた。

 目の前にいるのは、本当にあのいつも冷たく(いかめ)しい、時々嫌味なことを言う執事と同一人物なのだろうか? 二人はいつの間にこんなに仲良くなったのだろう…?

 

 ともかく、いつまでもここに立っているのは、少々おかしな状況に思えた。邪魔をしないよう、ミーナはそっとその場から立ち去った。

 その後すぐにヴァルナルの執務室に向かい、ケレナから聞いた話を伝える。

 

 ただ、ギョルムがミーナの毎朝の礼拝について知り得た経緯(いきさつ)については触れなかった。今更、その原因がケレナにあったとわかったところで、大して意味がないように思えたからだ。ケレナが話さなくとも、他の使用人から聞くことだってできただろう。特に隠していたことでもないのだから。

 

 ミーナからの話を聞いて、ヴァルナルはすぐにトーマスの事情聴取を行うよう、マッケネンに指示した。

 

 





引き続き更新します。


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