「君がギョルムに葉巻を渡しているのを見た、という証言がある」
マッケネンはムッスリした顔で切り出した。
問われたトーマス・ビョルネは、うーんと首をひねる。
考えながら、ティーポットから冷めた紅茶を、見たこともないような大きな白いカップに注いだ。
デカいカップだな…とマッケネンが眉を寄せて見ていると、トーマスはクイとカップを持ち上げて笑いかけてくる。
「大きいでしょ? これ。僕が作ったんだよね。普通のカップで飲んでたら、あっという間になくなっちゃって、何度も淹れにいかないといけないからさ。もう一つあるよ。飲む?」
同じくらいの大きさの枯草色のカップを戸棚から取り出したが、マッケネンは丁重に断った。
せめて出すなら温かい紅茶を出してほしいものだ。
「あ、そ」
トーマスはスペアのカップを戸棚にしまうと、なみなみと紅茶を注いだ御手製の白いカップ片手に、すっかりクセのついた肘掛椅子にドスンと腰掛けた。
他の研究者らは東塔にある新設された宿舎で寝泊まりしていたが、トーマスは家庭教師でもあったので、本館に部屋をもらっていた。
その部屋でマッケネンが事情を聞いたのは、もしいつものように兵舎内で取り調べとなれば、トーマスの教え子であるオヅマに勘付かれるだろうと思ったからだ。なるべくこうした事については、子供に知られたくない。
しかし、尋問相手の部屋で尋問するというのは、既に空気からして相手側の支配下にあるので、非常にやりづらい。まして相手がマッケネンにとっては鬼門とも言うべき男であった。
トーマスはマッケネンがアカデミーを受験していたことをオヅマから聞いたらしく、以来、妙に話しかけてくるようになった。
しかし十歳でアカデミーに入った天才は、やはり凡人であるマッケネンには計り知れぬところがあり、相手するだけで気疲れするので、最近では見かければなるべく避けるようにしていたのだ。
しかし今回はれっきとした仕事である。避けては通れない。
マッケネンは覚悟を決めて、いつも以上に気持ちを引き締めて来たものの、既にトーマスのペースに巻き込まれつつある。
わざとらしく咳払いして、マッケネンは再び気を引き締めた。
トーマスは冷めきった紅茶をゴクゴク飲んでから、またうーんと思案する。
「会ったかもしれないし、覚えてないな」
「………覚えてない?」
「このド田舎ではねぇ…なかなか葉巻一つ手に入れるにも大変なのさ、みんな。僕はここでの暮らしが案外と合っているみたいで、自然と吸わなくなったんで余っているけど、僕と反対の人もいるから、そういう人達には必要なんだろうね。だから、わりと頻繁にあげちゃってるんだ。その中にギョルム卿がいたとしても、いちいち覚えてないな」
「生物博覧誌を一冊まるごと暗記している人とは思えない答えだな」
マッケネンが皮肉ると、トーマスはハハハと笑った。
「そりゃあ、興味のあることなら覚えるさ。みんな勘違いしているようだけど、僕は天才とかじゃないんだよ。必要な時に必要なことを必要なだけしか覚えようとは思わないからね。たいがいの人は、不必要なことまで覚えようとするから、無理だ…ってなってしまうんだよ」
「………大したもんだ」
マッケネンはボソリとつぶやいた。
しかしトーマスは不機嫌になるマッケネンを見て目を細めた。
「僕はあまり人に興味を持たないんだ。基本的に。だからその人の顔とか名前とか、覚えようと思わない。一応、努力はしてみるけどね」
マッケネンは内心で納得した。
前に一度、厩舎を訪れたトーマスら学者一行が話しているのを聞いたことがあるのだが、その時、トーマスは同行の学者らを、「なめし皮」「瓜坊くん」「ツギハギ眼鏡卿」などと好き勝手に呼んでいたのだ。しかもそれらは固定でなく、トーマスの機嫌次第でいくつかの別名があるらしかった。
学者らはトーマスが勝手につけた
(実際のところ学者たちは、トーマスに名前を覚えてもらうことを、あきらめている)
「まぁ、いずれにしろ、ギョルム卿に僕が葉巻を渡していたことが、罪になるとは思わないね。その葉巻が
