昏の皇子<KURA NO MIKO>   作:水奈川葵

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第百九話 渓谷にて(2)

「ダメーーーッ」

 

 マリーが突然叫ぶ。

 勢いよく立ち上がると、キョトンとして固まっているヴァルナルの手を掴んだ。

 

「行きましょう、領主様」

「行く?」

「そうよ。ちゃんと用意しないと! ホラ、立ってくださいまし」

 

 ミーナの言葉をマネて、ヴァルナルを立ち上がらせると、マリーはぐいぐいと引っ張っていく。

 

「マリー、何をするの。やめなさい」

 

 ミーナがあわてて叱りつけて止めようとしたが、マリーは鋭く母を制止した。

 

「お母さんはここにいて! 待ってて!!」

 

 それでも何か言って追いかけようとするミーナを、ヴァルナルが手で制した。

 

「マリーが言うからには、大切なことなんだろう。しばらく待っていてくれ」

 

 オヅマはあきれ顔で二人を見送ろうとしたが、マリーがチョイチョイと手招きする。

 

「はぁ?」

 

 オヅマが首をひねると、鋭い声が響いた。

 

「……来て! オリーも!」

 

 オヅマとオリヴェルは顔を見合わせて、どちらともなくあきらめ顔で立ち上がった。この中で一番の権力者はマリーだ。どうして逆らえようか。

 

「まぁ、マリー。いったい…皆を連れてどこに行くの?」

 

 ミーナはすっかり困惑して問いかけたが、マリーの返事はにべなかった。

 

「いいから! お母さんはそこにいて! こっち来ちゃダメよ!!」

「見える場所にはいるようにするから、母さんはそこで待っててよ」

 

 オヅマは心配する母に言ってやる。それからオリヴェルに手を差し出した。

 

「行くぞ」

「え…あ、うん」

 

 オリヴェルはいつものことなのに、少しドキドキした。

 オヅマは少し傾斜のあるこの道でオリヴェルが転ばないように…と、手を貸してくれただけだ。それだけのことなのに、オリヴェルはどこか落ち着かなかった。

 

 今日、この日に、父が皆でピクニックに行こうなどと言い出した時から、なんとなく予想はしていた。父がミーナとの結婚について、いよいよ自分たちに正式に言ってくれるのだろうと。

 だが、いざその瞬間がやってきそうになると、とても嬉しい反面、不安になった。本当に自分はオヅマ達兄妹と『きょうだい』になれるのだろうか…?

 

「ねぇ、オヅマ。僕は…君たちと『きょうだい』になっていいのかな?」

 

 おずおずと尋ねると、オヅマは一度、足を止めてオリヴェルを見つめる。

 無表情に見えたその顔は急にくしゃりと笑った。

 

「なに言ってんだ、今更」

 

 オリヴェルはオヅマの細めた瞳に、ホッとして微笑み返した。 

 

 

◆   

 

 

 マリーは母の姿がすっかり遠く、小さくなったのを確認してから、ようやくヴァルナルの手を離した。

 

「領主様! さ、花かんむりを作りましょう!!」

 

 腰に手をあてて、高らかに言い放つ。

 

「花かんむり?」

 

 ヴァルナルが不思議そうに首をかしげると、もどかしげに説明した。

 

「もー、領主様ったら。求婚(プロポーズ)に花かんむりは絶対じゃないの」

「ぷッ、プロポーズ…!?」

「そう! 今日、領主様には、お母さんにプロポーズしてもらいます!!」

 

 マリーが当然のごとく宣言する。

 ヴァルナルはポカンとなった。

 

 マリーは母とヴァルナルが結婚することを、周囲の様子からなんとなく感じていた。その上で今日、この時期に花で埋め尽くされる渓谷に行くことが決まって、ナンヌとタイミが話しているのを聞いたのだ。

 

「きっと、そこで求婚なさるのよ!」

「花かんむりをミーナさんにそっと載せて……キャー! いいじゃなーいっ」

「領主様にしては考えたわよねー」

 

 年頃の娘二人は想像だけでかまびすしい。

 だが、マリーはいやな気はしなかった。

 母が領主様(ヴァルナル)のことが好きなのはずっと前から知っていたし、身分が低いからと諦めていたのもわかっていた。

 だからこそ領主様の方から、ちゃんと求婚(プロポーズ)してあげて欲しかった。 

 

「領主様、ちゃんと言わないとお母さんは気付かないわ。ううん、気づかないフリをしちゃうの。お母さんはね、自分が幸せになることはいつも諦めちゃうの。だから、わかりやすく言ってあげないと駄目なのよ!」

 

 マリーは真剣そのものの顔で両手に拳を握りしめ、熱弁を振るった。

 

 ヴァルナルは呆気にとられつつ、どうしようか迷った。

 実のところ、プロポーズはすでに済んでいる。ただ、あのときはミーナも自分も互いに気が動転していた直後だったので、確かにちゃんとした求婚の場であったとは言い難い……。

 

 一方、オヅマは妹の洞察力に驚いた。

 自分と同じようにマリーもまた、母がすぐに自身を犠牲にすることに気付いていたのだ。それだけでなく、うっかり者の母には、しっかりと明確に言わないと真意が伝わらないことも。

 

「マリー…お前、知ってたのか?」

 

 オヅマが問うと、マリーは首をかしげた。

 

「なにが?」

「母さんと領主様が…その……」

 

 オヅマがどう言おうか迷っていると、マリーは腕を組んで、いかにもあきれたような溜息をついた。

 

「お母さんと領主様が好き好き同士なのは、ずっと前からわかってたわよ。ね? オリー」

 

 呼びかけられたオリヴェルがコクリと頷く。

 オヅマもヴァルナルも愕然となった。

 

「だって…父上がミーナを見る時、ものすごく優しい目をしていたし……」

「お母さんだって、領主様とお話できた日はすっごい機嫌良かったし」

「…………」

 

 ヴァルナルとオヅマは二人して開いた口が塞がらなかった。一番、無頓着に思えたマリーが実は最もこの事に関しては鋭かったのだ。

 

「お前…なんで言わないんだよ」

 

 オヅマが不満げにもらすと、マリーはフンと鼻息も荒く、兄を圧倒した。

 

「お兄ちゃん、こういう事は周りが余計なことをしてはいけないのよ。私も最初は領主様とお母さんをくっつけようと思って色々やろうとしたんだけど、パウルお爺さんとヘルカお婆さんに言われたの。『自然に任すのが一番』だって」

「…………」

 

 もはや何も言えなかった。

 マリーは正しい。いつも物事をよく見て、本質をつかむ。これこそオヅマがマリーに勝てない理由なのだ。

 

「さ、うんっと可愛くて綺麗な花かんむりを作るわよ。オリーはムラサキツメクサを集めてちょうだい。お兄ちゃんはレンゲね。それで土台を作って、領主様と私はいい匂いのする、とびきり綺麗な花を探しましょう」

 

 その後、マリーの監督の下、男達は黙々と花摘みにいそしんだ。

 

 半刻が過ぎ、マリーの手を借りてヴァルナルは花かんむりを完成させた。

 

「見て!」

 

 マリーは出来上がった花かんむりを掲げてみせる。オヅマもオリヴェルもすっかりくたびれていたが、その出来栄えに拍手した。

 

「うん、すごく綺麗だ。きっとミーナに似合うよ!」

「あぁ。うんうん、大したもんだ…」

 

 オヅマは適当に言いつつも、内心で感嘆した。

 ムラサキツメクサとレンゲの土台に絡まるように留めつけられた青や白、紫の大小の花。

 祭りの店先で売られているような華やかなものではないが、落ち着いた色合いはむしろ母に似合うだろう。まさかヴァルナルにこの手のセンスがあるとは思えないので、妹の意外な才能に驚くばかりだ。

 

「さ、領主様! 行きましょう!」

 

 マリーは花かんむりをヴァルナルに渡し、ミーナの方へと送り出す。

 

 ヴァルナルは数歩歩いてから立ち止まった。

 急に緊張してくる。自分一人だったら「また今度」と回れ右して帰っていたかもしれない。

 しかし後方には鬼戦士のごときマリーの緑の目が光っていた。

 