マッケネンは眉を寄せた。
実はマッケネンもファトムを吸ったことがある。
騎士になって初めての戦場で、先輩の騎士から勧められた。
いざ決戦を控えた時に吸って、気分を高揚させるのだと聞いたが……トーマスの言を借りるなら、マッケネンは効きやすい体質なのだろう。
吸った直後から興奮状態で、戦場での記憶は曖昧だった。生き残るために人を殺したというより、勢いのままに殺していった……。
マッケネンは過去の自分を苦々しく思い出しながら、重苦しく言った。
「……吸うことは禁止しないが、少なくとも若君とオヅマに授業をする前日は控えて頂きたい。子供たちの前で奇態を晒すようなことがあっては困る」
「心配しなくていいよ。さっきも言ったように、僕はここでの暮らしが合っているせいで、最近はほとんど吸ってないんだ」
「………意外だな」
「なにが?」
「君のような人間が、この土地に合うとは思わなかった」
トーマスはフフと笑い、長い髪の一房をくるくるとねじっていく。
「それが案外合っているのさ~。適度に刺激的で、適度に退屈で」
「………それはけっこうなことだ」
マッケネンのため息は深かった。
トーマスはねじった髪の毛をパと離すと、肘掛けに頬杖をつきながら、楽しそうに微笑んだ。
「ま、そういうことだから、僕からギョルム卿について、何かしらの情報を得ようとするのは、無駄だと思うよ。リュリュ・マッケネン卿」
「…………」
マッケネンは呆気にとられた。
目の前でニッコリ笑うトーマスをまじまじと見つめる。
騎士団でも
ちなみにマッケネンというのは姓なのだが、これがややこしいことに名としても存在するために、騎士の多くは彼の
マッケネンにとってはむしろ、勘違いしてもらえる方が有り難かったのだ。本名を知られるよりは…。
マッケネンはハッと我に返ると、トーマスを睨みつけた。
いかにもしてやったり顔が癇に障る。
「その名前で呼ぶな」
低く恫喝するようにマッケネンは言ったが、トーマスは微笑む。
「どうしてさ? 可愛い名前じゃない、リュリュ」
「だから呼ぶなと言ってるんだ!」
「なんで? 嫌いなの?」
「嫌いに決まってるだろう! そんな赤ん坊みたいな名前」
リュリュ、というのは多くの場合、愛称であった。
それも子供や、犬猫などのペットに対する呼びかけとしての名前で、当然ながらそのイメージは愛くるしく、無垢なものといった感じだ。
マッケネンは幼い頃はまだしも、長じるに従ってこの名前が嫌いになっていった。どう考えても自分とは
トーマスもまた、そこについては同感であるようだった。
「まぁ…そうだよねぇ。額に傷まであるような、コワーい顔した騎士様が『リュリュ~』なんて呼ばれてたら、思わず二度見して笑っちゃうよね~」
「わかってるなら言うな! 今後一切!」
「……………リュリュ~」
トーマスがこっそりとつぶやく。
マッケネンは立ち上がった。
無駄だ。これ以上はまともに話ができる気がしない。
とりあえず聞いたことだけヴァルナルに伝えて、それで不十分だというなら、日を改めて今度こそしっかりとガッチリと理論武装して、気をキリキリに引き締めて臨むしかない。
「あ! ねぇねぇ、リュリュ」
ドアノブに手をかけたマッケネンに、トーマスは懲りずに名前で呼びかける。
マッケネンはギロリと睨むと、トーマスに向かってビシリと人差し指を突き出した。
「その名前で呼んだら、無視するからな」
「無視されたら、また呼ぶよ。いいの? 他の騎士さん達には知られたくないんでしょ~?」
マッケネンはぐっと詰まった。
すかさずトーマスは話を続ける。
「僕だって、時と場合というのはわかっているさ。人前では呼ばないであげる。だから、僕が『リュリュ』と呼んだ時には、必ず返事すること」
マッケネンは拳を震わせながら、無言で承諾するしかなかった。そうしないと、騎士達にあの小っ恥ずかしい名前が知れ渡ってしまう。
トーマスは明らかに面白がっていた。
第一印象から嫌な感じであったのが、今回のことで決定的になった。