「領主様、頑張って」

「父上、しっかり」

「…………」

 

 二人からの声援がヴァルナルを追い立てる。オヅマは何か悟りきったかのような顔で、黙って手を振っていた。

 

 もう後には退()けない――――…。

 

 ヴァルナルは唾を飲み込み、ふぅと深呼吸すると、エルムの下に座るミーナに向かって歩き出した。

 

 昨夜はオリヴェルの準備に、今日は朝早くから昼食の準備に忙しかったためか、ミーナは寝不足だった。

 既に夏の陽気ではあったが、エルムの木陰は涼しい風が通り、心地良さに睡魔がフワリと訪れる。太い幹に背を凭せてうつらうつらしていると、視界の隅にヴァルナルのブーツの先が見えて、ハッと目を覚ました。

 

「あ、すみません…少し眠くなってしまって」

 

 あわてて体を起こして膝立ちになる。

 顔を上げると、立ったままのヴァルナルがミーナを見下ろしている。

 逆光のせいで表情は見えなかったが、手に持っているものにミーナは微笑んだ。

 

「花かんむりですね。すみません、あの子ったら領主様に自分のものを持たせて…」

 

 フッと笑う気配がして、ヴァルナルがミーナの前にしゃがみこんだ。

 

「マリーの言う通りだな」

「え?」

「君の子供たちは、本当によく母親のことを見ている。君が彼らのことを心配して心をかける以上に、彼らは君のことを心配してるし、大好きなんだろう」

 

 ミーナはいきなり言われて戸惑ったが、それでもニコリと笑った。

 

「えぇ、そうですね。二人とも、私のことを大事にしてくれます。時々、申し訳なくなるくらい」

「ミーナ。彼らはまだまだ子供だから見守る必要はあるだろうが、そろそろ君自身が幸せになることを考えても良さそうだよ」

「私は…」

 

 ミーナはヴァルナルの優しい灰色の瞳を見つめて、愛しそうに微笑む。

 

「今、十分に幸せです。これ以上ないほどに」

「それは困るな」

 

 ヴァルナルは残念そうに肩をすくめた。

 

「私と一緒になって、もっと幸せになってもらいたいんだよ」

 

 ヴァルナルは言いながら、手に持っていた花かんむりをミーナの頭上にそっと載せた。

 ミーナは驚きながら、急に恥ずかしくなって赤くなった。

 

「まぁ、こんな…花かんむりなんて。若い娘でもないのに…」

 

 若い男女の間で交際を申し込む時に、花かんむりを女性に捧げるのはよくある風習だったが、ミーナはもはや自分がそんなことをされるとは思っていなかった。

 

「恥ずかしいです。私なんかがいい年して…」

「美しいよ、ミーナ。まさに、『ミーナ』の名前にふさわしい」

 

 ヴァルナルの言う『ミーナ』とは、神話に出てくる妖精の始祖となった美少女の名前だ。彼女は今年の年神であるイファルエンケと、人間の女の間に生まれた双子の女の子の片割れだった。

 神話では「飛び跳ねる足跡からは花が咲き、微笑めば花歌う」と形容される美貌の持ち主として描写されている。

 

 ヴァルナルは右手を差し出して、ミーナに恭しく頭を下げた。

 

「ミーナ。あなたを妻に迎えたい。長く、共にいることを許していただけますか?」

「あ……」

 

 ミーナはその時になって、ようやくマリーがヴァルナルを連れて行った理由がわかった。

 自分を応援してくれる子供たちの気持ちが嬉しくて、薄紫の瞳に涙が浮かぶ。

 

「えぇ……もちろん」

 

 本当はもっと言いたいことはあったが、ミーナが言葉にできたのはそれだけだった。嗚咽をのみこんで声にならなかったのもあるし、ヴァルナルの手に手を重ねた瞬間に引き寄せられてキスされたのもある。

 

「キャーッ」

 

 マリーの黄色い歓声が谷間に響いた。

 

 ヴァルナルのキスは一瞬だった。ミーナを抱き寄せたまま一緒に立ち上がると、後ろを振り返り、背後で見ていた子供たちに向かって手を振る。

 