「…貴様のような奴が討論大会で優勝するんだろうな」
マッケネンが苦りきった顔で言うと、トーマスは大袈裟に肩をすくめた。
「まさか。あんなつまらないものに出るような人間に見える? 僕が」
「ほぅ、それは賢明だったな。もし出ていれば、今よりお前を苦手に思う人間が増えていたはずだ」
マッケネン渾身の嫌味だったが、トーマスは一枚上手であった。
「僕を苦手に思うような奴は、たいがいの場合、僕に憧れているんだよ」
「………もういい」
これ以上話していると、生気を吸い取られそうな気がする。
マッケネンは再びドアノブに手をかけようとしたが、その背にトーマスが問いかけた。
「そういえばさぁ、僕とギョルム卿を見たっていう証言者は、いったいどこでそんな場面に出くわしたの?」
マッケネンは扉を開きかけて動きを止め、怪訝にトーマスを見た。
「何故、そんなことを聞く?」
「質問に質問を返すものではないよ、リュリュ。僕はキミからの質問には素直に答えた。僕にはキミに質問する権利がないとでも?」
マッケネンはため息まじりに答えた。
「庭園で見た、と聞いている」
「庭園? いつ? 夜中?」
「………早朝だ」
「ふ……ん。……そう」
トーマスはあらぬ方を向いて、右眉上のホクロをポリポリ掻く。ゴクゴクと紅茶を飲み干すと、書棚から何かの本を取り出し読み始めた。
「おい…」
マッケネンは今の質問の意図を尋ねたかったが、トーマスは見向きもしなかった。もうマッケネンに興味をなくしたのか、それとも研究者として集中しだすと、周囲と隔絶してしまうのか…。
マッケネンは吐息をつくと、トーマスの部屋を後にした。
◆
マッケネンから報告を受けたヴァルナルは、この件については打ち切った。
特に目新しい情報もなく、トーマスの言う通り、葉巻のやり取りだけでは、何の罪にもならない。むしろ善意であげた…というだけのことだ。
ミーナの心配していた子供達への影響にしても、当人が最近はほぼ吸っていない、というのであれば、問題ない。一応、ヴァルナルからも再び注意をすると、トーマスはその日のうちに、持っていたすべての葉巻を、雑貨商に売っ払ってしまった。
「たぶん、しばらく必要ないから~」
と言うトーマスの笑顔が、マッケネンにはものすごく不吉に思えたが……。
さて、ギョルムのその後について簡単に記しておこう。
帝都は遠く、ラナハン上級吏士、アンブロシュ准男爵、クランツ男爵連名でギョルムの処断を求める書翰が皇府に届いたのは、事件が起きて二十日ほどが過ぎた頃だった。
皇府の長官からその書翰を渡され、目を通したギョルムの叔父であるソフォル子爵は、とうとう匙を投げたらしい。
処置について長官に任せ、長官はギョルムの処分を、レーゲンブルト領主であるヴァルナルの裁量に委ねる…と返した。
その返事を受け取った時点で、既に事件が起きてからは一月半以上が過ぎていたわけだが、ヴァルナルにはまだギョルムへの怒りと憎悪がくすぶっていた。
即座に首を刎ねたいくらいだったが、一方で時間は冷静さを与えてくれていた。
この男の死をミーナが知ることすらも、苛立たしい。そんなことでいちいちミーナの気を煩わせたくはなかった。
「
当然ながら、
帝都に戻ろうにも金もなく、どこまで行けるのかわからない。
要するに野垂れ死にすることを想定した上での刑罰だった。運良く生き残れたとしても、真っ当な道を歩むことは難しいであろう。
もっとも帝都に戻って罰を受けるとなれば、ギョルムは罪を一等減じたとしても斬首となっていただろうから、どちらが良いのかはわからない。
(ちなみに減じられなかった場合は絞首刑となり、これは親族までもが社会的に抹殺されるので、叔父であるソフォル子爵としては帝都にギョルムが戻ってくるのを敬遠したのも、そうしたところであろう。)
最終的にギョルムは、杖笞罪を受け、襤褸布のようになって、川べりをふらついていたところを、雨季に入って水嵩を増したドゥラッパ川の
次回は2022.12.4.に更新予定です。