 マリーが満面の笑みを浮かべて駆け寄った。

 ヴァルナルは軽々とマリーを抱き上げると、ニッコリと笑って礼を言った。

 

「ありがとう、マリー。お陰様で、成功したよ」

「おめでとう、領主様! よかったね!!」

 

 マリーは嬉しくてたまらぬように言ってから、ヴァルナルに抱きついた。

 

「ねぇ、領主様。もう『お父さん』って言ってもいいの?」

 

 思わぬ質問に、ヴァルナルは驚いて声が出なかった。

 期待してキラキラと緑の瞳を輝かせるマリーに、泣きそうになりながら微笑みかける。

 

「もちろんだ! もちろんだよ、マリー!」

 

 ミーナはマリーがくれたプレゼントと、ヴァルナルの目に少しだけ光った涙に、自分も目を潤ませる。

 マリーはクフフと笑ってから、花かんむりを載せた母をうっとり見た。

 

「とっても綺麗、お母さん。本当に『ミーナ』みたい!」

 

 ミーナは、はにかみつつ微笑んだ。

 本来であれば花かんむりをもらえるような年齢ではない。はたから見れば、いい年をしてみっともないと言われるかもしれなかったが、それでも素直な娘の言葉が嬉しかった。

 

 少し遅れてオリヴェルがやって来る。

 恥ずかしそうに「おめでとう」と言って、マリーの指示で作った小さな花束(ブーケ)をミーナに差し出した。

 

「ありがとうございます、若君」

 

 ミーナの言葉にオリヴェルは少し沈んだ顔になる。マリーが目敏く気付いて、すぐ母に注意した。

 

「お母さん、ダメよ。()()じゃないでしょ!」

 

 ミーナはハッとなってから、おずおずと言い直した。

 

「ありがとう……オリー」

 

 ニッコリと笑って花束を受け取ると、ミーナはオリヴェルを抱きしめた。

 

 オヅマは少し離れた場所からその様子を見ていた。

 一歩、踏み出そうとしたが ――――― 急に美しい花々の咲き乱れる景色は消え、暗黒に閉じ込められた。

 

 

 ――――― お前は不幸そのものだ!

 

 

 憎しみだけを吐いたような言葉。

 

 オヅマは固まった。

 不意にブチリと何かに断ち切られて、自分の感覚を失う。

 

 何も聞こえず、何も見えない。

 ()()()()()()()の感覚だけが、凍りついた意識に流れ込んでくる。

 

 混沌の暗闇の中、目の前には鎧を着た男。

 怒りに満ちた暗い赤茶の瞳が、オヅマを睨みつけている。

 

 

 ――――― マリーはお前が殺したも同然だ。彼女はお前の狂気の犠牲になったのだ……

 

 

 震える声は怒りが昂じてなのか、まだ癒えぬ悲しみを抱いているからなのか。

 

 

 ――――― お前は…この世に昏闇(こんあん)を呼びし厄災の主だ。誰をおいても、お前を殺す! 

 

 

 銀色の閃きが迫ってきて、オヅマを斬った。

 

 同時にゴォォと轟く音。

 その音はゆっくりと遠ざかっていった。

 

「……………」

 

 やがて閉じた瞼の向こうに光を感じ、オヅマはゆっくりと目を開いた。

 そこは元の渓谷だった。

 見渡すかぎり花が咲き、青く山々が連なる。晴れた空に、雲が流れてゆく。

 

 平和な景色の中でマリーが笑っていた。母も、オリヴェルも、ヴァルナルも。

 小さく美しい、絵に描いたかのように、幸せな家族。

 自分にはそこに入る資格があるはずなのに、オヅマの足は動かなかった。

 

 

 ―――――― こわい…。

 

 

 自分があの中に入ったら、夢のようなあの家族が消えてしまう気がする……。

 

 オヅマは二三歩、後ろに歩いてから、クルリと踵を返して走り出した。

 

 大事だから、そっとしておきたかった。

 どうか、あの家族が永遠にありますように…。

 

 切実な願いに胸が痛む。

 自分でもこの痛みの理由がわからなかった。

 





次回は2022.12.18.更新予定です。


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